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わからずの恋  作者: 黒川えこう
プロローグ
2/8

三者三様

 月曜日、ぎゅうぎゅうの電車に揺られ命をすり減らしながら通勤する人々を横眼に見ながらセールで買った自転車のペダルを必死な思いで漕ぐ。向かうは千代田区霞が関二丁目。警視庁だ。受かるわけないと受けた試験に合格し、今は自転車通勤ができる範囲の独身寮に住まわせてもらっている。去年刑事課へ移動になったが、変わらず毎日自転車で通勤していた。

 昨日のイメージチェンジが成功だったのか失敗だったのか、翌日午後になってもわからなかった。ただ普段桃子と一緒に仕事をしている職場の人は、目をまん丸にして髪型を凝視し、当たり障りのない曖昧な顔をする。唯一違ったのが、桃子がたまに仕事を手伝う人物だった。

「どうしたの?!」

 まるで誰かに嫌がらせでもされたかのような口ぶりではあるが、彼の顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「塚本さん」

 捜査三課塚本景巡査部長。学生時代雑誌モデルをやっていたという二枚目で方々にファンがいる人気者である。

 桃子が上司に命じられていやいや仕事を手伝ったことがきっかけで懐かれ、今では何かとアテにされる集られ相手でもあった。

「失恋したんだ?」

「そう思ったんなら笑わないでください」

「笑うに決まってるじゃないか。あの天野桃子が失恋なんて」

『あの』とつけられるようなものでもないと、半ば投げやりな顔をして見せると塚本は口をとがらせて甘えた顔をする。こういう顔ができる人間はこの職場には珍しく、そういうこともあってファンが多いのだろうと桃子は分析した。

「で、相手は誰? もしかして」

「相手はいません。失恋じゃありませんから」

「じゃどうして髪を切ったりしたんだよ」

「カットモデルをしただけです」

 腰近くまであった髪は、今は肩につかないくらいになっている。動きのある緩いパーマとワントーン明るくなった色ですっかり印象が違う。

「俺は前の真っ黒で長いのも好きだったなぁ」

「天野さん」

 塚本の声にかぶさって名前を呼ばれた桃子が振り返ると、今絶賛売り出し中と呼び声高い若手幹部の一人が立っている。細身のスーツによく似合う銀縁メガネがキラリと光った。

「藤田理事官」

 藤田彰彦警視正。最短で警視正まで駆け上がったキャリア組で、塚本より七つか八つほど年上なのにそう見えない童顔だ。笑うと可愛いと先輩に聞いて以来、笑った顔を是非みたいと思っているのだがまだ一度も見れていない相手である。

「天野さん。この書類に不備が見つかったので修正をお願いします」

「この書類、作ったのはあの人ですよ」

 塚本がビシッと指さしている方に立っているのは、男性たちにコーヒーを出してちやほやされたいアピールに余念のない三十路のお姉さんである。

「……あの人は忙しそうだから。天野さん」

「はい」

 受け取って間違いの箇所を確認しようと一歩近づくと、藤田と自分の間に塚本がするりと入ってきた。桃子は塚本にも関係のある案件なのかと思っていたのだが、よく内容を見てみるとそうではないことがわかった。

「塚本さんには関係ない書類みたいですね」

「えっ」

「試験が近いって言ってましたよね。どうぞ気兼ねせずやっていただいて」

 警視庁刑事部といえばとにかく忙しい部署である。忙しすぎて昇進試験をする暇もなくて部下の昇進が滞ると部長の管理責任になるということで、事件がないときなどはそうしたことができる時間を作るようにと連絡があったのだ。

「さあどうぞ」

「ああ」

 藤田は塚本を追い払ったことがうれしいのか満足そうにふんぞり返っていたが、桃子が向き直る直前にいつもの仏頂面に戻った。それを正面から見ていたのが塚本である。藤田のことを歯ぎしりしてにらみつけていたが、そのうちに勉強するため自分のデスクへ戻って行った。

 何れも桃子は関知しないことである。 

 同期の友人と食堂で喋りながら昼食を食べることがある。そういうときの話題というと、だいたい男の話だ。妙齢の女が二人三人といるのだから、そうなるのは当たり前かもしれない。

 ここで桃子はお見合いパーティへ行ったことを言ってみることにした。別に内緒にしておく必要は感じなかったし、もしかしたら何かアドバイスがもらえるかもしれないと思ったのだ。

 本当なら彼女らを誘っていけばよかったのかもしれないが、どちらも恋人がいるのでやめたのだ。

「わたし、お見合いパーティに行った」

「おお! だから髪型変えたのか!」

「髪型変えたのは行った後だけど」

 ことの顛末を話してみると、二人は対照的な顔をした。

 向かって右側に座っているのは交通課の明野芽衣といい、膝を叩いて爆笑している。左側に座っている情報課の河合礼子は慰めるように桃子の肩をやさしく叩いた。

「河合、どうして笑ってやらない!」

「不憫すぎて。笑うなんてとてもできないって」

「桃子! 素晴らしい桃子! 最高の桃子!」

 げらげら笑う明野がぎゅーっと桃子を抱きしめる。明野が普段から自慢にしているFカップの巨乳が桃子の顔面を覆った。

「河合よ。われらで桃子を勝利に導こうではないか」

「導こうといっても、あたしもあんたも結婚してないし」

「結婚はなくても、男はある! とりあえず合コンしよう」

 そこであわてて桃子が口を開いた。

「二人とも恋人が」

「一昨日別れた」

「あたしは半月前」

 

 

 合コンといっても、桃子は何をやるにも初めてだというので明野河合の両名はまずは飲み会を行うと言った。

「人選は我らに一任せよ」

「うん」

 嬉しくなって、しかし笑うのはできずにやはり口を真一文字にしただけだったが二人はにやにやして桃子の肩を叩いたり、二の腕をもんだりした。

 桃子は素晴らしい友を持ったと思った。こんな自分のために、面倒を承知で手伝ってくれるというのだ。

 これからがんばろう。そう思った矢先のことだった。

 乗り込んだエレベータの中には先客がいた。一年前まで明野が熱を上げていた男である。あまり他人のうわさ話に興味があるわけではないが、明野から聞いた話は嘘か本当か随分と大変そうに混み合った内容だったので覚えている。明野は生きる昼メロドラマだといって面白がっていた。

 確か警備課だったはずだ。会釈して前を通りボタンを押そうとすると、どういうわけか手首を掴まれた。

「君、どこの子?」

 驚きすぎて声もでない。地味に暮らしていたこれまで、ただの一度もナンパやキャッチ、痴漢などに遭遇したことがなかったのだ。男の人にこんなふうに手首を掴まれたのだって初めてである。

 驚きすぎて声も出ず、掴まれた手首から先がガタガタと震える。

「所属は?」

 背中を冷たい汗が滑り落ちていく。

「所属を聞いているんだ、答えなさい」

 ポーンとエレベーターのチャイムが鳴った。静かにドアが開くと、ちょうど塚本が藤田と険悪な様子で睨み合いながら乗り込もうとしてきた。

「あっ」

「!」

 藤田は「何をやっている!」と、聞いたこともないような大きな声で怒鳴り、塚本はたぶんそれが現場での顔なのだろう。桃子の手首を掴んでいる男の手を握りこぶしで思いっきり殴り、さらに桃子を抱えるようにしてエレベーターから下ろした。その間に藤田が男を確保しようともみ合っている。

「塚本手錠!」

「はい!」

「やめろ!」

 騒ぎを聞きつけたらしい男たちが加わり、桃子はたぶん自分の所為でこうなったのだという思いだけはあったのでなんとか穏便にことを収めたいと必死に考えた。

「やめてください! 落ち着いて! みなさん落ち、」

 殴り合いだけはやめてくれ。そう思って、警備課のあの男の腕を抱えて止めようとしただけなのに、彼の腕は思っていた以上に太くてそして力が強かった。振り払われた桃子は彼らがぶつかり合うど真ん中にべしゃっと落ちた。

 

 

 

 鼻血を出すなんて小学生ぶりかもしれない。そういって笑ってはみたが、鼻にティッシュを詰められた顔では間抜けでしかない。さっき握られた手首に跡などは残っていないかと心配している塚本に礼を言うと、警備部の男は深く頭を下げた。

「本当にすいませんでした」

 琴浦寛治警部補と名乗り、酷くうろたえた様子で何度も謝っている。

「君のネームプレートが見えたのを、本人以外がつけていると思って」

「まあこれだけ変わっちゃったらねえ」

 塚本が軽口をたたいているが、琴浦と桃子の間に座り敵対心をむき出しにしているのは変わりない。藤田は予定があるといって塚本に後を任せて行ってしまったが、何度も振り返って心配そうにしていた。

「そういえば、どうして私の名前を」

 不思議に思ってそう言いかけると、琴浦の携帯が鳴った。

「すいません。お詫びは必ずします」

「二度と関わらないでくださいね」

 一瞬塚本を鋭い視線で射抜くように見つめたが、琴浦は桃子に深々と礼をして出ていった。睨んでいた塚本の方をみると、塚本は妙に真面目な顔になって桃子のそばにくる。

「なんで?」

「なにがですか?」

「なんで行き成り?」

 先ほどの一連の出来事のことかと首をかしげると、塚本が桃子の鼻に詰めていたティッシュを引き抜き顔を近づけてきた。あわてて目を閉じた途端、何か固くてひんやりしたものが顔面に押し付けられ後ずさりする。

「塚本さん。そういうのはダメでしょう」

 明野がクリップボードを振ってびゅんびゅん音を鳴らしている。

「しかしこんな面白いことになっていたなんて。天野桃子恐るべしねえ」

 けらけらと笑ってはいるが目は笑っておらず、冷静に桃子と塚本を見比べ観察しているようだった。

 

 

 明野が河合に言うのはわかる。当たり前だ。そうなるだろう。だがそこからどういう繋がりがどう作用してこうなったのか。

 翌朝職場に行くと藤田が待ち構えており、桃子の顔をじっくりと見つめてほっとしたように笑った。

「鼻血を出していたから心配したんです」

「おかげ様でこれ以上残念な鼻にならずに済みました」

 改めてかばってくれたことに対して礼を言おうとすると、藤田がいそいそとポケットから何かを引っ張り出して差し出してきた。何かと見ていると無理やり手に持たされる。

「いつでも持っていてください」

 てのひらサイズのウサギのぬいぐるみにキーホルダーがついている。

「ここを引っ張ると大音量でブザーが鳴ります」

 ウサギの尻尾を指さしながら説明する。

「ありがとうございます」

 たぶん桃子の顔がゆるんでいたのだろう。

「大事にします」

 そういいながら顔をあげると、藤田が見たこともない顔をしてこちらを見ている。なんだか可愛いものでも見るような蕩けた顔だ。

 普段の藤田の顔を知っているから余計に恥ずかしさがこみあげてくる。

(どうしてこんな顔するんだろう。笑った顔より珍しいんじゃ……)

 

 

 わけがわからない。しかし仕事はせねばならない。こまごまとした書類作成やその管理に追われ、気付いたら昼になっていた。昼食を食べに行こうとすると明野がきた。

「やっぱりあんた化粧してないのね! これあげるから使いな」

 リップクリームだ。色のついたもので、つけると口紅みたいになるらしい。

「桃子に似合う色にした。ちゃんと使うんだよ」

「ありがとう」

 誰かに何かをもらうことが続いているのも不思議だが、気にかけてもらえることがうれしくもある。

「それで、藤田管理官か塚本さんから何かアプローチはあった?」

「あぷ?」

「何か言われたんじゃない?」

「藤田管理官にこれもらった」

 ポケットにつっこんでいたウサギのキーホルダーを出す。

「……これってさ」

 明野はウサギを手に取ると、ひっくり返したり顔を近づけてよく見たりしている。

 桃子の使っているパソコンを借りると、ポチポチやって桃子に見るように促す。

「同じじゃない?」

「確かに似てる、けど」

 同じウサギのぬいぐるみキーホルダーだ。ネット通販の商品ページで、写真の横には売り文句が並んでいる。

『GPS付防犯ブザー』『大事なお子様の安全に!』『高機能GPSで居場所特定も簡単!』

「GPS付いてるって」

「うん……」

 品物のスペックを見る限り、かなり高機能なことはわかる。桃子は値段を見て驚いた。

「でもそんなこと一言も」

「……この机の引き出しにしまっとけば?」

「ちゃんと持ってるようにって言われた」

「大事なのでしまっておきましたって言えばいい」

「いいのかなあ」

「いいって。でもこれってストーカーなんじゃ」

 そのまま食事に行くと前から藤田がやってきた。藤田は桃子を見るなり驚いた様子で、なぜかスマホの画面と桃子を見比べている。

 桃子と明野は頭を下げてその横をすり抜けていった。

 


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