夜明け
決意を固め、出発の準備を終えたロッカ。
夜明けを待つ彼に、再びナフィが問いかけます。
──なんのために、と。
*
気骨のある男だと思った。自分よりひと周りは年下だろうに。
絶望的な状況にあって、その眼は、まだ生きようという意志を捨てていなかった。
だが、それだけだった。
そいつがただのチンピラだったら、仲間ともども生かしていたかもしれない。だが男は所詮、相容れぬ存在だった。そのまま帰しては、自分だけでなく頭の身も危うくなる。
口は封じる。いつものことだった。
*
ポーチの椅子に深く座り、ロッカは空を見ていた。
東の稜線がその陰影をぼんやりと現しつつある。もうすぐ夜明けだ。
旅支度はすでに終わっていた。ディオムは母親の隣で寝ている。村長と、それからナフィ宛ての書き置きもしたためた。
だが、ニーダにはなんと言いうべきか、最後まで分からなかった。
なぜ自分がやらなければならないのか……
なぜ、オークと戦えることを隠していたのか……
そして、自分は何者なのか……
なにをどれだけ伝えればいいだろうかと悩むうちに、寝る暇がなくなってしまった。
帰ってから、すべてを話そう。
そう思い始めたときだった。
「ロッカさん?」
一瞬、妻が起きてきたのかと勘違いした。そういえば、四年前に出遭った頃も、ニーダは“ロッカさん”呼びだった。
「どちらへ?」
テーブルに置かれた簡単な旅支度を見て訊ねながら、ナフィはロッカの隣に座った。
書き置きの意味がなくなったな、とロッカは溜め息を吐いた。
「川の上流へ行ってくる」
その言葉の意味するところを、ナフィはすぐに察した。
「ひとりで──!?」
静かに、とロッカはジェスチャーで示した。
「いくらあなたでも……! 行くのでしたら、騎兵団の討伐隊に志願なさってください。あなたほどの“転生者”ならすぐにでも──!」
「五年前……」
囁きながら捲し立てるナフィを、ロッカの静かな声が征した。
「隣国のウナリアと、最後の武力衝突があったらしいな」
「え? はい」
“ザニーニの戦い”と呼ばれるウナリアとの最終決戦のことはナフィの記憶にも新しい。領土権を巡る長い争いに終止符を打つ、まさに総力戦だった。ザニーニ平原を舞台に、一週間に渡って続いた戦闘によって双方とも兵力の半数を失った。
当時、魔法院の学徒だったナフィも後方治療師として招集を受け、多くの負傷兵と死者を目の当たりにした。
「あの戦いで、ガウルは兵力増強のために領土民からの徴兵という手段を取った。それで、ニーダの前の旦那は戦死したらしい。産まれたばかりの子供を残してな」
「それじゃ、ディオムは──」
「あいつにはその記憶がない。オレが本当の父親なのかなんて疑いもしてない。二人目の子を身籠もって、ニーダの心の傷もようやく癒えようとしている。そんなときにオレが軍に入るわけにはいかない」
「じゃぁ、なんのために」
「この村と、いまの暮らしを守りたい。それだけだ」
「わかりません」
「わかってもらうつもりはない」
「なんのために……あなたはあれだけの力を授かったんです」
「それはオレを転生させた神に訊いてくれ。ただオレには『戦え』と言われたようにしか思えない」
「そうですよ……! いま帝国に脅かされているこの世界の窮状を救うことだって」
「帝国を倒しても、世界は結局、新しい戦争を始める。今度は世界中の“転生者”が戦場に駆り出される」
「そんなこと──」
「現に、帝国にもいたのだろう? そういうものなんだ。オレのいた世界でも変わりはなかった。いったん争いが始まれば人は敗北を恐れ、やられまいと必死で戦う。
だが平和になれば、今度はそれを失うことを恐れ、自分を脅かす存在を排除しようとする──それがどんなに小さな存在だったとしてもだ。それが新しい争いの火種になる。個人も、国家も変わりはない。ひとつの闘争の終わりは、つねに次の闘争への準備期間だ」
「あなたも恐いんですか?」
「なに?」
「ラーライも、今まで出遭ってきた“転生者”も、みんな希望に溢れていました。『生き直せる』って。でも、あなただけは違う。あなたは、生き直すのが恐いんですか?」
「ああ、そうだな」
ナフィの言いようは挑発だったのかもしれないが、ロッカは淡々と答えた。
「ラーライや他の連中がなにを生き甲斐にしていたかは知らんが、オレは今でも充分、生き直してる。この村と、妻と子がオレの平穏だ。その日々が崩れるのは、たしかに恐い」
「それで、騎士団には入れないけど、ひとりでなら戦う。矛盾してますよ」
「そうだな。だが、これはガウルの戦いじゃない。オレの戦いだ」
「それでも……失礼な話ですけど、現状の被害はこの村の水が少なくなった程度。オーク達が攻め込んできたわけじゃない。そうまでして、これまで正体を隠してきたあなたが動く本当の理由は、なんですか?」
「報いだ」
「は?」
「自分がやってしまったことと、やらなかったことへの、ツケを払う時が来たんだ」
そう言うとロッカは椅子から立ち上がった。
話し込んでいるうちに、東の稜線は白みだしていた。
テーブルの荷を担ぎ、村の中央へと歩き出す。
「待ってください。私も──」
「きみへの書き置きにも記したが、留守の間、ニーダとディオムを頼む。とくにニーダは、きみが口を滑らせたおかげで少し参っている。治癒士なら、放っておけないだろう?」
意地の悪い言い方だが、うまい足枷になった。
旅立ってゆくロッカの背を睨み続けるだけで、ナフィはそのあとを追うことができなかった。
お読みくださりありがとうございます!
ナフィを残し、妻にも悟られぬまま、ロッカは密かに旅立ってしまいました。
次回、いよいよロッカの戦いが始まります。