ロッカとニーダ
当シーンは本当は少し長いので、二つに別けて投稿します。
ロッカとニーダとタイトルに打ちましたが、実際にはロッカの独白が多めです。彼の過去が少しずつ現れてきます。
*
最初にこの世界の山羊を見たときは、ロッカも驚いた。
山羊という概念は同じらしいが、妖精やモンスターが平然と生息する環境に適応してか、体は牛のように大きく筋肉質で、目は金魚のように真横にせり出て、耳はピンと上に立っている。とくに角は頑丈で、しかも敵を容易に突き刺せるよう、前へと伸びている。
それでも性質はあまり変わらないようで、ロッカがもといた世界と同じように家畜として広く飼育されている。もっとも、うっかり怒らせてしまい、前向き角の一撃で胸を貫かれた、という話も珍しくない。
ロッカの村は山間の窪地に隠れるようにあって、岩場と斜面が多く放牧にも適さないため、牛や羊よりも、山羊が多く飼われている。
しかし、川の問題が山羊達の今後にも暗い影を落としていた。
村を貫く川は、ロッカの家のそばを流れる頃には、親指がやっと浸かる程度の浅さになってしまっている。
生活用水もそうだが、山羊達の飲み水、そして飼料となる草を育てるためにも、この川は必要不可欠だ。ロッカの家は村でも最下流にあるため他の村民に影響はないが、水の採りすぎは下流の生態系に悪い。
やはり本川を見に行かねばならない。ラッティガヤ山麓にまで足を伸ばすことになれば、往復で一週間の旅になる。
身重のニーダに家のすべてを任せてゆくのは気が重い。ディオムもまだ、母の補佐役を負うには幼い。
だが、村の誰かが川を確かめに行くとすれば、それは自分だとロッカは思う。
答えの見えない板挟みのなかで、山羊の毛を刈る。
「帰ってたの。ナフィは?」
背後からニーダの声がしたが、ロッカは振り向かず毛刈りを続けた。
「ナフィ?」
「あなたが助けたあの女の子。会わなかった? あなたを探しに行ったんだけど」
ナフィというのか。そういえば名乗られていない。よほど切羽詰まっていたのだろう。なんたらいう端末でこっちの力を調べるのに必死な様子だった。
「ああ。会って、礼を言われた。少しの間ひとりになりたいらしいから、そっとしておいた」
嘘だった。助けた礼すら言われていない──気にはしていないが。
「あの子、ワケありみたいね。夜盗に襲われてたって本当?」
夜盗──ナフィを連れ帰ったときにロッカが吐いた嘘だ。正直にオークと言って妻を怖がらせたくなかった。
残忍だがあくまで人間である夜盗より、その残忍さと知性に獣の頑強さをあわせて造られた帝国軍の尖兵の方が何倍も恐ろしい。
「ああ」
ロッカは嘘を通そうとした。
あまり詮索したくない、と言いそうになって止めた。そう言うと、妻の口から「あなたみたいに?」と訊かれそうだったからだ。
フッ──毛刈り用のカミソリに、太陽の光が反射してロッカの眼を眩ませた。
パンッ──
ロッカの脳裏で破裂音が響いた。
胸に重い衝撃が走り、そこから灼けるような痛みが広がってゆく。全身の筋肉が強張り、思うように体が動かない。
息が苦しい。咳き込むと、喉が鮮血を噴き出した。肺が血で満たされてゆくのがわかる。
血の海だ。血の海でオレは溺れ死ぬのだ。皮肉だが、なんとも相応しい最後じゃないか。
「ロッカ?」
ハッと、ロッカの意識は現在に戻ってきた。
目の前の山羊は毛を刈っていた部分がすっかりずる剥けになっている。やりすぎだ。あやうく皮を剥いでしまうところだった。
「大丈夫?」
ニーダに問われて、ようやく自分が汗まみれになっているのに気付いた。
「少し休むよ」
カミソリを革の鞘に納め、ロッカは立ち上がった。中途半端に毛を失った山羊は不満そうにギュギュギューと鳴きながら走り去った。
「ディオムは?」
「お昼寝してる」
「そうか」
息子の寝顔を見に行こうかとロッカは考えた。今のフラッシュバックでかなり感傷的になっているのかもしれないが、それでも我が子の成長が間近で見られることを、ロッカは幸せだと感じる。
心底から安楽な世界など、どこにもない。だが、少なくともこの村にはニーダがいて、ディオムがいて、新しく産まれてくる子供がいて、親切な村長と村人たち──自分にとっての平穏がある。
だが、何かが狂おうとしている。あるいはもっと前から始まっていて、今朝のことは氷山の一角に過ぎないのかもしれない。そんな予感はロッカにもあった。
「お茶を入れてくるわ。座ってて」
ニーダが山羊囲いに面したポーチを指す。家族で食事が取れるよう、簡単なダイニングセットを置いている。
「いいよ。きみも休め」
「休んでるわよ。この子が産まれたら、もっと忙しくなるんだから」
そうだな、と応えてロッカは小さく笑って椅子に座る。ニーダも微笑みを返しながら家のなかに消えた。
二人目……二人目の子供か。自分がこんな形で父親をやっていると知ったら、あいつは怒るだろうか。
気が付くと、指先でポーチの柱をドンッ、ドンッと叩いていた。
昔からの──この世界に来る前からの──癖だった。暇さえあれば指をどこかに打ち付けたり、何かを握りしめている。
ふと、足音が聞こえて顔を横に向けた。
ナフィが立っていた。
まだまだ緩やかに話が進んでいるように見えますが、次話をきっかけに展開が急変します。おたのしみに!
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