腐れ外道が!
「しかしよぉ、本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。ルクちゃんが見張っててくれてるし、何ならクロちゃんだって付いてるんだよ?むしろ怪我人が一人で脱走する方が無理だって」
ジメジメと蒸し暑い陽気の続く日曜日の昼下がり、源之助と無一は人気の多い表通りを歩いていた。
目指しているのは白沢堂。例の結界を張る際に無一を脚に使った報酬として、デンジャラス餡蜜を買いに行く途中だった。
「まぁ·····それもそうか」
「そうだよ!源ちゃん的に、少し心配性が過ぎるんだよ〜。もっと皆を信頼して!」
「いや、別に信頼してないとかそう言うわけじゃないんだけど·····」
あの後ジョゼは、捕虜として事務所の奥の部屋に幽閉し、ルクーシュがそれを監視している。何かあれば常に事務所に残っている玄も対応してくれるだろう。普段何を考えているか分からない彼だ、多少心配ではあるが無一の言うことも一理ある気がする。
だが、先程から何か胸騒ぎがしてならない。普段無気力・無関心を貫いて来た源之助だが、人一倍トラブルに巻き込まれやすいのは自覚している。そんな彼だからこそ、この言い知れぬ感覚に不安感がよぎる。
「着いたよ、源ちゃん!もう既にヨダレが止まらないよ〜!」
キラキラ輝く瞳で指を指す無一。どうやらぼんやりと考え事をしているうちに、目的地へと到着していたらしい。
自動ドアを潜ると、菓子専門店に見合った甘い香りが鼻腔を刺激した。
「デンジャラス餡蜜三つくださいな!」
元気良く三本の指を突き出す無一に、店員のお姉さんも笑顔で対応してくれる。
そうして店内で食べる旨を伝えた二人は、適当に見繕った空いている席へと腰を落ち着けた。
「地味に一個が高えのな·····」
「それだけ人気なんだよっ!源ちゃんも頼めば良かったのに〜」
「いや·····俺は遠慮しとくわ·····」
あの前情報があっては流石の源之助も勇気が湧かなかった。
そんな様子に残念そうな顔を見せる無一。
「何はともあれ、これで俺たちは三つの聖遺物を手にしたことになるんだな」
「そだね〜。魔力ブースターの聖杯、魔力のコントロール制度を上げる、ナコちゃんの持つロンバルディアの鉄王冠。そして·····ルナ・フォールの核を担うルクちゃんの持つ聖十字架」
「残るは二つ·····ジョゼがイヴィルヴィに託した聖骸布と未だ正体の掴めていない聖釘。その二つも奪ってしまえば、ひとまずは凌げるって所か」
「まぁ、後はルクちゃんの依頼を片付ければそれでお終いかなぁ」
ルクーシュの依頼。それはあの日彼女の涙と引き換えに成された、彼女の決意。
今回の事件の首謀者、ウルファス・ヴァーミンガムの殺害。
素性の知れない聖釘もそうだが、港での一件以来ウルファスが姿を見せないのも気にはなる。おかしな事態にならなければ良いのだが。
「お待たせ致しました。デンジャラス餡蜜でございます」
「うひょ〜!来た来た!この瞬間をどれほど待ちわびたことかぁ!」
緊張感の無い声と共に、無一が子供の様にはしゃぎながらデンジャラス餡蜜に舌鼓を打つ。
「調子狂うな·····」
苦笑いを浮かべる源之助は、その様子を頬杖付いて眺めている。
視線の先を窓に向けると、街ゆく人たちが楽しそうに平和な日曜を満喫しているのが見える。
「平和だねぇ·····」
思わず声に出して言う。
「確かに平和だねぇ·····後はこの衝動さえ無ければ、あたしも今頃は普通の女子高生やってたのかなぁ·····」
口をモグモグさせながら、珍しく無一が憂いを帯びた声色でそう呟く。
源之助はハッとする。そう、自分たちは人とは違うのだ。それは一般人とも違い、エニグマの暴走によって生まれた異能力者ともまた違う、異質な存在。自分を含めたブラックインパルスの連中は皆、止めどなく湧き上がる一つの衝動を抱えて生きている。
それは人を殺したくて堪らない衝動。
普段何を考えているか全く思考の読めない玄も、死んだ魚の様な目をして無気力に生きる源之助も、そして今目の前で餡蜜をつつく一見普通の女子高生に見える無一も、それぞれこのドス黒い衝動を抱えて生きている。
「お前は後悔してるのか?今の生活を」
源之助の問いに、無一は明るく答える。
「そんなことないよ。この感情とどう向き合って良いか分からなくてグチャグチャになってた私をボスが見付けてくれて源ちゃんと、そしてクロちゃんとも出会えた。私は一人なんかじゃないって教えてくれた。感謝こそすれ、後悔なんて無いよ。私は今の皆のいる生活が好き。皆のいるあの事務所が好き。だから――」
一呼吸置いて無一はこちらに向き直る。
「絶対食い止めようね、ルナ・フォール」
前髪でスッポリ隠れて見えはしないが、その目は確かに決意に満ちた目をしていた。
普段のキャラとのギャップに驚きながらも、源之助も同じく無一に向き直り、言葉を返す。
「当ったり前だ、バーカ」
改めて絆の様な物が深まった気がする。
自分たちにこう言う居場所がある様に、ルクーシュたちにもそう言う居場所があるのだろう。そう考えると、尚のこと負けられない戦いになった。
「まぁ強いて言うなら、こうして一緒にお出掛けする相手がイケメンのお兄さんならもっと嬉しかったけど!」
「はぁ!?確かにイケメンじゃねえかも知れねえけど、俺だってお兄さんだろ!?何が不満なんだよコラ!」
「え〜、源ちゃんってばアラサー
でしょ〜?二十九歳はお兄さんじゃなくておっさんだよっ!」
「まだ希望を持ってる全国の二十九歳の方々に謝れ!」
二人はひとしきり笑った。
こんな時間も悪くない。そう思えた。
無一が二つ目のデンジャラス餡蜜にフォークを入れた時だった。
「ん?あれは·····」
窓の外を、長い金髪が横切った。その後ろを着いて行くのは短い癖のある茶髪。
見覚えのある二人組に、視線が釘付けになる。
違和感。一瞬理解できなかったが、間違いなくあの後ろ姿はルクーシュとナコルだった。何故あの二人がこんな場所を?見張りはどうしたんだ?
逡巡の末、再びあの胸騒ぎが鎌首をもたげた。
「行くぞ無一!ほら、早く!」
「うえぇっ!?まだデンジャラス餡蜜、二つも残ってるのに!?」
「良いから後にしろ!何かヤバい!」
名残惜しそうにデンジャラス餡蜜と源之助を交互に見つめる無一。そんな彼女の腕を強引に引いて店を出る。
なかなか反応しない自動ドアにつんのめり、舌打ちをしながら道に出ると、ルクーシュとナコルの後ろ姿は丁度路地を曲がった所だった。
「あれってルクちゃんとナコちゃん?」
「ああ、そうだよ!無一、頼む!急いで事務所までゲートを開いてくれ!」
「追わなくていいの?」
「今はいい!それよりも·····」
嫌な予感がする。まるで胸の奥底で、蛇が這いずるようなそんな不安。
「玄が危ないかも知れんッ」
言うが早いか、無一の雰囲気が変化する。
そこには普通の女子高生などおらず、居たのはただひたすらに殺意に塗れた鬼だった。
「しっかり捕まってて、源ちゃん!殺人衝動――解放!」
空間を裂き、二人はゲートに飛び込んだ。
「玄!無事か!?」
「クロちゃん大丈夫!?」
勢い良く開け放たれた扉。そこからいつもの玄の定位置を見るも、そこに彼の姿は無かった。
急いで奥の部屋へと歩み寄り、蹴破る様に扉を開ける。
「玄!」
俯せに倒れ込む彼の姿を発見する。
しかし、居たのは玄一人。ルクーシュも、ナコルも、更に捕虜として捕らえていたジョゼの姿すら無い。
無用心に開け放たれた窓ガラス、そこから流れ込む生温い風に、虚しくカーテンが揺れているだけだった。
「大丈夫か!しっかりしろ!」
駆け寄り、揺さぶる肩に微かに指が動いた。見たところどうやら外傷は無さそうだ。
ひとまず無事が確認できた所で、上半身を抱き起こす。玄は額に手を当て、頭を軽く振った。
「誰にやられた!?ジョゼはどこに行ったんだ!?何故アイツらがいない!見張ってたんじゃないのか!?」
「待ちなよ源ちゃん!まずは休ませてあげないと·····!」
無一に咎められ、取り敢えず楽な姿勢で寝かせることにする。
いったい何が起きているのか。玄は脳のリミッターを外して限界まで身体能力を上げるパワー型の殺人衝動を使う。肉弾戦でやられたとは考えにくい。となると、やはり魔術による攻撃だろうか。肉体に外傷が見られない所を見ると、源之助が以前食らった雷撃や風をドリルの様に纏わせる拳の様な物ではないと思われる。精神に作用する様な魔術だろうか?あっても不思議ではない。
考えても分からない。こんなことなら魔術に関して少しは聞いておくべきだった。
源之助は立ち上がる。
「無一!玄を頼む!」
「頼むって、源ちゃんはどうするの!?」
「決まってんだろ!ルクーシュとナコルを追う!」
そう言い残して、源之助は部屋を飛び出した。
「九頭州龍参式――幻夢!」
源之助は壁を駆け上がり、ビルの屋上から屋上へと走り抜ける。
「どこだ!?どっちに行った!?」
細い路地を探すより上空から探す方が効率的だ。そう思った源之助は、走りながら視線をその路地へと向ける。
だが妙だった。路地はともかくとして、先程まで人でごった返していた表通りにも人は一人も見当たらない。
奇妙な感覚に襲われて、源之助は一度路地へと着地する。
嫌な感じがする。もう一度周囲の状況を確認しようと、通りへと抜ける。
その時、予感。
「借りし名は深淵――凍てつく波動は大地に眠る悪意の精霊を呼び覚ます。《ガギライーベル》」
「まさかこれはッ·····!」
源之助目掛けて地面が凍り付く。一瞬早く飛び退いてなければ、今頃は氷の彫像よろしく地面に磔にされていたことだろう。
そんなはずは無い。何かの間違いであってくれ。
一縷の望みに賭けるように向けた視線の先には、まるでそんな源之助の希望を踏み躙るかの様に冷酷な光を湛えた瞳をしたルクーシュの姿があった。
「ルクーシュ!何でこんなことを!?だいたい、ジョゼの野郎を見張ってたんじゃねえのかよ!」
慟哭虚しく、再び展開される魔法陣。向けられた掌は無情にも、源之助に向かって攻撃を仕掛ける。
「借りし名は紅蓮――疑念の炎は厄災と共に魔女を焼き払う。《バールスフレイ》」
大気を焼く灼熱の炎の球体が放たれる。
「くッ·····殺人衝動――解放!」
断腸の思いで刀を出現させ、居合いの構えを取る。
何故ルクーシュが攻撃を?自分たちは同じ誓いを立てた仲間ではなかったのか?
様々な思いを巡らせながら、源之助は刀を抜く。
「九頭州流伍式――煌刃閃!」
放たれた神速の居合いは、火球を両断した。二つに分かれたそれが、遥か後ろの街路樹を燃やす。
「答えろルクーシュ!いったい何があったんだ!どうしてこんなことになっている!?」
ルクーシュは答えの代わりに、ただ冷めた眼差しを向けてくるだけだった。
深い蒼の瞳は冷たく源之助を見つめ、それはもう完全に敵を見据える物。
しかしそんな彼女の沈黙を破るように聞こえてきたのは、あのいけ好かない芝居がかった声だった。
「心変わりと言うやつさ。とうとう彼女も俺の目指す新世界に協力してくれる気になったってわけだ」
ウルファスが現れた。その横にはナコルも着いている。
「テメェ、ふざけたことを·····!そんなわけねぇだろ!」
「ハハハ、何を言っているんだい?たった今、彼女に攻撃されたのが何よりの証拠だろう?もう君たちとは手切れしたのさ」
確かに、彼女から攻撃を受けたのは事実だ。
だが、あのルクーシュに限って自ら世界を滅ぼそうなどと考えている輩に進んで協力するなど有り得ないのもまた事実。
切っ先をウルファスに向け、源之助は反論する。
「ルクーシュがそう簡単に自分の信念を曲げる奴かよ。特に、世界平和を目指す信念をよ!」
「信頼しているんだね、彼女を。その美しい友情に敬意を評して、答え合わせがてら少し昔話をしよう」
ウルファスは騙り始める。
「僕とルクーシュは生まれた頃から親がいなくてね、ナンバーズが結成されるまでの時間を孤児院で過ごしていたんだ。裕福とは言えないが、優しさに溢れた場所だったよ。特にルクーシュはその孤児院の経営者であるシスター・マリアーノにとても懐いていた。魔術の修行で思う様に行かなくて、落ち込んだ時に良く慰めて貰っていたのを覚えているよ」
懐かしむ様に目を細める彼の目は、まるで子供の様だった。
「後は簡単だったよ。協力しないなら、シスター・マリアーノを消す。何、残りの数字持ち以外のナンバーズの信徒たちも既に俺の手中に治めてある――そう脅せばどうだ?こうもあっさりと君を裏切って俺の元へと帰ってきてくれるじゃないか!」
邪悪な目を剥き出しにして可笑しそうに笑うウルファス。
源之助の中で、何かが切れる音がした。
「この腐れ外道が!!!!」
あらん限りの声を張り上げ、源之助は刀を握り締める。
「九頭州流陸式――」
「借りし名は蒼穹――目覚め、解き放ち、旅人は疾風と踊る。《ウイーグラー》」
「借りし名は深淵――惑い無き魂は、真の解放を救いとする。《ガーズディライオ》!」
源之助より早く、ルクーシュの詠唱は突風を、ナコルの詠唱は無数の氷の槍を放つ。
それは、ウルファスを守る様にして放たれたかの如く。
「ぐっ、は·····!」
敢え無く打ち貫かれた源之助の身体は吹き飛ばされ、硬いコンクリートの地面を転がった。
憤怒、絶望、焦燥、悲愴。言い表せない感情が入り乱れ、立ち上がる気力すら湧いてこない。
「わ·····私は、ルクーシュの為ならなんだってします·····。例えそれが世界を滅ぼす行いだとしてもっ·····。私はルクーシュに着いて行きます·····」
ナコルの言葉に、ウルファスは満足気な表情を浮かべる。
「そう言うことだ。これで全ての聖遺物が俺の元へと集った。来たるべき宴の時を楽しみに待っていたまえ、九頭州源之助」
去っていく三人を追うこともできずに、源之助はただ力無く地面を殴った。