ケダモノは月夜に吼える
時は一時間ほど前に遡る。
「ボスからメール返ってきたよ〜」
ボスからの伝令。無一はヒラヒラとスマホを掲げる。
「なになに?『ルナ・フォールの件なんだけど、だいたい状況は分かったよ。ついては、源之助はナコルを、玄はルクーシュを護衛すること。無一は引き続き皆のサポートをよろしくね。俺はちょっと調べ物が立て込んでるのでまだしばらく帰れそうにありません。仲良く頑張ってね(笑)』だってさ〜」
読み上げられた内容はどこまでも無責任な物だった。曲がりなりにも組織のリーダーがそんなに適当で良いのだろうか。
「まああああたサボりかあああああ!?あの野郎オオオオオ!もう三ヶ月くらい姿を見てねえぞ!」
小言が止まらない。
そもそも、ブラックインパルスの創設者であること以外本名すら知らないのだ。今まで何を聞いても適当にはぐらかされてきた。あのにやけ顔を思い出すだけで腹が立ってくる。
しかし、ボスもボスだが経歴や素性が謎なのはアイツも一緒か。源之助は玄を一瞥する。
相変わらずデカい図体を丸めて、部屋の隅で体操座りをしている。
顔をスッポリと覆ったペストマスクは、虚空を見つめている。
玄と言うのはきっと本名ではないだろうと言うのは想像できる。しかし、素顔を見たことが無ければ彼が声を出した所すら聞いたことがない。無一曰く自分とは気が合うらしいが、ひょっとしたらボス以上に謎めいた存在なのではないだろうか。
今まで何となく組織のマスコット的な認識だったが、興味が湧いてくる。
それはそれとして、今回の任務はナコルの護衛だ。良く分からないが、決して悪い奴じゃなさそうなので気が楽ではある。
何となくルクーシュに視線を向けると、困惑しているのが見て取れた。隅でうずくまる玄と源之助を交互に見ると、不安そうな眼差しを送ってくる。
「よ·····よろしくお願いします!」
「おう、よろしくな」
ナコルと短く挨拶を交わす。
ルクーシュもそれに倣って、玄の元へと駆け寄っていく。
「よ、よろしく頼むぞ·····玄」
「···············」
置き物の様に微動だにせず押し黙る玄に、引き攣った笑顔を向けるルクーシュ。前途多難である。
「アイツも大変だな」
源之助はポツリと同情の言葉を呟く。
すると、おもむろに玄が立ち上がった。
195センチの長身がのっそりと起き上がり、項垂れるようにルクーシュの顔を覗き込む。いつか見た光景とそっくりだ。
短い沈黙の後、玄は踵を返し事務所を出て行った。ルクーシュも慌ててその後を追って部屋を後にする。
「俺たちも行くか」
「い、行くってどこにですか·····?」
「飯だよ、晩飯。腹減ってんだろ?」
腹が減っては戦ができぬ。まさに熾烈な戦いを控えた今、空腹は敵だ。
源之助とナコルも、夜の街へと消えていった。
※※※※※
仕事帰りの人々で溢れる喧騒の地に、漆黒のマントがはためく。
甘く見積もっても自分より30センチ以上は高い身長なだけあって、必然的に歩幅も広く歩くスピードも速い。
「待つんだ玄。いったい·····何処へ行こうと言うんだ·····」
早歩きで着いていくのがやっとで、息が上がってくる中、玄の背中に問い掛ける。無論、想像はしていたが返事は無かった。
「くそう·····何故何も言わないんだ·····」
掴み所の無さに困惑しながら、それでも着いていく。
どれくらいそうして歩いていただろうか。やがて玄は、とあるショッピングビルに入っていく。
買い物だろうか。一切の商品に見向きもせずにエントランスを突っ切ると、エレベーターのボタンを押し込む。
程なくして、無機質な扉が開いた。
「買い物がしたいのではないのか·····?」
玄は扉を手で押さえ、ジッとこちらを凝視している。
乗れと言うことなのだろうか。視線に促される様にエレベーターに乗り込むと、彼も後に続いた。
この狭い箱の空間に長身の男と並んで立っていると、否が応でも圧迫感を感じる。加えて会話らしい会話の無い状況に、少しだけ居た堪れなくなる。
玄は最上階の数字を押した。
扉が締まり、無機質な機会音を伴って箱が上昇し始めた。チラリと視線をやるが、彼は依然として壁を見つめているだけだった。
やがて、最上階を告げる音声と共に扉が開く。
二人が降り立ったのは、展望スペースだった。
「わぁ·····」
壁一面がガラス張りになっていて、そこから見える那々桐の夜景に思わず感嘆の溜め息が漏れる。
空には満点の星空、眼下には色とりどりの宝石が散りばめられている。なんと美しい眺めだろう。ルナ・フォールの一件で荒んだ心が洗われる様だった。
「ひょっとして·····これを私に見せようと?」
玄はルクーシュをジッと見つめる。
何となくだが、肯定的な視線の様な気がして嬉しくなる。
「どうやら私は少し、キミのことを誤解していたらしい」
やはり返答は無かったが、それも今では悪い気はしない。そこにはただ、優しい時間が流れていた。
「あらあら、何だかちょっとイイ雰囲気なんじゃない?」
落ち着きを取り戻し始めたルクーシュの心の水面に、一滴の雫が垂れた。
声の方向には、紫色の髪の女が柱に寄りかかって立っていた。
「邪魔しちゃってごめんなさいね、ルクーシュ。でもどうしても渡して欲しい物があってね?」
「セイビア·····!」
女は片目を覆う前髪を優しく掻き上げ、怪しく微笑んだ。
純白の修道服。ナンバーズのシエテ(7)の魔術師、セイビア・アンソンだ。
「渡してくれるわよね?聖十字架」
おっとりした声色だが、明らかに増す威圧感。やはり攻めて来たか。
片足を半歩下げ、身構える。
しかし、ルクーシュを庇うように片手で制し、玄が前に出た。
「あらあら、貴方はお呼びじゃないのよ?」
「···············」
「うーん、困ったわねぇ·····」
無言の玄に対してセイビアは腕を組む。
しかし、すぐに明るい表情になったかと思えば、ポンと手を打った。
「そうだわ、こうしましょう!貴方を殺してから聖十字架を頂きましょう!」
言うが早いか、玄は床を蹴って一気に距離を詰めると、その長身から回し蹴りを繰り出した。
しかし、紙一重の所でセイビアは身を屈めてそれを躱す。
当たりこそしなかったが、玄の放った回し蹴りはセイビアが寄りかかっていた柱を深々と抉った。
「なんて威力の蹴りなのかしら。当たったらタダじゃ済まなそうね」
言い終わる前にすかさず玄はアッパーを繰り出す。しかし、セイビアは無駄の無いスウェーバックでそれすらも躱す。
「援護するぞ、玄!」
掌を翳し、空中に魔法陣を展開する。
「借りし名は混濁――罪人は罰に溺れ、その魂を縛る!《スレイブロウ》!」
地面から水が吹き出し、セイビアを取り囲んだ。
「あら?これは良くないわねぇ。出し惜しみしてる暇は無さそうだわ」
セイビアもまた、掌を翳して魔法陣を展開させた。
「借りし名は紅蓮――姿無き狩人は静寂を以て獲物を屠る。《ディーアムーア》」
スペインに於いては火属性の詠唱。唱えたセイビアを中心に、空間に波紋が広がる。
「下手に動かない方が得策よ?」
それは、親切心からの忠告などではない。ルクーシュは知っていた、セイビア・アンソンの得意魔術を。
危険だ、知らせなければ。咄嗟の判断で強く叫ぶ。
「いけない·····玄ッ!そこを動くんじゃないッ!!」
しかし、その言葉が聞き届けられることはなかった。ルクーシュの叫びと同時に玄はその間合いを更に詰めるべく、深く一歩を踏み出していた。
瞬間、耳を劈く轟音と共に玄の足元が爆発を起こす。
「思い出したぞ、キミの使う魔術を·····!」
「あらあら、覚えててくれたの?でも残念、少しだけ遅かったみたいね」
セイビアは楽しそうに顔を歪ませる。確かに遅かった。もう少し早くに思い出し、忠告することができたなら。
しかしそんな悔恨の念とは裏腹に、黒煙の中から玄は姿を現した。全身から血が吹き出、マントは焼け焦げてしまっているが、確かにその足で立っていた。
「随分タフなのね。あの爆発に巻き込まれて尚、声一つ出さないなんて」
賞賛の声にすら、玄は無言の視線を送っている。
「気を付けろ·····セイビアは火属性の魔術を得意とし、触れた物を爆弾のような物質に変換する術を使う」
「···············」
理解しているのかどうなのか、意に介さない様子の玄は低く構える。
両手を地面に着き、下から見上げるようにセイビアを見つめる。その姿はまるで、手負いの獣を連想させた。
「言うまでもないと思うけど、このフロアには既に至る所に私の術式が仕込んであるわ。逃げ場なんて何処にも無い。それに――見た所貴方は近接戦が得意みたいね。私との相性は最悪だと思うのだけれど?」
口元に手を当て、クスクスと笑う。
確かに、これまでの玄の放った攻撃は全て体術による打撃のみ。詳しくは分からないが、源之助のような物質を出現させて戦うタイプではないようだ。
近付かなければ勝機は訪れない。しかしそれは裏を返せば――。
「ふふふ·····ふふふふふ·····」
「あらあら。何がおかしいのかしら、ルクーシュ?」
「いや、この場所で襲ってきたのは些か軽率な判断だったんじゃないか?」
確信の様な物が一つあった。
怪訝な表情を浮かべるセイビアに向かって、ルクーシュは言い放つ。
「確かに壁に囲まれた室内だ、キミの術は遺憾無く発揮されるだろうさ。しかし、こんな場所で戦うには少し狭すぎたんじゃないか?さしものキミと言えども、あの爆風に巻き込まれては一溜りも無いはずだ。つまり·····」
凛とした声色で指を指す。
大丈夫、まだ敗けてなどいない。今こそ自分の出番なのだ。
「近接戦はあながち捨てた戦法ではない!キミの周囲こそが安全地帯であり、唯一の突破口なんだ!」
求められるのは優れたコンビネーション。玄の破壊力とルクーシュの魔術によるサポートがあれば、きっとこの戦況を覆せるはずだ。
「勝利への道は私が創ってみせる!玄!キミは奴の元へ跳ぶんだ!借りし名は残夢――雷は万物を貫き、その存在を知らしめる!《ディザルガ》!」
ルクーシュの正面に展開された魔法陣が雷撃を放つ。眩い閃光を放つそれは、まるで槍の様に一直線にセイビア目掛けて迸る。
反射的に、それを跳んで回避するセイビア。しめた、そこがセーフポイントだ。
「今だ、跳べ!玄!」
行ける。ルクーシュが魔術でセイビアの回避を誘い、安全圏を探る。そこに玄が先程の様な強烈な一撃を叩き込む。このコンビネーションがあればきっと勝てるはずだ。
しかし、その言葉を聞き入れる玄ではなかった。
まるで飢えた獣の様に、四足歩行のままにセイビアに向かって走り出す。
「ちょ·····っと待て!待つんだ玄!何をしている!?」
あまりの出来事に驚愕の表情を浮かべる。
しかし、驚くべきはこれからだった。
なんと玄は、案の定立て続けに起きる爆発をものともせずにあっという間に目標までの距離を駆け抜けたのだ。
一つ、二つ、三つ·····。いや、既に何度爆発が起きたかなど覚えていない。その尽くを、彼は耐え抜いた。
「そんなのアリ!?聞いてないわよ!?」
驚きの声を上げたのはセイビアも同様だった。悲鳴にも似たその声は、焦燥よりも恐怖を孕んでいた。
「こんなんじゃ、退くしかないじゃないっ·····!」
短く吐き捨てると窓を爆発でぶち破り、セイビアはそこから飛び降りる。
しかし、ここぞとばかりに玄もそれを追い掛けて窓を跳んだ。
正気の沙汰ではない。だが、その獰猛な後ろ姿が全てを物語っている。逃す気は無い。ここで仕留める。押し潰されそうな程に溢れ出た殺気が全身から滲み出ている。
玄は空中で鋭い蹴りを放ち、セイビアを蹴りあげた。思わず耳を塞ぎたくなるような鈍い音と共に、くの字にひしゃげた肉体が空高く舞い上がる。まだ終わらない。自由落下が始まった瞬間、窓の縁を引っ掴むと同時に身体を引き寄せて、その勢いでビルの側面を駆け上がる。
ルクーシュは暫し静寂に取り残されていたが、ハッと我に帰ると急いで駆け出した。
屋上へと続く階段を二段飛ばしで駆け登り、重たい鉄の扉を押しのける。
眼前には、凄惨な光景が広がっていた。
空に煌めく満月が照らし出していたのは、血みどろになって横たわるセイビアの姿だった。傍らでは、酷く冷ややかなオーラを放つケダモノがそれを見下ろしている。
「どうしてこうなったのかしら·····本当なら今頃、ルクーシュと聖十字架を持ってウルファスの元に帰っているはずなのに·····」
掠れた声でそう呟くセイビアに、ルクーシュもまた返す。
「本当にどうしてこうなったんだろうな·····どうしてキミまでもがウルファスに付いたんだ·····?キミは争いとは無縁の人間だろう」
「どうしてかなぁ·····。ひょっとしたら、ウルファスの言う新世界って物に興味があったのかもね。勿論、貴方の目指した世界も素敵だよ。でも、知らぬ間に私が願った世界とは少し違ってたみたい·····」
「キミもイヴィルヴィと同じか。だがそれは間違っている。誰かの犠牲の上で成り立つ平和など、あってはいけない。誰もが皆、平等に救われる――そんな世界でなくてはダメなんだ」
「あらあら·····どうやら私はここまでみたいね。それじゃ、貴方たちの行く末を空から見届けるとするわ。ウルファスとルクーシュ、この戦いに勝った方の世界を·····ね」
世界を賭けた戦い。こんなにも熾烈を極めたセイビアとの戦いも、前哨戦の様な物だったのだろう。これから先のことを考える。だが、ルクーシュの心が折れることはない。
玄がおもむろに片脚を上げ、力強くセイビアの頭部を踏み抜いた。今までに聞いたことも無いような音がして、それは熟れたトマトの様に飛沫を撒き散らして潰される。
コトリ、と音を立てて何かが転がってくる。拳大の金色をした縦長の杯だ。
「これは·····聖杯?」
セイビアの所持する聖遺物が、思わぬ形で手に入った。
「私が間違っていないとは思わない。誰かの犠牲の上で成り立つ世界など·····セイビア、本当に残念だ·····」
溢れる涙を堪えられなかった。友であったセイビアをみすみす殺してしまう結末となったことに、後悔しか無かった。
だがしかし、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「ウオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」
今まで頑なに沈黙を守ってきた玄が、とてつもない咆哮を上げる。
空には満月。遠く彼方にあるそれは、いったいどんな思いでこの世界を照らしているのだろう。
返り血を浴びて月夜に吼えるケダモノと一緒になって、ルクーシュも大声で泣き叫んだ。