邪悪との邂逅
それは、月影さやかな夜だった。太陽は完全に姿を眩ませ、街は黒く塗られ、帰宅途中のサラリーマンで溢れかえっている。
「んで、俺たちゃ仲良く並んで一体どこへ向かっているんだ?」
市街地をグルグルと歩き回る源之助は、すぐ隣を歩くルクーシュに見向きもせずに疑問を投げかける。
「それはだな、今から魔術結界を貼りに行く。この街をグルリと囲むようにな。まぁ、私はまだ那々桐に来て日が浅く土地勘が無いので道を覚える為に散策していると言うのもあるが」
ルクーシュもまた、源之助に見向きもせずに返答する。
「那々桐を囲む!?おいおい·····どんだけ広いと思ってんだこの街をよぉ·····」
「必要なことだ」
胡乱な眼差しを向けるが短く一蹴されてしまう。魔術に関してのことは一切知識が無いので、そう言われてしまえばそうなのだろうか。仕方無く歩みを続ける。
「何、そう心配するな。これでも頼りにしているんだぞ?」
「だいたいどうやって俺たちに辿り着いたんだよ」
「ああ·····それはだな。少し前に銀行襲撃事件があっただろ?あの時に実は私も現場に居合わせてな、そこで君の見事な大立ち回りを見て声を掛けさせて貰った」
「大立ち回りって俺は何もしなかった·····もとい、シルバーシールドとか言う奴が好き勝手に暴れたから何もできなかったんだが」
「だが、何かしようとはしてたんだろう?」
確かに彼女の言う通り、能力を発動しようとはした。だが、発動には至らなかったのだ。事の起こりだけで源之助の殺人衝動の片鱗を見抜くとは、魔術師の名は伊達ではないようだ。
短く息を飲む。これは確かにルクーシュの言うことに従った方が良いと判断する。
「それに相手はスペインでも屈指の魔術師連中だ。こんなか弱い乙女が夜に街に繰り出すとしたらボディーガードも必要だろう?」
見るからに小振りな胸の前で腕組みをし、賢しらに指を立てるルクーシュは得意げにフフンと鼻を鳴らして見せる。何故したり顔なのかは謎だ。〝 か弱い乙女〟と言うフレーズに対するツッコミ待ちなのだろうか?
源之助は短い思考のうちに、気怠い溜め息を混じらせつつも言葉を返す。
「ボディーガードったら、それこそシルバーシールドの方が良かったろうに」
「何だ、不満か?こんなに可愛い女子と夜間外出ができるんだぞ?役得じゃないか」
「はぁ·····言ってろ·····」
そうこうしているうちに人気の無い路地裏に差しかかる。もう日も落ちていると言うのに、やけに生温いビル風がスゥッと吹き抜ける。
ルクーシュは徐ろに建物の壁に手を翳す。
「手始めにこの辺りにしようか」
何のことか分からなかったが取り敢えず相槌だけは打っておく。
目を閉じ、小声で何事かを呟いた途端に触れている箇所が青白く発光し、壁に魔法陣が描かれる。それはゆっくりとした動きで回転を始め、やがて溶けるようにして消えていった。
「よし、ここに張った結界は暫く様子を見よう。この周辺で魔力が行使されればこの結界がそれを感知し、私に報せてくれる。次の場所へ向かおう」
返事も待たぬうちに踵を返すルクーシュに、慌てて源之助も着いて行く。どうやらこの調子で那々桐の外周を練り歩くらしい。途方も無い作業だ。源之助は既に気が重かった。
そこから三箇所ほど周った頃だった。ふとした妙案を思い付き、ポンと手を叩く。
「ちょっと待ってな」
スーツの内ポケットをまさぐり、取り出したのは携帯電話。すかさずどこかに電話をかける。
程なくして電話の主がいつもの調子で呼び出しに応じた。
「ほいよ〜、どしたの、源ちゃん。こんな時間に?」
無一が呑気に尋ねてくる。雰囲気から察するに、家でくつろいでいた頃だろう。今日は依頼も無かったし、学校も既に終わっている時間なのでどうせ暇を持て余しているだろうと言う源之助の読みは当たっていたようだ。内心、小さくガッツポーズをする。
わざとらしく咳払いを一つし、体勢を整える。
「お〜、無一。お前どうせ今暇だろ?ちょっと頼まれ事をしてくれないかと思って電話したんだが」
「え〜、何だよぉう。面倒臭いのは嫌だなぁ〜」
「実はだな、ルクーシュの依頼の件があるだろ?それで、対ナンバーズ用に今、ルクーシュと二人で那々桐のあちこちに結界とやらを張って周ってるんだが、どうにも移動が不便で仕方無い。そこでだ、無一の空間移動能力で手伝っちゃくれないか?」
「何だとぉ〜う!?源ちゃん的に、あたしをアッシーとしてこき使おうって魂胆なのかな!?あたしそんなに安い女じゃなくってよ?失礼しちゃう!」
分かりやすく電話口で憤慨する無一。声のボリュームが大きすぎてルクーシュにまで聞こえているらしく、彼女は苦笑いを浮かべながら肩を竦める。地団駄を踏みながら歯を軋ませていることだろう。何となく、向こうの様子が想像できた。
しかし、こちらとておいそれと引き下がる訳にはいかない。作業効率は大事である。ましてや、世界を救う為ともなれば尚のことだ。
源之助も食い下がる。
「そこを何とか頼むぜ無一。このとーり」
「こんな時間にあたしみたいなか弱い乙女をあちこち振り回そうなんて、源ちゃん的に気は確かなのかな!?あたしみたいなか弱い乙女を!か弱い乙女をををををを!!」
「うるせーな!お前もそれ言うの!?何なのそれ!流行ってんの!?」
先刻ルクーシュにツッコめなかった分も含めて彼女にアイコンタクトを取るが、少し困ったように眉をハの字に曲げて小首を傾げるだけだった。どうやら流行っていると言うわけでもないようだ。だからどうした。
仕方無し、こうなっては奥の手を使う他無い。食べ物で釣る作戦に切り替える。甘党な無一の好きな食べ物で。
「あー、なら白沢堂のデンジャラス餡蜜でどうだ?何、世の中ギブアンドテイク。その仕事に見合った報酬があって然るべき·····だよなぁ?」
「うーーーーーーーーーーーん···············」
何と言う長い唸り声だろうか。サイレンか?そんなツッコミは心の内に秘め、ここでダメ押し。
「三つでどうだ?」
「うむ、それで手を打ちましょう」
即決だった。恐るべし、数の暴力。蟻でも食わぬほどの甘さを誇る白沢堂のデンジャラス餡蜜、甘すぎて病院に搬送されたなんて事例を聞くほどの文字通りデンジャラスな代物らしいが、それを好んで食すコアなファンも多いと聞く。そんな物を三つも食べるとは、恐らく舌が馬鹿なのだろう。それか頭が馬鹿なのか。どちらにせよ、ひとまず関門は突破できたようだ。
現在地を告げると、支度をして直ぐに行くとのことだった。これで格段に楽になるはずだ。
そのことをルクーシュに伝えると、頷きで返してくる。取り敢えずはここで、舌と頭が馬鹿な無一の到着を待つとしよう。
「はぁ〜·····何はともあれ、ようやく落ち着けるな」
スーツの内ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。しかし、すかさずルクーシュが一言。
「源之助、ここは禁煙エリアだぞ。煙草は遠慮するんだ」
ルクーシュが指で指し示す方向を見遣ると、「ノースモーキング」の文字が点滅する電光掲示板が。溜め息を一つ、携帯灰皿を取り出し今しがた火を点けたばかりの煙草を押し込む。
「チッ·····ままならねえな」
源之助は肩を落とし、ルクーシュはニッコリと微笑んだ。
無一が到着したのはそれから十分ほど経った頃だった。
何も無い空間が丸く裂け、背景が歪んだその円の中からひょっこりと現れた彼女は、ボサボサ頭でジャージ姿だった。
「いや〜、待たせたねえ。ちょっと準備に手間取っちゃってさ〜」
そう言って無一は照れ臭そうにつむじを掻く。
「いや、準備って何だったんだよ。出掛ける為の準備じゃねえのかよ。普段の格好からすると今のお前、普通にマイナスだからな?」
「だってしょうがないじゃ〜ん?家で映画観てゴロゴロしながらデンジャラス餡蜜食べてたら、誰かさんってば急に電話してきたかと思ったら今すぐ来いだなんて呼び出すんだから〜」
「て言うか食ってたのかよ、デンジャラス餡蜜。じゃあもう要らねえだろ」
「それとこれとは別なのだよ、源ちゃん」
チッチッチッと指を振って見せる無一。やはり源之助の見立ては間違っていなかった。彼女は馬鹿なのだ。
確信を得た所で、ルクーシュは不安そうな表情を浮かべる。
「無理言ってすまない、無一。来てくれて助かったよ」
「いーのいーの!気にしないで、ルクちゃん!大船に乗ったつもりで、ドーンと任せなさい!」
得意気に胸を張る無一を見て、ルクーシュの表情も和らいだ様だ。
早速本題に取り掛かる。携帯でマップを開き、三人でそれを囲むように画面を覗き込む。
「大方、この辺りの道は頭に入った。後はこことここと·····それからここに結界を張ろう」
ルクーシュが指で示した地点を確認し、頷いた無一が空間を手で薙ぎ払う。先程同様に出現した裂け目を三人で潜り、それを繰り返し目的地へと向かう。
シンプルだが、言うまでも無く徒歩での移動と比べて格段に楽だし効率的だ。あっという間に最後の場所へと辿り着い三人だった。
「到着〜!いや〜、源ちゃんったら両手に華だねぇ。よっ、色男!憎いねっ!」
「茶化すんじゃねえよ、全く·····ルクーシュはともかくとして、無一に至っては華ってよりか野草だろ」
「ムッキー!源ちゃん的に、よくもまあピチピチな現役女子高生に向かってそんな暴言が吐けたね!とっても見上げたど根性だよ!」
他愛も無いやり取りをしている間に辿り着いたのは、これまた人気の無い港だった。
真っ暗で灯りも無い景色に、見上げるほど幾重にも積み重ねられくすんだコンテナの数々が、海風に吹かれ物々しい雰囲気を醸し出している。
しかし、特にこれと言ったことは無い。今まで通りに結界を張ってこの作業は終わるだろう。
ルクーシュもまた、慣れた手際でコンテナに手を伸ばす。そんな時だった。
「ゲッゲッゲッ·····こんな夜更けにご苦労な事ダナ、ルクーシュよ」
奇妙な、否、下卑た嘲笑と共に男の声が響き渡った。
釣られるように三人して瞬時に声のする方を見上げると、月を背にして緑色のドレッドヘアの男がコンテナ上に胡座をかいて座っているのが見える。
見るからに戦闘用に改良されていると分かる純白の修道服に身を包み、全身に黄金の装飾が幾つも施されている。間違いない、声の主はこの男だ。
「チッ·····気付かれるのが早いな。しかもよりによってイヴィルヴィ·····来たのはキミか·····」
誰よりも早く身構えたのはルクーシュだった。
息の漏れるような嘆息にも似たその言葉は焦燥の色に黒く塗り潰され、強ばった表情の横顔には冷や汗が伝い落ちている。
「イヴィルヴィ·····?」
「ゲッゲッゲッ·····いかニモ。オレはナンバーズが一人、トレス(3)の数字を冠スル魔術師。イヴィルヴィ・ルロワ・イーテンロームだ」
今にも飛び出して来そうなほど見開かれた瞳がギョロリと源之助たちを捉える。
トレス(3)の数字を冠する魔術師、確かに奴はそう言った。ルクーシュは、ナンバーズの上位七人にそれぞれ数字を割り振ったと話していた。つまり、今目の前にいる男は二百二十人もいる魔術結社の中でも上から数えた方が早い程の実力を持つ魔術師と言うことだ。
そんな奴が何をしに眼前に現れたのか。決まっている。ルクーシュの持つ聖遺物、聖十字架を奪いに来たのだ。そしてそれが奪われることはすなわち、地球に月が落ちることと同義。自然と鼓動が速まっていくのが感じられる。魔術と言う未知の領域、今まさにその片鱗に触れようとしている。
相手の目的が分かっている以上、今できる最善を尽くす他に無い。様々な思考が源之助の頭を埋め尽くす。
「うわぁ·····変な頭のおっさんが現れたよぉう·····あたしってば少しおっかないかも·····」
「ム、失礼な餓鬼ダナ。こう見えてオレはまだ22歳なんダガ」
空気を読まない無一の呟きに、イヴィルヴィはあからさまにムッとする。
「答えろ、イヴィルヴィ!キミたちは何故裏切った!?私たちは、魔術で世界をより良い物にしようと志しを同じくした仲間ではなかったのか!?」
ルクーシュは凄まじい剣幕で怒鳴り声を上げる。普段は整っている端整な顔立ちは、怒りとも悲しみとも取れる表情で歪んでいた。
しかし、そんな悲痛な叫びすら意に介さずイヴィルヴィは酷く淡々と口を開く。
「何故·····カ。オレにそれを訊くのは間違っているゾ、ルクーシュ。オレは理由など持たナイ。全てはウルファスの思想故のコト。奴はルナ・フォールによって一度世界をリセットし、そこカラ始まる新世界の支配者に自らなることを目的にしてイルようダガ、そんなコトはオレの知ったことではナイ。面白そうだからオマエを裏切っタ。ウルファスが創り出す新たな世界に興味が湧いタ。ただそれだけダ」
「馬鹿なッ·····そんなくだらないことの為に、大勢の人の命を奪おうと言うのか·····?」
「くだらない·····カ。しかしソレはあくまでオマエの価値観でしかナイ。どうやらウルファスにとってハそうでもないようダガ。それに、くだらないことの方が存外面白おかシイ結末を迎エルことだってあるんダゼ?それに――」
言葉を切り、ゆっくりと立ち上がったイヴィルヴィは掌をこちらに向ける。
青白い発光、既視感があった。
「ウノ(1)の数字を冠スル天才魔術師たるオマエと戦エルんだからナァッ!!!」
邪悪な咆哮を皮切りに、ルクーシュを閉じ込めるように透明なキューブが形成される。
回避は間に合わなかったようだ。ルクーシュが、いとも容易く捉えられてしまう。
「借りシ名は残夢――その身に爪を立テ、永劫の刻を彷徨ウ!《キュベルアウラ》!」
イヴィルヴィの叫びに呼応するかの様に、ルクーシュを閉じ込めているキューブ内に凄まじい稲妻が駆け巡る。四方八方から迫り来る雷撃、源之助は反応すらできなかった。
「借りし名は蒼穹――目覚め、解き放ち、旅人は疾風と踊る!《ウイーグラー》!」
しかし、雷撃が身体を貫く寸前、ルクーシュの詠唱は既に終わっていた。突如として突風が吹き荒れ、光のキューブを消し飛ばし雷撃すら飲み込んでいく。
失念していたわけではないが、ルクーシュはナンバーズの創始者。その数字は伊達ではない。
「ゲッゲッゲッ·····今のを防ぐカ。流石はナンバーズの創始者ダナ」
感心したような表情を浮かべるイヴィルヴィ。
奴の注意は今、完全にルクーシュとの攻防に向いている。攻め込むには今が好機。
弾かれた様に地を蹴り、積み上げられたコンテナよりも高く跳躍する。内に眠る魂の叫び。目の前の獲物を潰せ、引き裂け、絶命させろ。その血を以て俺を満たせ。
空中で居合の構えを取る。
「殺人衝動――解放ッ!」
手の中の空間が揺らぎ、一振りの刀が姿を現す。禍々しい殺気を帯びたその刀を握る力に神経を集中させる。
「九頭州流伍式――煌刃閃!」
九頭洲流の伍式は神速の抜刀術。その煌めきを認識する間も無く、既に相手は両断されている。
·····はずだった。
「借りシ名は残夢――虚空に惑イシ其の影ハ在り方を知ラヌ。《バンデラ》」
イヴィルヴィによって展開された四つの魔法陣は源之助の両手両脚に触れると、その自由を瞬時に奪った。
あまりの出来事に為す術も無くそのままの姿勢で地面に叩きつけられる。ピクリとも動けない。力ではどうにもならないことを悟る。
これが魔術なのか。追い付かない思考に歯噛みしながら、イヴィルヴィを睨み付ける。
「ゲッゲッゲッ·····随分と威勢が良いナ。だが残念ダ、その刃がオレに届くことはナイ」
「源之助!大丈夫か!」
ルクーシュの声で冷静さを取り戻す。
そうだ、成り行きとは言え今はルクーシュのボディーガードとして同行している身。このままでは駄目だ。ここは冷静になることが必要。打開策を練らなければ。
湧き上がる殺人衝動はそのままに、頭だけをクールダウンさせて行く。
「そこの刀を持ッタ男·····オレの目的はあくまで聖十字架。どうせルナ・フォールで地球は一度滅ぶノダ、死に急ぐことも有るマイ、無様に泣きなガラ命乞いするなら見逃シテやらないことも無いガ、どうダ?」
「ハッ·····馬鹿なことを言うんじゃねえよ、俺がテメーなんぞに乞う命を持ち合わせてるとでもおもってんのか」
安い挑発だが、それで良い。今考えてることがもし正しければ、奴は何故ルクーシュを攻撃した際にこの動きを封じる術を予め発動しておかなかった?あくまで仮説だが、二つの術式を同時に発動することは不可能なのではないか?不安要素は残るが、試してみる価値はある。
倒れた姿勢のまま、不敵な笑みを向けて叫ぶ。
「やるならとっととやりやがれ!チンタラやってんじゃねえぞ!」
「ゲッゲッゲッ·····無様に命乞いをしてイル所を一息に殺すのが楽しいノニ、つまらん男ダ。言われるマデも無イ。借リシ名は残夢――」
イヴィルヴィが再び詠唱を始めると同時に、源之助を拘束していた魔法陣が消滅した。思った通り、どうやら二つの術式を同時に発動することは不可能だったらしい。
逆転するならここしか無い。
「無一!ルクーシュ!」
俺に合わせろ。訴えかけるように視線を送り、素早く身体を起こす。
「アイアイサー!」
「任せろ!」
その意図を汲み取った二人が力強く頷く。
「借りし名は深淵――凍てつく波動は大地に眠る悪意の精霊を呼び覚ます!《ガギライーベル》!」
ルクーシュの雄々しい叫びと共に、イヴィルヴィの足元が凄まじい速度で凍っていく。これで動きが封じられた。
無一は能力で空間をこじ開けると源之助を担いで、イヴィルヴィの背後に出口を作りそのゲートへと投げ入れる。
お膳立ては済んだ。後はコイツを叩き切るだけだ。
「九頭州流弐式ッ·····」
放られた勢いを利用して、空中で身体を回転させる。
「狂旋斬空ッ!!!」
勢い良く放たれた独楽のように螺旋を描き、切っ先はイヴィルヴィの背中を三度切り裂いた。
「なッ·····何ィィィィィィ!?」
衝撃で地面に叩き付けられ、血飛沫を上げながら転げ回るイヴィルヴィ。しかし、手応えは浅かった。その証拠に、致命傷にはならずに奴の上半身は未だ下半身と繋がったままだ。
「形勢逆転、だな。まだやるかい?ナンバーズの魔術師さんよ」
「その言い方だと私に言ってる様にも聞こえるんだが·····」
「うるっせえ!今良いとこなんだから水差すなっての!」
今度は源之助が見下ろす番だ。
痛みと出血で息が上がり、悔しそうに睨み付けるイヴィルヴィ。その目は憎悪に燃えている。
「こッ·····このッ·····弱者が図に乗りやがッテ·····!殺ス!殺してヤル!」
どうやら勝負あったようだ。
源之助は静かに刀を構える。
しかし、その時だった。
「その男を殺すのは待って頂きたい」
太く低い男の声がそれを遮った。
突如景色が捲れ上がり、純白の修道服を身に纏った四人の男女が姿を表した。
「待テ·····!オレはまだ敗けていナイ·····!」
「その傷だ、無理に口を開くことはない」
イヴィルヴィも180センチはあろうかと言う長身だが、その更に上を行く長身の初老の男が宥める。現れた三人の男、そのうち一人は見覚えのある顔もあった。
白髪のオールバックの初老の男と垂れ目で茶髪の若い男、前髪で片目の隠れた紫髪の若い女ともう一人、頭に羽飾りを付けた金髪の男。ルクーシュの持っている写真に写っていた男、ウルファス・ヴァーミンガムだ。
「やぁ。また会ったね、ルクーシュ」
「ウルファス·····!何を白々しいッ!」
優しく微笑みかけるウルファス対し、敵意を剥き出して牙を向くルクーシュ。無理からぬ反応だ。
「おお、麗しのルクーシュよ·····今日も君は最高に美しいよ!最高に美しい僕にこそ最高に美しい君が相応しい!嗚呼ッ!早く!君を!グチャグチャにして殺したいッ!」
「ジャットか·····ウルファスも大概だが、お前にだけは死んでも会いたくなかったよ」
相手のことを「キミ」と呼ぶルクーシュにしては珍しく嫌悪感全開で「お前」呼ばわりされ、ジャットと呼ばれた茶髪の男は身をくねらせて恍惚の表情を浮かべている。
「久し振りね、ルクーシュ。元気にしてるかしら?風邪とか引いてない?」
「お陰様で最悪な気分だよ、セイビア。今日も相変わらず靴下の裏と表を間違えて履いているか?」
「あら、どうして分かったのかしら?さっき気になって確かめてみたら今日も裏表が逆だったわ。嫌だわ、あたしったらおっちょこちょいなんだから」
セイビアと呼ばれた紫髪の女は恥ずかしそうな表情を浮かべモジモジしている。
「久方振りの再会を満喫している所済まないが、話を進めさせて頂こう」
咳払いをして場を仕切り直す初老の男。こちらを向き、一礼をする。
「初めまして、小さきお嬢さん、そして刀の御仁。私はナンバーズ、クワトロ(4)の魔術師、ジョゼ・トロアンと申します。以後お見知りおきを。先程の戦いですが、決着は既に着いております。しかしながら、我々の悲願であるルナ・フォール成就の為にもイヴィルヴィは必要不可欠な人員であることを初めにご理解願いたい」
「どう言うことだ?」
訝しげに眉を潜める源之助に、ジョゼは続ける。
「この度の戦闘は、本来ルナ・フォールの為に必要であるルクーシュの身柄の確保と言う任務をイヴィルヴィが履き違えて、ルクーシュを殺害しようとしたことに端を発します。本来であれば起こることの無かった戦闘は言うなれば我々に非があります故、一度無かったことにして頂きたく参上した次第です」
「はぁ?無かったことにしろだぁ?お前、自分が何を言ってるのか分かってんだろうな?」
「勿論、タダでとは言いません。我々はルナ・フォール発動に必要な聖遺物の一つである、ロンバルディアの鉄王冠をそちらに預ける。これでどうですかな?」
聖遺物と言う言葉にルクーシュの顔色が急変する。
「どう言うことだ!いったい何故そんなことをする必要がある!?」
ルクーシュの疑問も尤もである。何故わざわざ自分たちが不利になる様なことを申し入れる必要があるのか、理解に苦しむ。それに、本来の任務がルクーシュの身柄の確保と言うのも引っ掛かる。術式発動の為に必要なのは、あくまでルクーシュの持つ聖遺物である聖十字架ではないのか?
「そもそも何でルクーシュの身柄を確保する必要があるんだ?」
「ええ、ルナ・フォールに必要な要素は大きく分けて二つ。聖遺物とそれを制御する魔術師です」
「·····それは分かった。けど、何でわざわざそのロン·····なんとかって言う聖遺物を手放すような真似するんだ?」
「裏切ったんだよ。ナコルがね」
その名前を聞いた瞬間、まるで弾けるようにルクーシュの身体が反応を示した。
「裏切っただと?ナコルがお前たちをか?」
「ああ、元々は君を裏切った俺たちだったけど、それを更に裏切ったってわけ。どうやら俺の理想とする世界を彼女は理解できなかった様だね。まるで二重スパイみたいだ。それで、ナコルが俺たちの元を去った時一緒にロンバルディアの鉄王冠も持ち出されちゃってね、目下捜索中さ」
やれやれと肩を竦め苦笑して見せるウルファス。どこか芝居がかった動作が妙に鼻につく。
「で、どうせ君の所に辿り着くだろうし、それならいっそそのまま預けてしまえば良いってことさ。いつでも取り返せるしね」
そう言って笑ったウルファスの表情は氷の様に冷たく、一切の感情が無い様に思えた。
いつでも取り返せると言う自信は、さっき身を以て実感したばかりだ。イヴィルヴィ一人相手でも強いられた苦戦。それは、この先に待つ絶望を暗示しているかの様でもあった。
「させるものか。ナコルも、聖遺物も、この世界も、何一つキミになんて渡すものかよ!このルクーシュ・サルベルージュ・ロレンツェフをあまり舐めないで貰いたいッ!」
力強く正面から言葉をぶつけるルクーシュは、とても凛々しかった。こうなっては全面戦争も避けられない。やれることは全力でやる。そう心に決めた瞬間だった。
先程とは打って変わって、ウルファスは楽しそうに肩を震わせた。
「ハハハ!それでこそルクーシュだ!それじゃ、鬼ごっこの続きと行こうか!気合い入れて逃げなきゃ、すぐに殺してしまうからな?」
させるものか。これはルクーシュだけの問題ではない。依頼を受けたブラックインパルスとしても意地やプライドがある。
煙草に火を点け、ウルファスに指を指して源之助も宣言する。
「上等だ、ぶっ潰す!」
「かかってこいやコラー!」
便乗してくる無一を小突いてルクーシュを見遣る。
彼女もまた、決意の漲った眼差しで応えてくれる。
「それじゃ、また会える日を楽しみにしてるよ」
ウルファスは踵を返す。
「嗚呼、愛しのルクーシュよ!僕が君を殺すその時まで!どうか死なないで!」
「それじゃあね、ルクーシュ。ごきげんよう」
それぞれが思い思いの別れの言葉を口にした後、ジョゼは傷付いたイヴィルヴィに肩を貸し、白い大きな布を真上に放り投げる。
いよいよ本当の戦いが始まる。
布が彼らを覆い隠すと、そなこには先程まで広がっていた景色があった。
それからは、三人とも何を話すでもなくそれぞれの帰路に就いた。魔術と言う異端技術の一端に触れた源之助は何を思うのか。
月は今日も世界を照らしている――。