相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
双葉山について
現代の大横綱、白鵬も憧れる昭和の大横綱、双葉山定次。
理想の力士と言われる双葉山について書いた文章です。
以前、作者の友人が運営されている相撲関連のブログに投稿したものの再録です。
かつて「大相撲」誌にしばしば執筆されていた故小坂秀二氏は、双葉山の信奉者であられた。
私は相撲を観るとき、双葉山という理想像を心に抱きながら観る。そうすれば、その相撲の、その力士のどこに足りないところがあるかよく分かる。
このような意味のことを語られていたかと思う。
そのような力士に出逢うことができ、そのように感じることの出来た小坂氏は幸せであられた、と思う。
相撲、力士に限らず、物事に何らかの理想を設定し、それとの比較において他のものを眺めるという物の見方は、少なくとも私においては害が多かった。
「理想」を思い描くという、そのような概念設定は不要なのではないかと思う。
むろん、これは性分の問題であり、良い、悪いということではない。どういう心持でいるのが心の収まり、居心地がよいか、ということである。
仮に双葉山が、全ての力士が目指すべき理想の力士像である、としよう。
全ての力士が、余計な所作をしない風格に満ちた土俵態度で、立ち合いは決して変わらず、相撲を通じて人格の完成を図る求道者となる。
そのような相撲界は、・・・・・かなりつまらない。
六十九連勝という偉大な記録を樹立した双葉山。
が、記録の面だけでも理想ならざる突っ込みどころは色々あると思う。
・二十歳そこそこで第一人者級の力量に達した、大鵬、北の湖、貴乃花に比較して、その力量となったのが二十三歳から二十四歳にかけてとやや遅かったこと。
・初優勝から最終優勝までの期間が七年間。大横綱としては優勝期間が短いこと。
・三宅充氏がかつて著書で書かれた強豪ランキングで史上五十傑以内の力士とは、玉錦、照国、東富士、三人と対戦があるが通算対戦成績でその三人すべてに負け越していること。
・六十九連勝樹立以降も、不調、成績が悪かった場所が数場所あること。
さらには引退後、「璽光尊事件」で、世間を騒がせたこともあった。
だが、第一人者となる年齢がやや遅かったとしても、それは雌伏の時期からの劇的な変貌という出世譚となる。
玉錦に対しては六連敗後四連勝という時代の覇者の劇的な交代を示し、幕下時代からキン坊と呼び掛け、目をかけて稽古をつけてきた東富士との唯一の対戦における敗戦は、相撲の世界における「恩返し」という言葉のサンプルとなるような事例である。
不調の場所は、信念の歯車が狂ったと引退を決意し、そこから妙音の滝に打たれて精神修養の果てに復活というドラマに繋がる。
いずれも双葉山の物語を述べるうえで欠かせないエピソードである。
璽光尊事件については、双葉山の信仰心の篤さにより生じた事件であろう。
双葉山は法華経を深く信仰し、勤行を欠かさなかったという。
信仰により、些末事に心を煩わせない不動心を作り上げたのであろう。
双葉山を理想の力士として仰ぎ見ることはしたくない。
が、双葉山の映像を見ると、私は心が溶けて、トローンとなってしまう。
その表情、その動き、その体。
双葉山は美しい。