Ⅰ
俺に死ぬほど物騒な通り名が付いちゃっていると知ったのは、三度目の死を迎える直前だった。これが笑える話なんだ。まあ聞いてくれ。
帝国の戦争屋さんとして国家情勢を滅茶苦茶にしてしまっていた頃の話。俺の心は惚れた腫れたのどんちゃん騒ぎで毎日が輝いていた。死ぬほど恥ずかしい。死んでも生き返っちゃう身体をこれほど恨めしく思ったこともない。あの日々を思い出すだけで、俺はあと五回くらいは軽く死んじまえるくらいの心持ちなのである。
俺は基本的に最前線に立たされていた。そりゃそうだ。勇者ってのは数は多くないが、勇者って呼ばれるくらいだから当然だが腕が立つ。ヴィエルバ帝国が俺を呼んだ理由、一騎当千の戦争屋。そんでもって武勲を挙げると意中の美女が嬉しそうに「流石は私の勇者様! もう貴方以外見・え・な・い(テラテラと赤黒く煌めく巨大ハートマーク)」とか何とか言って俺を奮い立たせるもんだから……いや、別にもう好きじゃないぞ。恋は盲目と言えど、流石に首を刎ねられた日にゃ億年の恋も冷めるってものだ。
閑話休題。
当時、魔王だか何だかの新興勢力が帝国北西部、そう遠くない沼地に突如として建立された巨大な城を起点として、各地に侵攻を開始していた。この世界の地理が大きく変わったのだという。当時の勢力図を考慮するに、帝国を落とすのは最後だと魔王は判断したらしい。隣国はすべて平らになった。全部魔国に吸収されれば、地理や歴史を覚えるには楽でいいんじゃないか、と馬鹿な俺はそれくらいにしか考えていなかった。恋、盲目過ぎん?
魔王は結構強かった。正直死ぬかと思ったくらいのお手前。数の利が有り過ぎたのだった。髑髏に人の身体をくっつけて人の肉を全部剥ぎ取ったみたいな姿で、一目で極上の素材で編まれたと分かる漆黒のローブを纏っていた。それから五つ位でっかい宝玉をあしらった、俺の背丈の二倍ほどあるスタッフを手に。その眼窩の奥底には金色の灯があった。その灯に惹かれて地の底から湧き出てくる軍勢の気味の悪さと言えば、そりゃあもう筆舌に尽くしがたいを地で行くクレイジー、ルナティック、メメント・モリとか、そんな言葉がお似合いな感じ。あれは擬蘇師――ネクロマンサーなどではない。死者の骨肉に命を宿す、創作者、クリエイターの領域だ。いくら消し飛ばしても地面から生えてくる異形の軍勢は、いっそ清々しいほどに圧倒的だった。
首魁を除かねば、と決意し単身敵の本丸に乗り込んだ俺は、当時の力では当然ながら苦戦を強いられた。自惚れがあったことを否定するつもりはない。地図が書き換えられている現状に対して前述したようにかなーり楽観視していた俺としては、亡者の軍勢など恐るるに足らず、程度の認識しかなく、沼の奥底まで沈められたときはじめて「やっちまった」と自省した。
何やかんやで沼の底から這い出て、魔王とその軍勢に単身立ち向かって激戦を繰り広げていたところ、空からでっかい火の玉が落ちてきた。どひゃー、と。何事かと思い身を守りつつ天を仰げば、山一つに陰を落とせるようなサイズの竜がこちらを見下ろしていた。
異世界体の召喚に、種族の制限は存在しないようだった。
どこから呼ばれたのかは知らない。恐らくはどこかの世界を統べる存在。あれを見れば、どんな愚昧な奴でさえ一発で理解するだろう。あんなのと魔王がドンパチすれば力の均衡は崩壊し、第k世界は瞬きの間に滅び去るだろうという確信めいた予感すらあった。ウケる、というのが率直な所感。その竜は俺と魔王を消滅させるべく、落ち星にも似た火球を瘴気の溜まった沼地へとぶっぱなってきた。
誰が呼んだのかを理解したのは、そいつらを何とかして命からがらの帰還を果たした俺が、哀れにも術中に陥り首を刎ねられるその直前だった。民草が異口同音に叫ぶ『禍の異徒』の名と、顔ぶれのがらっと変わった帝国神官団の連中、王女の吊り上がった口の端――あれほどの存在を呼び寄せるとなると、一個師団は贄として必要だったとして何ら不可解ではない。彼女にとって、俺の生還すら想定の範疇だったってことだろう。憔悴しきった俺の首を刎ねることなど、あの女にとっては児戯にも等しい。俺って『救国の神英』だったはずでは、と、今となってはどちらも恥ずかしさ極まる通り名の味を、それまでの冒険奇譚の記憶とともに噛み締めた結果、出てきたのがあほくさ、だったのだった。
例え首を落とされようと、俺はこの国を滅ぼしてやろうなどとは考えなかった。女は怖い。それを身に染みて感じ入らせてくれた講義賃として、安くはない買い物ではあったが献上させていただこうと思った。時に、心から。
そんなこんなで、俺は完全に隠遁し、この身が朽ちるまで大人しく余生を過ごそうと決意したのだった。三度目の死の話。
「待ちくたびれたぞ」
「すまんすまん。俺を殺しに来た奴が居てな」
「いや、私も今しがた帰ってきたところだ。気にせずともよい」
「お前、タイムリープしてね?」
「む、親しい男女の逢瀬の際の常套句だと記憶していたのだが」
んで、コイツは怖い女その二。いや、怖い女児? よろしくしてやってくれ。
地上に居てもあまり良いことはないと確信した俺は、今度は地下に拠点を構えることにした。扉をくぐると、相棒である少女が遠見の水晶ににかじりついている。帝国国技の大会が開催されているようだったが、どうやら夢中らしい。居間のソファーに寝転がったまま、首だけでこちらを一瞥した。ものぐさな子なのだ。
うっちゃりィ! と相当興奮した様子で水晶に肉薄していた。ちょっと突拍子のないところもあるが、決して悪い子ではない。
「それで? 今回はいかほどのものだったのだ」
「まあ、普通に勇者って感じだった。セカイソンボウノキキ案件って雰囲気では無かったな。適当に呼ばれて適当に送り込まれたんだろ」
「興醒めだな。そろそろ、なんだ、いつしかの巨大トカゲレベルの奴が来るかと思っておったが」
俺の報告を聞くだけ聞いたものの、既に完全に興味を失ってしまったようで、寝そべり頬杖をついて水晶に視線を戻していた。
地面を掘って、適当に壁を補修しただけの俺らの根城に客人が来ることはそう多くはない。客人を迎えるための設備は最初から拵えてはいなかった。俺らを訪問する奴らなんて、大抵は俺らのことを殺そうとしてくる血の気の多い輩ばかりで、目的は金なり正義なりと多岐に渡ったが、友好的な態度でお土産などを持参するタイプに出会ったことはなかったため、片付け過ぎないリラックスできるゆったり空間などを演出する必要がなかったからだ。今回の勇者に関してもそうだ。帝国の関所、馬鹿でかい金ピカの門付近で、これまた盛大な出立の式典が催されていたものだから、こりゃまた家に乗り込んでくるぞ、と地表に簡素な小屋を建て(まあ、俺は建築に関してはド素人もいいところなので、かなり苦心をしてこさえたものだったが)撃退を試みた、というのが今回の大まかな経緯だった。
ヴィエルバ帝国の国技、俺が元いた世界で言うところのヤールギュレシに似たスポーツを食い入るように見つめていた見た目年齢一三歳の女児、怖い女その二であるリライは、そう言えば、と零してから再び首だけでこちらを振り返った。
「久方ぶりの狂瀾の予感だぞ――なにせ今日だけで、三つ」
そうか、と適当に返事をしてから、そろそろ引越しの時期か、と思案を巡らせる。
「ヴィエルバは今日のことで暫くは大人しくしているだろう。ジュレイアスが二、あと一つは分からぬな、道の真ん中に突然生えてきたような表れ方だった。恐らく主はいない。それにしてもジュレイアス、今代の王はボンクラだと聞いていたが、なかなかどうしてやるではないか」
「二つってえと、まとめて喚んだってことか」
「そうさな。あれは恐らく第n世界の者達であろ。精霊と交信しておったのでな」
神聖ジュレイアス連邦は、帝国の真北に連なる山脈を越えた先の宗教国家である。帝国と比較するとその歴史は浅いが、近代において目覚しい発展を遂げてきた新興国。これまで関わることのなかった国ではあったが、リライの報告から考えると、どうやら覇権争いに名乗りを挙げるのもそう遠くない未来のことであるらしかった。
そして何より、リライが報告した内容で最もヤベェ、って雰囲気なのが最後の一つ。
「んで、最後の一つについては?」
「仔細までは知らぬ。知らぬが――恐らく、新世界よりの来訪者であろうな」
「なるほどねえ……」
リライが知らないと主張するのだから、この世界でソイツについて完璧に理解している奴は存在しないということになる。これはいよいよ、本格的に引越しを考えなけりゃならなくなったってことか。
僥倖ではあるが、とリライは続けた。
「産まれて間もない赤子のようなものだ。それを私たちの手によって、こう、コマしてだな」
「なるほど、女か」
「貴様、随分と前にどこぞの王女にこっぴどくやられたというのにどうやら懲りておらなんだな」
「いや単純に消去法だけど。お前がコマせる男ってなると性的にかなり倒錯したマイノリティあだだだだ!」
『磔刑の葉は雷』が俺の全身を隈無く駆け巡ったところで、リライは片眉を吊り上げてふん、と一息。バチン、と最後の一筋が迸り、俺はぶはあ、と何とも情けなく息を吐く。
リライによると、この世界に突如として出現した得体の知れない奴ってのは年端もいかない少年であるらしかった。それもほっといたらさっさと殺されちまうくらい脆弱なんだと。未だ観測されていない世界から来たってのに、新たな手がかりに繋がりそうな力の余波なんかは全く感じられなかったとも補足していた。
俺としては、その新世界よりの来訪者ってのがほっといてもさっさと還されちまうくらいの存在であれば、それ以上にありがたいことはない。ただ、リライが狂瀾なんて表現をしたのも気がかりではある、というのが率直な所感だ。リライが間違えることなんて滅多にない。
飯にするぞ、と勢い良く起き上がったリライだったが、俺が無言で差し出した得体の知れないキノコを見て分かりやすく肩を落としていた。リライのお陰で、我が家のエンゲル係数は爆アゲの一途を辿っている。当面のモットーは質素倹約である。
リライのために拵えた革製のソファーの上で、熊かってくらいよく食う少女がキノコヤダーと駄々を捏ねている。正直俺も嫌だ。引越し祝いには、豪勢な肉でも食わせてやろう。今の世界地図ってどんなだっけ。思い描いた国々のイメージは、リライが振り回している紫斑のキノコですっかり埋め尽くされてしまった。飯にしよう。