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 生まれも育ちも日本なんだ、実は。


 それでいて俺の記憶は天涯孤独の意識から始まる。我ながら結構かわいそうな生い立ち。俺の記憶が始まるのは、不況や世界情勢の変化により治安に対する不安を感じるようになった日本を追い打ち的に襲った天変地異、秘密裏に『第四次環状特異交点崩落』と名付けられている大災害の少しだけ後からだった。表向きは何百年に一度規模のでっかい地震だったってことにされている。いわゆる災害孤児ってやつだった。当時十歳だった俺はショックからか記憶を失い、ぼろぼろの身ひとつで荒廃した土地を彷徨していた。

 ショックから記憶を失い、って文章、因果関係が明瞭だから「ああ記憶喪失ね」と難なく解釈していただけることだろうが、記憶を失うほどのショックがどれほど凄惨だったか、俺は想像するのも億劫だ。そこも綺麗に記憶から抜け落ちてくれていて本当に良かった。

 町がいくつも消し飛んだ。町が消し飛んだのだから、もちろんそこに住む人たちもみんな消し飛んだ。でもまあ、だいたい死んだけど、俺みたいに生き残ってるやつも、何人かはいた。俺みたいな子どもだったり、大人だったり、老人だったり、生き残ったのはたったの十人だけ。他の奴らは、ある程度のことは覚えていた。何が起こって町がどうなって、俺たちがどうなったか。まるきり覚えていなかったのは俺だけだ。俺たち十人は、日本で一番でっかい病院に入れられ、俺はほとんどそこで育ったみたいなものだ。日本人なのに、外国人みたいな名前を与えられたのもそのとき。俺たちの経過を視察に来た偉い人いたちが、俺に用意してくれた名前。レイハ――黎波。黎明の波。日本の田舎町を局所的に吹き抜けた、異なる世界へと連なるパラダイムシフトの波。


 俺には魔法が使える。超能力、奇跡、呼称なんて何だっていい。町をひとつ消し飛ばした風が運んできた第k世界由来のわけのわからん能力を、当時の人たちは御伽噺になぞらえて大層ありがたがった。


「必滅の種、失楽園、豊穣の塵、サンダルフォンの泣哭、万物を抱く腕――」


 女神の月桂冠は玉座を構成する。


「――『水晶内制度』」


 国でも屈指の腕自慢らしい男の腕から、淡く光を放つ塊が()()()。身の丈以上もある重たそうな両刃の剣を取り落とした男、男……俺の言葉も聞かず斬りかかってきたフルメイルの男、大昔の価値観を持ち出せば神聖なる勇者とかそんな風情のいで立ちの青年が、割と心臓に悪い声量で喚くもんだから、仕方なく嘆息の後両手で耳を塞いだ。俺の家は狭いんだから、頼むからもう少し大人しく反省をしてくれ。


「ぐ、ぐ……ゥ」


 叫び疲れたのか、それとも戦士の矜持ってやつなのかは俺の与り知るところではない。両腕を回復すべく魔力を練り上げている青年に向き合うようにしゃがみ込み、西洋風の兜の奥で閃く双眸を覗く。戦士とか騎士とか狩人とか――あるいは勇者とか。そういう血の気の多い価値観がどうにも容認できない俺としては、声量を抑えてくれるのであればそれが一番だ。


「んで、何でいきなり斬りかかってきたわけ」

「何故、だと……? ふざけるな……! 逆賊め!」


 ギン、とまあ、そりゃあ物凄い形相で睨まれて辟易とした。


「逆賊、ねえ」

(みことのり)だ――国を覆さんとする魔の徒を退け、私は彼の地に安寧を齎してみせる……!」


 荒い呼吸の狭間に、青年は数名の名を呟いている。多分お仲間たち。庭へ侵入してきたのは五人だったはずだから、他の四人は迎撃用の天使たちとの戦闘で動けなくなったのだろう。勅命まで受けた勇者――恐らく勇者だと思うが、そんな奴が単身で乗り込んでくるとは考えづらい。

 青年の激昂ぶりから考えるに、もしかして死んだか?


「生きて帰る……! 彼らと共に!」


 生きてるじゃねーか。心配して損した。

 青年を中心に、幾重にも連なる青白い幾何学模様が展開される。その中心から放たれた幾条もの光線は木製の小屋の壁面を容易く貫通し、辺りを照らす。夜の帳を切り裂く大魔法の余波。この魔方陣はきっと、俺が苦心して建設したぼろっちい小屋を吹き飛ばして、辺りの山のうち一つや二つを消し飛ばすことのできる出力の魔法を展開するだろう。それが()()ば、庭でノびてる例の彼らとやら諸共跡形も無く消し飛んじまうんじゃねーの、という言葉を飲み込み、代わりにあちゃーと発音しておいた。


しろがねの秤は主の御名のもとに――」


 まずは三枚の魔方陣が天井を突き破った。罪の無い人間一人を根無し草にしやがったというのに、眼前の青年はこれっぽっちも申し訳無さなど感じていない様子で、跪いたまま俺のことを睨み続けている。遥か上空で回転しながら閃く魔方陣に連動するようにして、青年の足下からはドーム状の光の柱が立ち昇る。魔方陣とは対照的に、日没の際に水平線を走る太陽の光のような。


「礎に悠久の精霊! 我がこいねがうは赫き冠の破却!」


 第九位相の魔法だ。魔法というものは、一度発動されれば目的を果たすまで消滅することはない。眼前の青年がこいつを発動させた目的――青年の目的というよりは、この魔法自体に編まれた宿命といったところか。

 この魔法に込められた言霊は『崩落』。


「どうか、この国に恒久の平穏を取り戻してくれ――」

「平穏も何も、俺は別にこの国をどうこうしようとは今更微塵も思っていないのだがね」

「戯言を……悪徒よ! 省み、この国から退くが良い! ――『開闢の七天、洛陽』」


 この国――ヴィエルバ帝国に楯突いたことなど一度も無かったし、俺は国に関わることがどういう悔恨を招くか十全と理解している。あれは確か三度目の死を迎えたときのことだった。この国の名物は斬首。笑えないジョークでは無い。処刑台の上、上等な鎧を纏う騎士たちに捕われ、半ば全てを諦めて神妙にしていた俺は綺麗に首を刎ね飛ばされ、耳を(つんざ)く民衆の大喝采の中、あほくさ、と自嘲しながら三度目の生を終えた。

 傲慢なのかもしれないが、俺によって救われた民草の数は決して少なくはなかったと確信している。戦争を終わらせた。敵国の王を殺した。筆頭騎士を殺した。力ある貴族たちを数人殺した。そうしてくれと頼まれたからだった。当時の俺は若く、とはいえ俺の身体はこちらに来てから年輪を刻むことを諦めたようなので、ここでは精神的に未成熟だったという意味合いだ。将来的に髪が薄くなったり、醜い老人斑に悩まされる心配もない身だが、人並みに青年だった俺は当時の帝国王女に恋なんてしちゃったりしていた。絹糸のように艶やかな薄い桃色の髪と、昔祖父の家で見た異国の風景画の海みたいな色の瞳を持つ女だった。正直可愛かった。そんな女に涙ながらに私の敵を討ち滅ぼして、などと唆され、不運なことに当時の俺にはそれだけの力があった。

 戦争が終わったのだから、強大な力は余分な禍をもたらすだけだ。そりゃ至極当然のご意見だね、と俺も思う。俺だってそうする。いつの時代も、自分より強い奴ってのは恐ろしい。

 あれは即ち太陽の剣だ。あらゆる不浄を清める聖炎の楔。陽炎を纏い揺らぐ太陽の御遣い。それが七本。青年の瞳を見て、多少の感動を覚える。あの魔法で俺のことを殺しきることができるとは考えていないらしい。次の魔法のための魔力を編もうと両腕を気にしている。


「消し飛べ!」


 いや誰が不浄の悪徒やねん、とは俺の言。俺目掛けて音速に近い速度で飛来する聖炎の剣は、対象、つまりは俺を焼き尽くす前に速力を失い、重力に従い堕ちた。ごと、と鈍い音を発してから、内側から解けるように細やかな光の粒子となって霧散する。殺せるとは思っていなかったにしろ、発動された魔法を無力化されると思っていなかったらしい青年は、馬鹿な、と零して放心したように俺を見上げていた。

 水晶の玉座。俺は見下ろす先の青年の脚から結晶を()()。青年の皮膚を、鎧を突き破ったのは青年自身の血液だった。苦痛に叫びを挙げ、彼はついに地に伏した。


「何を……した……」

「固定、結晶化。原理はそんなところ」


 『水晶内制度』は、俺が最初に死んだ時に発現した記念すべき力だった。第k世界では俺以外に行使できる者は存在しない。万物に――たとえそれが空気だとしても――形を与えるための魔法。物質的世界を掌握する。宝石は水晶。


「理を弄ぶ愚者め……!」

「何とでも言え。それで? お前はどこから来たんだ」

「私は誉れ高き帝国の使徒! ダイムの地に生を受け、王の勅命によりて貴様を打ち滅ぼしに来た者!」

「いやそういうことではなく」


 ――どの世界から呼ばれて来たんだ、と訊いている。


「どの……世界……?」


 ヘルムの奥、意志の強さを象徴するかのような橙色の瞳が困惑したように揺れた。それに呼応するかのように、俺にだけは()()ている、彼の心臓から上空へと伸びる()が揺れた。

 なるほど。どうやら神隠しに使用される魔法も、より洗練されたものに改良されつつあるようだ。自身が召喚されるまでの記憶の一切合切を封印されているのか、召喚された時点で召喚者に完全に服従するように認識を歪められているのか。ダイムは帝国の港町の名だ。生を受けたということは、恐らく転生させられている。第k世界で生まれ育ったと本人は思い込んでいるようだが、この世界由来の人間は第六位相以上の魔法は行使できない。

 あったま来んな。きっと、こいつは俺を殺して凱旋を果たしたところで、何やかんやの理由をつけて殺されちまう。国が人を殺すために大義名分をでっちあげることなど、この国では、この世界では信じられないほどの気安さで行われている。安置所の遺体を検分して死亡日を記録していくように無感動に、無慈悲に。

 俺にできることは多分、こいつを元の世界に還してやることくらいだったのだ。


「お前、いくつだ」

「私は……私は今年で二十と二つに……」

「そうか、奇遇だな」


 俺も二十二のとき、こっちに呼ばれたんだ。

 青年の胸部から、淡く発光する紅いエレスチアルが生えた。それは()を絡めとり、ゆっくりと宙へと伸びていく。古いアルバムを捲るみたいな親愛でもって、俺は丁寧にその()を断ち切る。


「護れ……なかっ……」

「お前が命を――人生を賭してまで護るべきものじゃあないさ。ほら、もう還る時間だ」


 身体が解けていく。魔方陣と同じ色だった。異なる世界からこちらへ招かれた者は、生命活動の停止の後、己の世界へと帰還を果たす。

 ――知っていたさ。退場の間際、青年の口がそう小さく動いた。

 いつからかは知らんが、そうか。そうだったか。まだ召喚システムは完全なものではないらしい。全て理解して陛下とやらに尽くしていたのだとしたら、俺から言うべきことは何もない。それは、そいつ自身が決めて生きていくことだ。

 人ってのは、一回死んだらそれきりだ。誰しも、死後の世界を想像してブルーになったりしたことがあるだろう。思春期の青少年などは、殊更その傾向が顕著だ。ただし、その解にこれまで辿り着いた人間はいない。この世界では、人の死体が擬蘇の魔法で蘇ることはあるが、人の思念、魂の行方までは知りようもない。死んだ後どうなるかなんて誰も知らない――俺以外は。

 俺は、天国へ行きたかったんだ。


「本気で俺を殺したいのなら、せめて十回は死んでから出直してきてくれ。達者でな」


 青年は、故郷へと帰還できただろうか。庭を()()と、彼のお仲間と思しき四人が倒れている。青年以外はこの世界の人間だったようで、()は視えない。空気の板を形成する。帝国の近くまで運んでやれば、あとは自由にするだろう。青年の仇討にくるならそれでもいい。殺されるなら殺す。

 死ぬのは怖くて痛くてつらい。できることなら、俺はもう二度とごめんだね。

 夜の帳だ。塗りたくったような漆黒の中、俺の座す水晶の玉座だけが、随分と風通しが良くなったおんぼろ小屋の天井から差し込む月の光を跳ね返し、淡く光を放っている。



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