それぞれの役割
光の精霊に足元を照らしてもらい、森を抜けたギードは、冬に閉じた鉱山の前に来ていた。
「さてと、それでは起こすと致そうか」
持って来た包みから聖水を取り出して掌を濡らし、残りを岩に振り撒いた。
「この地を閉じて守りし方々にお願い申し上げる。働く手を持つ我の前に、この山を開かれませ。沢山の岩を砕き、沢山の石を磨き、多くの鉄と鋼とミスリルを、熱き火をもって打ちましょうぞ」
そう言って、閉じた岩の扉に聖水で濡らした掌を当てる。
暫しの沈黙の後、一人のノームが足元に現れた。無言で手を差し出す。
ギードは笑ってノームの前にしゃがむと、そっと右の掌を見せた。
『よしよしこれは働き者のドワーフの手良い手良い手知ってる手働くこの手が開く鍵』
掌を見たノームが、そう言ってギードの手を叩き、返す手で地面を叩いた。
すると、何人ものノームが次々と現れ、嬉しそうにギードの周りを飛び跳ね始めた。
『開こうぞ開こうぞ働く良き手が戻りし山を』
『開こうぞ開こうぞそれ岩を砕け石を磨け』
『開こうぞ開こうぞそれ鉄を打てミスリルを打て』
『善き日ぞ善き日ぞ山よ目覚めよ』
ギードは、それを見ながら嬉しそうに立ち上がった。
そして、彼の見ている目の前で、轟音と共に裂け目が開き、下へ降りる階段が姿を現した。
「さて、行くとしようか」
そう呟くと、包みを手に中へ入って行った。
岩を掘った階段をどんどん降り、平らな足場へ出た。
頭上にいた光の精霊が高く上がると一気に光を強め、縦穴全体を照らし出して見せる。
「何度見ても見事だ。ほんに良き眺めだ」
満足そうにそう言うと、縦穴に作られた階段や足場を迷う事なく進み下り、目的の採掘場所に辿り着いた。
「ノームよ、おはようございます。また今年もよろしくお願いしますぞ」
そう言って、包みの中から何本もの瓶を取り出して並べて、その場に座った。
『お帰りお帰り』
『お帰りお帰り』
『働く手が戻ったぞ』
『戻った戻った』
足元に何人ものノームが現れて、嬉しそうにそう言って瓶の横に立った。
「冬の間に漬けた果実酒と、街で求めた酒でございます。お納めくだされ」
『果実酒だ果実酒だ』
『酒だ酒だ』
『嬉しや嬉しや』
そう言うと、大喜びで酒瓶を持って消えてしまった。
「さて、横穴の状態だけでも確認しておくか」
笑ってそれを見送ると、立ち上がった。
その時、突然一人のノームが現れてギードの足を叩いた。
「どうなされた? もう酒は有りませぬぞ」
てっきり出遅れたノームが現れて、追加の酒を催促しているのだと思ったら、彼は首を必死で振ってはくはくと口を開き、何か言おうとしている。
どうやら慌てて言葉が出ないようだ。元々、ノームは口下手なものが多い。
「落ち着かれよ。どうなされた?」
両手で抑えるようになだめて、もう一度座り直し聞く体勢になる。
『坊やが』
『坊やが大変だ』
何度もギードの足を叩いて、その言葉を繰り返すだけだ。
「……レイか! 何かあったのか!」
急いで立ち上がると、ノームに礼を言って包みを抱え走り出した。大急ぎで階段を上がり、入り口の岩の裂け目まで一気に走り階段を登った。
「さ、さすがに、息が、切れるわい……」
しかし、無理矢理息を整えてまた走り出そうとした時、目の前にシルフが現れた。
『大丈夫大丈夫』
『坊やは戻った』
『大丈夫大丈夫』
『何でもない何でもない』
「一体、何事でございましたか……なれど、大事無いなら、それが何より……」
気が抜けて、その場に座り込んだ。
その時のギードは、シルフに大丈夫だと言われ安心してしまい、致命的な間違いを犯した。
無理矢理にでも、何処にレイがいたかを聞き出して現場を確認していれば、彼が酷い嘔吐を何度もした事に気付いただろう。
しかし、大丈夫だと言うその言葉を鵜呑みにした為に、いわば異変の最後の警告を、知らずに見逃してしまった。
ルークとジルを連れたヴィゴは、少し早い夕食の為に食堂へ来ていた。
彼らが入ってくると一瞬ざわめきが止み、すぐに戻った。しかし、皆が何気無い風でこちらを気にしているのがよく分かった。
「おお。なかなか広い、良い食堂だな」
「ここの飯は美味いですよ」
そう言いながらトレーを手に三人揃って列に並ぶ。その前に並んでいた者達が、無言で慌てて譲ろうとするのを、ルークとヴィゴは笑って止めた。
「順番は守らないとね」
「そうですぞ。それで、何が美味いんですかな?」
進む列の横には、大きな四角いお皿に、色々な料理が順序良く並べられていて、好きなだけ取れるようになっている。
パン、主食、副食、スープ、デザートと、それぞれ二、三種類から選べるようになっている。
「あ、この薫製肉は美味いですよ。お勧めです。それと、チーズと芋のサラダ、これは外せませんから」
ルークは、あれこれとヴィゴに教えながら順に取っていく。ヴィゴもその体躯に相応しく、次々と山盛りにお皿に取っていった。
「お代わりがいるなら、もう一度並んでください。俺はいつも、デザートは後から取りますよ。ほら、足りなければその時に取れるでしょ」
かぼちゃのスープの皿を受け取り、通路寄りの空いた席に向かい合って座る。ルークの横にジルが座った。
それぞれ精霊王への祈りの言葉を唱えてから食べ始めた。
「おお、これは美味いな」
薫製肉を齧りながら、ヴィゴが嬉しそうに言う。
「ヴィゴは薫製肉好きだもんね。でも、何が違うんだろう?香りがすごく良いですよね」
ルークは首を傾げている。
「恐らく、薫製を作る時に燻す木が良い香りなのであろうな」
「そう言えば、薫製肉って……どうやって作るの? いつも食べてるけど、全然知らないや。こんな味の肉がある訳じゃ無いだろ?」
不思議そうに言って、ルークが、薫製肉をつまみながら隣にいるジルに尋ねる。
側で聞き耳を立てていた何人かが、脱力して机に突っ伏した。
「ええと……薫製を作るには、箱の中にお肉を吊るして、その下側で細かく刻んだ木屑に火をつけるんですよ。そうすると煙がすごく出ますよね。その煙と余熱でじっくり火を通して香りを付けるんです。私の実家も田舎でしたからね。時々庭で作りましたよ」
ちょっと考えて、ジルが分かりやすく説明する。側で何人かが頷いていた。
「へえ、そんな事するんだ。手間がかかってるんだな」
感心したように言って、また一口齧る。
粗野な仕草なのに何故か優雅で気品すら感じられる、不思議な光景だった。
和やかに食事を終えた三人は、デザートのフルーツとお湯の入ったポットを取ってきて、ハン先生から貰った、手持ちの茶葉をそこに入れた。
彼らは茶葉を持参していて、いつもそれを飲んでいる。とても香りの良いお茶だ。
ジルとルークは、ミニマフィンを何種類も追加して取った。
「よく食うな。おまえら育ち盛りか?」
笑いながら、ヴィゴが二人の皿に盛られた幾つものマフィンの山を指差す。
「だって俺、昼抜きだったから腹減ってるんですよ」
マフィンを一口で食べて、ルークが笑う。
横で頷いて、ジルもマフィンを一口で食べている。
その時、再び食堂が静かになった。
タドラとハン先生が、並んで食堂へ入って来たのを、皆、無言で見つめている。
「遅いぞ。もう俺達食べ終わったよ」
静まり返る周りには素知らぬ顔で、何事も無かったかのように、食後のお茶を手にルークが振り返って笑った。
「待っててって言ったのに」
口を尖らせて、タドラが文句を言う。
「腹減ってたんだよ。ぐずぐずしてるお前が悪い」
小さく舌を出してルークが笑い、隣の椅子を叩いた。
「取って来ますから、貴方は座ってて下さい」
ハン先生がそう言ってトレーを二つ持ち列に並んだ。また、前にいる者達の無言の列の譲り合いを笑って制している。
ジルが立ち上がり、列に入ってハン先生のトレーを取って後ろに並んだ。
柔らかい丸パンと、茹でた玉子と芋のサラダ、かぼちゃのスープを取ってジルが席に戻る。
タドラの前にそっと置くと、そのまま自分の席へ戻った。
「ありがとうジル」
タドラがそう言って笑い、その向かいにハン先生が座った。
二人も精霊王への祈りを唱えてから、食べ始めた。
「……大丈夫なのか?」
小さな声でルークが尋ねる。
「うん、もうお腹空いちゃってね。ハン先生が、消化の良いものなら食べても良いって」
嬉しそうにそう言うと、パンをちぎって口に入れる。
食べても大丈夫そうなのを見て、ルークも自分のマフィンをまた口に入れた。
「そっか。それならもう大丈夫だな」
「でも、念の為、まだしばらくは大人しくしててくださいね」
「はあい。大人しくしてます」
舌を出して笑うと、目の前のルークの手にあった、マフィンを横から半分齧る。
「入ってる赤いのはキリルのシロップ漬けだね。これ美味しい」
「あっ! 何すんだよお前、それ俺の一番の好物なのに!」
半分齧られたマフィンを手に、哀れな声でそう言ってタドラを横目で睨む。
「だって、手にして差し出すんだから、僕が食べて良いんだって思うでしょ普通」
何事も無かったかのように、スープを口にする。
「ルーク様、どうぞ」
ジルが笑いながら、自分の皿からキリルのシロップ漬けのマフィンをルークの皿に乗せた。
「ありがとう。ジルは優しい」
戯れるように、ジルの肩にもたれて笑い、残った半分のマフィンを口に放り込んだ。
食堂のざわめきも、いつの間にか元に戻っていた。