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ニコスの傷

 午前中いっぱいラプトルを走らせて、すっかりご機嫌になったレイは、大きな敷布の上に豪華なお弁当を広げていた。

 ブルーは、少し離れた場所で、丸くなって彼が美味しそうに食べるのを見ていた。

「おなかすいたでしょう。まだ沢山ありますから、しっかり食べてくださいね」

 ニコスが笑って、大きく切った薫製肉を、幾つもレイのお皿に乗せてくれた。

 最近、特に食事中にお行儀について注意される事が色々とあるが、今日は全然何も言われない。

「いつもは、食事の時って色々注意されるのに、今日は無しなの?」

 食べながら、不思議に思って聞いてみる。

「だって、野外でまでお行儀良くするなんて、面白くないでしょ」

 笑って言われて納得した。

「ねえ、思ったんだけど、貴族の人もこんな風にピクニックに行ったりするの?」

 単なる好奇心だったが、思いついたら気になって仕方がなくなった。

「そうですね。まあ、今の様に良い季節には、郊外にピクニックに行ったりする事もありますよ。勿論、何人もお付きが付いて、自分で荷物なんて絶対運びませんけどね」

「自分で運ばないの?」

 驚くレイに、当然だと笑う。

「だって、お付きの人達はそれが仕事なんですから。主人に荷物を持たせるなんて、許されませんよ」

「変なの。でも、全部人にやらせて……それで楽しいのかな?」

 薫製肉を摘みながら、心底不思議そうに言う少年に、ニコスは堪らない気持ちになった。

「そりゃあ楽しいんだと思いますよ。自分の言う事を、周りの者が全て、待っていれば叶えてくれるんですからね」

 苦笑いしながら、そう言って俯いた。

「だから、仕える主人によっては、使用人は酷い目をみるんですよ」

「そんなの、ご主人を変えれば良いのに。僕ならそうするけどな」

 レイの何気なく呟いたその言葉に、咄嗟に返事が出来なかった。

「あっ! 危ない!」

 レイの悲鳴と同時に、ニコスが手にしていたお皿が地面に落ちて転がる。

 幸いお皿は割れなかったが、取り分けていた薫製肉や野菜が、敷布に飛び散った。

 ニコスは呆然とそれを見ながら、そう言えばあの時もこんな風景を見たな、と、場違いなことを考えていた。


「おい、大丈夫か?」

 横にいたギードが、皿を拾い、落ちた肉や野菜を拾い集める。

「……ニコス? どうした?」

 全く手伝う事なく、まだ呆然としているニコスに、心配そうにもう一度声をかけた。

「え? 大したことないって」

 よそ見したまま、心ここに在らずの的外れな返事が返ってくる。

 それを見て、顔をしかめて唸り声をあげたギードは、怒った様にニコスに言った。

「ニコス、ちゃんと俺を見ろ」

 皿と拾った料理を横に置くと、ニコスの正面に回って両手で頬を挟む様にして捕まえる。

「ニコス、質問するぞ。ワシは誰だ?」

「……ギード?」

 まだ呆然としたまま、それでもギードの顔を見てぼんやりと答える。

「そうだ。ギードだ。お前はニコスで、ここは蒼の森。今、俺達はラプトルに乗って遠乗りに来ている。他には誰がいるか分かるか?」

 ニコスの急な変わり様に、驚いたまま動けなかったレイの横にタキスが寄り添い、その背を撫でた。

「ニコス、私達が分かりますか?」

 静かな声で、タキスがそっと話しかける。軽く背を叩かれて、慌ててレイも話しかけた。

「ニコス……僕の事、分かるよね?」

 ギードが、そっと手を離し二人の方を向かせる。

「……タキスと……レイ」

「そうです、ここにいますよ」

「ニコス!僕もちゃんとここにいるよ!」

 思わず駆け寄ってニコスの側に行く。手を取ろうとして、そっとギードに止められた。

「ここは蒼の森……ここは蒼の森、私は……」

 両手を目の前に持っていき、まだ呆然とその手を見つめる。

「あんなに、あんなに大切だった筈なのに……どうして無くしてしまったんだろう」

「お主が無くしたんではない。奴が、お主を捨てて逃げたのだ! いい加減にしろ! いつまであんな奴に囚われておる!」

 大声でギードが叫び、もう一度ニコスの頬を挟む。

「もう奴はいない。今頃精霊王の御許で、性根を叩き直されておるわい。しっかりしろ」

 その言葉を聞いた途端、ニコスの表情が激変した。

「そんな筈無い! 嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」

 悲鳴の様に何度も嘘だと叫び、ギードに縋り付いた。

「嘘では無い。もう誰に仕えずとも良い。お主は自由な森の民だ。ここには自由な生き方がある。お主は自由だ」

 縋り付くニコスを抱きしめたギードは、その背を撫でてやりながら、何度も同じ言葉を繰り返した。

 お主は自由だ、自由なんだ、と。


「……ねえ、ニコスは一体どうしたの?」

 動かなくなった二人を見て、レイは小さな声でタキスに尋ねた。それを聞いたタキスは、指を立てて口元に持っていき、静かに、と、声に出さずに言った。

「落ち着いたか?」

 ギードが、ニコスの背を軽く叩きながらゆっくりと話しかける。

「……ああ、もう大丈夫だ。すまなかった」

 いつもの声でニコスが応え、体を起こした。

 しかしその顔色は蒼白で、少し震えている。

 レイは思わず駆け寄ってニコスの手を取った。氷の様に冷え切って強張ったその手を。今度はギードも止めなかった。

「……暖かいな」

 目を細めて、レイを見つめる。

「今のニコスの手はとても冷たいよ。暖まるまでこうしててあげるからね」

 そう言うと、両手でニコスの手を何度も擦って握りしめた。

「ごめんなさい、僕が変なこと言ったから……」

 それを聞いたニコスは、声も無く笑って首を振った。

「レイ、覚えておいてくれ。この世には、生まれた時からその場所が決まっている人がいるんだよ。貴族の家に生まれたら、貴族に。使用人に生まれたら、やっぱり使用人になるしかない。そこには選べる自由なんて無いのさ。ましてや使用人に主人を選ぶなんて事、出来る訳が無い」

 レイには分からない世界だ。

「どうして選べないの?」

「……さあ、どうしてだろうな、俺にも分からないよ」

 無邪気なレイの問いに、泣きそうな顔でそう言うと空を見上げた。

「俺はあの人の子供を、生まれた時から見ていたんだ。可愛かった。どんどん大きくなって、大人になって……それでも、彼は子供のままだった。体だけ大きな子供だったんだよ」

 意味が分からなくてタキスを振り返ると、後ろから抱きしめてくれた。

「今は黙って、聞いていてあげてください」

 小さな声でそう言われて、頷いてもう一度手を握った。

「ただ、願いを叶えてやりたかったんだ。自由って言葉の本当の意味を理解しないまま、自由に生きようとした彼を、俺が止めてやらなきゃいけなかったのに……」

 その目から、大粒の涙が零れ落ちた。

「俺は間違えたんだよ。側に仕えるって事は、何でもかんでも願いを叶えれば良い訳じゃ無い。主人が本当に道を間違えそうな時には、命をかけてでも、止めなきゃいけなかったのに」

 ニコスの手を握りしめているレイの手に、後ろからタキスが手を重ねた。

「貴方は充分に止めましたよ、その命をかけてね。それなのに、それを全部台無しにしたのは彼の方です。もうそれ以上、貴方に責任はありませんよ」

「……そうかな?」

 タキスの顔を見て、泣きながら笑った。

 声もあげずにただ涙を流すその姿は、普段の優しい彼とは別人の様で、とても痛々しかった。

 何か言わなければ、でも言葉が出てこない。

 こみ上げる感情のまま、レイは腕を緩めてくれたタキスを離れて、自分よりも小さくなったニコスを力一杯抱きしめた。

 大きくなったレイの胸に、ニコスが縋り付く。

「暖かいな」

 さっきと同じ事を言って、レイの胸に縋り付いたまま、ニコスは絞り出す様な声をあげて泣いた。

 聞いているこちらの方が苦しくなる様な、悲痛な声で。

 レイには、ただ抱きしめてやる事しか出来なかった。



「ごめんな、驚いたろ」

 顔を上げてそう言って、少し照れ臭そうに笑ったニコスは、もう普段通りの彼だった。

 何て言ったら良いのか分からなくて、何度も首を振って手を握った。

「ありがとう。生きてるって、それだけで幸せな事だよな」

 ニコスはそう言って、もう一度空を見上げる。

「誰しも、全てを捨てて好き勝手に生きられる訳では無い。何を持ち、何を捨てるかで、その後に天と地ほどの差が出るものだ。大切なのは、己にとって本当に大事なものを見誤らぬ事だ」

 背後から聞こえた、それまで黙って見ていたブルーの言葉に、ニコスは驚いた様に振り返り晴れやかに笑って頷いた。

「ご忠告感謝します。もう大丈夫です。私にとって、何が大切な事なのか、身を以て思い知りましたからね」

 もう一度レイを抱きしめて、その顔を見た。

「貴方に心からの感謝を。もう一度、生きてみても良いなと、私に心から思わせてくれた。愛してますよ、レイ。ここにいてくれて、ありがとうございます」

「僕の方こそ、生きていてくれてありがとう」

 こみ上げる感情のまま、手を握った。

 暖かな春の日差しの中で笑うニコスの手は、もう冷たくは無かった。



 残りのお昼ご飯を皆で平らげて、食後のお茶を飲んでいた時、ニコスが思い出した様に言った。

「そう言えばタキス、行きたいところがあるだろう?片付けておくから行ってこいよ。レイ、タキスについて行ってやってくれ」

 振り返ってギードにも呼びかけた。

「それからギードも、山開きに行かなきゃいけないんだろ?行ってこいよ」

「いやしかし……」

「そうですよ。貴方一人ここに置いて行くなんて……」

 戸惑う様に言う二人に、レイが振り返る。

「何処に行くの? 二人共」

 二人は顔を見合わせた。

「冬の間、閉じておった山を開かねばならんのだ」

「何それ。行きたい!」

 思わず叫んだレイを、ニコスが止めた。

「いけませんよレイ、鉱山は遊び場ではありません。常に危険と隣り合わせの、神聖なドワーフの仕事場です」

 言われてみればその通りだ。しょんぼりするレイの肩をタキスが叩いた。

「それなら私と一緒に来てくれますか? エイベルのお墓詣りに行きますから」

 驚いてタキスを見ると、彼は笑って頷いた。

「でも……」

 ニコスを一人で置いて行っても良いのだろうか?心配になって振り返った。

「ならば、黒い髪の竜人には、シルフを付き添わせておこう。皆行くが良い。我も行かねばならぬところが出来た。今日のところは、ここまでにしておこう」

 ブルーが顔を上げて空を見ながら言った。

「それなら安心だね。シルフ、ニコスの事お願いしても良い?」

 現れた何人ものシルフにそう言って笑った。

『了解了解』

『ここにいるよ』

『一緒にいるよ』

『いってらっしゃい」

『お留守番お留守番』

「それは心強いな。ありがとうございます蒼竜様」

 ニコスも蒼竜を見上げて笑い、三人は立ち上がった。

「ウィスプ、ギードについて行ってあげてください」

 タキスがそう言うと、光の玉が二つ、ギードの側に飛んで来た。

「おお、すまんな。それでは有難くお借りしよう。光の精霊よ、よろしくお願いしますぞ」

 嬉しそうにギードがそう言って、光の精霊と一緒に荷物を手に森の中へ入って行った。

「それでは我々も行ってきます。ニコス、申し訳ありませんが片付けをよろしくお願いしますね」

 タキスがそう言うと、寄ってきたベラの首筋を掻いてやりながら振り返った。

「レイ、折角ですから、他のラプトルにも乗ってみますか?」

「良いの! 乗りたい!」

 他のラプトルに乗れると聞き、嬉しくて飛び跳ねた。

「じゃあ、ベラに乗ってみますか。ポリーとは背の高さが違いますから、かなり難しいと思いますけど、どんなラプトルでも自由に乗りこなせないと、乗れる様になったとは言えませんからね」

 にっこり笑って、ベラの手綱を渡した。


 自信満々で手綱を受け取ったレイが、思ったよりも高いベラの鞍に跨がれずに何度も失敗し、必死で飛び跳ねているのを、二人は苦笑いしながら後ろから見守っていた。

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