失敗
「では、こちらへどうぞ」
レイは執事の案内で一旦会場を抜けて裏へ回り、正面に造られた簡易の舞台の横にある衝立の裏に立っていた。
手にはいつものニコスから貰った大切な竪琴がある。
今、舞台ではやや年配の女性達による合唱が披露されていて、その優しい歌声を聞きながら、レイは小さなため息を吐いた。
先ほど、マイリーやルーク達から言われた言葉を噛みしめる。
恵みの芽。
今の自分にそんな価値があるだろうか?
考えたところで、その答えは自分の中には無い。
もう一度小さくため息を吐いたところで、ブルーのシルフが現れて肩に座った。
『どうした? そんなため息ばかり吐いて』
優しい笑みを含んだ声でそう言われて、もう一度ため息を吐いたレイはブルーのシルフにそっとキスを贈った。
「ちょっとね。なんだか色んな事を考えてたら、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃったんだ」
『おやおや、それは大変だな』
面白がるようにそう言われて、レイは眉を寄せた。
「もう、僕が真剣に悩んでるのに面白がってる」
『考えたところで、今の其方の中に答えは無いよ。それよりも、何の曲を演奏するのだ?』
話を変えるようにそう言われて、小さく笑ったレイは竪琴をそっと撫でた。
「さっきの執事さんに、何人もの方から演奏を希望されているから、よければ二曲演奏してくださいって言われたんだ」
『ほう、それは大変だな』
「うん。それで思ったんだけど、今日の夜会は殿下とティア妃殿下のご成婚を祝うための夜会でしょう。だからおめでたい曲が良いよね」
『ああ、そうだな。それで何にしたのだ?』
「一曲はさざなみの調べ。これは僕の竪琴を聞きたいって仰ってくださった方々への曲だよ。それに、この曲はお祝いの席で演奏する事も多いって聞いたからね。それで二曲目には、公式の場で演奏した事は無いけど、祝福の花束を捧ぐ、あの曲にしようかと思って」
その曲は、弦楽器のための曲で、それぞれの楽器に合わせた楽譜がある。単独で演奏する事も出来るし、複数の弦楽器で演奏する事も可能な曲になっている。
華やかな曲なので、これも婚礼などの祝福の席で演奏する事も多い曲だと聞いた覚えがある。
ブルーのシルフの横に現れたニコスのシルフ達も揃って笑顔で頷いてくれたので大丈夫なのだろう。これで演奏する曲は決定した。
どちらも演奏者の技量が問われる曲だが、今の自分なら大丈夫だろう。
少しは自分でも出来ると思える事が増えたような気がして、レイは嬉しくなってきた。
「よし、頑張るぞ」
小さく呟いた時、拍手と共に歌っていた女性達が下がって来た。行き交う時に一礼されて、レイも竪琴を抱えたまま礼を返す。
こんな風に舞台から降りる際には次の奏者に礼をするのも密かな習慣で、当然のように交わされるこんなちょっとした仕草にも何だか嬉しくなる。
気づけば、さっきまでの気鬱はすっかり晴れて、なんだか楽しくなって来た。
きっと演奏も上手くいくだろう。何となくだけどそんな気がして更に嬉しくなった。
小さく深呼吸をして舞台に上がる。
執事が用意してくれていた椅子に座って軽く一礼すると、そのまま特に挨拶なども無く演奏を始めた。
一曲目は、以前も演奏した事がある、さざなみの調べ。
竪琴特有の、流れるような上下する音の繋がりが水面の様子を表した曲で、穏やかな水面と荒波を現した激しい部分などの強弱がある曲で、弾き手の技量が問われる曲となっている。
引き始めて間も無く、あちこちから感心するようなため息が聞こえて、レイは嬉しくなって自然と優しい笑顔になる。
竪琴を弾いていると、どうしても前かがみになりがちだし、気付けば眉間にシワが寄っている事も多い。なので、いつも意識して背筋を伸ばして笑顔であるように心がけているのだ。
最後は優しく爪弾く音が流れ、無事に一曲目の演奏が終了した。
その時気配を感じて舞台の袖を見ると、マイリーとヴィゴが二人ともヴィオラを手に控えているのが見えてさらに嬉しくなった。
どうやらレイの次には彼らが演奏するらしい。
拍手が収まるのを待って、改めて竪琴を抱え直す。
二曲目は、祝福の花束を捧ぐ。
前半は軽く爪弾くような転がる音が続き、後半には先程のさざなみの調べのように、竪琴特有の流れるように上下する音の繋がりが続く。
後半の山場にかかって一気に掻き鳴らすような音が続いたその時、嫌な軋むような音がして真ん中辺りの弦が二本、突然弾けるようにして切れたのだ。
丁度弾いていた右の人差し指が、その切れた弦に弾かれてしまい激痛が走る。
驚きと痛みで、一瞬演奏が止まる。
人差し指の先は、弾かれた拍子に赤くなっていたが切れてはいない。
しかし、一番よく使う弦が二本も切れてしまってレイの頭は真っ白になってしまった。
今、どこまで弾いていたっけ?
いや、それよりも今切れた二本の弦が無ければこの後の和音の部分の演奏が出来ないのに。
どうすればいい?
一瞬でパニックになったレイは、竪琴を抱えたまま動けない。
実際に演奏が止まったのはごくわずかの間だったが、レイにとっては永遠に近い時間に感じられた。
ニコスのシルフ達が、必死になって別の弦を指差して代わりの演奏方法を教えてくれているのに気付き、なんとか演奏を始めたが、リズムもずれて音に乗れず全然上手く演奏が出来なくなってしまった。
会場から戸惑うような騒めきが聞こえて更にパニックになる。
赤くなった指先が震え、違う弦を引っ掛けてしまいまた演奏が止まる。
もう、パニックのあまり息が上手く出来ない。
小さく笑った誰かの声が聞こえて、恥ずかしさの余り涙があふれそうになり必死で堪える。
もう、このまま消えてしまいたい。
ニコスのシルフ達は、必死で次の弦の場所を示してくれているが、指先の震えは止まらない。
その時、優しいヴィオラの音が聞こえて驚きに顔を上げる。
ヴィゴとマイリーの二人が、先程までレイが演奏していた祝福の花束を捧ぐを演奏しながら舞台に上がって来たのだ。そのままレイの両横に立って演奏を続けた。
それと同時に、屈んだままの執事が別の竪琴を抱えて小走りに出て来て、それを後ろからレイに渡してくれた。
手渡されたそれは、軸の部分に簡単な彫刻が施されただけの一般的な竪琴だ。だが綺麗に張られた弦を見て別の意味で泣きそうになった。
レイは、ニコスから貰ったこの一台だけしか竪琴を持っていない。
なのでこれは誰か別の人の竪琴だ。誰かが、レイの竪琴の弦が切れたのを見て、自分の楽器を貸してくれたのだ。
震える手で受け取って、弦の切れたニコスの竪琴を執事に渡す。
その間中、マイリーとヴィゴが演奏を続けてくれている。
竪琴を抱え直して背筋を伸ばしたレイは、すぐに演奏を再開した。
音を聞けば、どの部分か分かる。必死になって二人のヴィオラの音に続いて竪琴を演奏した。
最後の部分をもう一度繰り返し演奏して、なんとか演奏を終える事が出来た。
暖かな拍手に立ち上がったレイは深々と頭を下げた。
ヴィゴとマイリーを見ると笑顔で頷いてくれたので、二人にも一礼してからレイは貸してもらった竪琴を抱えて舞台から下がった。
あとで、誰の竪琴だったのか聞いてお礼を言わないといけないだろう。
そんな事を考えながら、また震え始めた足を叱咤してなんとか平静を装って衝立の奥に下がった。
温かな拍手に泣きそうになりながら。
ブルーのシルフとニコスのシルフ達は、そんなレイを心配そうに少し離れたところから黙って見つめていたのだった。




