足りない経験値
「レイルズ様、そろそろお支度をお願いします」
城にある竜騎士隊専用の部屋で休んでいるレイの元に、第一級礼装の上着を持ったラスティが入って来た。
しかし、部屋は静まり返っている。
「おやおや、お疲れのようですね」
ソファーで毛布に包まって熟睡しているレイを見て、ラスティは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
毛布から見えているふわふわの赤毛が、見事なまでに絡まって鳥の巣のようになっていたのだ。
「レイルズ様、起きてくださらないと困った事になりますよ」
そっと手をかけて、軽く揺すってやる。
「ふえ、え?」
目を覚ましたレイは、訳が分かっていないらしく、目を瞬いて呆然としている。
「レイルズ様、今すぐに起きて洗面所へ行ってください。そうでなければ、そのままのお髪で夜会に出る事になりますよ」
笑いを堪えたラスティの言葉に、ようやく我に返ったレイが呻き声を上げてクッションを抱きしめる。
「またやられた〜もう、僕の頭はおもちゃじゃないって言ってるのに」
笑いながらそう叫び、手をついて起き上がった。
「お手伝いしましょう。これはちょっと一人で立ち向かうには強敵だと思われますよ」
もう、我慢せずに笑い出したラスティにそう言われて、レイは笑ってまだ前髪を引っ張っているシルフを突っついた。
「もう駄目です。遊びの時間は終わりだよ」
笑って逃げるシルフに舌を出して、立ち上がったレイはラスティと一緒に洗面所へ向かった。
「うわあ、酷いこれ。何がどうなってるの!」
洗面所から聞こえたレイの情けない悲鳴に、シルフ達は大喜びで手を叩き合って笑っていたのだった。
「もう、僕の髪の毛で遊んじゃ駄目だってば」
大格闘の末、なんとかいつもの髪に戻ったレイが洗面所から出て来ると、集まってきたシルフ達は揃って笑い転げた。
『だって可愛いんだもん』
『大好きなんだもん』
『クルクルふわふわ』
『大好き大好き』
「好きになってくれるのは良いけど、今は駄目です」
笑ったレイの抗議に、またシルフ達が笑う。
「レイルズ様、とにかく先に夕食をお召し上がりください。このままだと食いっぱぐれてしまいますよ」
ラスティに言われて、慌てて椅子に座るとすぐに、用意してくれていた早めの夕食がワゴンに乗って運ばれて来る。
「他の皆は?」
一人で食べるのは気が楽でいいのだが、このあと夜会があるのなら、皆もここにいるのではないのだろうか?
「皆様お忙しいようで、まだ誰もお戻りになられていませんね。ここで待つように言われておりますので、まずはお食べください」
なんとなく、自分だけ取り残されているような気になってしまい、小さくため息を吐いた。
目敏くそれに気づいたラスティが、スープを用意していた手を止める。
「どうかなさいましたか?」
優しい声でそう言われて、レイは慌てたように顔を上げて首を振った。
「何でもないです。えっと、僕だけ呑気に昼寝してて申し訳ないなって思っただけです」
しかし、そう言ったきり小さなため息を吐いて俯いてしまった。
用意したスープをレイの目の前に置いてから、ラスティはレイの横にしゃがんで視線を合わせて俯く彼の肩を叩いた。
「何度でも申し上げますよ。今のレイルズ様がやらねばならない事は、多くの人と接し、様々な物事を知り覚える事です」
しかし、レイは頷きつつも顔を上げようとしない。
小さく深呼吸をしたラスティは、改めてしゃがみ、下から俯くレイの顔を覗き込んだ。
「では、敢えて一つ厳しい事を言わせていただきます。レイルズ様は、他の竜騎士隊の皆様方に比べて決定的に劣っている事があります。それが何かわかりますか?」
少し厳しい声でそう言われて、驚いたレイが目を見開いて顔を上げる。そのまま縋るようにしてラスティの腕を掴んだ。
「教えてください。どれ一つとっても皆に勝てる事なんて全然無いと思うけど、僕に足りないのはなんですか?」
必死になって自分を見るレイに、ラスティは言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。
「それは経験です。人生経験と言ってもいいでしょうね。それは人と接し、話を聞き、また自分から話をして人の心を掴む。相手の気持ちを考え、何を求められているのかを察して先回りして配慮する。ですがどれ一つとってもそう簡単ではありませんよ。例えば話をするにしても、その場で決して聞いてはならない事もあれば、絶対に聞いた方が良い事もあります。それをすぐにその場で察して話題にしたり話をさりげなくそらしたりする。或いは、言葉の裏に隠された本音を読み取る。いかがですか?」
それを聞いて、泣きそうな顔で必死になって首を振る。それはまさに、レイが最も苦手としている事だ。
今は殆どの場合、相手が話題を振ってくれるので夜会などでも会話自体は苦労しない。特に知らない事を素直に尋ねると、大抵の場合は笑顔で教えてくれるからだ。
だがそれは、彼がまだ十代の見習いだからこそ許されているのだろう。だけど、じゃあどうすればいいかなんて言われても、さっぱり分からない。
本気で泣きたくなってきたら、ラスティが小さくため息を吐くのが聞こえてさらに悲しくなった。
「レイルズ様。落ち着いてください」
優しい声でそう言われて、一度深呼吸をしてからようやく顔を上げた。
「今、申し上げたような事は、街で、多くの人の中で生きていれば自然と身に付く事がほとんどです。ですがレイルズ様は今までわずかな村の人達との生活と森の家族だけの、いわば知っている人しかいない生活しか知りません。多くの他人の中で生活したのは、ここに来てからだけでしょう?」
事実なので頷くと、ラスティは笑ってそっとレイの頬に手を添えてごく軽く叩いた。
「ですので、レイルズ様の他人との接した経験は、たった二年分しかありません。最低でも二十年以上の経験がある方々と、同じ事が出来たらそっちの方が驚きですよ」
「そんなの、永遠に埋まらないよ。僕が一年経験したら、他の皆も一年経験するんだもの」
口を尖らせて文句を言うレイに、ラスティは小さく笑って頷いた。
「ええ、そうです。年齢の差とは、すなわち経験の差ですから決して追いつくことはありません。ですので、レイルズ様がすべきことは、先ほど申し上げた通り、多くの人と会い、時には構いませんから失敗もして、とにかく色んな経験をする事です。夜会に出る。面会に同席する。勉強会に参加する。精霊魔法訓練所へ行く事だって大事な経験です。近い年齢のご友人が増えたでしょう?」
「それは確かにそうだけど……」
「今はそれで良いんですよ。多くの人と会い、話し、知らない事を知る。そうやって経験を積んで行けば、こういった時に人はこんな風に考える。という風に、他人の心や考え方がだんだん分かってきます」
「分かるようになるかなあ」
自信なさげなその言葉に、ラスティは小さく笑って首を振った。
「レイルズ様は充分に頑張っておられますよ」
しかし、レイはその言葉をそのままには受け取らず、慰められたと思って何度も首を振った。どう考えても今の自分には、誇れる、出来る事なんて一つもありはしない。
「奢り高ぶれとは申しませんが、せめてご自分の頑張りは認めてください」
「そんなの無理だよ」
眉を寄せるレイを見て、ラスティが小さく笑う。
「謙遜は美徳ですが、過ぎる自己否定はいけませんよ」
言い聞かせるような優しい言葉に、小さく頷く。
「さあ、まずはお食事をお召し上がりください。あまり難しく考えずに、見習いの間に気軽に失敗をすればいいんですよ。その時に笑われても、皆すぐにそんな事忘れます」
「以前、カウリにも同じことを言われたけど、やっぱり笑われるのは嫌だよ」
「まあ、これも経験ですよ」
笑って背中を叩かれ、とにかく食事を食べる事にした。
お皿の横では、ブルーのシルフが二人の会話を真剣な顔で聞いていたし、ニコスのシルフ達も同じく真剣な顔でラスティを見つめていた。
今のラスティの話は、彼らの考えとほぼ同じだったからだ。
『ふむ、失敗をさせるというのは案外難しいな』
『そうですね』
『ですが出来れば今の内にいろいろな失敗をして欲しいのは確かですね』
一番大きなニコスのシルフの言葉に、ブルーのシルフも大きく頷く。
『まあ今は様子見だな。周りも色々と考えてくれておるようだしな』
『そうですね』
苦笑いしたニコスのシルフの言葉に、ブルーのシルフももう一度大きく頷いたのだった。




