家族の絆
「タキス、レイ、もう大丈夫だぞ」
家へ戻ったニコスが部屋の扉をノックするが、中からの反応がない。
「……どうした?」
そっと扉を開けると、二人はソファに並んで座ったまま寄り添って眠っていた。
「何だよもう、人が心配してるのに、二人揃って呑気に昼寝か」
笑いながら近寄って、レイの頭をそっと突いた。
全く反応が無い。
レイの胸に顔を埋めるようにしたままのタキスも、ぐっすり眠っている。
「仕方がないな」
ため息を吐いて苦笑いすると、そのままそっと部屋を出た。
台所へ戻ると、手を洗ってから、机に転がる玉ねぎを手に取って、無言で刻み始めた。
畑に戻ったギードも、何事も無かったようにノーム達に合図をして、作業を再開した。
その日の夜の食卓は、不自然な程いつも通りだった。皆、分かっているだろうに、そ知らぬふりをしている。
でも、レイは何があったのか、聞きたくて仕方がなかった。
食事が終わり、いつもの食後のお茶を入れてもらってから、レイは、自分から話を切り出した。
「ねえ、聞いてもいい?」
一瞬のためらいの後、皆、笑って頷いてくれた。
「昼間の騒ぎ、何があったの? 誰か来たって、何処から? 何をしに来たの?」
ニコスとギードが顔を見合わせた後、ニコスがお茶菓子を出しながら、少し考えて答えてくれた。
「あまり良い話ではありませんよ。蒼竜様の事が、街の人間達に知られてしまったようなんです。それで、近くの森にある砦から、調査の為の軍人が来たんですよ」
嘘はついていない。
「えっと、それって……どうして良くないの?」
レイは、本当に分かっていないみたいだった。
ニコスは、決心した。
彼は賢い。問題を迂闊に隠すと、何かあった時に彼を不安にさせるだろう。最悪、こちらが信頼を裏切る事にもなりかねない。
「レイ、貴方は古竜である蒼竜様の主です。貴方はその事を特に重要とは考えていないようですが、本当は、それはとんでもない事なんですよ」
「……えっと、どうして?」
心底不思議そうに首を傾げる彼を見て、ニコスは首を振った。
立ち上がり側に行くと、そっと跪いて手を取った。
「例えば、貴方を味方に付ければ、蒼竜様も間違いなくついて来ますよね。今の私達の様に」
「えっと、味方って言うか家族だよね。それに、一方的にお世話になってるのは僕の方だと思うけど」
困った様に笑って言うと、ニコスの手を握り返した。
「つまり、これから先、僕に、ブルーの力が目的で近づく奴がいるかもしれないって事?」
やはり彼は聡い。
こちらの言いたい事を、半ば無意識にだが正確に理解している。
「はっきり言えばそうです。この森にいる限りは、我々や蒼竜様、精霊達が貴方を守ります。ですが、私達とて、人の暮らしと、全く切り離された生活をしている訳ではありませんからね。それに、これから先……いつ迄も、貴方が此処にいるとは限りませんから」
思わず、握ったレイの手に左手を重ねた。
「僕は此処にいるよ」
笑って無邪気に答える姿に、胸が痛くなる。
「闇の眼と戦った時のことを覚えているでしょう?蒼竜様の力は、それは桁違いに強い。その力を欲しがる者は多いでしょう。これから先、もし外に出れば、貴方には常にそういった者達の、好奇の目が注がれるのですよ」
レイは真剣な顔で、話を聞いてくれている。
「今回は、どうやら蒼竜様の存在だけで、貴方の事はまだ知られていないようでした。ですが、いずれ貴方の存在も彼らに知られるでしょう。そうなった時に、我々だけで貴方を守りきれるかどうか……」
「大丈夫。僕の家は此処で、僕の家族は此処にいる貴方達だよ。いざとなったら、僕が貴方達を守る」
笑って簡単に言われて、皆呆気にとられた。
「皆には、本当に感謝してる。だから、何があっても、今度は、僕が貴方達を守るから安心してね」
「貴方って人は……」
泣きそうな顔でニコスが笑う。タキスとギードも、側に来てレイの背や髪を何度も撫でた。
「あんなに悩んでいたのが、何だか馬鹿馬鹿しくなってきましたよ。そうですね。貴方には蒼竜様が付いていますからね。何があっても大丈夫でしょう」
ニコスの言葉に、タキスとギードも、泣きそうなのを堪えて笑った。
「そうですね。本当に頼りにしてますよ」
「全くだ。頼りにしてるぞ」
そう言って、横からそっと抱きしめた。
誰もが、この時が永遠に続けば良いのにと、願わずにはいられなかった。
それぞれに傷を抱えた者達が寄り添うこの家には、無邪気な彼の存在がどれほどの救いになっているか、おそらく知らないのは本人だけなのだろう。
「人間ってのは、どんな環境にも慣れるもんだな」
見張りの塔から北西方面を中心に警戒しながら、マークは感慨深げに呟いた。
塔から見下ろす中庭には、今日も竜が二匹、仲良く並んで座っている。
此処の厩舎は、竜が入るには小さすぎるらしく、二匹はいつも、砦にいる時は中庭にいる。
中庭に竜がいる、この光景にも二日で慣れた。
竜騎士様とはあれからお会いする事も無いが、噂では、気安く食堂で、一般兵に話しかけたりしているのだそうだ。
王都の兵舎などでは、食堂も一般兵と士官では、場所が違うそうだが、此処にはそんな設備は無い。士官も一般兵も、同じ場所で同じ物を食べている。
「確かに気さくなお方だったもんな」
黒髪の竜騎士様は、本当に気安く話しかけてくださった。
「それにしても、一体何の検査をするんだろう……」
第二部隊の兵士から、今日の午後に適性検査をするので、先日の会議室に、午後の一点鐘の鐘が鳴ったら来るように言われている。
もう、はっきり言って不安しかない。
あの時見えた、あの不思議な小さな少女は、一体何者なんだろう。
いくら考えても全く分からない。
「おい、交代だ。お前、午後から何かあるんだろ。早く飯食っておかないと、食いっぱぐれるぞ」
少し早めに上がってきてくれた先輩に礼を言い、見張りを交代した。
塔の入り口で、交代した事を報告したら休憩時間だ。
「さて、昼飯だ」
大きく伸びをすると、兵舎の横にある食堂へ向かった。
以前は交代で食事当番があって、ろくな食事ではなかったが、今は専門の衛生兵が、毎日きちんと栄養を考えられた献立で作ってくれるのだ。
「飯は美味くなったよな」
呟きながら食堂に入ったところで、思わず足が止まった。
目の前に、竜騎士様が出てこられたからだ。
思わず横に寄り、反射的に直立して敬礼した。
敬礼を返してくれてすれ違った時、黒髪の竜騎士様が振り返った。
「あれ、君、あの時のマーク二等兵だよね」
「は、はい! あの時は大変失礼致しました!」
竜騎士様が、自分の名前を覚えていてくれた。もうそれだけで心臓が飛び跳ねている。
「今日、適性検査なんだってね。無理せず自然体でね」
笑って肩を叩かれた。
「ありがとうございます!」
一体何の礼だよ。せっかく声をかけてくださったのに、酷い返事に脳内で自分で自分に呆れた。
「ああ、あの時の新兵だな。そうか、今日、適性検査なんだな。良い結果を期待してるぞ」
茶色の短髪の竜騎士様にまでそう言われて、もう頭の中は真っ白だ。
そして、周りの視線が怖い。
「それじゃあね、検査のコツは自然体だよ」
黒髪のお方にもう一度肩を叩かれて、去っていく後ろ姿が見えなくなるまで敬礼を続けた。
「お、お前、なんで竜騎士様と普通に話ししてるんだよ」
フィルが、慌てて駆け寄ってくる。
「こっちが聞きたい。ってか、何を期待されてるのか、俺、本気で全然分からないんですけど!」
半泣きになりながら叫ぶように答えると、周り中大爆笑になった。
食事をしながら、先日の会議室での一件をフィルに説明した。
「透き通った小さい少女って、何だよそれ。夢でも見てたんじゃ無いのか?」
「俺だってそう思ったよ。だけど、だけどどう考えても、竜騎士様にも見えてたんだって」
二人揃って首を傾げた時、隣で食べていた年配の兵士が机を軽く叩いた。
「横からすまん。聞こえちまったから教えてやるよ」
教えてくれると言われて、思わず座り直した。
「良い態度だな。お前さんが見た、その小さな少女は、精霊だよ」
パンをちぎりながら、自信満々に言われた言葉に首を傾げる。
「精霊って……でも、そんな簡単に見えるもんじゃ無いでしょ?」
普通の人間にとっては、精霊なんて物語の中の存在だ。
「普通はそうだろうがな。時々お前さんみたいに視える奴がいるんだよ。まあ、それにもいくつか段階があって、視えるからと言って誰でも精霊使いになれる訳じゃ無い。お前さん、子供の頃に、他の人には見えない不思議なものを見た事はないか?」
そう言われて思い出したのは、子供の頃の記憶だ。
夜、寝る頃になると、真っ暗な部屋に、いくつもの小さな光が飛び回っていたのだ。それは時々こっちに来て、手の上や鼻の先に止まり、また飛び立ってしまう。気まぐれで不思議な光をずっと見ていたら、いつの間にか寝てしまうのだ。なので、あれは夢だと思っていたのだが……。
「そりゃあお前さん、そいつは間違いなく精霊だぞ。今も視えるのか?」
「いえ……そう言えば、いつの間にか見えなくなりましたね」
「なら、元々適性があったのに、見えなくなっていたのが、何かの弾みでまた視えるようになったって事だな。おめでとさん。視える人材は本当に貴重だから、適性検査の結果次第で大事にされるぞ」
年配の兵士は、豪快に笑うとマークの背中を力一杯叩いた。
「ゲフッ!」
仰け反って痛みをこらえていると、その兵士は少し寂しそうに笑った。
「俺も、子供の頃は視えていたんだよ。でも、大人になる頃にはピタリと視えなくなった。俺の父は精霊使いの補助のような仕事をしていたから、その辺りは詳しく知ることが出来た。視えなくなった時には、周り中に残念がられたもんだよ」
「あ、ありがとうございます。どうなるかわかりませんが、適性検査、頑張ります」
痛みをこらえて礼を言うと、首を振って笑われた。
「適性検査は頑張るな。肩の力を抜いて楽しいことでも考えてろ。なんなら、別嬪の姉ちゃんの事でも考えてりゃいい」
そう言って、また背中を叩かれた。
「い、痛いです。ええ? どう言う事ですか、頑張るなって?」
「言葉の通りだよ。頑張ったところで視えるもんじゃ無い。出来るだけ自然体でいれば、視えるもんは視える。駄目な時は何をやっても駄目なのさ。ま、あまり深く考えるな。肩の力を抜いて深呼吸でもしてみるこった」
立ち上がると、食器を片手に、背中を今度は優しく叩かれた。
「それじゃあな若いの、お前さんの未来に幸多からん事を」
「あ、ありがとうございました!」
立ち上がって礼を言うと、振り返りもせず、片手を上げて手を振って行ってしまった。
「あ、そろそろ時間だ。ごめん、じゃあ行ってくるよ」
残った最後のパンを飲み込んでから、食器を手に急いで立ち上がった。
「頑張れよ若いの」
「いや、頑張っちゃ駄目らしいぞ」
「そっか、なら別嬪の姉ちゃんの事でも考えてろ」
何人もの兵士達が、笑いながら手を振ってくれた。
「あ、ありがとうございます! いってまいります」
食器を手にしたまま敬礼すると、皆が笑いながら敬礼を返してくれた。




