昔語りとギードの約束
「そ、それは……」
言葉が続かず、呆然とするギードの手を取ったまま、レイは振り返ってエントを見上げた。
「えっと、どう言う事? 血族って?」
エントは黙ったまま、二人を見ている。
『さて、どれくらい前になろうかの……我には、人の世の、時の流れは早すぎる故な……』
「我の知る限り、おそらく五百年は昔であろう」
ブルーの声に、レイは見上げて首を傾げた。
「えっと……」
「人の子には、想像もつかぬほどの昔だな。それでも、そこには様々な国があり、街があり、世界は不安定ながらも、歳月を重ねておった」
戸惑うレイに、分かりやすくブルーが教えてくれる。
『その当時、ここには豊かな鉱山があり、多くのドワーフ達で賑わっておった。懐かしいの……』
エントは、当時を思い出すかの様に目を閉じた。
それだけで、彼は捩くれた幹を持った大樹に戻る。
「ワシの……ワシの祖先の失われた故郷が、まさかこの地であったとは」
ギードは、呆然と呟くと、空いた左手で顔を覆った。
『古の誓約により、ここより北の大地は開拓出来ぬ。それ故に、ドワーフ達は地下へ潜った。深く……深くな』
「以前、ギードが言ってた、何か災害があってドワーフ達がここを離れたって言う、あの事?」
レイが、ギードの顔を見ながら尋ねる。
その問いに答えたのは、背後のエントだった。
『ドワーフ達は、掘り出してはならぬ物を見つけてしもうたのだ……哀れなり。欲にかられ、深く掘り過ぎたのじゃ』
腹の底に響く様な、低い、低い声でそう呟く。
「な……何が、何が出たのでございますか」
縋る様にレイの手を握ったまま膝をつき、ギードが声を振り絞って叫ぶ様に問う。
『開けてはならぬ扉じゃ』
「開けてはならぬって、どうして? 扉は開けるものでしょ?」
レイが、不思議そうに言った時、ようやく我に返ったタキスとニコスが動いた。
「レイ、待ってください」
そう言って、タキスがレイの肩を叩き、横に立った。その側にニコスも寄り添う様に立った。
「森の太古の守護者たる、エントの大老にご挨拶申し上げます。我は、タルキス・ランディア。竜人の末裔に連なる者なり」
「森の太古の守護者たる、エントの大老にご挨拶申し上げます。我は、ニコラス・ベルンハルト。同じく、竜人の末裔に連なる者なり」
二人はそう言って跪き、両手を握り合わせて額に当てる様にして頭を下げた。
『竜人の子か。森におる者達だな。良い良い、楽にされよう』
二人の丁寧な挨拶に、目を開いたエントは嬉しそうに言った。
「ありがとうございます」
二人は、声を揃えて礼を言うと、ゆっくりと立ち上がった。
「大老、恐れながら、これは我らの様な幼き短命の者が聞いても良いお話なのでしょうか?」
ニコスが、エントを見上げて問い掛ける。
『ほうほう、竜人の子等は、なかなかに聡い』
感心した様に笑うと、蒼竜を見た。
『蒼き竜の子よ、其方には解っていよう。古より、この地が何を守っておるのか』
「大爺……お主、何が言いたい」
ブルーの声が低くなる。
『ほっほっほ、怖い怖い。そう安易に覇気を向けるな』
全く怖がる様子もなく、からかう様に笑って、エントが目を瞬く。
突然怒り出した蒼竜に、三人の大人達は声も無い。
レイも驚いて、ギードの手を離すとブルーの側へ走った。
「ブルー、どうしたの?何を怒ってるの?」
落ち着かせる様に、ブルーの額に手をやり、何度も撫でる。それから、その額にキスをした。
「当然知っておるぞ。それ故に、我はここの泉を棲家としたのだろうが!」
怒りを隠そうともせず、エントを睨んだままそう答える。
『古竜であるお主もまた、古の誓約に縛られる身。なれど動くことの出来ぬ我よりも、自由は多かろう』
「同じ事だ」
吐き捨てる様に言うと、体を震わせ頭を振った。それから、気持ちを切り替える様に、レイの体にゆっくりと頬摺りした。
ブルーの機嫌が落ち着いたのが分かり、レイは安心した様に笑うと、もう一度大きな額にキスをした。
その仲睦まじい様子を見ていたエントが、改めて話し始めた。
『其方は、誠に良くやってくれておる。動けぬ我の代わりに様々な事をな……なれど、要石は一つで良い。其方はもう一人では無い。主の事を何より第一に考えよ。これは年寄りからの忠告じゃ』
無言でエントを睨み返す蒼竜に、レイがもう一度落ち着かせるようにキスをした。
振り返ってエントを見上げると、レイは困ったように首を傾げてからギードを見た。
「えっと、僕にはよく分からないお話なんだけど、主って僕の事でしょ?さっきのお話とどう繋がるの? 」
ギードは、まだ呆然と座り込んでいたが、なんとか顔を上げると、改めて跪き、両手を握りしめて頭を深々と下げた。
「愚かで強欲な祖先に代わり、心からのお詫びを申し上げる」
『詫びには及ばぬ。まだ、我の知る場所にて起こっただけ、良しとせねばならぬ……ノーム達にすぐに対応させたが、結果、鉱山は荒れ果ててしもうた』
ギードは、目を閉じて何度も首を振り、真っ白になる程、両手を握りしめた。
『その際、ドワーフ達の多くはこの地を去った。其方の血族は、最後までここを守ってくれた。申し訳ない事をした。その働きに、山と森は充分報いてやれなんだ』
低い呟きに顔を上げると、ギードはきっぱりと言い切った。
「それは違います。ワシの聞いた話では、災害の後も祖先の者達は、ここで原石を掘り、鉱石を掘り、宝石を磨き剣を錬えました。良き場所であったと聞いております。祖先が何故この地を離れたのかは、今となっては定かではございませんが、悪しき言い伝えはございませぬ」
『そう言ってもらえるのなら、ノーム達も喜ぶであろう』
話についていけず、困ったレイは、ブルーに助けを求めた。
「ブルー、僕にも分かるように教えて」
面白そうにレイを見ると、少し考えて話してくれた。
「あのドワーフの祖先は、この地にて仲間と共に悪しき物を掘り出しかけた。だが、それに気付き、ノーム達と共にそれを地中深くに封印したのだよ。恐らくその時に鉱山に深刻な被害が出たのであろう。多くの仲間が山を見限り去った後も、彼の祖先は、この地を守り鉱山を守り続けた。ドワーフの勇気ある行動に、尊敬と感謝を」
立ち上がったギードは、蒼竜の言葉を聞き、また涙を流した。
「そのお言葉だけで、全てが報われます。皆、この地に帰りたがっておりました。まさか、絶望と流浪の果てに辿り着いた最後の地が、その場所であったとは。運命とは分からぬものでございますな」
『ここにおってくれるか、ドワーフよ』
静かなエントの声が響く。
「お誓い致します。森の守護者たる、エントの大老よ。我が名はギルバード・シュタインベルガー」
そう言うと、もう一度跪き、握りしめた両手に額を当てて俯いた。
「この命尽きるまで、この地を守り、山を守ります。大地の民の誇りを忘れず、この地の事を仲間に伝えます。決して絶やしてはならぬこの山の事を」
そう言って顔を上げたギードの目には、もう涙は無かった。
晴れ晴れと笑うと、立ち上がってレイの手を取り抱きしめた。
「ありがとうございます。ワシの唯一の心残りであった大切な友との約束を、思いがけず果たすことが出来ました。精霊王の御許にいる彼らにも、この声は届いておる事でしょう」
レイの額にキスをすると、抱きしめた手を緩めて蒼竜を見上げて、笑った。
「蒼竜様、ここへ連れて来てくださって、本当にありがとうございました。お陰で、大切な友との約束を果たすことが出来ました」
「礼には及ばぬ。我は何もしておらぬ。なれど、役に立てたのなら良かった」
そう言って笑うと、一度翼を広げて伸びをした。
「やっぱり分からない。山を守るって? 絶やしてはならぬって、どうして?」
不思議そうに呟くレイに、ギードは嬉しそうに笑うと、もう一度その手を取った。
「この地は、先ほどのお話の通り、はるか地下にとんでもない厄災を持っております。もしもそのような地に大地の民がいなくなれば、地の力が弱り、悪しき者達が這い出して来るやも知れませぬ。そうさせぬ為には、鉱山を掘り続け、常に鉱山を生きた状態に保ち、ノーム達に力を蓄えさせる事が重要なのです。放置され荒れた鉱山には、悪しき者が容易く棲みつきますでな」
「友達との約束って?」
無邪気に聞くレイに、苦笑いすると握った手を叩いた。
「フォルクとトビアスと言うのは、ワシの同郷の幼馴染達でしてな、ある時親父殿と大喧嘩をして家を捨てた、馬鹿なワシを助けてくれた、冒険者の先輩じゃ。その二人は、世界中を旅しながら、遺跡や古の誓約について調べている歴史研究者でもあった。エントについても調べておったよ。そして、自分達の祖先の失われた故郷を探しておったのだ。彼らの話を聞くうちに、ワシもまた、自分の祖先の故郷を知りたいと思うようになった。それはワシが冒険者をする理由の一つにもなった」
深呼吸を一つすると、再び話し始めた。
「しかし、二人は病を得て精霊王の御許へ旅立ってしもうた。ワシは約束したんじゃ。彼らの探しておった我らの故郷を必ず見つけると。それなのに、結局迷うたワシには何一つ成せなかった。愚かな間違いで大切な仲間を損ない失う事になった。全てに絶望しておったワシには、酒場で聞いたこの地は、良い死に場所に思えたんじゃ。打ち捨てられた廃坑など、ドワーフの墓場にはうってつけであろう?」
泣きそうな顔で笑うと、タキスを見た。
「それなのに、辿り着いたドワーフの家には、ワシよりも死にたがっておる大馬鹿者がおったのだよ」
驚いて、レイもタキスを見た。
恥ずかしそうにタキスが笑って首を振った。
「だって、あの時の私は、本当にどうしたら良いのか分からなかったんですから」
「自分より死にたがってる者を見たら、助けずにはおれまい? お陰で、余計な事を考える間もなかったわい。結局、大馬鹿者が二人揃って共に暮らす事になった訳だよ。また、廃坑だとばかり思っておった鉱山は、細々とは言え、ノーム達が未だに守っておる、山を閉じて眠っておっただけの鉱山であったしな」
「ギード、生きていてくれてありがとう。それから、タキスを助けてくれてありがとう」
大きなギードに抱きつくと、その頬にキスをした。
「ギードやタキスが生きていたから、ニコスもここにいてくれて、僕が助けてもらえたんだね。ありがとう」
「そ、そんな風に言ってもらえたら……ワシも、成り行きとは言え、生きていた甲斐がありますな」
また泣きそうな顔でそう言うと、もう一度レイを抱きしめた。
「さて、そろそろ戻るとしようか。大爺、思わぬ良き事もあったようで何よりだ。騒がせて申し訳なかったな。どうか春までゆっくり眠られよ」
『うむ、誠に良き日であったわい。冬の間、よろしく頼む。また何かあれば呼んでくれ』
そう言うと、幹が動いてレイの前に来た。大きな目が二つ、レイを見て瞬く。
『竜の主となられた幼き雛鳥よ。其方のこれからの人生に幸多からん事を、そして、蒼き竜の子と仲よくな。竜人達、ドワーフとも仲良くするが良い』
そう言って、エントは笑ったように目を細めた。
「はい。仲良くって言うか、僕、全部お世話になりっぱなしだけど、頑張ります。ブルーも皆も、とっても良くしてくれるよ」
溢れるような笑顔で答えると、振り返ってタキスとニコスを見た。二人も笑って頷くと、レイの側へ来て、エントにもう一度跪いて、挨拶した。
「エントの大老にお目にかかれて、我らには、忘れられぬ日となりました。これからも、健やかで穏やかにあられますように。森の葉の下にて我らを守り給え」
ニコスの言葉に、タキスも同じように倣う。
『それでは我は眠ると致そう。良き雪が降るよう祈っておるぞ』
そう言うと、目を閉じた幹の一部は静かに元の場所に戻った。
後にはもう、巨大な大樹が枝を広げているだけだった。
「さあ、我の背に乗るがよい」
ブルーがそう言って伏せてくれた。
順番に登り、ゆっくりと浮き上がる。開いた枝の間から空に上がると、枝が動きあっという間に開いていた場所が無くなった。
「それでは戻るとしよう。日暮れにはまだ、しばしの間があるぞ」
その声を聞き、レイは急に振り返ってタキスを見た。
「タキス! 大変だよ!」
「ど、どうしたんですか?」
驚いて、抱きしめていた手を少し緩めてレイの顔を覗き込んだ。
「とっても大変です。僕達、お昼ご飯を食べてないよ」
全員同時に吹き出した。
「そ、それは確かに大変ですね……戻ったら真っ先にお昼にしましょう」
笑いをこらえてタキスがそう言うと、レイも笑いながら頷いた。
「ブルー、僕お腹ぺこぺこだよ。早く帰ろう」