少年達の戦い
地下の食料庫に、ニコスとギードの姿が見える。名前を呼びそうになって、必死に口を噤んで我慢する。
「うーむ、これでは四人分には、ちと心許ないのう」
「そうだな、他にも色々と足りなくなりそうだ」
「仕方がない。雪が降る前に、一度狩りに行ってくるわい」
「全く、迷惑な話だ。こっちの都合も少しは考えてくれ」
「ほんに、迷惑な事だ」
「迷惑な事だ」
場面が切り替わる。今度は居間で、タキスとニコスが話している。
「ずいぶん薬を使ってしまいました。売る分にまで手を付けてしまいましたので、もう一度薬草摘みからやらないといけませんね。本当に迷惑な事です」
「食材も足りなくなるぞ。今年は行かなくて済むかと思っていたが、街まで買い出しに行かなきゃならん。全く迷惑な事だ」
二人は、溜め息を吐いて、首を振った。
「街へ行くのなら、お金が要りますね。困った事です。今度は何を売りましょうか」
画面が暗転する。
再び目の前が真っ暗に戻った。
しかし、レイはそんな事には全く気付いていなかった。
今見た光景は、自分がずっと考え、密かに恐れていた事だ。自分が来た事で、皆に迷惑を掛けたのではないか、と。
あれだけ豪華な食事を食べさせてもらっても、自分には何の対価も払えないのに。
体の震えが止まらなくて立っていられず、その場に崩れるように座り込んだ。
『これで分かったであろう、お前の存在がどれほど皆に迷惑をかけておるか』
蔑むような口調で、迫ってきた一つ眼が笑う。
何一つ、言い返せなかった。
『あんな風に思われている家へ帰る? 何と愚かな子よ。どれ程心の中で疎まれておる事か。ああ、恥ずかしや恥ずかしや』
可笑しくて堪らない、と、言わんばかりに見開いていた一つ眼が細くなる。
「騙されないで。君の知るあの人達は、そんなこと言ったりするような人達なの?」
突然、目の前に一人の竜人の子供が現れてそう言った。
しかし、その姿はぼんやりとしていて、向こう側にいる一つ眼が透けて見える。
「騙されないで。奴は君の絶望を糧にする」
「君は……君は誰?」
誰を信じて良いのか、もうわからない。
目の前に現れたこの子供が、一つ眼の新しい罠かも知れないのに。
「僕の名はエイベル」
その少年は、迷う事なくきっぱりと名乗る。
「僕は……」
レイが名乗り掛けた時、エイベルと名乗った少年は手を出して、一本の指でレイの口を塞いだ。
「僕は死者の国にいる者だから、奴に名を知られても問題ない。輪廻の輪に戻るのに前世の名はいらないからね。でも君は違う。君は生きている。こんな所に居ちゃいけない」
レイの口を指で塞いだまま、少年はレイの手を力強く取って立たせる。半透明の体は、不思議と温かかった。
「お願い、これ以上父さんを悲しませないで。君は戻らなくちゃいけないんだ」
「……父さん?」
口から手を離してくれた、目の前の竜人の少年を見つめる。
以前、ニコスに言われた言葉を思い出す。
「こんな事をあなたに願うのは、いけない事かもしれませんが……どうか、彼の救いになってあげてください」
「なに、簡単な事です。元気でいつも笑っててください。そして、あなたの成長する姿を、彼に見せてやってくださればそれで良いんですよ」
そして、タキスが何度も自分を抱きしめて、とても悲しそうにしていた事を思い出した。
「君は……君は、あの人の子供なの?」
少年は、黙って頷いた。
『小賢しい。黄泉の国の住民ごときに何が出来ようか。まとめて我の糧としてくれるわ』
呆然と見ていた一つ眼が、こっちに迫ってくる。
「こっちだよ。手を離さないで」
手を繋いだまま、走り出すエイベルについて必死に走る。
「父さんを信じて、父さんの仲間を信じて、君の母さんを信じて。僕に言える事はそれしか無い。信じれば必ず道は繋がるから」
闇雲に走っているようだが、彼には道が分かるようだ。
いつの間にか、一つ眼が居なくなった。
「……奴が居なくなった?」
息が出来なくて苦しくて、転びそうになったら止まってくれたので、手を繋いだまま必死に息を整える。
「居なくなった訳じゃ無い。ここはまだ奴の中だから、何処かからこっちを……見て……」
不意に声が途切れ、エイベルの姿が、かき消すように居なくなった。
「エイベル? 何処?」
真っ暗な中、不安になって呼びかける。
「惑わされ……いで……奴の……」
途切れ途切れに聞こえた声も、断ち切られるように聞こえなくなった。
そのとき、微かな光の玉が、ふらふらと目の前に飛んできた。
『こっち……いて……きて……』
「さっきの光、じゃあ君は、あの光の精霊なの?」
まるで頷くように上下に揺れた後、目の前から動き始めた。
繋いでいた右手は、まだ握った感触がある。と言う事は、見えなくなったのは一つ眼の罠で、本当のエイベルはまだちゃんと側にいるのだろう。
「行こうエイベル。君と、光の精霊を信じるよ。それから、僕の大切な家族を信じる」
漆黒の闇の中にあって、微かな光を放つ精霊はとてもよく見える。心なしか先ほどよりも少し明るくなったようだ。
「そう、信じて。君の行く先には、君の大切な人達が待ってる」
嬉しそうな、エイベルの声が耳元で聞こえる。頷いて走った。
何も考えず、光の精霊に導かれて走った。
『何処へ行く。行っても誰もおらぬわ』
再び目の前に一つ眼が現れて嘲笑う。
「僕は、僕の大切な人達の所へ帰るんだ」
一つ眼を睨みつけて、大声で叫んだ。
『く、く、く、お前が想っておる程に、奴らはお前の事を想ってくれておるかのう。帰ったところで、迷惑がられるのが精々だぞ』
姿は見えないが、繋いだ右手を力一杯握る。確かに温かな手が、力一杯握り返してくれた。
一つ眼を睨みつけて、レイは思ったままを口にする。
「お前の言葉は何一つ信じられない。僕は、あの人達にたくさん迷惑を掛けた。今も掛けてる。それはお前の言う通りだ。そんな事、お前に言われなくったって僕が一番よく知ってる」
悔しくて歯を食いしばって俯いた時、見えない温かな手が、またしっかりと握り返してくれた。
勇気をもらい顔を上げて、もう一度、目の前の一つ眼を睨みつける。
「だけど、それでもあの人達は、ここに居て良いって言ってくれた。美味しいご飯を食べさせてくれて、温かな寝床と安全な場所を僕にくれた。それは事実だ。僕はそれで良い。もしも今、本当に迷惑がられているのだとしても、僕は帰る。これからいっぱいいっぱい頑張って、いつかあの人達にこの恩を返すんだ」
その言葉は、一つ眼を明らかに狼狽させた。
『何と傲慢で我儘な子供だ、自分さえ良ければ誰に迷惑を掛けても良いと言うのか、ああ傲慢なり、恐ろしや恐ろしや』
光に導かれて走るレイに、一つ眼はピタリと付いてくる。
『このような傲慢で我儘な子供だとは思わなんだわい、なれど帰る事はできぬぞ、ここは我の中、どれ程走った所で我の中から出る事はできぬ』
細くなった一つ眼が、右に左にレイの周りをぐるぐると回る。
「あと少し、もうちょっとだけ頑張って」
耳元で苦しげなエイベルの声が聞こえる。
息が上がり胸が痛い。それでも必死で走った。
前の見えない漆黒の闇の中を、微かな光を放つ精霊を追いかけて、大切な人達の待つ家へ帰るために、必死になって走った。
その時、エイベルが叫んだ。
「蒼竜、貴方の主を守れ!」
その瞬間、真っ青な激しい閃光が闇を切り裂いた。その裂け目に飛び込むように倒れ込む。
耳が破れそうな物凄い轟音と共に、闇が引き裂かれる。
直撃を受けて弾け飛んだ一つ眼の絶叫が響き渡った。
『おのれ! おのれ、小賢しい……あと、少しで、あったのに……口惜しや……口惜しや……』
一つ眼の譫言のような声が消えるのと同時に、闇が完全に消滅する。
倒れ込んだ場所は、先程とは違う、真っ白な空間だった。
目の前にはエイベルが笑って立っている。
繋いだ手はまだそのままだ。ゆっくりと引っ張って立たせてくれた。
「凄かったね。さすがは古竜の雷だ」
彼は笑ってそう言うと、そっと握った手を離した。
「さあ、君は帰るんだ。皆の待つ場所へ」
「エイベル……君はどうなるの?」
助けてくれた、竜人の少年を見る。
「僕はね、大好きな父さんに……とてもとても悲しい思いをさせてしまったの。それが悲しくて忘れたくて……早く輪廻の輪に戻りたかったんだけれど、精霊の王様が、僕にはまだ役目があるって、そう言ってくださって、だから王様の御許でのんびりお昼寝してたんだよ」
もう一度、そっとレイの手を取る。
「僕の役目は、君を導き、父さんの所へ帰す事だったんだね。今なら分かるよ、これは僕にしか出来なかった事だ」
「ありがとうエイベル、君のお陰で僕は帰る事が出来た」
二人の少年は、お互いの顔を見ると、照れ臭そうに笑い合ってしっかりと抱き合った。
「元気でね。君の人生に幸多からん事を」
「ありがとうエイベル、君の事、絶対に忘れない」
離れて、もう一度見つめ合う。エイベルが笑って手を上げる。
「さようなら、竜の主、僕の父さんの養い子、そして、僕の大切な友達……」
だんだんと、エイベルの姿が霞んで消えていく。
「待って、君の父さんに、何か……何か伝えたい事はある?」
それを聞くと、エイベルは笑いながら涙をこぼした。
「ありがとう、でも伝えたい言葉は、もうちゃんと伝えたからね。いつかまた、輪廻の輪の先で会える事を信じて、僕は……もう逝くよ……」
砂が風に散るように、その姿は消えてしまった。
「エイベル……君は、精霊王の最後の問いに、ちゃんと答える事が出来たんだね……」
そっと目を閉じて、精霊王への感謝と、死者への弔いの祈りの言葉を口にする。
一つ深呼吸をして顔を上げると、レイは静かに一歩、大きく前に踏み出した。
踏み出した足は、柔らかな雪を踏んだ。
目の前には雪景色の森の中、呆然と自分を見つめるブルーの姿があった。
「ブルー!」
駆け出して、その大きな体に飛びついた。
「ただいま。心配かけてごめんなさい」
「……レイ……本当に其方か?」
「そうだよ! ほら!」
笑って両手を広げると、くるりと回って見せた。
『お帰りお帰り』
『無事のお帰り無事のお帰り』
『よかったよかった』
『嬉しい嬉しい』
次々に現れたシルフ達が、そう言って先を争うように頬にキスをして、髪を引っ張る。
肩には火の守役の火蜥蜴も姿を見せて、嬉しそうに頬擦りしてくれた。
「そうか。良かった……本当に良かった」
ブルーが、心底ホッとしたように言うと、大きな頭をレイの体に擦り付ける。
声を上げて笑って、大きな顔を抱き返す。額に何度もキスをした。
「大好きだよブルー、僕を守ってくれてありがとう」
唸るように喉を鳴らすブルーに、もう一度キスをする。
「あの青い閃光、凄かったね。僕まで弾け飛ぶかと思った」
「我の持つ最強クラスの雷を食らわせてやったわ。当分の間、闇の眼は己の姿を形作れぬであろうよ。我の主に手を出したのだ。当然の報いよ」
「当分の間って?」
「……ほんの数百年程度だろうがな」
それを聞いて、安心して笑った。
「凄いね僕の相棒は。これからもよろしくね」
憤慨したように言うブルーに、もう一度キスをしてから言った。
「帰ろう、僕の家へ。皆にも心配かけたから、謝らないと」
ブルーは、その言葉を聞いて少し驚いた様に目を瞬いた。だが、嬉しそうに頷いて、頭を下げてレイが乗れる様に体を伏せる。
嬉しそうに笑って礼を言ってから、腕に乗っていつもの定位置に座った。
「忌々しき闇の眼であったが、なかなか最後に良い仕事をしてくれたようだな」
「え? 何の事?」
不思議そうに首を傾げるレイの姿に、ブルーは満足そうに喉を鳴らした。
「何でもない。さあ、レイの家へ帰ろう。皆、心配しておるぞ」
大きく翼を広げると、ゆっくり空へ舞い上がった。




