哀しき追憶
光の精霊と一緒に森の中へ入ったギードを見送ると、タキスは深呼吸をして振り返った。
「この辺りは安全ですからね。お前達は少し走って来なさい。ベラ、一緒にいてやってくださいね」
ヤンとオットーにそう言って、ベラの首筋を軽く叩いてやる。
心得た。と言わんばかりにベラが鳴くと、三匹はベラを先頭に仲良く林の方へ走って行った。この林を抜けた先には、走るには丁度良い広い草原があるのだ。
「さて、私はこっちですよ」
ポリーを撫でながら、ため息を吐いた。
しばらく俯いてポリーに寄りかかっていたが、顔を上げてポリーに跨ると、三匹とは逆の方向へゆっくりと歩いて行った。
森の境目に沿ってしばらく進むと、こちらも草原に出た。しかし、ここは段差がかなりあり、所々には大きな岩がむき出しになっている。
岩の合間には、何本かの大きな木が広々と枝を広げている。
ポリーの歩みを止めて、しばらくその光景を見ていたタキスは、一度目を瞑ると、まるで自分の鼓動を確認するかのように、胸に手を当てた。
しばらくそうしていたが、目を開き顔を上げると、一際大きな一本の木に向かって、真っ直ぐに進んでいった。
その大樹の根元には、大人の頭程の大きさの白い石がぽつりとあった。
文字も何も彫られていないその石は、自然に出来たにしては不自然な形をしていた。
まるで素人が無理矢理割ったかのような、歪な四角い形をした白い石は、歳月を経て角が丸くなり、苔が半分近くを覆い、草原の一部になりかけていた。
大樹から少し離れた場所でポリーから降りると、手綱を離して首筋を撫でてやる。
「少し時間がかかりますから、あなたも走って来ますか?森で狩りをしていてもらっても良いですよ」
しかし、ポリーは甘えるように鳴くと、その場に座り込み丸くなった。
それを見て、丸くなった背中を優しく撫でると、大樹の根元へゆっくりと歩み寄った。
石の前で片膝をついてしゃがむ。まるで大事な物を触るように優しく、手で石に付いた苔を落としその周りを綺麗にした。
しばらく黙っていたが、意を決したように石を見ながら話し始めた。
「エイベル、長い間会いに来れなかった、臆病な私を許してください。貴方はもう輪廻の輪に戻りましたか? それとも、精霊王の御許で、まだ遊んでいますか?」
静かに涙が頬を伝う。
「私はずっと……貴方を救えず、守る事さえも出来なかった私を、貴方は恨んでいるのだと思っていました。あの者達の手に、貴方を渡してしまった。たとえ命に代えてでも、守らなければならなかったのに……」
俯いて手元の草を握りしめる。
「何度も、何度もあの時の事を思い出して苦しみました。貴方も、同じだけ苦しんだのだと思っていたから、これはその罰なのだと……それなのに……それなのに……」
流れる涙を拭いもせず、顔を上げてもう一度石を見る。
「あの子が来てから、思い出す貴方は……いつも笑ってます。楽しそうに。嬉しそうに」
そう言って、石を何度も撫でた。
「そこは安らかですか? もう、どこも苦しくはないですか?もう……」
涙は止まらず、しゃくりあげ、大きく息を吐いて俯いて目を瞑る。
「貴方を守れず、生き残ってしまった私に、少しでも役目が有るのだとしたら……あの子を助け、生かす事が、少しでも罪滅ぼしになるのなら……私は……私は、いつか、許されるのだと……思っても良いのでしょうか……」
『罪なんてない、大好きだよ』
耳元で微かな声が聞こえた。
弾かれたように顔を上げる。
しかし、辺りを見回しても、風が草原を優しく吹き抜けているだけだった。
「……シルフ、貴女ですか?」
『呼んだ?』
『何?』
幾人かのシルフが姿を現すと、タキスの肩に乗り、不思議そうに顔を覗き込んだ。
先程聞こえたのは、優しいシルフの声ではなく、確かに子供の声だった。
もう一度、目の前の石を見る。
この下には、エイベルの髪が埋められている。
蒼竜と出会い、死にきれなかった彼は、この地で生きていく事を選んだ。
そして、ドワーフの鉱山跡があるのを知って、この場所に我が子の墓を作ったのだ。
この地は、ノームの強い祝福を受けている。
僅かな髪だけの弔いだが、それでも、ここでなら、輪廻の輪への道を、息子が見つけられるかも知れないと思ったからだ。
もう一度目を瞑ると、涙を切るように上を向き、大きく深呼吸を一つした。
「ありがとうございます。どうか、安らかに。そして、正しき輪廻の輪に戻ってください。いつか、私もそちらへ行きます。その時に、精霊王の最後の問いに、誇りを持って心から答える為に、精一杯生きてみせます」
そう言うと、一度立ち上がってから改めて跪き、石にそっと口付けた。
優しい風が吹いて、俯くタキスの髪を揺らした。