大爺との再会
街道から少し離れた上空を、ブルーはものすごい速さで蒼の森へ向かっていた。
「また戦いになるの?」
不意に不安になって、レイはブルーにそう尋ねた。
改めて見たミスリルの鎧は、確かにとても格好良かったけれど、あれは決して飾り物や玩具では無い。最前線で戦う彼らの身体を守るためのものなのだ。
「如何であろうな。今回の件は、どうにもよく分からん事が多すぎる。だが、少なくとも大爺のところへ行けば、戦いになるかどうかは判るのではないか?」
「戦いは嫌だな。誰かが怪我するのも嫌だよ」
「まあ誰も好きで怪我などする奴はいまい」
不安そうなレイのその言葉に、ブルーは態と軽く言ってやる。
「そうだね。とにかく皆、仲良くして欲しいよ」
レイは小さく呟いて首を振った。
今、自分が言った言葉なんて、甘い理想以外の何物でもない。そんな事はレイだって分かっている。
国の歴史を知った今となっては、タガルノとこの国が、どれだけ長きにわたって戦い続けているか知っている。時に同盟が結ばれる事もあったが、長くとも数十年の後、王の代が変わればまたすぐに戦いになるのだ。この国から戦いを仕掛けたことは一度も無い。
その戦いは全て、三つの砦があったあの国境付近で発生しているのだ。
「タガルノの人達は、戦うのが好きなの?」
「如何であろうな。しかし、ニーカを見る限り、タガルノ出身だからと言って、この国の人間と何ら変わりはないと思うがな」
レイはその言葉に小さく頷いた。
「そうだね。じゃあ言い直すよ。タガルノの偉い人達は戦うのが好きなのかな?」
「戦うのが好き、と言うよりは、おそらくこの国が憎いのだろう」
「ええ? どうして?」
驚くレイに、ブルーのシルフが目の前に現れて鼻で笑った。
「簡単な事だ。目の前に自分達の国よりも豊かな世界が広がり、その恵みを享受し自分達よりもはるかに豊かな生活をしている者達がいる。悔しい。切り取って自分達のものにしてやる。この国を憎む理由など、それで充分だ」
あまりに理不尽で一方的な理由に、レイは絶句した。
「マイリー達は知ってるの?」
「当然だ。だが、だからと言って一切の縁を切る事が出来ないのが、地続きの隣国の悩みだな」
「難しいんだね。外交って」
レイの口から、外交などと言う言葉が出てきてブルーは少し驚き、勉強の成果が出ている事に感心した。
「そろそろ到着するぞ」
ブルーの言葉に驚いて見下ろすと、いつの間にかもう眼下には一面の緑の森が広がっていた。
「蒼の森だ。やっぱり、オルダムの周りの森とは緑の色が違うね」
嬉しそうなレイの言葉に、ブルーも同意するように喉を鳴らした。
彼らの目の前の盛り上がった緑の塊がゆっくりと広がり、ブルーの前に森へ入る入り口を作った。
それを見て翼を少し畳んだ状態で、ブルーは躊躇う事なく、その開いた緑の口の中にゆっくりと降りて行く。
ブルーが草地に降り立つと、レイも背から飛び降りて目の前にそびえる巨大なオークの樹を見上げた。
「大爺、久しいな」
ブルーの声に、幹の一部がゆっくりと動いてレイの目の前にやってくる。
『おお、久しいのう。蒼き竜の子と幼き主よ。少し見ぬ間にこれまたずいぶんと大きく育ったな。雛の成長は早いのう……良き哉良き哉」
辺りに響くような、太く重々しい声が響いた。
目の前の、幹の先にある瘤のような部分には目があって、吸い込まれそうな大きな目が静かにレイを見つめていた。
「えっと、お久し振りです、エントの大老」
なんと言ったら良いのか分からず、レイは以前タキス達が呼び掛けていた名前で呼んでみた。
『よいよい、大爺と呼んでくれ。そう改まるで無いぞ。幼き人の子よ』
嬉しそうに目を細めてそう言われ、レイは笑って頭を下げた。
「早速だが大爺、聞きたい事がある」
頭上から聞こえたブルーの声に、大爺の分身である幹の目が上を見上げる。
『相変わらずせっかちじゃのう。まあ良い。予想はつくが言うてみよ。答えられるかどうかは、また別だがな』
一度目を閉じた大爺の目は、少し上に上がりブルーの顔の前で止まった。
レイは、ニコスのシルフに示されて、ブルーの腕に座り大人しく彼らの話を聞く事にした。
「タガルノでの異変について聞きたい。彼の国で、今一体何が起こっておるのだ?」
『要石たる王が死んだ。それは知っておろう。その前に息子が王位を正しく引き継いだ為に、結界の崩壊が起こらなかったのだ。彼の国では恐らく、これは数百年ぶりの快挙であろうな』
「やはりそうか。しかし、守護竜のいない彼の国でそれが出来たのは何故だ?」
当然の疑問に、大爺は再び目を閉じた。
『新たな守護竜が産まれたからだ。彼は己の定めを受け入れ、既に全てを守ろうとしておる』
「では、今回の結界を守った事は、その守護竜の指示なのか?」
しかし、その問いに大爺はすぐに答えなかった。
『彼の国には、様々な者達の思惑と陰謀が渦巻いておる。未だ幼い新たなる守護竜と竜の主を守れるかどうかは、其方達竜騎士にかかっておる』
その言葉に、レイは違和感を感じた。
「あれ? 要石って、守護竜の事だよね。我が国ならルビーの事だって聞いたよ。その主なら、王様か皇太子だと思うのに、タガルノでは違うの? 第一、タガルノの守護竜はタガルノの人達が守るべきものじゃないの?」
しかし、そのレイの疑問に、大爺は答えなかった。
『幼き守護竜は、未だ完全なる力を得てはいない。せめて後百年、平和が続く事を願うばかりだ……』
「大爺、もしやその守護竜と言うのは……」
『言うな。言うてはならぬ』
大爺が、ブルーの言葉を途中で遮る。
「そう言う事か」
ブルーが呟く。大爺の沈黙が答えだった。
『だが、未だ確定した未来は見えぬ。彼の国に光が差すか、或いは新たなる崩壊の第一歩となるか。まずは新たなる王の動向を見守るとしよう』
「分かった。ならば、今回は戦いにはならぬな」
『それは無い。軍は出ては来ぬ。戻って皇王に伝えよ。今は静観するが良しとな。新たなる隣国の王を祝い、自らの足元を固め国の力を蓄えよ。とな』
「確かにそう伝えよう。それからもう一つ聞きたい」
改まった口調に、再び大爺の目が開く。
『今度はなんじゃ?』
「彼の国の地下に眠ると言う、闇の気配について。何か知っている事があれば教えを請いたい」
『以前話したと思うが?』
「それ以降、大きく情勢は変わった。古き民の働きにより、黒幕の一部は引き剥がされ封印された。以来、不気味な程に動きが無くなった。古き民達も、異変は無いと皆言うておる。このまま放置して問題無いのか?」
『問題無い。今のこの展開は、奴にとっては大きな計算違いだらけとなった。古竜が主を得て捨てたはずの世界に関わり出した事、そして、彼の国に新たなる守護竜が産まれた事。そして、支配していた王の死と新たな王の誕生。どれ一つとっても奴にとっては致命的とも言えるだろう』
「しばらくは、地下に篭って大人しくしてくれそうか?」
『そうだな。しかし、大人しくしている時間が、百年続くのか、それとも十年以内なのかは我にも判らぬ。だが、少なくとも今回の王の正しき交代は、明らかに人の手で行われたぞ。それだけでも驚くべき事だ』
「シルフを調べに寄越したが、入れるかな?」
『新たな王も王妃となる者も精霊魔法を知らず、周りの者達もその価値を知らぬ。闇の気配がなりを潜めた今となっては、城の秘密を守る精霊魔法の結界は皆無と言っても良い。故に今ならば入り放題だろうな。古き民達は嬉々として情報収集に励んでおるぞ』
「それは素晴らしい。ならば一度連絡を取ってみるとしよう。何か有益な情報が聞けるかも知れぬな」
『其方から連絡してやれば、彼らは喜んで飛んで来るぞ。彼らは少なくとも敵では無い。せいぜい仲良くするが良い』
「肝に銘じよう」
二人は大きく頷き合った。
黙って大爺とブルーの話を聞いていたレイは、彼らが何を言っているのか殆ど分かる自分に驚いていた。
「へえ、ちゃんと勉強するってこう言う事なんだね。ねえ大爺、少し質問しても良いですか?」
『なんじゃ? 幼き雛よ』
大爺の目が、レイの目の前に来る。
「タガルノでは、竜は大事にされていないってニーカが言っていたんだけど、どうしてなんですか? 間近で竜を知れば、あんなに優しくて素敵な生き物はいないって分かると思うんだけど、タガルノの人達はそう思わないのかな?」
その質問に、大爺は少し困ったように目を閉じて考えていた。
『彼の国は、その昔古の誓約を破り北へ軍を進めた。その際に、守護竜と共に多くの竜と兵士を失った。以来、彼の国では竜は憎悪と嫌悪の対象となった。新たな力を得る一歩手前まで行ったのに、守護竜達が邪魔をしたが故に手に入れられなかったのだ。とな』
「どう言う意味? 国の北って竜の背山脈なんだから、そんなのそもそも人が行けるところじゃ無いよ。兵達が死んだのは竜のせいじゃ無いと思うけどな」
『全く以って同感だが、彼らはそうは考えなかったようでな。以来、竜の事を役立たずだと罵り、紫根草を食わせて意のままに操ろうとしておる。それが結果として竜の寿命を削っているとも知らずにな』
「そんな……」
『ただ、竜が弱っている事で、結果として竜熱症の原因である竜射線も弱くなっている為に、彼の国では竜の世話をする者であっても、竜熱症を発症するのはごく稀だ。貧しい国故、カナエ草の新芽でさえも残さず食べている事も、竜熱症が発症しにくい理由の一つだろうがな』
「知らせてあげたいな。竜がどれだけ優しく愛しい存在なのか……」
目の前に差し出されたブルーの大きな頭に抱きついて、レイは小さな声でそう呟かずにはいられなかった。
『其方は優しいな。だが、その優しさを向ける相手を間違えてはなりませぬぞ。迷った時には、愛しい伴侶に相談するが良い。末永く蒼き竜の子と仲良くされよ。そして、仲間達を大切にな』
「はい、もちろんです」
嬉しそうに目を輝かせて答えるレイを見て、大爺も嬉しそうに目を細めた。
『ふむ、ならばもう行くが良い。外はすっかり暗くなった。気を付けてな』
「ありがとうございました」
立ち上がったレイはそう言って、目の前の大爺の目に向かって膝をつき、両手を握り額に当てて深々と頭を下げた。
「大爺におかれましては、これからも健やかで穏やかであられますように。森の葉の下にて我らを守り給え」
丁寧なレイの挨拶に、大爺はもう一度嬉しそうに目を細めた。
『あの幼き雛鳥が一人前の口を聞いておる。見よ。なんと人の子の成長は早いのであろうな』
ブルーを振り返り、嬉しそうに何度も頷くように上下に動いた。それからもう一度、ゆっくりとレイの目の前に降りてきた。
『其方の進む道に幸多からん事を。道に迷う事あらば、いつなりと訪ねて来られよ。其方の為の道は常に開いておりますぞ』
立ち上がったレイも、その言葉に笑顔になった。
「では行くとしよう。大爺、ゆっくりと休まれよ。何かあれば、ノームを寄越してくれ」
『うむ、其方も息災でな』
レイがブルーの背に登って鞍に座ると、閉じていた頭上の木々が再び動いてすっかり暮れて星が見える空が広がった。
ブルーは一度大きく翼を広げ、少し畳んでからゆっくりと上昇した。大爺の幹が見送る中をそのまま木々の上まで上昇し、静かに木々が口を閉じるのを見てからゆっくりと東の空に向かって飛び去って行った。
「すっかり暗くなっちゃったね。お腹空いたけど、どこか降りられる?」
光の精霊を呼び出して、目の前を照らしてもらいながらレイがそんな事を言うので、すっかり考えに浸っていたブルーは小さく吹き出した。
「そうだな。まずは其方の夕食だな。では、そこらに降りる故、何か食べると良い」
小さな小川沿いの草地に降りたブルーに言われて、レイは持ってきた遠征用の鞄の中を見た。
「今夜の夕食は、カナエ草のお茶とこれです!」
レイが取り出したのは、あの携帯食で、一応栗味を入れてくれているのがせめてもの思いやりなのだろう。
火蜥蜴に頼んでポットにお湯を沸かしてもらい、手早くカナエ草のお茶を入れ、小さな瓶に入った蜂蜜をコップに入れる。シルフに頼んで少し冷ましてもらってから、きちんとお祈りをして携帯食と一緒に食べ始めた。
ポリポリと携帯食を齧ってはお茶を飲み、また携帯食を齧る。交互に口にして、一つ食べ終わる頃にはもうお腹がいっぱいになっていた。
「いつも思うけど、これって凄いよね。これ一つでお腹いっぱいになるんだもん」
最後の一欠片を口に放り込み、残ったお茶を飲み干す。
「ごちそうさまでした。えっと、どれくらいで国境の砦に着くの?」
手早く片付けながら、側に座って見ているブルーを見上げた。
「緊急事態では無いからな、普通に行けば、明日の昼までには着くだろう。夜通し飛ぶ故、其方は夜の間は我の手の中で休むと良い」
「ブルーは休まなくて大丈夫?」
「問題無い」
笑みを含んだ答えにレイは笑って、差し出されたブルーの手の中に入った。それから鞄から柔らかな布を取り出し、ブルーの手の中で鞄を枕にして横になって布を被った。
そっと手が閉じられ、ブルーはゆっくりと上昇して東の空を目指して一気に加速した。
「おやすみブルー。無理はしないでね」
横になったレイは、そっと自分の頭の横を叩き目を閉じたのだった。
ニコスのシルフ達が現れて、乱れた毛布をそっと直してやり、静かな寝息をたて始めたふかふかの赤毛を、いつまでも大事そうに撫でていたのだった。




