離宮での川遊びと要石の崩壊
翌朝、起こしに来たそれぞれの担当の従卒と執事達が目にしたのは、久し振りの荒れ放題の部屋の中だった。
用意してあった机の上のお茶は残らず飲み干されて、使ったコップと一緒にまとめられていて、まるでそこだけが別の世界のように綺麗に片付いてた。
しかし、床にはナッツの破片やクルミの殻が散乱しているし、クッションやシーツ、浴室に多めに置いてあった布が全部根こそぎ持ち出されていて、部屋中に散らかっていた。
追加で置いた大きなソファーには、カウリとルークがおとなしく並んで寝ていているが、よく見るとルークの足を思いっきりカウリが下敷きにしていた。元々この部屋にあったソファーには、クッションを抱えたタドラが一人で寝ている。
そして、レイのベッドにはロベリオとユージンが寝ていて、レイは明らかにベッドから蹴り出されて落ちたであろう体勢のままに、枕を抱えてうつ伏せでベッドの横の床に転がっていた。
無言で顔を見合わせた彼らは、黙ってまずは散らかり放題の部屋を片付けた。
執事の一人が手を叩くと、シルフ達が現れて旋風を起こして、あっという間に部屋中の塵を集めてくれた。
飛び散った布やシーツをまとめて持って出て行き、クッションは所定の場所へ戻す。お茶の道具はワゴンに全部乗せて運んで行った。
そして、熟睡している大きな悪ガキ達を順番に起こして回った。
「うう……おはよう、ござい、ま……す」
目を擦っていたレイは、起き上がりかけてそのままもう一度枕の上に倒れた。
そのまま、また寝息が聞こえてきて、笑ったラスティは指でレイの丸見えになっている背中を突っついてやった。
「ふぎゃん!」
妙な悲鳴をあげてレイが飛び起きる。
しかし、起きたはいいが、自分が何故床で寝ているのか分からず、座ったまま呆然としている。
「僕、どうして床で寝てるんだろう?」
不思議そうな顔でそう言い、起き上がってベッドを見る。そして、そのまま寝ている二人の上に両手を広げて倒れ込んだのだ。
「うわあ、何するんだよ!」
「ええ、何々? 何があったの?」
いきなり飛びかかられて飛び起きた二人の悲鳴が、部屋中に響く。
驚いてベッドを見た執事達が見たのは、ベッドで重なるようにして笑い転げる、レイとロベリオ、ユージンの三人だった。
「ひどいよ。いくら狭いからって、これは僕のベッドなのに。本当に蹴り落としたね!」
「いやあ、いつの間にか広くなってたから、勝手に別の場所に行ったと思ってたぞ」
「俺もそう思ってた。誰だよ蹴ったのは」
しらばっくれる二人だったが、次の瞬間現れたシルフ達が声を揃えて楽しそうに喋り出した。
『蹴り出したのは誰?』
『転がり落ちた主様』
『蹴り出したのは誰?』
『だけど起きない主様』
『面白かった?』
『面白かった』
『寝ているのに蹴り合ってたね』
『寝ているのに蹴り合ってたよ』
『最後は二人で蹴り出してたよ』
『ケリケリコロコロ』
『ケリケリコロコロ』
それを聞いた部屋にいた全員が同時に吹き出した。
今の彼女達の声は、部屋にいる全員に聞こえている。
「酷い、二人して僕を追い出したね」
「覚えてないから、知りません!」
「知らない!知らないよ!」
笑いながらベッドから飛び起きた三人は、お互いを突っつき合いながら洗面所へ駆け込んで行った。
「ああ、こちらの布をお使いください」
ラスティが、ワゴンに積んで持ってきていた何枚もの新しい布の山を抱えて洗面所へ走った。
「ほらカウリ、起きろって」
ソファーでは、起き上がったルークが、彼の足を完全に下敷きにしたまま熟睡しているカウリを起こしていた。
しかし、全く起きる気配がない。
「カウリ、足が痺れてるんだから、起きてくれよ」
それでも起きない彼を見て、ルークは無言で背もたれに身体を預けてカウリを左足で思いっきり蹴り出したのだ。
突然の攻撃に、何も出来ずにソファーから転がり落ちるカウリを見て、部屋にいた執事達が思わず手を止める。タドラが吹き出す音が聞こえた。
「うわあ! 何だ?」
床に落ちた瞬間、反射的に床に手をついて飛び起きたカウリは、しかしそのまま無言で部屋中を見回して床に座り込んだ。
「うう、四十過ぎたおっさんには……ちょっとハードな夜だったよ」
頭を抱えてそう言うと、そのままソファーにもたれてまた寝てしまった。
「カウリ、幾ら何でもその体勢で寝るのはお勧めしないよ。絶対首が回らなくなるから、やめておいたほうが良いって」
のんびりと一人で寝ていて機嫌よく起きたタドラに、笑いながらそんなことを言われて、返事をして立ち上がったカウリは、もう一度ソファーへ戻ったのだ。
そこには足が痺れて悶絶しているルークがいて、カウリはその彼の足の上に座ったのだ。明らかに態とである。
もう一度吹き出すタドラと執事達を見て背後を振り返ったカウリは、声も出せずに固まっているルークを見た。
「顔洗ってきます」
平然と立ち上がった時、ルークに襟首をいきなり掴まれてもう一度座ってしまい、今度はルークの悲鳴が上がった。
「何するんだよ。足の上に座っちまったじゃねえか」
平然とそう言うともう一度立ち上がり、悶絶するルークに笑って手を振ると、今度はそのままレイ達の声のする洗面所へ向かった。
「おお、いっぱいだな。とりあえず部屋に戻って着替えてきます」
自分の従卒のモーガンと一緒に、カウリは部屋へ戻ろうとして、ようやく少し痺れが取れてきたルークの足を、戻って来てもう一度突っついた。
「だから、今俺の足に触るなって!」
ルークの叫びに、先に洗面所を出てきたロベリオとユージンが揃って吹き出したのだった。
笑いながらそれぞれが一旦自分の部屋に戻り、きちんと身支度を整えてから、別の部屋で用意された豪華な朝食を食べた。
食後のお茶を飲みながら、レイは庭に来てくれたブルーに手を振った。
「ねえ、今日の予定はどうなっているの?」
振り返って質問すると、ルークが外を指差した。
「ユージンとタドラは、夕方までには戻らないと駄目なんだけど、それまでは構わないからさ、久し振りに水遊びでもしようかって言ってたんだけど、どうする?」
「水遊びって、ブルーの湖で?」
「いや、この湖に森から流れ込む小川があるんだ。そこが今の時期は水遊びするのに良い場所なんだよ。俺達なら、ウィンディーネに頼んでおけば、深みにはまる心配もないからね」
目を輝かせるレイを見て、ルークは執事を振り返った。
「って事なんで、俺達は小川へ行ってきます」
「畏まりました、後ほど、お弁当をご用意してお持ち致します」
お弁当と聞いて嬉しそうに歓声を上げるレイに、執事も笑顔になるのだった。
少し休んでから、それぞれ歩いてその小川へ向かった。
皆、身軽な服装だが、手にはそれぞれ剣を持っている。靴も、普段のような分厚い革靴では無く、柔らかな布製の軽い靴を履いていた。そして、全員がタキスが以前作ってくれたような細かい網目のつばの広い帽子を被っていた。
「ほら、あそこだよ」
少し歩いてルークが指差した川の横の広い場所には、既に別の執事が来ていて、日よけのテントを張り、折りたたみ式の一人ずつ横になれる大きな椅子を並べているところだった。
各自が自分の剣を椅子に立てかけて置く。
振り返って綺麗な川を見たレイは、嬉しくなって、歓声をあげて川の中に足を踏み入れた。
バシャバシャと足を動かして、子供のように水を跳ね上げる。
動かす度に冷たい水が薄い布の靴の中に入ってくる。これは底の部分だけが分厚く作られた、水遊びの時用の靴なんだそうだ。
「蒼の森では、畑の横の小川で釣りをしたりしたよ。その時は、いつもの革靴で遊んだね。わざわざ水遊びの為だけに靴を履き替えるなんて、面白いね」
足を、川の中で右に左に動かしながらそう言って笑うレイに、ルークも隣へ来て一緒に水をかき回しながら笑って頷いた
「まあ、もちろんそれでも良いんだけどな。水から上がると分かるよ、この靴は気持ちが良いんだ」
手招きされて、一旦水から上がる。
用意してくれていた椅子に寝転がってみて気が付いた。もう靴が殆ど濡れていないのだ。
「ええ、凄い。どうなってるの?」
思わず起き上がって靴を見た。
細かい隙間の空いた生地で出来ている為、水が靴の中に溜まらないのだ。
「へえ凄いや。これもドワーフの技なのかな?」
「これは、竜人が人間に教えた布を織る際の技術の一つですね。この生地は、非常に通気性が良く軽い為、主に夏の服や靴などに使われます。竜騎士様の皆様の夏の制服も、これと同じ技術で織られたもう少し丈夫な生地ですよ」
確かに、気温がかなり高い時でも、平気で上着を着ていられるのが不思議だったのだ。まさか生地に違いがあったなんて驚きだった。
「ニコスなら詳しく知ってるかな?」
今度連絡した時に聞いてみようと思い、もう一度立ち上がった。
ロベリオ達が不思議なものを手にして呼んでいる。
「何それ?」
初めて見る道具に、レイは目を瞬かせた。
それは、お皿に取っ手が付いたみたいな形をしていて、お皿の部分が糸で網状に編まれてパンパンに張られているのだ。
もう一方の手には、鳥の羽が何枚も付いた小さな球があった。
「ほら、お前も持って」
その不思議な道具を一枚渡された。皆右手に持っているので、レイも右手に持ってみた。
「これは羽根打ちって呼ばれる遊びでね。ポームでこの羽根の付いた玉を打ち合うんだよ。これ自体を羽根って呼ぶんだ。打ち返せなくて羽根を地面に落としたり、相手が明らかに届かないようなところに打ち返しても駄目なんだよ。特に暑い時期にやる楽しい遊びだよ。まあ、難しく考えずにまずはやってみよう」
笑ってそう言うと、ロベリオがレイの隣に立った。向かい側にユージンとタドラが並んだ。
「二対二でやるんだ。羽根をよく見て上手く返せよ」
向かいの二人を見て、なんとか真似て構えてみる。
ロベリオが打った球が弧を描いてユージンの近くに飛び、ユージンは軽くレイの目の前に打ち返してくれた。なんとか打ち返そうとしたが、残念ながら完全に空振りしてしまい、羽根はそのまま地面に落ちてしまった。
「あれ? どうして当たらないの?」
地面に落ちた羽根を見て、レイは悲しそうに呟く。
「ちょっと練習するか?」
笑ったロベリオが羽根を拾って投げてくれたので、今度はしっかり見て打ち返した。しかし、今度は力を入れ過ぎたらしく、はるか遠くまで飛んで行ってしまった。
慌てて、シルフに頼んで羽根を取ってきてもらう。
「もっと軽くで良いんだね。うん、何となく分かったかも」
もう一度投げてくれたら、今度は上手く打ち返せた。そのまま何度かロベリオと打ち合って完全に理解したレイは、もう一度お願いして三人に相手をしてもらった。完全に打ち合えるようになったところで、場所を変えるのだと言われた。
川の中に全員が入り、足首の上の辺りまで水に浸かってこれをやるのだと言う。
ルークとカウリは、並んだ椅子に寝転がって四人が遊ぶのを見物している。
「まあ、やれば分かるよ。本当に一気に難しくなるからさ」
そう言われて頷き、とにかく構えた。
「じゃあ行くよ!」
ユージンが打った羽根が勢いよくこっちへ飛んで来たので、その場から動かずに打ち返せた。タドラが打ち返した羽根をロベリオが返す、まだ皆、普通にしているが何がそんなに難しいんだろう?
しかし、数回羽根が飛び交ううちに分かってきた。足が水に取られて思うように咄嗟に動けないのだ。
急ごうとして走ると、一斉に水しぶきが上がり余計に動きにくくなる。少し川の流れの深い場所に入ったら、一気に動く事が困難になる。
歓声をあげながら、何度も羽根を打ち合った。
そんな中、最初に転んだのはレイだった。
豪快に転んでしまい、慌てて起き上がったが服はびしょ濡れだ。しかし、笑いながらそのまま立ち上がって羽根を拾って打ち返す。
次にタドラが転び、ユージンが転ぶ。最後まで頑張っていたロベリオも、ユージンの思いっきり打ち込んだ羽根を返そうとして、勢い余って水に突っ込んだ。なんとか返された羽根は、とんでもない方向にすっ飛んで行き、それを見て皆で声を上げて笑った。
成る程、暑い時期にやるのが楽しいと言った意味がよく分かった。
びしょ濡れになっても良いのだ。いや、これは転んだりびしょ濡れだからこそ楽しいのだろう。
その後も、執事がお弁当を届けてくれるまで、四人はずっと羽根打ちをして遊んでいた。
並べられた椅子に座って、何故か熱いカナエ草のお茶が注がれる。
「川の水でお体が冷えておりますから、まずはこちらのお茶をお飲みください」
椅子の横に置かれた机に置かれた蜂蜜入りのお茶を手に取って、一口飲んだ。
「美味しい……絶対冷たいのが良いと思ったけど、熱いお茶が美味しいよ」
笑って執事を見ると、彼は少し笑って頷いた。
「それをお飲みになってから、どうぞお食べください」
それぞれの椅子の横にある机に、大きな箱が置かれていく。それから、暖かいスープもカップに入れたものが置かれた。
皆できちんとお祈りをしてから食べた。
分厚い薫製肉とたっぷりの野菜を挟んだパンは、とても美味しかった。
それに、最近よく出るデザートの真っ赤なメロンもとても美味しかった。
大満足で、椅子に寝転がったまま休憩していると、なんだか眠くなってきた。
執事達が椅子の上に小さなテントのようなものを持って来てくれたので、眩しかった顔が完全に日陰になる。
お礼を言って、優しい風を感じながら周りを見ると、皆も気持ち良くお昼寝をしているようだ。
安心して、枕元に座っているブルーのシルフにキスをして、レイも目を閉じた。
「おやすみブルー。こんなお昼にお外でお昼寝するって、なんて贅沢なんだろうね。蒼の森では今頃、子竜達のお世話と夏の畑のお世話で、昼間はご飯を食べる時間も惜しいくらいなのにね」
『そうだな、まあ、これも貴族の生活だ。経験するのも悪くはなかろう』
笑ったブルーのシルフの声に、レイも小さく笑った。
「そうだね。好きなだけお勉強が出来て……お昼寝まで、出来るなんて……」
あっという間に眠ってしまったレイの額に、ブルーのシルフは愛おしそうにそっとキスを贈ったのだった。
その直後、いきなりブルーのシルフがかき消えた。
湖の底で、いきなり目を開いたブルーは顔を上げて煌めく遠い水面を見つめた。
しかし、いつまで待っても、来るはずの衝撃波が全く来ない。
人間には分からなくとも、少なくとも精霊竜には分かる。精霊達にも分かる。絶対に来るはずの世界を変える衝撃波が。その筈なのにそれが全く来ないのだ。
「タガルノの要石の王が死んだ。これは結界の再構築を場合によっては手伝ってやらねばならんかもしれんな。いや、何だこれは? 全く変動が無いぞ? 何故だ? 要石が死んで割れれば、結界は即座に崩壊する。大至急新たな結界を構築せねばならぬ筈なのに。何故変わらぬ。何故何も起こらぬ? 精霊達よ。彼の国へ行って調べろ。今すぐに、何が起こっているのか調べろ」
ブルーの静かな命令に、固唾を飲んで見守っていた精霊達は頷くと消えていなくなった。
それを見送ったブルーは、彼らに知らせるために一気に水面目指して上昇していったのだった。




