晩御飯とお土産の飴
食料庫を片付けて、手を洗ってから戻ると、居間はパンの焼ける良い匂いに包まれていた。
「何かお手伝い出来ることある?」
竃の前に立つニコスに声をかけると、彼は振り返って言った。
「それでは、シチュー用のお皿と真ん中の棚にあるサラダ用の小さいお皿を出して下さい。スプーンとフォークもね」
大きな鍋に蓋をして、机の上に持ってくる。その蓋の上には、いつもの火蜥蜴が座っていた。
「そう言えば、火蜥蜴とはお話した事ないけど、難しいの?」
「ああ、火蜥蜴と話そうとしたら、炎の属性を持ってないとダメなんですよ。貴方は蒼竜様の主になった事で、精霊魔法が使えるようになったんですから、蒼竜様の使える魔法が、基本的に貴方の使える魔法のはずなんですよ」
タキスがカトラリーを出しながら言った。
「へえ、ブルーの使える魔法が、僕の使える魔法なんだね」
「ただ、元々貴方にどの程度精霊魔法の素質があったのかは、私達には分かりません。ですが、これだけ仲良くなっても声が聞こえないと言う事は、蒼竜様には使えても、貴方には火の魔法の属性は無いのか、ごく少ないのかもしれませんね」
火蜥蜴を突きながらタキスが笑った。
「残念、じゃあ僕には火の魔法は使えないのか」
「使えない訳ではありませんよ。ちょっと火を付けるくらいなら、頑張れば出来るようになりますよ」
「そうなの? じゃあ頑張る!」
目を輝かせて断言する姿に、二人とも笑った。
「なんだなんだ、レイは火の魔法が使いたいのか?使える様になったら、ワシの仕事を手伝ってくれよな」
大きな籠と包みを抱えてギードが居間へ入ってきた。
「それが残念だけど、火蜥蜴の言葉は僕には今のところ聞こえないの」
しょんぼりしながら言うレイの姿に、ギードは肩をすくめた。
「どうだろうな。まあ、精霊は気まぐれだから、変わる事もあるさ。これだけ仲良くなれとるんだから、ダメでも下位の魔法程度は、もう使えるんじゃないか?」
タキスと顔を見合わせて肩をすくめた。
「まだまだ将来は未知数ですね。まずはしっかり勉強して、体力も付けましょうね」
お皿を並べながら、レイが頷いた。
ギードが、手に持っている包みを上げた。
「とりあえず、こっちに置くものを持ってきたが、まだ有りそうだわい」
「ああ、スパイスや調味料ですね。レイ、タキスと一緒に、食料庫へ置いといてもらえますか。後で整理して瓶詰めしますから」
ニコスがハムの塊を切りながら言った。
「うん、机に置いておけばいいんだよね」
ギードから包みを受け取ると、籠を持ったタキスと一緒に食料庫へ向かった。
「じゃあ、先に残りを持ってくるわい」
そう言うと、ギードはもう一度家へ戻っていった。
「じゃあここに置いとくから、これで全部……だと思うぞ」
両手に包みを下げてギードが戻って来て、食料庫の大きな机の上は包みでいっぱいになった。
「明日は、ニコスの指示で、こいつの片付けだな」
苦笑いしながらギードが言うと、タキスも笑って頷いた。
「ちょっと買い過ぎな気もしますが、まあ、冬場に足りなくなったら困りますからね」
「こんなにあったんだ」
レイが感心したように包みを叩いた。
「酒の入った木箱の中にも、塩の包みやら色々突っ込まれとりましたからな。丁度、瓶の隙間を埋めてくれるんで、大抵の酒屋が、よく使うスパイスや調味料を一緒に売っとるんだよ」
「へえ、そうなんだ。見たことないのが沢山あるね」
籠の中に突っ込まれた、乾燥した胡椒の袋を見て笑った。
「まあ、そのうち飯で出るだろうから、その時ニコスになんの食材なのか聞いてみると良いぞ。ワシらは何か知っておっても、どう料理に使うのかはさっぱりだからの」
包みを叩いて、ギードが笑った。
スパイスや調味料は、保存が効くものばかりなので精霊達は見ているだけで寄ってこない。
「用意出来ましたよ。食べましょう」
ニコスの声が廊下から聞こえて、皆揃って居間へ戻っていった。
机の上には、宿のバルナルが作ってくれた肉団子のシチューと焼きたてのパン、ハムとレタスのサラダもある。
「さあ、まずは食べましょう。話はその後だ」
ニコスの声に、皆席に着いた。
「今日も、命の糧を与えてくださった全てのものに心からの感謝を。精霊王の恵みに祝福あれ」
手を組み、それぞれが祈りの言葉を口にする。
サラダの上に座っていた水の精霊の姫が、顔を上げるといなくなっていた。
「僕、お腹ぺこぺこだよ」
スプーンを持って笑うと、ニコスとギードも頷いた。
「昼は、軽めだったからな」
「思ってたんだけど、どうして? 夜は遅くなるんだから、もっとしっかり食べれば良かったのに」
サラダを食べながら聞いてみると、ニコスとギードは、顔を見合わせてこっちを向いた。
「言っとくが、腹一杯食べて、あれだけ長い時間荷馬車に乗っとったら……大変な事になっとるぞ」
「そうですよ。俺など、ずっとポリーの上だったんですから」
意味がわからなくてタキスを見ると、彼は笑って説明してくれた。
「要するに、気分が悪くなって……まあ、食事中に言うのはなんですが、食べた物が、ね、戻ってきちゃうぞ……って事です」
物凄く納得して頷いた。
何しろ、荷馬車の御者台は、クッションを敷いていても、乗り心地は決して良いとは言えなかったからだ。
「とってもよく分かりました。無事に帰れたので、しっかり食べます」
真面目な顔でそう言うと、シチューに入っている肉団子を食べてみる。
「あ! これ、お店で食べたお肉の小さいのだ」
「確かに同じのだな。うん、そして、相変わらず美味いな」
ニコスも食べながら頷いている。
「今回は豪華なんですね。いつもは屋台で買ってくるのに」
タキスが食べながら言い、肉団子を口に入れた。
「バルナルが、夜の仕込みの肉団子で良ければ、シチューにしてくれると言ってくれたんでな。レイも気に入っとったようだから、頼んでおいたんじゃ。きちんと晩飯代も払って来たぞ」
その後は、食べながら、レイが街であったことをタキスに話して聞かせた。
嬉しそうに話す少年を、タキスも嬉しそうにずっと頷きながら聞いていた。
食後のお茶を飲みながら、ギードが、街で貰ったものと、自分で買って来たものをお披露目してみるように言ったので、レイは急いで部屋に置いてあったリュックと手提げ鞄を持ってきた。
「ほら、このリュックはご褒美に買って貰ったの。このベルトに付いてる鞄も一緒に付いてたんだよ。ベルトも新しいのを買って貰ったの」
背負って見せて、タキスの前で背中を見せる。
「おお、これは良い品ですね。ぬめ革は使い込むと良い色になりますからね。これはタンスに仕舞い込まずに、外に出しておく方が良いですよ。手入れも時々しましょうね。ベルトの鞄は普段から付けておくのに良さそうだ」
「そうだ、店の主人から革の手入れ道具を渡されとるぞ」
そう言うと、ギードは包みの中から巾着を出してレイに渡した。
「この中の瓶に固形オイルが入っとるから、布で少し取って、時々塗り込んでやると良いんじゃ。ベルトにも使えるからな」
受け取りながら、レイは嬉しそうに中を見た。
ガラスの瓶に白い塊が入っている、他にはブラシと布が入っている。
「うん、ありがとう。大事に手入れするね」
貰った巾着もリュックに入れた。それから、リュックの中から、貰った本と万年筆の入った箱を出した。
「これは、ドワーフのギルドで貰ったの」
「……これを?」
本を見て沈黙し、箱を開いて万年筆が入ってるのを見ると、黙ってギードを見た。
「遊戯室に、ドワーフ達が手慰みで作った、からくり箱があってな、普通は簡単には開けられない代物なんだが、それを簡単に開けてしまったらしい。他にも、知恵の輪と呼ばれる針金を絡ませたパズルを簡単に解いて、それらを成功報酬で貰ったんだよ。皆、大喜びしとったぞ。久々に優秀な子供が来たってな」
「ああ、それなら分かりました。開かない箱の話はニコスから聞いたことが有りますよ」
納得したように頷くと、万年筆を手に取った。
「これは良いものを貰いましたね。大事に使えば一生物ですよ」
驚くレイに、タキスは万年筆を見せた。
「この木目は胡桃の木ですね、オイルだけで磨いてありますから、使い込むと、これもぬめ革と同じで良い色になりますよ。木も硬いですから扱いも容易ですしね。インクは買って来たんですか?」
「うん、高かったけど買っても良いって」
そう言うと、手提げ鞄から箱に入った大きなインクの瓶を出した。
瓶を、机の上の蝋燭の灯りに透かして見る。
「これも良いものですね。濁りが殆ど無い」
そういうと、箱に戻して万年筆と一緒に返した。
「それと、お土産は何を買っていいのか分からなかったから……でも、これは綺麗だったから、皆で食べようと思って買ったの」
恥ずかしそうに言うと、手提げ鞄から飴の入った瓶を取り出した。
「おや、これは素敵なお土産ですね。開けても良いですか?」
タキスは嬉しそうに瓶を手に取ると、レイの顔を見て尋ねた。
「うん、皆で食べよう!」
顔を見合わせて笑って、瓶の蓋をあける。
「何の味かな?」
それぞれ一粒ずつ取って口に入れた。
「あ、僕のは蜜柑の味がする」
「ワシの食べた赤いのは、キリルじゃなくてクランベリーだな。酸味が効いとって、美味いな」
「俺の食べた緑のは林檎の味だな、これも美味い」
「私が食べた白いのは、薄荷味ですね、これも美味しいですよ」
「僕が買った時にお店の人に貰った赤いのはキリルだったよ」
色で味が違うので、食べる時に何が出るか、楽しめるみたいだ。
「素敵なお土産をありがとうございます。飴なんて食べたのはいつ以来でしょうね……とても、懐かしい味がしますよ」
タキスには、目の前の、竜人の子供になっているレイの姿が、どうしても亡くした我が子の姿と重なって見えた。
あの子も、街へ一緒に買い物に行った時に、瓶詰めの飴を買ってあげたら、とても喜んで大事に食べていた。でも薄荷味だけは苦手で、それが出ると、タキスが貰って食べるのがいつもの約束だったのだ。
「タキス、どうしたの?」
レイが慌てて側へ来て背中を撫でてくれる。
二人も、椅子から半分立ち上がったような変な体勢で固まっている。
何事か問おうとして、頬を流れる涙に気が付いた。
どうやら、自分は泣いているらしい。
「大丈夫? どこか痛いの?」
心配して覗き込んでくれるレイに、泣きながら笑ってみせた。
「ごめんなさい。ちょっと薄荷の味で昔の事を思い出してしまいました……大丈夫ですよ。貴方が元気でいてくれれば、もう、それだけでいいんです」
そう言うと、小さな体を抱きしめた。
「ごめんなさい。少しの間だけこうしててください」
縋るように抱きつくタキスを、レイは黙って抱き返した。
「大好きだよ。いくらでもこうしてるから、安心してね」
つむじにキスすると、もう一度しっかり抱き返した。
それを黙って見ていたニコスとギードは、顔を見合わせると、黙って座り直して飴を口の中で転がした。
「さあ、あなたの姿を元に戻しましょう。じっとしていて下さいね」
涙を拭いたタキスが、意を決したように顔を上げて、レイの頬にキスをした。
「うん、よろしくお願いします」
レイは抱きついていた手を離すと、タキスの前に真っ直ぐに立つ。
タキスはそれを見て微笑むと、自分の額とレイの額を合わせて、目を瞑った。
「謹んで精霊王に申し上げ候、偽りし愛し子の姿を王より賜りし正しき姿に戻す事申し上げ候。光の精霊よ速やかに正しき姿に解除せよ」
タキスがそう言うと、レイの体が光に包まれる。
光が収まった後には、もう、いつもの燃えるような赤い髪と緑の瞳を持つ人間の子供が立っていた。
「やっぱり貴方はその方がいいですね」
感極まった様に目を潤ませて、もう一度頬にキスをして抱きしめた。
「お帰りなさい、レイ。私も、貴方に会いたかったですよ」