帰還と問題の報告
日が暮れる中、城の中庭に降り立ったルーク達は、順に竜の背から降り、差し出された首を撫でてやりそれぞれの竜を労った。
「お疲れ様、シエラ。ゆっくり休んでくれよな」
カウリが目を細めて差し出されたシエラの大きな額にキスを贈る。嬉しそうに鳴らす喉の音を、カウリは長い間、大きな頭を抱きしめたまま目を閉じて聞いていた。
挨拶が終わると、駆け寄って来た第二部隊の兵士達に竜の世話を任せる。手早く鞍が取り外され、奥の竜舎へ順に連れていくのを並んで見送っていた。
広くなった中庭に、最後に巨大なブルーが降りて来て、お土産の袋を抱えたまま、レイが背中を滑り降りる。
「お疲れ様、ブルー。ゆっくり休んでね」
巨大な鼻先にキスを贈り、鞍を取り外されたブルーがすっかり暗くなった空へ飛び去るのを手を振って見送った。
「おかえり。初めての竜の保養所はどうだったね?」
出迎えの先頭にいたアルス皇子の声に、まだぼんやりと竜舎を見ていたカウリが慌てて振り返る。
「ただいま戻りました」
三人が揃って直立して敬礼するのを見て、レイも慌てて隣に並んで敬礼をした。
全員揃ってお手本のような綺麗な敬礼を返される。
しばしの沈黙の後、揃って小さく吹き出した。
「レイルズ、それってもしかして蜂蜜蒸しケーキか?」
敬礼を解いたロベリオの言葉にレイは大きく頷いた。
「駄目だよ、これは育ち盛りの僕が食べるの!」
次の瞬間、マイリー以外の全員から一斉に追いかけられて、レイは悲鳴を上げて本部の建物の中へ駆け込んで行った。
「何をしてるんだ。あいつらは」
呆れたように見送ったマイリーは、第二部隊の兵にいくつか指示を出してから、自分も本部へ戻って行った。
「それでね、もうカウリったら子竜達に揉みくちゃにされて大変だったんだよ」
笑うレイの声が休憩室から聞こえる。
マイリーは小さく笑って部屋へ入ろうとした。その時、少し離れた所で柱の陰からシルフが手招きしているのに気が付いた。あれは、明らかに彼だけを呼んでいる仕草だ。
小さくため息を吐いたマイリーは、休憩室に入るのを諦めて廊下を戻り、普段は使っていない別の部屋に入る。
黙って鍵を閉めるのと、目の前に先程のシルフが現れるのは同時だった。
「待て、結界を張る」
話そうとするのを手を上げて止め、マイリーは部屋に結界を張った。
真っ暗な室内に、ランタンの明かりが灯る。
「聞こう。何があった?」
真ん中に机と椅子が置かれただけの簡素な部屋だ。だが、内密の話をするにはうってつけの部屋だ。
『タガルノで異変が』
目を見開くマイリーにシルフは頷いた。
『国王はひどく咳き込んで倒れ病床に臥せっております』
『高熱が続きもう崩御は時間の問題かと』
小さくマイリーの舌打ちする音が響く。
「跡継ぎ問題はどうなっている? その後、変化はあったのか?」
タガルノには正妻である妃に男子がおらず、今年成人を迎えた遅くに産まれた姫が一人いるだけだ。しかし、二人の側室にそれぞれ男子が生まれている。どちらも二十近く前に既に成人済みで、生まれた日まで同じという同い年だ。当然二人とも独身。
その為、どちらの側室も、自分の息子が先に生まれたと言って憚らず、自分の息子を次期国王にしたいが為にあちこちに声を掛けて後援者を増やし、城は完全に真っ二つに割れているのだ。そして国王自らも、何故かどちらが正式な後継ぎとなるのか明言しないままに今に至ってる。
『その王子達ですがついに決着がついたようです』
「どちらが玉座についても、碌な事にはならんだろうがな」
吐き捨てるようなマイリーの言葉に、シルフも頷く。
『どうやら王女が第二王子の元に付いたらしく』
『一気に勢力図に変化が訪れております』
「第二王子と言う事は、ナスル王子か」
『第一王子は既に囚われて軟禁状態に有るようです』
『処刑されるのも時間の問題かと』
『いかがいたしましょうか?』
無言で目を閉じて顔を覆う。
「せめて後一年、保って欲しかったな」
思わず本音が溢れる。
「迂闊に手を出すな。とにかく成り行きを見届けろ。それから、その王女への監視を強化しろ」
『王女についてもう一つ報告が』
『未確認ですがどうやらもう一人いるようです』
予想外の報告に、マイリーは驚いて顔を上げた。
「詳しく聞かせてくれ」
『申し訳ありませんが具体的な事は一切不明です』
『しかもどうやら城内には居ないようです』
「庶子か」
『恐らくそうかと思われます』
『何度か話題には上っていますが接触は無いようです』
『どこにいるかも不明』
「分かった、何か分かればすぐに報告を」
マイリーの指示に、シルフが無言で頷く。
『それから城にいる王女ですがもう一つ報告が』
「今度は何だ?」
シルフを横目に見るマイリーに、シルフは更に呆れた報告をする。
『既に第二王子と男女の仲になっています』
「相変わらず、あの国の奴らは見境いなしだな」
呆れたようなマイリーの言葉に、シルフも同じく呆れ顔だ。
タガルノでは、過去に兄と妹で結婚して、王と王妃となった時代が何度もある。
血は繋がっていないとされているが、シルフ達は全員揃ってあれは兄妹だと言ったと、ファンラーゼンの城の書庫には、そんな記録が幾つも残っているのだ。
「母親違いなら、問題無いわけか。それで第二王子についたのか。それとも第二王子が妹を落とし優位に立ったのか。いずれにしても、精霊王には絶対に祝福されそうに無い組み合わせだな」
『全くです』
「分かった。もう少し応援の人員を送る。他には?」
『アルカディアの民達がまた城の周りの森に出没しております』
『恐らく彼らも城の異変に気付いています』
「接触出来るか? 可能なら情報の共有を。この問題に関して、少なくとも彼らは敵では無い」
ガンディから、時の繭を閉じた親友の話を聞き、マイリー自身も何度かアルカディアの民と接触を試みている。しかし、今の所一度も成功していない。
『何度か使いのシルフを送りましたが』
『一切反応はありません』
「分かった、そちらも何か動きがあれば報告してくれ」
『了解しました報告は以上です』
敬礼するシルフに、マイリーも敬礼を返した。
「十分に気を付けて。身の危険を感じたらその場を放棄して逃げろ。命は一つしかないんだからな」
『密偵にその様な事を仰るのは貴方ぐらいですよ』
苦笑いするシルフに、マイリーは肩を竦める。
「有能な人材を無駄遣いしたくないだけだ。死ぬ事が忠義だなどと思うなよ。生きて尽くしてこその忠義だ」
答えは無く、もう一度敬礼したシルフは、その場で一礼してからくるりと回っていなくなった。
「あれ、マイリーは?」
蜂蜜蒸しパンの袋をお菓子が置いてある戸棚に置いたレイは、振り返って部屋にマイリーがいない事に気が付いた。
一緒に戻って来たのでは無かったのだろうか。心配になって見に行こうとした時、机の上にシルフが現れた。
『すぐに行くから先に食べててくれて良いぞ』
机の上に現れたシルフは、それだけ言うとそのまま消えてしまった。
それを見たルークが、シルフを呼んで何か聞いていたが、笑って頷いて消えるシルフを見送ってからレイを振り返った。
「ちょっと急ぎの報告を聞いてから来るってさ。それじゃあ、着替えたらまずは食事に行こう。お土産は明日のおやつかな」
「そうだね、じゃあ着替えて来ます」
元気なレイが部屋へ戻るのを見て、ルークとタドラ、カウリの三人もそれぞれまずは自分の部屋へ戻った。
軽く湯を使って着替えた彼らが休憩室に戻ると、マイリーも既に部屋に戻っていて、ヴィゴと二人で陣取り盤を挟んで向かい合っていた。
「ああ、それじゃあまずは食事に行こう。俺も腹が減ったよ」
何事もなかったかの様に、マイリーが立ち上がってそう言い、頷いたヴィゴも立ち上がった。
ルークは何か言いたげだったが、走って戻って来たレイを見て、何も言わずに揃って食堂へ向かった。
食事が終わって、何と無く皆揃って休憩室に向かう。
今度はアルス皇子とマイリーが陣取り盤を挟んで向かい合っている。カウリとヴィゴは、書類を前に二人で話をしながらそれを片付け始めた。どうやら、事務処理の能力はカウリの方が上だった様で、カウリがヴィゴの書類を手伝っているのは、最近の見慣れた光景になりつつあった。
「ヴィゴ、任せきりにせずに自分でもやれよ」
顔を上げたマイリーの言葉に若竜三人組とルークが堪えきれずに吹き出す。
「一応、教えてもらいながらでも自分でやってるぞ」
笑ったヴィゴの抗議に、カウリも笑って同意を示す様に頷いている。
「まあ、誰しも得手不得手は有りますって。こんなのはやれる奴がやれば良いんですよ。どうせ、出して仕舞えば、誰がやったかなんて関係ありませんから」
「カウリ、ヴィゴを甘やかすな!」
マイリーの言葉に、部屋にいた全員が堪えきれずに吹き出したのだった。
その夜、あとは自分でするからと言ってジルにおやすみの挨拶をして部屋へ戻らせたルークは、着替えもせずにそのまま本を読んでしばらく時間を過ごした。
こちらから連絡しようかと思い始めた時、机の上に現れたシルフに、ルークは顔を上げた。
『今からそっちへ行っても良いか?』
「何なら、俺がそっちへ行きますよ」
『それならすまないが部屋へ来てくれるか』
「了解、すぐに行きます」
剣帯に剣を装着しながらルークはそのまま部屋を出て行った。
マイリーの部屋には、ヴィゴとカウリ、それからアルス皇子までが一緒にいた。
これだけの顔ぶれで話しをすると言う事はただの報告では無い。何かあったと考えるべきだろう。
気を引き締めたルークは平然と敬礼した。
「遅くなりました。それで、どこからの報告だったんですか?」
用意された椅子に座りながら、ルークがそう尋ねる。
カウリがこの場にいる事に、誰も何も言わない。
カウリの広い知識と見識は、早くに竜騎士隊に入った彼らとは全く違うものだ。
自分達の考え方とは違う面からの意見が聞けると考えたマイリーの提案で、本人は最初こそ恐縮していたが、これも適材適所だとヴィゴに真顔で言われて納得し、大人しく内密の会議にも参加する事になったのだ。
マイリーの話す、密偵から伝えられたタガルノの現状に、全員が絶句する。
「これはまた、国境あたりでひと騒動有りそうですね」
嫌そうなカウリの言葉に、マイリーは首を振った。
「いや、国王が後継ぎを決めないまま崩御する様な事になれば話は別だが、恐らく、もう第二王子は手を打っているだろう。意識の無い王であっても、本人の指から血判を取れれば、彼の国ではそれは直筆の署名と同じ扱いになる。正当な新しい王が立てば、例の地下にいると言う悪霊は更に力を失うだろう。新しい依り代となる第二王子に取り憑くとしても、しばらくは時間が掛かるはずだ」
「それなら、こちらとしてもまだしばらくは時間稼ぎが出来るね」
アルス皇子の言葉に、マイリーも頷く。
「監視の為の人員を増員します。まずは成り行きを見守ります」
「そうだね。こちらから妙な動きはしない方が良いだろう。落ち着いたら、恐らく向こうから何か言ってくるだろうからね」
「そちらの対応は陛下と元老院にお任せしましょう。念の為、ガンディに知らせて、アルカディアの民と連絡を取れないか聞いてみます」
「以前聞いた時には、こちらからは百回使いをやって、ようやく連絡が取れる程度だと言われた。親友だと言う方は亡くなったと聞いたからね。ガンディ経由で連絡を取るのも、あまり望みは無さそうだよ」
皇子の言葉に、マイリーは大きなため息を吐いた。
「まあ、打てる手は全て打ちましょう。その後どうなるかは……精霊王のみぞ知る。ですね」
しばらく無言だったカウリが、顔を上げて何か言いかけたが目を閉じて口を噤む。
「何だ、何かあるなら言って良いぞ」
マイリーの言葉に、カウリは嫌そうな顔をした。
「あの、これって下手したら罪に問われる可能性があるんですけど、俺、アルカディアの民と連絡出来る手段を持ってます」
その告白に、全員が目を見開いてカウリを見つめた。
気まずい沈黙が部屋を覆う。
「解った。何があろうと不問にしてやるから、全部吐け」
真顔のマイリーにそう言われて、カウリは大きなため息を吐いた。
「あの、以前、俺がオルダムに来てすぐの頃なんですが、倉庫の物資が外部に横流しされた事件がありましてですね、俺が書類と在庫の数に明らかな不正があることに気付いて報告して、監査部が動いたんですよ。で、まあその結果、横流しに関係していた人達は当然処分されたんですが、後日ある商人から新しい取引先を紹介したいと言われて、まあ、会ったわけですよ」
全員が黙ってカウリの話を食い入る様に聞いている。
「来たのは妙に若い男でした。腰に剣を下げていたから、てっきり護衛の人物だと思ったら、そいつが新しい取引先だって言われましてね」
そこまで言って、カウリはもう一度大きなため息を吐いた。
「そいつの肩には、見た事も無い程の大きなシルフが座っていて、こっちに向かって平然と手を振ったんですよ。明らかに、彼は俺に精霊が見える事に気が付いていたんです。で、まあ半ば脅されるみたいにして、余剰の在庫を、処分の名目で渡す事になりました。表向き、書類も全部整えて処理してますから、問題は無いはずなんですが……で、ある時、あんた達は何者なんだよって話をしたらこう言われたんです。人によってはこう呼ぶな、不老不死者とな。って。正直、驚いたんですが、アルカディアの民ならあのデカいシルフも当然だろうなと妙に納得しまして、それ以来怖くなって聞くのをやめました」
「その取引、今でもやってるのか?」
「正直言って、不良在庫の処分も兼ねているんで、ある意味、上司からも暗黙の了解的な部分もありまして……それに、来る奴も必ずしもその男って訳じゃなくて、俺が取引した最初の二回はそいつが来ましたが、その後は毎回違う奴が来てます。だけど、明らかに全員がアルカディアの民です、連れているシルフの数も大きさも、全員が桁違いなんですよ」
無言でマイリーが首を振る。
「ただ、これに関しては引き継ぎの類は一切してません。俺はまだこの件に関しては、窓口になったままなんですよ。次回、連絡が来れば事情を話して手を切ろうと思ってました」
無言で頷いたマイリーが、少し考えてカウリを見る。
「その男に連絡は取れるか?」
「連絡が来るかどうかは分かりませんが、繋ぎの方法は知っています」
「連絡を取ってみてくれ」
「了解です」
肩を竦めて頷く彼をみて、全員が大きなため息を吐いた。
「改めて聞くが、他に法に触れるような事は?」
「有りません。これだけです」
両手を上げて首を振るカウリを見て、マイリーはアルス皇子を見た。
「申し訳ありませんが、今の話は忘れてください」
「うん、聞かなかった事にするよ」
苦笑いする皇子に一礼して、ヴィゴと顔を見合わせて、もう何度目かもわからないため息を吐くマイリーだった。




