竜舎での仕事始め
「レイ二等兵。竜との面会が終わるまで、うちで預かる事になった。良いな、レイ二等兵だ。それ以上でもそれ以下でも無い。良いな!」
「よろしくお願いします!」
いつも使っていたようなピッチフォークを手に、レイは竜舎でそう言って深々と頭を下げた。
目の前には、呆気に取られた竜舎担当の第二部隊の顔馴染みの兵士達が並んでいる。
応援の人員が配置されたので、紹介するから来いと呼ばれて集まって来たのだ。
彼らは、目の前の現実が信じられなかった。
「ちょっと、伍長、本気ですか?」
「二等兵って……二等兵ですか!」
「いやいやいや、絶対おかしいでしょうが。なんで二等兵なんですか?」
「冗談はやめてください!」
口々に驚いて騒ぐ部下達を見て、ティルク伍長は大きなため息を吐いた。
「それは俺が一番言いたい。だけど、竜騎士隊の方々は、彼に現場を見せたいとの仰せだ。実際、面会中にここにいれば、確かに色んな人が見られるだろうからな。良くも悪くもな」
その言葉に、全員が若干遠い目になる。
「まあ、確かにそれはそうでしょうけれど……随分と荒療治なんですね」
苦笑いして肩を竦めた伍長は、レイを見てもう一度ため息を吐いた。
「ルーク様から、遠慮無くこき使ってくれとの事だから、今日は一先ず竜舎の掃除を手伝ってもらうからな。明日は、まず新兵を集めた竜の面会に関する説明会に行かせるから、その間に彼の担当の確認を行う。後ほど、各自の変更予定表を配るから、確認しておいてくれよな」
「了解しました!」
全員が一斉に直立して答え、伍長の指示でそれぞれの持ち場に戻った。
「アドリアン上等兵。今日は一日お前が面倒見てやれ。まずは一緒に掃除担当だ。言っとくが二等兵だからな。遠慮は無用だぞ」
「うう……了解しました。じゃあレイ二等兵……ええと、こっちへ来い……じゅ、順番に掃除するから、臭くても我慢だぞ」
彼らは、レイが一般出身だとは聞いているが、どのような環境でいたのか、具体的な事までは知らされていない。
「大丈夫です。いつも騎竜や家畜達の世話をしていましたから」
大きなピッチフォークを手にしたレイは、そう言って笑うと、アドリアン上等兵の後に続いて第二竜舎へ向かった。
主のいない竜達が暮らす第二竜舎には、以前見た時には四頭の竜がいた。
ターコイズが竜の保養所へ行って、代わりにクロサイトが来たのだから、いるのは四頭だと思っていたが、そこにはあと二頭の竜がいたのだ。
「あ、ユナカイトとブラックスターだね。確か以前は竜の保養所にいたのに、ここにいるって事は、この子達も一般の方と面会するんですか?」
「ええそうです、先週、ルーク様とタドラ様が竜の保養所へ行って連れて来て下さいました。ブラックスターは、まだ早いかと思ったのですが、去年の秋からこっち急に落ち着きを見せているそうですので、取り敢えず一度会わせてみる事になりました……ああ、駄目だ、どうしても敬語になる」
最後は小さな声で言って頭を抱えてしゃがみこんでしまい、レイは逆に申し訳なくなってしまった。
『気にする事はない。自然体で話してくれれば良いぞ』
「え? 今の声、誰?」
驚いて立ち上がったアドリアンは、レイの肩を凝視する。
「ええと、そこにいるのは伝言のシルフ……だな?」
「あ、はいそうです。ブルーの使いのシルフです」
それを聞いたアドリアンは、またしても大きなため息を吐き頭を抱えた。
「無理! 俺なんかに、古竜の主であるレイルズ様を指導するなんて、絶対無理だって!」
『だから気にするなと言っておる。大きいがお前よりも年下だ、大柄な弟だと思ってくれればいいぞ』
「簡単に仰いますが……まあ、頑張るよ。敬語を使わないのが、こんなに難しいとはね」
苦笑いして立ち上がった彼に、レイは申し訳なくて改めて頭を下げたのだった。
「じゃあ、まずは糞の掃除からだ。説明するからこっちへ来て、くれ」
若干詰まりながら、表向き平然と指示を出し、彼もピッチフォークを手にした。
「向こうの列はもう終わってる。あとはこっちの三頭分だ。まずは、大きな塊をこれでこうやって取り除き……うん、取り除くんだ」
実際にやってみせて振り返る。
「了解です。じゃあ僕はこっちをしますね」
そう言って隣の山を平然と片付け始めるレイを見て、アドリアンは驚きを隠せなかった。
「おお、これは本当に経験者だな、よしよし。それならそっちは任せるよ。取り除いた糞は、ここへ集めてくれ。後でまとめて堆肥置き場へ運ぶからな。あ、新しい干し草は奥の壁に積んであるのを左から順に使ってくれ」
「あ、あれですね。了解です」
手早く干し草の汚れを取り除き、床に散らばった汚れもスコップで掬って綺麗にする。首を伸ばしてレイと遊ぼうとするユナカイトとブラックスターを撫でてやりながら、新しい干し草をひと塊り取って来た。
「ほら、邪魔しないで。君達の寝床を綺麗にしてるんだからね」
干し草を広げながら、またしても邪魔しようと首を伸ばして来る竜の鼻先をそっと押し返す。
「古竜の主に世話してもらえるなんて、光栄だね」
カーネリアンの声に、レイは声を上げて笑った。
全部の竜の寝床の掃除が終われば、出た大量の糞を手押し車に乗せて、竜舎の裏に作られた堆肥置き場へ運んだ。
「臭い、平気か?」
運びながらアドリアン上等兵に心配そうに聞かれて、レイは首を振った。
「大丈夫ですよ。ここは天井が高くて空気がよく循環してるから、臭いと言ってもほとんど感じないくらいです。まあ、これを運んでる時は臭わないとは言わないけど、これだって元気な竜の証拠だと思ったら、愛しく思うくらいです」
笑顔で答えるレイに、アドリアンだけでなく、周りで働いていた全員が笑顔になった。
「そう言えるようになるまでに、普通の新兵は、半年近くかかるんだけどなあ」
「俺なんて、最初のうちは臭くて息も出来なかった」
「ああ、運びながら吐きそうになって毎回泣いてたよな、お前は」
ティルク伍長の言葉に、全員が吹き出した。
「まあ、街育ちにいきなり騎竜や竜の世話はなあ……」
「だよな。農家出身者と街出身者で、見事なまでに反応が分かれるんだよ」
苦笑いする兵士達にレイも笑顔になった。
「僕は、自由開拓民の村の出身なんです。僕のいた村を野盗の群れが襲って来て……生き残ったのは僕だけだったんです」
アドリアンだけでなく、第一竜舎で同じく掃除していて堆肥置き場へ来ていた伍長を始めた全員が、驚きの表情でレイを見つめる。
「母さんと一緒に蒼の森へ逃げて、でも結局……母さんは亡くなってしまったの。そこで、ブルーと出会った。それから、森に住んでいたタキス達のところでお世話になって、一年間過ごしたんだよ。それで……竜熱症を発症して、ここに運ばれて来ました」
最後は照れたように笑って頭を下げる。
「それはまた、大変な思いをしたんだな」
「生きてて良かったな」
次々に慰めるように、皆が背中や肩を撫でてくれた。
「大丈夫だよ、僕は今、幸せです。ここに来て、本当に皆、親切にしてくれます。いろんな事を知る事が出来たし、これからも、迷惑かけると思うけど、どうかよろしくお願いします」
改めて頭を下げる彼に、周りも慌てて直立した。
「はい、そこまで! じゃあ、レイ二等兵は戻って壊れた柵を解体するのを手伝ってくれよな」
手を打つティルク伍長の声に、レイは元気に直立して返事をした。
「壊れた柵って……これですね。一体どうしたんですか?」
第二竜舎へ戻り、壊れたのだと言う柵の前に来て、レイは驚いた。太い横木が、真っ二つに折れているのだ。それに押されて、横木を支える縦木も割れたり歪んだりしている。
「ブラックスターが、昨日、蝶が入り込んだのを見て喜んで追いかけて遊んでくれてさあ。もう、あちこちなぎ倒してくれて大変だったんだよ」
伍長の言葉に、何人もが吹き出して頷いている。
「駄目じゃないか、ブラックスター。怪我でもしたらどうするんだよ」
申し訳なさそうに首を伸ばすブラックスターに、レイは笑いながら話しかける。
「だって、楽しかったんだもん。僕、蝶が好きなんだ」
平然と答えるブラックスターに、その場にいた全員が小さく吹き出したのだった。
「落ち着いたって聞くけど、まださすがにあれでは、主を持つのは無理だよな」
「だけど、クロサイトの例もあるから一概には言えないよ。若くても、主を持つと本当に竜は変わるから」
伍長の言葉に、レイは真っ黒なブラックスターを見上げた。
「良い出会いがあるといいね。あなたに幸多からん事を」
そう呟いて、鼻先にそっとキスを贈った。
まずは全員総出で、割れてめり込んだ横木を外す。思った以上の重さがあるそれを台車に乗せるのに、レイはこっそりシルフの助けを借りた。
簡単に台車に乗ったそれを見て、全員が何か言いたげにレイを見たが、伍長が笑って首を振るのを見て、皆何も言わずに全員で割れた木を黙って運んだ。
二度に分けて、壊れた柵を全て運び出し、外で待っていた同じく竜騎士隊付きの第二部隊の工兵隊が竜舎に入って来て、柵を直してくれた。
彼らも皆、レイを見て何か言いたげだったが、何も言わずに手早くそれぞれの仕事をしていた。
工兵達が柵の修理をしている間に、順番に竜達にブラシをかけてやる。
体が大きな成竜には数名が手分けして行い、身体の小さな竜は二人から三人で行った。
レイはまず、アドリアンや他の兵士と一緒に、大きなカーネリアンのブラシをかけるのを手伝った。
「春は鱗が生え変わる時期なんだ。ほら、ここを見て。鱗が重なってるだろう。これは新しい鱗がもう下に出来ているんだよ。だからこれをブラシを使って剥がしてやるんだ。こんな風に逆毛を立てるみたいにして、ブラシに引っ掛けて剥がすんだよ」
実際にやって見せながら、詳しい説明をしてくれる。
「こっち側をやってみてくれ。かなり強くしても大丈夫だからな」
硬い毛のブラシを手渡されて、レイはカーネリアンの翼の下辺りを覗き込んだ。
よく見ると、確かに鱗が重なって輝きがそこだけ鈍くなっている。
「痒いらしいよ。だから頑張って取ってやってくれよ」
背後からかけられた声に返事をして、レイはブラシを握った。
「じゃあ、ブラシをするから、痛かったら教えてね」
教えてもらった通りに、鱗の向きと逆向きにブラシを力一杯当てて擦る。剥がれた薄い鱗が舞い上がり、剥がれた部分に一気に輝きが現れる。
「うわあ、綺麗。新しいとこんなに綺麗な鱗なんだね」
笑顔になったレイは、どんどんブラシをかけていき、翼の付け根部分はすっかり綺麗になった。
「とても気持ち良いです。あ、次はこっちをお願いします」
今やっていたのは、翼の付け根の下側部分だ。
カーネリアンの声にレイは笑って返事をした。そしてシルフが笑顔で指差す、背中側の翼の付け根辺りをブラシするために、声を掛けてカーネリアンの背中に飛び乗った。
また輝きの鈍い部分を中心に力一杯擦ってやり、全部が終わる頃にはすっかり腕が痛くなっていた。
掃除を終えたばかりの床には、剥がれた透明の鱗の破片が一面に飛び散っている。
「剥がれた竜の鱗は薬の材料になるんだ。外でブラシした時は処分するけど、竜舎の中で集めた分は、まとめて白の塔に渡すんだよ。綺麗に洗浄して、乾燥させて細かく砕くんだって。それで他の材料と混ぜると、鎮痛剤として使えるらしい。あとは、単体だと熱冷ましの効果もあるって言ってた。あ、これは竜騎士様にも割と効く貴重な薬なんだぞ」
「打ち身の時に貼ってくれる湿布だね。竜騎士に薬は効かないって聞いていたのに、湿布だけは効いてるから不思議だったの。そういう事だったんだね」
「まあ、一般にはとんでもなく高額で取引されるような貴重な薬だけどな。ここでは材料がふんだんに手に入るから、竜騎士様の軽い怪我の治療に使っているよ。お前も世話になってるんだな」
「はい、朝練で何度も叩きのめされてお世話になってます!」
胸を張ってそんな事を言うレイを見て、また全員揃って吹き出した。
「レイルズ様。それは胸を張って言う事じゃないと思いますよ……あ、違う! レイ二等兵! それは自慢気に言う事じゃないだろうが!」
言い直した伍長の言葉に、またしても全員揃って噴き出したのだった。
シルフ達も、そんな彼らを見て大喜びで手を叩いて周りを飛び回っていた。
『主様は二等兵』
『偉いけど偉くない』
『どっちなの?』
『どっちなの?』
「全然偉くなんて無いよ」
肩に座って笑っているブルーのシルフに、レイも笑ってそっとキスを贈るのだった。




