お休みの日とベラの子供
宴が終わったのは、それからしばらく後のことだった。
城に泊まる者も多いらしく、それぞれが案内されて順にいなくなっていく。
「マーク達は? どうするの?」
まだ帰ろうとしないマーク達を見て尋ねると、二人が揃って教えてくれた。
「後で第四部隊の宿舎まで送迎の馬車が出るんだよ。一緒に来た第四部隊の士官の人達と一緒に、それに乗せてもらうんだ」
「今回、一緒に術をお見せした竜人の士官達は中の大広間の方に参加してるんだよ。だから、その人達と一緒に帰るんだ」
「そうなんだね。じゃあここでお別れかな?」
ちょっと残念だったが、帰るのならそろそろ頃合いだろう。
人の少なくなった庭を見て振り返ったその時、シルフが現れてレイの肩に座った。
『ルークだ』
『レイルズ今大丈夫か?』
「あ、ルークだ。マークやキムと一緒にお庭にいるよ」
『そうか会えたんだな』
『ラスティが迎えに行くから先に本部へ戻っててくれ』
「分かりました、じゃあそうします」
手を振っていなくなるシルフを見送り、レイは顔を上げた。
「じゃあ戻るね。明日からまた訓練所かな?」
キムとマークはその言葉に顔を見合わせた。
「明日は多分、俺達は後片付けに忙殺されてるから、二人共訓練所へは行けないと思うな」
「そうだな、多分今週いっぱいは行けるかどうか分からないよ。いつも通りに行くとしたら。来週からかな?」
頷いていると、二人は揃ってレイを見た。
「だけど来週からって、今度はお前が忙しくなるんじゃ無いのか?」
その言葉に、レイは驚いて目を瞬いた。
「え? 来週からって何があるの?」
思わず、三人揃って互いの顔を見たまま無言で固まる。
「え? 知らないのか?」
「来週から、竜の面会期間だろう?」
驚くように口々に話すマークとキムの言葉に、レイはそんな事を聞いていたのを思い出した。
だけど、具体的に自分が何かするとは聞いていない。
「今年から、面会人数が大幅に増えるって噂だから、絶対お前も駆り出されると思ってたよ」
「だよな。まあどっちにしても、俺達には関係無いだろうけどな」
二人の言葉に、彼らが竜騎士になってくれたら嬉しいのにな、と、不意に思ってちょっと考えてしまった。だけど、竜の主は、そう簡単になれるものでは無いのだろう。
その考えを打ち消して、レイは肩を竦めた。
「この後の事って何にも聞いてないんだ。戻ったら予定を確認しておくよ」
「そうだな。まあまた、次に会えるとしたら訓練所だろうから、その時はよろしくな。その前に、お互いまずは自分に与えられた仕事をしようぜ」
キムの言葉に、二人も笑って頷いた。
それからそれぞれに拳を差し出してぶつけ合った。
「あ、お迎えが来たみたいだぞ。お疲れさん。ゆっくり休めよな」
ラスティがこっちへ向かってくるのに気付いた二人に背中を叩かれて、レイはもう一度笑って手を叩き合ってから彼らと別れた。
竜騎士隊の本部へ戻り、自分の部屋に戻ってもレイは興奮が収まらず、着替えながらずっと、今日あった事を順番に、夢中になってラスティに話して聞かせた。
途中から、お菓子を持って来てくれたヘルガーも加わり、一方的な報告会は遅くまで続いたのだった。
湯を使ってベッドに入ってからも、レイは眠れずにベッドの中で寝返りを繰り返した。
「ルーク達は、今夜は誰も戻ってないって言ってたね」
目の前に現れて、心配そうに覗き込むブルーのシルフに、レイは小さく笑った。
「すっごく楽しかった。僕もいずれ、あそこに立つんだよ。あそこからはどんな景色が見えるんだろうね……何度考えても、今ここに自分がいるのが、夢みたいだよ」
不安気にそう呟いて枕に抱きつくレイは、まるで怯える小さな子供のように見えた。
『安心しろ。其方には我が付いている。我が守る。大切な主を』
厳かなブルーの言葉に、レイは嬉しそうに笑った。
「大好きだよ、ブルー。そしてありがとう。ずっと一緒だからね」
目の前のシルフにそっとキスをすると、レイは起き上がって置いてあった薄手のセーターに袖を通した。
綿兎のスリッパを履いて、静かに窓に向かう。
カーテンを開くと、正面に真ん丸な大きな月が出ていた。
窓を開き、スリッパを脱いで窓枠によじ登って座った。裸足の足は窓の外だ。
下を向いて見張りの兵士に笑って手を振り、振り返してくれたのを確認してから手を下ろした。
それから、大きく深呼吸をして空を見上げた。
部屋には月明かりに照らされたレイの影が、床に長く伸びている。
「明るい……満月だと、星はあんまり見えないんだね」
小さな声で呟き、窓枠にもたれたまま黙って空を見上げる。
肩に座ったブルーのシルフが、何も言わずにずっと寄り添っていてくれた。
翌朝、いつもの時間よりも少しゆっくり起き出したレイは、一人で朝練に向かった。
竜騎士隊の人は、誰もいなかったし、朝練に参加している兵士もいつもよりも少ない。
気にせず準備運動をして走り込みに参加した後、気付いて来てくれたキルートと、棒で手合わせをしてもらった。
「やっぱり強い! 全然敵わないや」
弾かれた棒を拾いながら、悔しくて堪らず、お願いしてもう一度手合わせしてもらう。夢中になって打ち合い、力を抜いて握るやり方をもう一度改めて教えてもらった。
部屋に戻って、湯を使って着替えをし、ラスティ達と一緒に食堂で朝ご飯を食べた。
「えっと、今日からの予定ってどうなってるの? 昨日マーク達が言ってたんだけど、竜の面会って、僕も何かするんですか?」
食後のカナエ草のお茶を飲みながら質問すると、ラスティはヘルガーと顔を寄せて相談を始めた。
「今日は訓練所はお休みして、ゆっくりなさってください。明日以降ですが、ルーク様が今調整してくださっているので、予定が決まり次第お知らせします」
「分かりました。じゃあ今日はゆっくりするね」
マフィンを食べながら、それなら後で、タキス達に久し振りに連絡してみようと思いつき、嬉しくなった。
「そういえば、ベラの卵ってまだ産まれてないのかな。もう七の月に入っちゃったのに……」
思い出すと心配になってきた。
「産まれたら知らせてくれるって言ってたもんね。うん、後で聞いてみようっと」
自分に言い聞かせるようにそう呟いて、残りのマフィンを口に入れた。
部屋に戻ったレイは、ラスティがいなくなるのを見てからソファーに座ってタキスを呼び出した。
しかし、シルフ達は揃って首を振ったのだ。
『今は駄目』
『静かにしないと駄目なの』
『だって産まれるんだもん』
『可愛い赤ちゃん』
『産まれるんだもん』
嬉しそうに笑うシルフ達のその言葉に、レイは目を輝かせた。
「分かったよ、じゃあ連絡しても大丈夫になったら、タキスを呼んでくれる?」
頷いたシルフにキスをして、レイは本棚に向かった。
まだ読んでいない本を手に取り、ソファーへ戻って本を開いた。
いつもならすぐに夢中になって読むのに、今日はシルフ達が気になって本の内容が頭に全く入って来ない。
大きなため息を吐いて本を棚に戻し、一番下から大きな図鑑を取り出して来た。ソファーに座って心ここに在らずのまま、図鑑を眺めて過ごしたのだった。
その日の朝、タキスはいつもよりも慌てたシルフ達に、かなり乱暴に起こされた。
「まだ夜が明けたばかりじゃありませんか……さすがに早過ぎますよ……」
起き上がったものの、まだ薄暗い窓を見て、思わず文句を言ってもう一度寝ようとした。
しかし、シルフの言葉に、一気に目が覚めた。
『もうすぐ産まれる』
『赤ちゃんが産まれるよ』
飛び起きたタキスは、大急ぎで顔を洗い着替えを済ませた。
廊下へ飛び出して産室へ走る。すぐ後ろを同じく飛び出して来たニコスが続いた。
産室には、既にギードがいて、笑って口元に指を立てた。
静かに覗き込むと、ベラの足元に転がった卵が、時々動いているのが見えた。
「明け方にシルフ達に起こされて、顔も洗わずに飛んで来たんだ。間も無く産まれそうだな」
「まずは、産まれて来てくれないと始まりませんからね」
三人は、息を潜めてその時を待った。
夏仔の育て方が難しいのは、シヴァ将軍から色々聞いてかなり詳しくなった三人だった。
ただ救いなのは、蒼の森は、竜の保養所のある辺りよりも普段の気温が少し低い。
地下の氷を利用したこの産室の気温は、その外の気温よりもかなり低く抑えられている。夏を無事に越せれば大丈夫だと聞いているので、子供には何とかここで頑張ってもらう計画なのだ。
かなりの時間が過ぎても、卵は中々割れる気配が無い。
力の弱い雛の場合だと、産まれるまで半日近くかかる事もあるのだと聞いていた三人は、気にせず黙って見守っていた。
既に太陽は高く昇る時間になっていたが、まだ卵は割れていない。
「あ、ヒビが入りましたね」
タキスの嬉しそうな声に、二人も頷く。
ようやく、カリカリと中から突つく音がして卵に小さなヒビが入ったのだ。
息を潜めて三人が見つめる中、中から更に突つく音が聞こえて小さな穴が空いた。
小さな口元が、穴から少しだけ覗いてすぐに引っ込む。
その瞬間、三人は揃って身を乗り出した。
「何だ今のは……」
「妙な色でしたね?」
ギードとタキスが思わず呟いたのも無理は無かった。
卵の隙間から一瞬見えた子供の鼻先は、妙な黄色っぽい色をしていたのだ。
ラプトルの体色は、ベラやポリーのような緑色か、ヤンやオットーのような焦げ茶色のどちらかだ。黄色いラプトルはいない。
「まさか……まさか……」
ニコスが堪え切れないように呟き、もっと見ようと柵から身を乗り出した。
しかしベラが嫌がるように口を開けて首を振ったので、それを見た三人は、慌てて少し下がった。
沈黙する中、時々卵の殻を突つく音だけが聞こえる。
ベラが外から卵を突き始めたのを見て、三人はいよいよ来るその時を待った。
陶器が割れるような音がして遂に卵が二つに割れる。中から小さな雛が転がるようにして出て来た。
それを見た三人から、ほぼ同時に同じ言葉がこぼれた。
「まさか、金竜なのか!」
卵から産まれたラプトルの雛は、どちらの親とも違う、綺麗な薄い黄色をしていた。
背中の辺りは、既に金色の煌めきを放ち始めていて、角度によっては虹色に輝いている。
「一万頭に一頭も生まれないと言われる金竜。まさか、今ここに産まれるなんて……」
ニコスの言葉に、タキスとギードは声も無く頷いていたのだった。
「ピィ……」
弱々しげに鳴いたその雛は、うずくまったままのベラの足元で、なんとか立ち上がろうと必死になってもがいていた。
以前産まれたポリーの子供よりも、まだ一回り小さい。
「頑張れ! 頑張れ!」
「しっかりしろ、立つんだよ」
「頑張れ。頑張って立ってくれ」
三人がそれぞれに拳を握りしめて必死になって応援する。
何度かの失敗を経て、雛はようやく自分の足で立ち上がった。
それを見たベラが、ゆっくりと立ち上がる。
ギードが慌てて用意してあった水を、まずはベラに飲ませてやる。
嬉しそうに水を飲んだベラは、大きく伸びをするように足や首を伸ばした。
「ご苦労様でしたね。おめでとう。素敵な子が生まれましたね」
タキスがそう言って、そっと手を伸ばして優しくベラの鼻先を撫でてやった。
小さな雛も、何度か跳ねるような仕草を見せた後、ベラが飲んでいたバケツに顔を突っ込んで水を飲み始めた。
「親子揃って水を飲んでくれましたから、まずは一安心でしょうか……とにかく、シヴァ将軍に連絡しましょう。これは、私達だけで飼って良い子では無いでしょうからね」
タキスがそう呟いて産室から出て、廊下でまずはシヴァ将軍を呼び出した。
『ようやく産まれましたか?』
並んだシルフが、シヴァ将軍の言葉を伝えてくれる。
「はい、先ほど無事に産まれました。ですが、大変な事になりました。まずはお知らせせねばと思い、取り急ぎ連絡させて頂きました」
『何がありましたか』
驚いたように身を乗り出すシルフに、タキスは、金色の子供が産まれた事を報告した。
「既に、背中の辺りは虹色の輝きを放っています。今は薄い黄色のように見えますが、間違いなく金竜です。金竜なんです」
『今から子竜の専門家と一緒に』
『そちらへ行かせていただいても構いませんでしょうか!』
叫ぶようなシヴァ将軍の言葉に、そう来るだろうと予想していたタキスは思わず吹き出した。
「はいもちろん構いませんよ。何名でもどうぞ。ここへの道ですが、ブレンウッドを過ぎて、そのまま街道を西に進んでください。途中に北側へ抜ける抜け道が一箇所だけあります。大きな樫の木が目印です。そこを入っていただくと、細い土の道があるので小川沿いにそのまま進んでください。大岩が見えて来たら、もう分かりますよ。草原の下側が、石の家になっていますので、 そこから坂道を下りて来て下さい」
『道順は了解しました』
『では後ほどそちらで詳しい話を伺います』
敬礼していなくなるシルフを見送り、タキスは大きなため息を吐いた。
「まさか、金竜が生まれるなんて……さて、レイになんと言って報告しましょうかね」
目の前に現れたシルフが、必死になって自分に向かって手を振っているのに気付いて、タキスは笑って顔を上げたのだった。




