カウリ伍長と仲間たち
一般兵としての初めての共同生活は、レイにとって驚きの連続だった。
夜、夕食の後に湯は毎日使えるが、大きな湯殿での大人数での共用で順番が決まっている。はっきり言ってゆっくりしている暇は無かった。汗を流して終わり! 程度だ。
食堂は広くて綺麗だが、とにかくものすごい人数で、初めて行った時には、並ぼうにもどこが列なのか分からずトレーを持ったまま本気で途方に暮れた。
「どうした? 好きに取って来いよ」
呆然と立ち尽くしていると、ルフリー上等兵にそう言われてレイは情けなさそうに顔を上げた。
「ええと、どこに並んだら良いんですか?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった彼は、しばらく無言で考えた後、妙に優しそうな笑顔でレイの背中を叩いた。
「せっかくこれだけ立派な体をしてるんだから、遠慮無く突撃して来い! 目標は中央の薫製肉の山だ。あれは美味いから絶対取ってくる事。俺のお勧めは、リコリの甘酢漬けと、三日月パンだな。後は好きにしろ。ほれ、突撃!」
「はい! 行ってまいります!」
態とらしく敬礼すると、如何にもと言わんばかりの綺麗な返礼を返してくれた。
どうやら、ある程度の列は有るが、本部や白の塔、訓練所の食堂と違い、かなり適当だ。とにかく、食料は自力で確保しなければならないようだ。
言われた通りに、大きな体格を生かして何とか人の隙間にもぐりこみ、目的の品を色々と確保出来た。
皆が座っている机に戻ると、何故だか全員から拍手をされた。
「おお、素晴らしい、自力で確保してきたぞ」
「さすがにあの体格だと負けないんだ」
クリス二等兵が、山盛りに取ってきたレイのトレーを見て悔しそうに食べながらそう言う。
「残念だったな。取ってこれなければ、罰ゲームをやらせて俺たちの分を分けてやる予定だったのに」
カウリ伍長の言葉に、レイは目を瞬いた。
「ええ! そんな事になってたんですか? でも大丈夫です。僕、食料の確保には自信があります!」
胸を張ってそう言うと、何故だか全員からまた拍手をされた。
夕食と湯を使った後は自由時間だ。
レイは、カウリ伍長に断ってから、精霊通信の出来る部屋へ行った。
「レイニ等兵、担当者を付けますか?」
受付で身分証を出すとそう聞かれた。担当者とは、第四部隊の声飛ばしの出来る者に頼んで相手を呼んでもらう事だ。
「僕は、声飛ばしが使えますので大丈夫です」
「了解しました。では、6番の部屋へどうぞ」
利用者の控えのノートに名前を書く欄があり、指示されるままに6番と書かれた場所に、レイ二等兵、と書いた。
扉を閉めて、椅子に座るとルークを呼んだ。
『お疲れさんどうだ初めての共同生活は』
ルークの声がシルフから聞こえる。
「何だか色々と違っててびっくりしちゃったよ。今日は、一日倉庫で荷物運びをしてました。重くてちょっと腕が痛いです」
『ご苦労さん今の時期はそっちは忙しいからな』
笑うルークの声に、レイも笑顔になった。
「あのね、ちょっと気になったから一応報告」
『ん? どうした?』
ルークの口調が一気に真剣になる。
「えっと、六班の班長のカウリ伍長なんだけどね。精霊が見えているよ、間違い無いです。聞いてみたらシルフは仲良しだって言ってた。軍で精霊魔法を使える人って、全員第四部隊に行くんじゃ無かったの?」
それを聞いたルークは、大きなため息を吐いた。
『ああやっぱりそうかお前が確認したのなら間違い無さそうだな』
「やっぱりって。知ってたの?」
レイの質問に、ルークは少し考えて答えてくれた。
『彼に精霊が見えるんじゃないかって事は実は以前にも報告を受けてるらしいよ』
『だけど事実確認は出来ていない』
「あれ、じゃあ、勘違い? でもそんな筈無いよね。シルフが仲良しだって言ったよ」
思わず首を傾げるレイに、目の前のシルフは首を振った。
『適性検査を受けさせたんだが結果は散々だったらしいよ』
『恐らくわざとなんだろうな』
『だけど精霊が見えてると思われる事例がいくつも報告されてるんだ』
「えっと、僕がやったみたいに精霊使いが彼を見たら、少なくとも分かるんじゃないの?」
目の前のシルフは、もう一度首を振った。
『ところが第四部隊の者に確認させたら分からないと言われた』
「分からないって……どう言う事? シルフに聞けば済むんじゃないの?」
『そう思うだろう? だけどどの兵士も分からないと言うんだ』
『もしかしたら上位の精霊使いかも知れないって意見まで出てね』
『それで今回良い機会だからお前に行ってもらったんだよ』
基本的に能力の見極めは、その人物よりも上位の者にしか分からない。
その意味では、竜の主になり精霊魔法に目覚めたレイは、ブルーの基本能力を受け継いでいるので精霊使いとしては最強の部類に入る。なので、ほかの精霊使いでは分からなかった彼の能力も、レイには見極める事が出来たのだ。
これで、少なくとも一つはレイをここに寄越した目的を達した事になる。
『まあ、本人が隠してる以上無理強いしても反発を食らうだけだろうからな』
『もし機会があれば一度彼と精霊魔法について話してみてくれ』
『無理はしなくて良いからな』
「分かりました。折を見て話してみます」
頷いたレイは、その後いくつか話をしてからおやすみの挨拶をした。
手を振っていなくなるシルフを見送って立とうとした時、ブルーの大きなシルフが目の前に現れて手を振ってくれた。
「あ、ブルー。今日からお城勤めなんだよ」
目を輝かせて座り直して話しかけると、ブルーのシルフも嬉しそうに何度も頷いた。
『ああ、こっそり見ておったぞ。なかなか楽しそうだったな』
「うん、新しい同僚の人達も、皆良い人ばかりみたいだよ」
『まあ、色々ありそうだが、少なくともいかにもな悪人はいないな』
面白がるようなブルーの声に、レイも声を上げて笑った。
「あ、ねえ。ブルーなら詳しく分かるよね? 班長のカウリ伍長って……」
『ああ、あれは単なる面倒臭がりだ。相当の腕の精霊使いなのに、それを受け入れようとしない』
「やっぱりそうなんだ? シルフたちは仲良しだって言ってたもんね」
『だが、何やら事情がありそうだ。話をするなら注意しろよ。いきなり秘密にしていることを暴くような真似をすると、嫌がって何かしてくるかも知れんぞ』
「悪い人には見えなかったけどな……でも、わかったよ。話す時には気をつけるね」
そう言って、手を振っていなくなるシルフを見送った。
受付に終わった事を告げてから廊下へ出た。
「さあ、後はもう寝るだけ。明日は何をするのかな?」
大きく伸びをして部屋へ戻ろうと歩き出し、角を曲がったところで目の前に立つカウリ伍長とぶつかりそうになった。
「あ、失礼しました!」
慌てて脇へ寄り道を譲る
しかし、彼はそのままその場に立ってこっちを見ている。
「お前、そのシルフ……」
いつの間にか、レイの肩にはブルーのシルフが座って彼を見ていた。彼も明らかにシルフを見ている。
「えっと……班長はこの子が見えるんですね?」
それには返事せずに、彼はレイの目の前まで顔を近付けて来た。思わず後ろに下がり、また距離を詰められる。とうとう壁に背中が当たりこれ以上下がれなくなった。
「あの……近いですよ。班長……」
顔の両側に両手をつかれて身動き出来なくなった。
しかし目の前に迫る彼の顔は、からかう様子は無く真剣そのものだ。
「誰かに言ったか?」
主語の無い質問に、分かっているが敢えて知らないふりをする。
「な、何をですか?」
「言っておくが、俺は第四部隊へ変わるつもりは無いからな。勧誘はお断りだ」
「でも……見えるんでしょう?」
壁に追い詰められているが恐怖心は無かった。彼が、本気で自分を攻撃しようとしているのでは無いと分かったからだ。
理由は無い。ただそう思ったのだ。
追い詰められても怖がる様子の無いレイを見て、カウリ伍長はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「もうちょっと怖がれよ。つまらん奴だな。俺如きが何をしても怖く無いってか? さすがお貴族様は言う事が違うね」
敢えて喧嘩を売るような言い方に、レイは違和感を感じた。
「班長、何を怖がってるんですか? 精霊魔法を使える人は貴重だって聞きました。それに、友達から第四部隊はお給料が良いって聞きましたよ。せっかくの貴重な能力なんだから、役立ててはどうですか?」
煽るつもりで、態と何でも無い事のように言うと、見事に煽られてくれた。
「何も知らんガキが生意気言ってるんじゃねえよ。殴るぞ!」
突然拳を突き出されて、殴られる覚悟をした。しかしレイは目をつぶらなかった。
突き出された拳は、レイの鼻に当たる直前でピタリと止められた。
「腹立つくらいに肝が座ってやがる。やっぱりそうだな……お前……古竜の主だろう?」
突然正体を見破られて、今度はレイが慌てる番だった。
「ええ! どうして分かったんですか?」
思わず叫ぶと、いきなり吹き出した。壁についていた手を離してしゃがみ込んで笑っている。
「お前、素直にも程があるぞ。鎌かけられたって分かってるか?」
「えっと……」
何の事だか分からなくて困っていると、ニコスのシルフが現れて教えてくれた。
『彼も確信は持てなかったけど敢えて知ってるみたいに聞いてきたの』
『貴方が肯定しちゃったからそれで真実が分かってしまったのよ』
それを聞いた瞬間、レイも頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「うわあ、やられた。僕、単純過ぎる!」
「面白過ぎるぞ、お前。潜入捜査には絶対不向きなタイプだな」
「別に、潜入捜査じゃ無いです。団体行動や共同生活ってした事がないから、経験して来いって言われたんです」
身分がバレてしまっては、もうここにはいられないだろう。そう思って素直に白状したが、彼はまだ笑いを残したまま立ち上がった。
「お前が良いなら、俺は気にしないぞ。今まで通り二等兵として扱ってやる」
「ええ! 良いんですか!」
目を輝かせるレイを見て、もう一度吹き出して笑い出した。
「ただし交換条件だ。お前も俺の事を知らん振りするなら、俺もお前の事を知らん振りしてやるよ。どうだ? 悪くない条件だと思うけどな?」
立って向かい合うと、二人の身長はほとんど変わらない。
わざわざ下から覗き込むようにしてそう言う彼に、レイは大きなため息を吐いて首を振った。
「良いですよ。って言いたいところなんですけど……ごめんなさい。たった今ルークに報告しちゃいました」
その言葉を聞いた彼は、何度か目を瞬かせて固まった。
「あの……カウリ伍長? どうしたんですか?」
「はあ? 何でここでルーク様の名前が出てくるんだよ?」
「え、だって……僕の教育係はルークなんです。本当はマイリーになる予定だったらしいんだけど、ほら、大怪我をなさったでしょう」
慌てたようにそう言うレイを、彼はマジマジと見つめた。
「マジか。お前、本当に竜騎士見習いかよ」
どうやら、さっきの言葉は信用されていなかったようだ。
『失礼な奴だな。我の主に無礼は許さんぞ』
肩に座ったブルーのシルフが、態とらしく怒った声でそう言う。
「おお、失礼しました。噂の古竜かよ。さすがは連れているシルフも違うな。デカイにも程があるぜ」
感心したようにそう言うと、肩を竦めた。
「報告済みかよ。残念、遅かったか。まあ良いや。もしなんか言ってきてもしらばっくれるから、お前もこれ以上何も言うなよ」
頷きながらも、レイは聞かずにはいられなかった。
「どうして、そんなに第四部隊へ行きたくないんですか?」
「倉庫整理が好きなんだよ」
立ち去りかけていた彼が振り返ってそう言う。
「ええと……なんて返事したら良いですか?」
「冗談だって。真顔で受けるなよ。傷付くじゃねえか」
泣く振りをしながらそんな事を言われて、レイは大きくため息を吐いた。
「本音を言えば、行きたくないからだよ。それだけだ」
理由にはならないと思うが、もうそれ以上話す気は無いようで、手を上げてそのまま立ち去ってしまった。
しかし、格好つけて立ち去ろうとしても、どうせ戻る場所は同じなのだ。
小さく笑って、肩に座ったシルフにキスを贈ると、レイはカウリ伍長の後に続いた。
「ついて来るな!」
「僕の歩く前を、班長が歩いてるだけです」
「あっちへ行け!」
「廊下を歩く権利は、誰にでもあると思いますけど」
「口の減らねえ野郎だな。こうしてやるー!」
いきなり頭を抱えて髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。
「やめてください!暴力反対!」
「あ、こいつ上司に口答えしやがったな。こうしてやる!」
笑いながら指先で思いっきり弾かれて、レイは堪える間も無く撃沈したのだった。
「おかえりー。どうした? ここ赤くなってるぞ」
額を抑えながら帰ってきたレイに、ベッドに転がっていたジョエルが笑ってそう言った。
「えっと班長に絡まれました」
部屋は、二等兵三人とルフリー上等兵との共同部屋だ。廊下を挟んだ向かいの部屋に、カウリ伍長が二名の伍長と一緒に入っている。
「お疲れさん。まあ、これも新人の通過儀礼だと思えよ」
「伍長は、俺が言うのも何だけど良い上司だぜ」
「有能だしな。話も早いし」
「うん、僕も嫌いじゃ無いよ」
笑って言うと、小柄なクリスに飛びかかられた。
「生意気言いやがってーこの! あ、畜生。全然抑えられないぞ」
「加勢するぞ!」
「おう、第六班の協調振りを見ろ!」
いきなり三人に飛びかかられてベッドに押し倒されて、レイは悲鳴をあげて転がって逃げた。
「あ! 逃げたぞ! 追いかけろー!」
態とらしいルフリー上等兵の言葉に、また三人が一斉に飛びかかる。
白熱した追いかけっこは、隣の部屋の兵士がうるさいと怒鳴り込んでくるまで延々と続いたのだった。




