それぞれの思惑
「やはり大問題……だな」
空になったマイリーのグラスにウイスキーを注ぎながら、ヴィゴは改めてそう呟いた。
そんな彼を見て、マイリーは新しく注がれたグラスを傾けて目を閉じた。
「正直言って、まさかこんなに早く彼の恋が成就するとは思わなかった。しかしこうなった以上、我らも知らぬ振りは出来ないぞ。あれだけの衆人環視の中で堂々と花束を渡したんだろう? しかも相手は女神の巫女の制服を着ていた。ガンディがその彼らと一緒だった事は、少しでも目端の利く人物ならすぐに気がつく……今頃大騒ぎになっているぞ。あの花束を渡した若者は誰だってね」
ヴィゴはマイリーの言葉に、思わず呻き声を上げた。
「そうなるよな……やはり」
まだ正式なお披露目をしていない未成年であるレイルズの事は、表向きは竜騎士隊の関係者しか彼の顔を知らない事になっている。しかし、彼が竜騎士隊の本部から精霊魔法訓練所へ通っている事は、すでに多くの生徒が知るところだ。
少し調べれば、容易く辿り着くだろう。
新しい竜騎士見習いである彼と縁を結びたいと考えている者は多い。しかも、ガンディが彼の事を気に入っている事も見ていれば分かる。
レイルズを味方につければ、貴族達の勢力争いに無関心なガンディを自分の陣営に引きずり込めるかもしれない。これは一挙両得だ! と、張り切るものが間違いなく現れるだろう。
また、政治的な権力は持たない竜騎士隊だが、貴族達の権力争いと無関係というわけでは無い。現に、彼らも竜騎士隊を援助してくれる貴族達と付き合っている。それとても誰でも良いというわけでは無いのだから。
「現に、つい先程、俺の配下の者から予定通りに偽の情報を流したと連絡があったぞ」
ニンマリと笑うマイリーの言葉に、ヴィゴは飲んでいた手を止めて顔を上げた。
「偽の情報? 何の事だ?」
「まあ、あの若者が誰かって事は、少し調べれば簡単に判明する。竜騎士見習いの若者、それはすなわちあの古竜の主である事を意味する。そうなると、次に彼の身元を知ろうとするだろう。どこの出身であるか、誰がその彼の後ろ盾になっている? つまり彼の背後には誰がいる? 皆、自分の価値観で彼を計ろうとするだろう。その人物に近付けば、簡単に彼を取り込めると考えてな」
グラスを持ったまま、マイリーは小さく笑った。
「そこで、俺の配下の者達に指示して、偽の情報……つまり、ある人物がレイルズの後見人だという情報を流させた。引っかかった誰かがその人物に接触してくれば、労せずして貴族間の水面下の勢力争いの一端が見られる訳だ」
「まだ、王妃様が彼の後見人になられる事も公表していないからな。確かに引っかかる者がいるだろう。それで、一体誰にその役目を? 生半可な人物では嘘と見破られる危険があるぞ」
無言で笑ったまま自分を見つめる彼を見て、ヴィゴは考えた。
古竜の主の後見人として不自然がないほどの人物。それはつまり、宮廷で相当な権力を持ち、竜騎士隊と懇意にしている信頼出来る人物である事が最低条件だ。
そんな人物がそう簡単にいるか……?
そこまで考えて、ある人物が彼の頭の中に現れた。
「まさか! ……ディレント公爵か?」
「正解。よく出来ました」
そう言って笑うと、マイリーは腕を伸ばして空になったヴィゴのグラスにウイスキーを注いだ。
「元々、この話は彼の方から持ってきてくれた。もしも、見習い期間中のレイルズに何かあれば、マティルダ様の代わりに後見人だと言って自分の名を出してくれて構わないとね」
「成る程、確かに俺より適任だ」
注がれたグラスを傾けて、ヴィゴも小さく笑った。
「まあ、そっちは任せろ。正直言ってどうとでもなる。それより問題は……」
まさにそれが問題だと思っていたヴィゴは、驚いて顔を上げた。
「待て、他に何がある? 何が問題だ?」
横目で見て、マイリーは肩を竦めた。
「だから考えろ、恋愛は相手がいないと出来ないんだぞ」
「つまり……彼女に何か問題があると?」
ヴィゴも、自分の配下の者に彼女の事を調べさせている。各街での友人関係などの報告もあったが、はっきり言って、問題が無い事が問題だと言いたくなる程に、余りにも何も無かった。神殿内部のみの友人達、それとても、街から出た時点でほぼ途切れている。亡くなった両親の親族も、遠縁の者がいないわけでは無いが、両親が亡くなって以降の付き合いは全く無い。彼女自身にも問題があるようには思えなかった。
「最大の問題は、彼女が有能だって事だよ」
天井を見上げて、マイリーが妙な事を言い出した。
「有能、大いに結構ではないか。何が問題だ?」
大きくため息を吐いて、マイリーはグラスを煽った。
空になったグラスを机に叩きつける。
「彼女は、光の精霊魔法を使うんだぞ。そんな人物を、神殿側が手放すと思うか?」
「あ……!」
目を見開いたヴィゴを見て、マイリーは鼻を鳴らした。
「これが普通の巫女だったら話は簡単だ。二人が成人して、この恋が本物だとしたら、正式にこちらから神殿に申し入れをして、彼女を還俗させてくれるように頼めばすむ話だ。そうすれば、堂々と結婚できるさ」
肩を竦めて、新たに注がれたウイスキーを口にする。
「しかし、光の精霊魔法を使えると分かった時点で、間違いなく神殿側は、彼女の将来に相当な期待をしているだろう。もしかしたら、既に彼女の将来の地位まで決定しているかもな」
「確かにその通りだ……神殿側は、間違い無く彼女を手放さないだろう」
唸るような声でそう言い、マイリーを睨むように見た。
「改めて質問だ。お前はどうするつもりだ」
自分を睨みつけるヴィゴを平然と見返して、マイリーは手にしたグラスに目を落とした。
「以前の俺なら、レイルズにこう言っていただろうな。そんな不毛な恋は諦めろ。時間の無駄だ」
「お前!」
思わず立ち上がったヴィゴを、マイリーは笑って見返した。
「落ち着け。言っただろうが。以前の俺なら、と」
座るように手で促して、もう一度天井を見上げた。
「そして一番簡単なこの恋の終わらせ方は、裏から手を回して彼女をこの街から遠ざける事だ。その際に手切れ金でも渡してはっきり言ってやればいい。お前は竜騎士の相手には相応しくない。二度と彼の前に現れるな。とね」
「まさかとは思うが……」
「やらないよ。俺をなんだと思ってる。幾ら何でも俺はそこまで人でなしじゃないさ」
苦笑いしたマイリーは、もう一度天井を見上げた。
「まあ、問題を先送りするのは俺の流儀に反するが、この件に関しては両手を上げてこう言うよ。未成年二人の初恋だ。正直言って打つ手なし。今は見守るしか無いってね」
その言葉を聞いて、ヴィゴはホッとしたように笑った。それを見てマイリーも小さく笑って肩を竦めた。
「まあ、神殿内部にもいくつか伝手があるからね。有効に活用させてもらおう。まずは情報を集めるのが先決だ。彼女の恋を知った神殿側の態度が分かれば、こちらとしても手の打ちようもあるだろうからな」
マイリーのその言葉に、ヴィゴは慌てたように顔を上げた。
「そうか。最悪の場合、神殿側から邪魔が入る可能性もあると?」
「まあ、神殿側としても、あからさまに竜騎士隊に喧嘩を売るような事はしないだろうが、聖職者の扱いは、貴族達と違って色々と難しいからな」
若干遠い目になる彼を見て、ヴィゴはまたグラスに酒を注いだ。
「そっち方面は、役に立たなくてすまんな」
「何、気にする事はない。これは俺の仕事だよ。しかも、最近はルークが手伝ってくれるから、ずいぶんと楽させてもらってるよ」
乾杯するようにグラスを上げて、マイリーは笑った。
「この怪我のおかげで、俺は色んなものを失った。だけど、得たものも多い。今までとはまた違った取り組み方が出来て面白いよ。実はこれでも結構楽しんでいるんだ」
「そうか。なら今は、若者達の未来に乾杯……だな」
差し出されたグラスを軽く合わせて、二人は残りを一気に飲み干した。
「遅くにすまなかったな。それでは失礼するよ」
立ち上がったヴィゴに、マイリーも笑って頷いた。
「美味い酒だったよ。また飲もう」
「ああ、良い酒が手に入ったらまた来るよ。アーノック、遅くにすまなかったな。マイリーを頼む」
帰る時に、隣の部屋にいるアーノックに声を掛けて、出てきた彼にマイリーを任せた。
廊下に出て大きなため息を一つ吐くと、ヴィゴは明かりの灯された廊下を歩いて部屋に戻った。
「難しいな。どちらの立場も、ただ好きなだけではすまないのだからな……」
一方、女神オフィーリアの神殿でも、密かに一部の者達の間で彼女の事が話題になっていた。
「よりにもよって、何故! 何故竜騎士なのだ。他にいくらでも男はいるだろうに!」
「全く以って同感だ。しかし、認められぬからと言って、表立って竜騎士隊を敵に回すのは如何なものかと……」
「そんな事は分かっておる! だから困っておるのだ。全く、ただの若者ならいくらでも手の打ちようが有ろうに」
憮然とした顔で話をしている彼らは、皆、一様に豪華な肩掛けをまとっている。ここに集まっているのは、精霊王の神殿と女神オフィーリアの神殿の上層部の聖職者達だ。
神殿ではこの百年を振り返っても、光の精霊を扱えた者はいない。突然現れた幼かったクラウディアの存在は、彼らにとってまさに期待の星だったのだ。
無事に巫女の資格を取った彼女を、予定通りにオルダムへ来させた。
ここでの生活に慣れれば、彼女をまずは城の分所に勤めせて貴族達とのつながりを持たせ、後ろ盾となってくれる人物を探させる。その後は、神殿内部で責任ある地位を与えて、神殿の代表として活躍してもらうつもりだったのだ。
それが、まさかの竜騎士見習いとの恋愛。しかも、彼女からでは無く、相手側からの好意なのだという。
万一、正式に彼女を還俗させろと竜騎士側から言われた時、こちらの一存で断る事が出来るのか。考えただけで頭が痛くなる一同だった。
俗世との関わりを出来る限り断ち、己の欲を否定して厳しい戒律の中で暮らす聖グレアムの神殿と違い、女神オフィーリアの神殿では、目に余るようなあからさまな行動は慎むように言われるが、恋愛自体が特に禁止されているわけでは無い。巫女の中には、結婚する為に還俗して神殿を去る者もいるくらいだ。
しかし、殆どの場合はそこまでする者はいない。その為、女神の巫女とは恋する事は許されるが実らぬ恋の代名詞、とも言われている。
「とにかく、幸いな事に二人ともまだ未成年です。しかもその竜騎士見習いのレイルズ様は、未だ正式なお披露目は無く、貴族達の間でも彼を知る者は限られております。ここは考え方を変えるべきかと。そのようなお方と縁を結ぶ事が出来たのですから、将来的に神殿との関わりを持って下さるやも知れません。今は下手な口出しはせずに見守るべきかと」
その人物の意見に、周りの者達も次々に同意した。
「確かにまだ未成年だというのは、ある意味、暴走しがちな若者の恋の抑止力にもなりましょう。ならば、今のところは様子見という事でよろしいですかな?」
「やむを得まい。下手に口出しして竜騎士達を怒らせても、こちらには何の得も無いからな」
「ならばそのように致しましょう。一応、彼女の行動に監視は付けておきます」
「監視の行動は慎重にな。彼女も、それからあのタガルノから来たニーカも、かなりの精霊魔法の使い手なのであろう?」
「ご心配無く。決して疑われる人物ではありませんから」
「そうか、ならば任せる。何か変化があればすぐに報告を。一番気をつけねばならぬのは、既成事実を作られる事だからな」
「確かに。子供が出来れば、還俗を断る事は尚の事難しくなるでしょうからな」
大きなため息と共にそう言うと、一同は立ち上がった。
窓辺に座って、隠れて彼らの会話の一部始終をブルーの大きなシルフが聞いていた事に、最後まで彼らは気づく事が出来なかった。




