それぞれの花祭り二日目
翌朝、いつものようにシルフに起こされたレイは、いつもとは違うベッドから起き上がって大きな欠伸をした。
「おはよう。えっと、今日からの予定ってどうなってるんだろうね?」
髪を引っ張るシルフ達に挨拶をしたら、また欠伸が出た。
結局、昨夜は空が白み始めるまでずっと空を見ていたので、あまり眠っていない。
「ふああ……やっぱり眠いや。でも、朝練があるなら参加したいな。身体を動かしたら目が覚めると思うな」
身体を大きく伸ばしたところで、ノックの音がしてラスティが顔を出した。
「おはようございます。おや、もう起きていらっしゃいますね」
彼が手にしているのは、いつもの騎士見習いの服だ。
「おはようございます。えっと、今日からの予定ってどうなってるんですか?朝練とか、精霊魔法訓練所へ行っても良いの?」
「朝練に参加ご希望なら、城の訓練所は第二部隊の一般兵も多くいますから、レイルズ様が参加なさるのはちょっと問題がありますね。それならラプトルを出しますから、竜騎士隊の本部に戻って、いつもの朝練に参加してください。精霊魔法訓練所は、花祭りの期間中は、一部の日時の決まっている特殊な授業のみで、基本的にはお休みです。ただし、図書館は開放していますから、自習は自由にできるそうですよ。どうされますか?」
「えっと、竜騎士隊の皆は?」
「皆様……まあ、色々とお忙しいようですよ。ヴィゴ様が、花祭りの期間中に、レイルズ様をご自宅に招いてくださると仰っていましたので、まだ日は決まっておりませんがヴィゴ様の予定を確認しておきます」
目を輝かせるレイに、ラスティは笑った。
「お嬢様方が、見事な花の鳥をお作りになったのだとか。ヴィゴ様が嬉しそうに話しておられましたよ」
「楽しみにしています! でもそっか……花祭りの期間中は、精霊魔法訓練所は自習だけなんだ。マーク達は警備に駆り出されるから期間中は忙しいって言ってたし、クラウディアとニーカも、神殿で花の鳥の講習会を手伝うって言ってたもんね。じゃあ、もしかして誰も来ないかな?」
「リンザス様とヘルツァー様も、恐らくお忙しいと思いますよ」
花祭りの期間中は遠方からの来客も多い。貴族の子息なら、間違いなく訓練所は休むだろう。
「そっか、じゃあ僕もお休みにしようかな。自習するだけなら、こっちでも出来るもんね」
「それがよろしいかと。花祭りの期間中は外部からの来客の方も多いですからね」
「じゃあ僕は今日は、本部へ戻って自習かな?」
話しながら着替えていたので、最後の剣帯を締めながらそう言った時、机にシルフが現れた。
『おはようガンディじゃ』
『レイルズはもう起きておるか?』
これは通常の声飛ばしだから、ガンディの言葉を伝えてくれるだけでシルフの声だ。
振り返ったレイは、嬉しそうに答えた。
「おはようございます! 今、着替えが終わったところです。ねえ、ルークは? 白の塔に入院したって聞いたけど、大丈夫なの?」
その言葉に、シルフは小さく吹き出した。周りに現れたシルフ達も皆笑っている。
『まあ心配いらんよ』
『顔を相当殴られておったからな』
『頭の中に万一の事があってはならんからな』
『経過観察の為に念の為入院してもらっただけだ』
『今朝の診察で問題無しと分かればとっとと追い出すわい』
その言葉に、レイだけで無く側で聞いていたラスティまでが吹き出した。
「し、失礼致しました」
慌てたように、笑いを堪えつつそう言うラスティの背中を叩いて、レイも一緒に笑った。
「ルークの怪我も大丈夫みたいで良かったね。えっと、公爵様は? そちらも大丈夫なの?」
その言葉に、シルフは笑いながら器用に肩を竦ませた。
『まあ前歯が折れておるからな』
『義歯を入れる為に後日また入院だがな』
『それ以外は特に大きな怪我はないぞ』
「ええ! 公爵様は歯が折れたの?」
思わず聞き返すと、ガンディの吹き出す声までシルフは律儀に伝えてくれた。
『儂は見なかったが左からの見事な一撃だったらしいからな』
「さ、さすがはルークだね」
昨夜、ヴィゴとマイリーから、壮絶な殴り合いだったとは聞かされていたが、具体的な怪我の話は無かったので、大丈夫だと思っていた。
「まあ、歯なら……ガンディ様の仰る通り、義歯という手も有りますからね」
ラスティの言葉に、レイも頷くしか無かった。
『まあそんな訳だから心配いらんよ』
『双方納得の上での勝負だから』
『公爵に怪我をさせたと問題になる事も無いわい』
「良かった。それならもう心配ないね」
ラスティと顔を見合わせて、もう一度笑い合った。
『それで其方の今日の予定はどうなっておる?』
話を変えてそう聞くガンディに、レイは思わずラスティを見た。
「えっと、今から本部に戻って朝練に参加するつもりだったよ。その後は、部屋で自習します。訓練所も花祭りの期間中は自習だけみたいだし」
『なら今日は儂と一緒に街へ行こうか』
『オフィーリアの神殿のニーカの様子を見ておきたいからな』
「行きます!」
即座に返事をするレイに、ガンディはまた吹き出している。隣では、ラスティも必死で笑いを堪えていた。
『なら朝練は行ってきなさい』
『朝食の後迎えに行くからな』
『出掛けられる服に着替えて待っておれ』
「分かりました!」
『それじゃ後でな』
くるりと回っていなくなるシルフを見送って、レイは嬉しそうにラスティを見た。
「じゃあ、今日の予定は決まったね。えっと、着替えの用意をよろしくお願いします」
「かしこまりました。それではまた、いつもの第二部隊の一般兵の服をご用意しておきます」
レイの脱いだ服を手にしたラスティがそう言って頷き、ひとまず、朝練の為に本部へ戻る事にした。
いつもの時間よりも少し遅れて参加した本部の朝練には、竜騎士隊からは今日は誰も来ていなかった。
顔馴染みの第二部隊の兵士達と一緒に、軽い手合わせの後棒術訓練の乱取りに参加させてもらった。
しっかり身体を動かして満足したレイは、部屋に戻って汗を拭いて、ラスティ達と一緒に本部の食堂で朝ごはんを食べてから出かける準備をした。
準備万端整えて休憩室で待っていると、いつもより少し身軽な服装のガンディが来て一緒に外へ出た。
「それでは気をつけていってらっしゃいませ」
レイはいつものラプトルのゼクスに乗り、ガンディはゼクスよりも一回り大きなラプトルに乗った。
「では、行くとしよう。いつもの道は、人があふれておるから、別の道から街へ出るぞ」
まだとても道を覚えるどころではないレイだ。走り始めたガンディの乗ったラプトルの後ろに、素直について行った。
途中、城のあちこちに飾られた花の鳥や大きなリースを見ながら、ゆっくりとラプトルを進めた。
「精霊魔法訓練所でも、見事に花が飾られておるぞ。時間はあるし、少し遠回りだが行ってみるか?」
嬉しそうに頷くレイを見て、ガンディは途中で道を折れて別の通りへ向かった。
「花祭りの始まる前に、こっそり上空から見学したんだ。教授や生徒たちが中庭に出て花の鳥を作ってたよ」
「期間中は、基本的に授業は休みなんだが、良い機会だからと毎年入学希望の見学者が多いんじゃよ。なので、教授達はその対応で大忙しだぞ」
「そうなんだ。お休みなのに、誰が花の鳥を見るのかと思ってたの。見学の人達が来るんだね」
そんな話をしながら、いつもの通い慣れた道に戻って訓練所へ向かった。
「うわあ、ほんとだ。すごい人!」
ラプトルの背の上で、レイは思わず声を上げた。
普段なら、この時間には中庭には数える程しか人がいないのだが、以前ツリーが飾られていたのと同じ、正面に並んだ花の鳥の周りは大勢の人であふれかえっていた。
「うむ、これは入っても碌に見学出来そうに無いな」
ラプトルの背の上で、ガンディが呆れたようにそう言い、レイも同意するように何度も頷いた。
「えっと、ここからなら中庭の花の鳥が見えるよ」
正門から少し横に行った場所で、レイは中を指差した。
少し横からになるが、そこからなら確かに、中庭の花の鳥を見る事が出来た。
「おお、本当だな。ここの鳥達は、少し大人しめの色合いが多いな。しかも鳥の顔や足に木枠を使ったのが多いな。おお懐かしい。昔はこっちが主流だったんじゃぞ」
目を細めたガンディの言葉に、レイも笑って頷いた。
「去年、ブレンウッドの花の鳥を見た時に、ニコスもそんな事を言っていたね」
「王都では、ここ数年、こう言った昔ながらの花の鳥もまた見掛けるようになったな。豪華で賑やかな花の鳥を見慣れた若い者達には、逆に新鮮に映るのであろうな」
「僕も良いと思うよ。広場で見たような大きいのも凄いと思うけど、こっちの方が、なんて言うか……女神様の為に作りました、って感じがする」
「確かにな。年々賑やかになって規模が大きくなり、専門の職人達まで現れて、花の鳥もどんどん複雑になってきておる。でも、素人が作るなら……多分これで良いのだろうな」
気がすむまで眺めていた二人は、顔を見合わせて笑い合うと、ゆっくりと街へ向かってラプトルを進ませた。
「ニーカ。倉庫から赤い色の花の箱を取ってきてくれる」
「はい、イサドナ様。すぐに持ってきます」
「ああそれなら、白い花もお願い」
奥から聞こえた声にも返事をして、ニーカは花を保管してある地下の倉庫へ走った。
色別に箱に並べられた花を覗き込み、担当の神官に声を掛けて赤と白の花の箱を、それぞれ三つずつ積み上げてもらって受け取る。
「シルフ、倒れないように支えていてね」
小さな声でそう言うと、何人ものシルフ達が現れて楽しそうに笑って頷いてくれた。
足早に階段を登り、先ほどの部屋へ戻った。ここは、講習会の為の花を小分けして用意する、準備室と呼ばれている部屋だ。
「赤と白のお花、お持ちしました」
大きな声でそう言い、まずはイサドナ様に赤い花の入った箱を渡した。
奥から受け取りに来た巫女に白い花の箱を手渡したところで、また次の花を頼まれた。
「青と紫ですね。他にはありませんか?」
大きな声でそう言うと、奥から別の声が聞こえた。
「黄色の大きめの花もお願い。もう全然無いの。多めに持って来てくれる」
「分かりました、すぐにお持ちします」
大きな声で聞こえるように奥に向かって返事をして、また地下の倉庫へ走った。
この神殿で開催している花の鳥の花束の作り方講習会は大人気で、初日の昨日は、時間によっては順番待ちの行列が出来ていたのだ。
ニーカは昨日から、一日中準備室と地下の倉庫をひたすら走り回り、準備室で足りなくなりそうな色の花を地下の倉庫から運ぶ役を務めていた。
頼まれた花をそれぞれの場所に届けた時、イサドナ様が笑顔で手招きしているのに気が付いた。
彼女は少し前に右足を挫いてしまい、動くには介助がいるのだ。てっきりどこかへ行きたいから手助けを呼んでいるのだと思い慌てて駆け寄ったが、彼女は笑って首を振るとニーカの口に赤い色の小さな飴玉を入れてくれた。
「よく働く運び屋さんにご褒美ですよ」
柔らかめの甘いその飴を舐めながら、ニーカは笑顔でお礼を言った。
ここに来て、彼女は飴が大好きになった。
イサドナ様や、何人かの僧侶や神官が、こうして時々、ご褒美だと言って彼女の口に飴を入れてくれるのだ。
「ここの人達は皆、本当に良い人ばかりね」
壁際に置かれた冷えたお茶を飲んで、小さくなった飴を口の中で転がしながら、彼女はまた足りない花が無いか聞きに行った。
午前中一杯、何度も倉庫と準備室を往復し、ようやく昼食の交代時間になった。
別の休憩室には、小さな木の箱に入ったお弁当が用意されている。入り口で名前を言ってお弁当をもらい、空いている席に座って大急ぎで食べた。
普段なら、少しはゆっくり休憩出来るが、花祭りの期間中は、まとめてゆっくり休憩時間を取れない。何度かに分けて、交代で少しずつ休憩を取っているのだ。
「お疲れ様。頑張ってるわね」
お弁当箱を持ったクラウディアが隣に座ったので、ニーカは目の前に置かれたポットから、既に入れてあるお茶をコップに入れて渡した。
「ディアもお疲れ様。講習会は大人気みたいね」
「ええ、人が多くて驚いたわ。さすがはオルダムね」
食前のお祈りをしてからお弁当の蓋をあける。
「まあ綺麗、お花のお弁当ね」
真ん中にハムとレタスで、まるで花のように丸めて重ねて作ったサラダがあり、その隣には卵のたっぷり入ったパンが入っている。緑色と黄色の茹でた豆も所々に飾られていて、まるで小さな花畑のようだ。
「美味しかったよ。それじゃあ私はもう戻るね。午後からも頑張ろうね」
右手を叩き合って笑い合い、ニーカは空になった弁当箱を持って立ち上がった。
お弁当箱を返して廊下に出た彼女は、腕を大きく上に突き出して思いっきり伸びををした。
「さあ、午後からも頑張ろう!お手伝いよろしくね」
目の前で、一緒に伸びをする振りをしている仲良しのシルフ達に笑顔で話しかけて、ニーカは足早に準備室へ戻った。
待ち兼ねていたかのように幾つもの花を頼む声に元気に返事をして、復唱しながら大急ぎで地下の倉庫へ走った。
頼りにされていると思える事は、まだ幼い彼女に自信と責任感を与えたのだった。




