朝練と見送り
翌朝、いつもの朝練に参加したレイは驚きの声を上げた。
そこにいたのは、アルス皇子やマイリーを含む竜騎士隊全員と、オリヴェル王子とイクセル副隊長の姿だったからだ。しかも、全員白服を着ている。
「お、おはようございます」
とにかく、まずは大きな声で挨拶をした。
「おはよう。体が鈍って仕方がないと言ったら、ここに誘われてね」
「気にせずお相手してくれ給え」
準備運動をしているお二人にそんな事を言われて、レイは困ってしまった。
「えっと……」
思わず、隣にいたマイリーを見た。
彼は、白服の上からいつもの補助具を着けている。まさか、彼も朝練に参加するのだろうか?
「ほら、レイルズ。お前はこっち」
ルークに声を掛けられて、返事をして隣に座って準備運動を始めた。それから体を伸ばす柔軟体操をしてから立ち上がった。
いつもなら、誰かに相手をしてもらって棒術か格闘訓練なのだが、今日はどうしたら良いんだろう?
すると、マイリーが見覚えのある旋棍を取り出しているのに気付いた。
「オリヴェル殿下、久し振りにお相手願えますか?」
マイリーの持った旋棍を見て、オリヴェル王子は驚いたように彼の足を見る。
それは当然だろう。マイリーの足の事は既にご存知のはずだ。
「ご心配には及びませんよ。全く問題無く動けますから。何なら、誰かと手合わせして見せましょうか?」
以前、ブレンウッドのドワーフギルドで、マイリーがこの武器の一番の使い手なんだと、ガンディが言っていたのを思い出した。
「ヴィゴ、ならまずはお前が付き合え。久し振りに思いっきり体を動かしたい」
旋棍をひと組ヴィゴに渡すと、真ん中へ当たり前のように向かう。しかし、武器を受け取ったヴィゴも当然のようにその後に続いた。彼らの間では、これはいつもの事なのだ。
オリヴェル王子とイクセル副隊長は顔を見合わせてルーク達を見る。彼らも苦笑いしながら頷いてそれぞれに棒を持った。こちらはいつもの金剛棒だ。
皆が見守る中、それぞれに武器を構えて向き合ったヴィゴとマイリーはニンマリと笑った。
「行くぞ!」
声と同時にマイリーが一気に攻勢に出た。
目にも留まらぬ速さで打ち込み、甲高い音が立て続けに訓練所に響き渡った。受けたヴィゴも当然のようにそれら全てを打ち返す。
以前、ブレンウッドでバルテンとギードが打ち合っていた時よりも速い。
二人は目まぐるしく立ち位置を変えながら、途切れる事なく打ち合っている。互角に見えるが、マイリーの方が手数が多い。しかも、二人は旋棍だけでなく、合間に互いの肘や肩で押し合うようにして、身体をぶつけ合いながら打ち合っているのだ。旋棍が格闘術の延長と言われる所以でもあった。
「相変わらず、二人共凄いよな」
感心したようなルークの呟きに、初めて見るレイは、驚きのあまり言葉が出なかった。
「ブレンウッドから戻って直ぐにさ、マイリーに聞いたんだよ。あの旋棍の事。そうしたら大喜びで教えてくれてね。お陰で随分と腕が上がったぞ。初めは正直言って驚いたよ。まさか本人が実践してくれるとは思わなかったからね」
ルークの言葉に、もうこれ以上ないくらいに驚いた。
「ええ。ちょっと待ってよ。ブレンウッドから戻って直ぐって……」
ブレンウッドから戻って直ぐなら、あの補助具を着けて間も無くの時期だ。まさかその時期に、自らルークに旋棍で格闘術を教えた?
呆気にとられてルークを見ると、彼は苦笑いしながら頷いた。
「俺は、ヴィゴに教えてもらうつもりだったんだぞ。城にある訓練所でな、少し教えてやるから来いって言われて、喜んでノコノコついて行ったらもう……」
その時の事を思い出して、小さく笑ったルークは、まだ嬉々として打ち合っている二人を指差した。
「あんな感じで、全く手加減無し。そりゃあもう必死で受けたよ。反撃出来る余裕なんてあるもんかよ」
肩を竦めるルークは、それでも笑っていた。
「驚いた。普通に歩けるだけでも十分過ぎる程の驚きだったのに……あの動きは、以前と全く変わらないぞ」
隣に来たオリヴェル王子が呆然とそう言い、隣ではイクセル副隊長も無言で頷いている。
「私達がブレンウッドから持ち帰ってきた補助具よりも、今のマイリーが使っているものは、更に改良されていますからね。使っていて少しでも気になるところが有ると、直ぐに工房へ行って改良しています」
「本当に素晴らしい。あの補助具については、我が国からも技術者を寄越して、詳しい技術を教えてもらう事になった。ありがたい事だ。あれを開発したドワーフに心からの賛辞を送るよ」
満足そうにそう言うと、一旦手を止めた二人の所にオリヴェル王子は駆け寄った。
「素晴らしい。まさかここまで動けるとは思わなかったよ。是非お相手願おう」
彼の手にも旋棍がある。ヴィゴが一礼して後ろへ下り、マイリーは嬉しそうに構えた。
「お願いします。遠慮は無用ですぞ」
「ああ、お互い手加減無用で行こう!」
王子の声に、破顔したマイリーが打ち込まれた一撃を返す。先程と変わらない程の速さで、互いに打ち合う二人は、本当に楽しそうだ。
「お前達ばかり狡い! 私も混ぜてくれるって言っただろうが!」
アルス皇子の声に、見ていた若竜三人組とルークが吹き出し、半瞬遅れてレイも吹き出した。
「殿下。大人気無いですよ」
ルークの言葉に、皇子は、二本の金剛棒を手に二人の横から声を上げて打ちかかった。同時に構えた二本の旋棍が重なって棒を受け甲高い音を立てる。
「オリー交代だ」
アルス皇子が笑ってオリヴェル王子にそう言い、それを見たマイリーが笑って一礼して後ろに下がった。さすがに少し息が切れている。
オリヴェル王子は、アルス皇子が持って来た金剛棒に持ち替えると続けて打ち合い始めた。これもまた目まぐるしく攻守が入れ替わり速い。しかし二人の王子は、嬉々として打ち合い続けた。
「我が国では、本気で王子のお相手を務められるのは私を含めても数えるほどしかおりませんからね。ここの方々が羨ましい。王族であっても遠慮無く打ってきますからね」
「すみません。皆、負けず嫌いなもんで」
苦笑いするイクセル副隊長に、これも苦笑いしながらルークが謝っている。
「格闘術でも棒術でも、出来るだけ多くの人と手合わせする事は、上達する上でも重要です。そういう意味でもここの環境は羨ましいですよ。って事で、私もお相手頂けますか?」
金剛棒を手にしたイクセル副隊長の言葉に、ルークがレイルズの背中を叩いた。
「せっかくだからお相手してもらえ。イクセル様も棒術の使い手だぞ」
「是非お願いします!」
それを聞いたレイは、目を輝かせて前へ出た。
「おお、噂の古竜の主殿にお相手願えるとは」
満面の笑みのイクセル副隊長が、レイルズの前へ出て構えた。しかし、全く隙が無い。
「どうした。どこからでも打って来い!」
攻めあぐねていると大声で言われて、覚悟を決めた。
「お願いします!」
上段から打ち込み、当然受け止められてそのまま打ち返され、何とか受け流してもう一度横から打ち込む。しかし当然のように止められて、一気に打ち込まれる。これもなんとか受け続けて反撃の機会を待った。
受け流した棒が横に滑った瞬間、思いっきり下から掬い上げるように跳ね上げた。甲高い音がして、イクセル副隊長の持っていた棒が弾かれる。咄嗟に後ろに転がって逃げた彼は、驚いたように両手を上げて笑った。
「参りました」
棒を引いてお辞儀をする。一気に息が切れて苦しくて堪らず、棒に縋ってしゃがみ込んだ。
見ていた若竜三人組とルークが拍手してくれた。そして、いつの間にか手を止めていた二人の王子も、こっちを見て拍手をしてくれていたのだ。
「これは驚いた。イクセルも我が国ではかなりの腕だと思っていたのだがね」
オリヴェル王子の言葉に、レイは内心でパニックになっていた。国賓だというお方に勝ってしまった。良かったのだろうか?
しかし、二人の王子は笑顔だし、負けたイクセル副隊長も満面の笑みで両手を広げてレイルズを抱きしめたのだ。
「素晴らしい戦士が竜騎士隊に加わりましたな。これでまだ未成年とは末恐ろしい。どこまで強くなるのか、将来が楽しみですね」
朝食は、城へ戻って食べると聞かされて、レイは一旦ここで別れた。
「ラスティに予定は教えてあるから、彼の指示に従ってくれ。また後で会おう」
別れ際にルークがそう言ってくれたので、元気に返事をして城へ戻る皆を見送った。
一人で部屋へ戻ると、軽く湯を使って騎士見習いの服に着替えて、ラスティ達と一緒に食堂でいつものように朝食を食べた。
午前中は自由にして良いと言われたので、少し休んで、後の時間は本を読んで過ごした。早めの昼食の後、竜騎士見習いの服に着替えて中庭へ向かった。
まだ竜騎士隊の人達は誰も来ていないが、上空には既にブルーが来てくれていて、レイの姿を見て中庭に降りて来てくれた。
背中には既に鞍が乗せられている。
「ブルー!」
声を掛けて駆け寄り、差し出された大きな頭に抱きついた。久し振りに見るブルーは、やっぱり綺麗だった。
大きな額に何度もキスをして、もう一度抱きついた。ブルーは嬉しそうにゆっくりと喉を鳴らしてくれた。
目を閉じてその音を聞く。愛おしくて堪らず、もう一度力一杯抱きついて額を擦り付けた。分かっていると言いたげに、一層大きな音で喉を鳴らしてくれた。
しばらくそうしていたが、顔を上げると腕に乗って背中に上がった。鞍に跨りそっと首を叩く。ゆっくりと上昇して城の上空で大きく旋回した。
「お城を上から見るのって、久し振りだね」
竜舎から竜達が出てくるのを見て、そのまま上空で待つ事にした。
見下ろしていると、中庭に出て来た人達がこっちを見上げて手を振ってくれている。嬉しくなって少し手を振り返したら、大歓声が上がって逆に驚いてしまった。
無言で慌てていると、可笑しそうに笑ったブルーが振り返って喉を鳴らしてくれた。
「人気者だな」
笑ってそう言われて、レイは大きな首を叩いた。
「そうだね。ブルーは大人気だね」
自分に手を振ってくれているとは考えもしないレイだった。
『ルークより』
『そのままそこで待っててくれ』
『すぐに俺達も行くから』
目の前に現れたシルフが、ルークの言葉を伝えてくれた。
渡り廊下からルーク達が出てくるのが見え、次々に竜達が上がって来た。全員が揃うと、以前のようにアルス皇子を先頭に、綺麗に隊列を組んだ一番後ろにブルーが付く。
それから中庭に、大小二頭の竜が出て来た。
大きい方が綺麗な薄緑色の竜で、真っ白な鬣をしている。もう一頭は薄めの朱色の竜で、濃い赤色の鬣をしていた。二人が乗ると竜達はゆっくりと上がって来た。
アルス皇子の横にオリヴェル王子の乗った竜が並び、その後ろのマイリーとヴィゴの間にイクセル副隊長の乗った竜が並んだ。彼らを守るように展開したルークの乗るパティと若竜三頭が左右を固める。一番後ろにブルーが並んだ。
湧き上がる歓声に送られて、竜達は一旦街の上空をゆっくりと一回り飛び、それから西へ向かって一気に加速して飛び去って行った。
街道から少し離れた北の森の上空を一行はかなりの速さで西へ向かって飛行を続けた。
一時近く飛行を続け、やがて手を振ったアルス皇子が一番最初に隊列から身を翻して離れた。それに続いてヴィゴとマイリーの乗る竜達が同じく身を翻して離れ、周りを守っていたルークと若竜三人組も離れて行った。
『見送りありがとう』
『それではまた会おう!』
オリヴェル王子の声をシルフが届けてくれて、それを聞いたレイの乗ったブルーも最後に最後尾から離れた。
振り返ると、西へ向かう竜の背の上で、二人は前を向いたまま手を上げていた。
アルス皇子を先頭に、いつもの隊列に戻った彼らの最後尾にブルーが付き、一行はオルダムへ戻ったのだった。
「ニーカ、見ましたか!」
「はい!綺麗に隊列を組んでおられましたね」
女神オフィーリアの神殿では、すっかり仲良くなったクラウディアとニーカが手を取り合うようにして、今見た光景を大喜びで話していた。
丁度、昼のお祈りが終わったところで、街中が上を見上げて歓声を上げているのに気付き、何事かと飛び出したところで真上を飛ぶ竜達を二人も見る事が出来たのだ。
オルダムにいれば、竜を見る事は決して珍しくはないが、出撃や式典以外でこれ程に綺麗な隊列を組んで飛ぶ事は珍しい。
皆、口を開けて上を向いて手を振っていた。
「見た事の無い竜が混じっていたな。あれがオルベラートから来られた竜達か」
「大きな竜だったな」
「しかし、一番大きいのは一番後ろにいた青い竜だよな」
「あれが噂の古竜か」
「並ぶと大きさが際立つな」
感心したような男達の声を聞き、ニーカは小さく笑った。
「私の竜は、尻尾の先まで合わせてもあの古竜の顔から首ぐらい迄しか無いわ」
「そうなのですね。でも、それもまた可愛いのでは?」
クラウディアの言葉に、ニーカは笑って頷いた。
「あの子の全てが私にとっての喜びです。元気になってくれて本当に良かった。皆にはどれだけ感謝しても足りません」
ニーカはその場で跪き、目を閉じて祈った。
それを見たクラウディアも、目を閉じて一緒に祈ってくれた。
祈り終わって立ち上がった二人は、顔を見合わせて照れたように笑い合った。




