夕食会
翌日、訓練所に行っても良いと言われたレイは、朝練の後、いつものように訓練所に向かった。
「おはようさん。今日はお休みかと思ってたよ」
図書室の入り口でマークとキムに会ったので、一緒に自習室を借りて勉強をした。少ししてからリンザスとヘルツァーも合流して、分からないところを教えてもらって計算問題集を解いたり、地理や歴史の予習をして午前中一杯を自習室で過ごした。
昼食の後は、昨日受けられなかった分も続けて受けたので、苦手な地理と歴史の授業が続いてしまい、レイルズは疲れ切ってしまった。
「うう、やっぱり歴史って苦手だ……」
教授が出て行った後、机の上を片付けながら愚痴るように呟くと、目の前に現れたシルフ達が慰めるようにキスをしてくれた。
「でも、分かるところも有るからね。虹を探してみたいに、面白い本があれば歴史も少しは好きになれるかな?」
ふと思いついたが、それは良い考えに思えた。
「よし、今度お城の図書館へ行ったら、そんな本がないか司書の人に聞いてみたら良いよね。うん、そうしよう」
一番苦手だった上位の魔法陣の展開方法の計算も、リンザスとヘルツァーのおかげで、かなり克服しつつあるのだ。
これで歴史が分かるようになれば、勉強も少しは自信を持てそうだ。
「さあ、すっかり遅くなっちゃったね。お迎えはもう来てるかな?」
鞄を抱えたレイは、明かりの消えた教室を後にした。
「お、お疲れさん。また明日……は、訓練所がお休みの日だな。また明後日!」
「おつかれさん。またな」
廊下を出たところでマークとキムを見かけたので、手を振って挨拶してから門の外に出る。キルートが、いつもの場所でゼクスと一緒に待っていてくれた。
「お待たせ」
甘噛みしてくるゼクスを撫でてやり、鞄を鞍の横に取り付けた籠に入れて飛び乗った。
「それでは参りましょう。今夜は、オリヴェル王子とイクセル副隊長を本部にお招きして、夕食会が催されます。レイルズ様も参加なさるんですよ」
「うん、ルークから聞いたよ。身内だけだから僕も参加して良いんだって」
「粗相の無いように、頑張ってくださいね」
笑いながら言われたその言葉に、レイも照れたように笑った。
キルートにはいつも、日々のお勉強の報告と言う名の愚痴を聞いてもらっている。彼も農村の出身だと聞き、そんな事も気軽に話せるようになったのだ。彼も、いつも笑って慰めてくれるので、最近では、訓練所の行き帰りにどんな勉強で苦労しているのかを報告するのが日課になっている。
実はその話は、ほぼそのままルーク達に報告されているのだが、その事はレイは知らない。
特に問題になりそうな程の苦手な事も無さそうなので、特に対応はなく様子見だ。
レイの日常には、常に複数のシルフ達が付き添っているので、以前のような喧嘩や揉め事があればすぐに分かるが、彼自身が何を考えているかまではシルフ達には分からない。なので、キルートの報告はある意味、普段のレイルズの考えを知る上でも貴重な報告なのだ。
本部に戻ったレイは、厩舎までゼクスを連れて行って、綺麗に体を拭いてやった。
以前は、全部第二部隊の厩舎担当の彼らに任せていたのだが、少しだけでも自分で騎竜の世話をしたいとお願いして、出掛けて帰ってきた時に体を拭くのをやらせてもらう事になったのだ。
それが彼らの仕事なんだから、気にする事はないとルークには言われたのだが、自分が世話をしたいのだと言うと、それ以来何も言われなくなった。
「いつもありがとうね。それじゃあね」
額にキスして、後は第二部隊の兵士にお願いする。厩舎まで迎えにきてくれていたラスティと一緒に、一旦部屋に戻る。
部屋には昨日のように、もう一人第二部隊の兵士がいて、二人掛かりで竜騎士見習いの服に着替えさせられた。
いつもは使わない、別の階の広い部屋に案内されて驚いた。
部屋の天井からは、見た事も無い程の豪華なランプがいくつも吊られ、壁にも同じように綺麗な装飾の付いたランプが並んでいる。そして、真ん中に置かれた大きな机には真っ白な布が掛けられて、真ん中にも金色の蝋燭立てがいくつも並んでいた。
「こちらのお部屋で夕食会を行います。まずは、こちらのお部屋でお待ちください」
ラスティに連れられて、同じ階にある別の部屋に向かった。そこは、いつもの休憩所よりも少し広くて、窓の横と部屋の真ん中に、幾つもの大きなソファや机が置かれていた。
レイルズを部屋に残して、ラスティは一礼して出て行ってしまった。
「えっと、ここで待っていれば良いんだよね? 何も言われなかったけど……剣はこのままでいいのかな?」
腰の剣を見ながら呟くと、目の前に現れたニコスのシルフが頷いてくれた。
「そっか。じゃあ、座って待っていれば良いのかな?」
壁の棚を見ると、何冊かの本が入っているのに気が付いた。
「何の本かな?」
本棚の前に立ち、手にした本をその場で開いてみる。
「オルベラート旅行記。えっと、 旅行記って何?」
読み始めてわかったが、その名の通り、冒険者である著者が、オルベラートを旅した時の様子を克明に記した日記のようなものだ。知らない町の名前やその土地の珍しい食べ物。どんな景色で、そこにはどんな人々が住んでいるのか。そして、地下迷宮と呼ばれる荒れた廃鉱山の内部。
分かりやすい言葉で書かれたその本の内容にあっという間に引き込まれたレイは、誰かが部屋に入って来たのにも気付かない程夢中になって、立ったまま本を読んでいた。
オリヴェル王子とイクセル副隊長を案内して部屋に入って来たアルス皇子は、扉に背を向けたまま夢中になって本を読んでいるレイルズを見て、堪えきれずに小さく吹き出した。
「レイルズ。こっちを向きなさい」
隣にいたヴィゴの言葉に、その時初めて部屋に人がいる事に気付いたレイは、慌てて本を棚に戻して振り返った。
「し、失礼いたしました」
慌てて謝罪したが、オリヴェル王子は笑って側に来た。
「何を、そんなに夢中になって読んでいたんだい?」
笑顔でそう尋ねられて、レイは読んでいた本を見せた。
「オルベラート旅行記。ああ、知っているよ。冒険者のリザが書いた本だね。子供の時、これを読んで地下迷宮に行きたいと言ったら、父上に本気で叱られたよ」
まさに同じ事を思っていたレイは、目を輝かせて頷いた。
「はい、僕もそう思いました!」
後ろでは、それを聞いた竜騎士隊全員が吹き出して、部屋は笑い声に包まれたのだった。
グラントリーをはじめとした執事達が付いて、料理を提供してくれるその夕食会は、細やかなものだと聞いていた話とはずいぶん違う、どれも本格的な料理の数々だった。
席順としては一番端だったが、レイルズにとっては練習ではない本格的な夕食会に、最初は料理の味も分からない程に緊張していたが、気さくに話しかけてくれるオリヴェル王子やイクセル副隊長に、だんだん緊張も解けてきて、最後には自分の家族のギードが、元冒険者でオルベラートの鉱山跡に行ったのを聞いた事があると言う話までしていた。
「その方は、かなりの腕の冒険者なのですね。地下迷宮も幾つか段階があり、誰でも入れるものから、ある程度以上の腕の持ち主でないと入れないものまで様々です。その中でも、屍人やガーゴイルが出る程の迷宮は、最上位のものです」
感心したようなイクセル副隊長の言葉に、その場にいた全員が頷いていた。
その後は、アルス皇子の婚約の話をオリヴェル王子がからかい、また部屋は笑いに包まれた。
「隊長とティア王女の馴れ初めを、レイルズが聞きたいそうですよ」
ルークの言葉に、レイルズも満面の笑みで頷き、それを見たオリヴェル王子がまたアルス皇子をからかって皆で笑い、困ったような皇子が、目を輝かせるレイに馴れ初めを話してくれた。
「彼女に初めて会ったのは、私が十五歳の時だよ。その時彼女はまだ九歳になったばかりだった。良いお天気の日だったよ。中庭の噴水の前で立っていた、まだ幼い彼女を見た時、そうだな……なんて言ったらいいのか分からないけど、本当に印象的な子だったんだ。素直に、素敵な子だと思えた。その後も、何度か一緒に遊んだりしたんだけれど、気が付けば、いつも彼女の姿を目で追っていた」
照れたように笑う皇子は、本当に幸せそうに見えた。
「元々、ティアは大人しい子で、まだその頃は人見知りで苦労していたんだ。ところが、その彼女がアルス皇子といる時は本当に自然に笑っていて、見ているこっちが驚いたほどだった。だから、その後正式にこの国から、ティアとアルス皇子の婚約の話を頂いた時に、誰も驚かなかったよ」
「お綺麗な方だって聞きました」
「もちろん。兄の俺から見ても、本当に彼女は綺麗だと思うよ。そうそう、彼女は精霊魔法は使えないけれど、精霊達の声は聞けるからね」
精霊魔法を使えなくても、精霊達の姿を見て声を聞ける人がごく稀にいる。どうやら王女は精霊達の姿が見えると聞き、まだ会った事の無い王女に、少し親近感を覚えた。
「来年の結婚式が楽しみだよ。俺が泣いても笑うなよ」
オリヴェル王子の真剣な言葉に、また一同は小さく吹き出すのだった。
夕食会の後、部屋を変えてすっかり寛いだ一同は、お酒を片手に和やかに話をしていた。
レイルズの前には、キリルのジュースが置かれている。
オリヴェル王子と話をしていた時に、ふと思い出してニコスの話をした。
「オルベラートの貴族の館で執事をしていた、黒い髪の竜人?……まさか、デルバート家のニコラスか?」
ニコスの洗礼名が、ニコラスだった事を思い出して頷いた。
「えっと、その貴族の方のお名前は知らないけど、多分そうだと思います。洗礼名はニコラスです」
「生きていたんだ……今は蒼の森にいるって?」
身を乗り出して尋ねる王子に、皆驚いて二人を見た。
「はい、森で暮らしています。僕の大切な家族です」
「そうか、彼女もニコラスが生きていると知ったら喜ぶよ。ありがとう。良い土産話を聞いたよ」
ホッとしたように笑うと、王子はレイの手を取った。
「ニコラスに伝えておくれ。彼には本当に申し訳ない事をした。執事にとって、家を断絶されると言うのは、受け入れ難い事だったろうからね」
目の前に現れたニコスのシルフ達が頷いて口を開いた。
『事情は分かりませんが、そうするだけの理由があったのでしょう』
『そう言って』
「……事情は分かりませんが、そうするだけの理由があったのでしょう」
王子は驚いたように顔を上げた。
「そう……そう言ってくれるなら、少しは気が楽になるよ」
笑って、レイのふわふわな髪を撫でる。
「僕の家族は皆、いつも言っています。生きてさえいれば、いつかは全部笑い話になるって」
「名言だな。確かにその通りだ」
泣きそうな顔で頷いた王子は、そっとレイを抱きしめてくれた。
ニコスのシルフ達も嬉しそうに笑って、王子とレイの頬にそっとキスを贈った。




