石のお家での一夜
「ルーク様、そ、それは……」
言葉を無くして戸惑うニコスに。ルークは笑って首を振った。
「俺は言いましたよ。森で暮らす彼らには、彼らの生活があると。そんな彼らが今更、街の暮らしを受け入れるとは思えないってね」
苦笑いして頷いているニコスを見て、ルークは手にしていたグラスを傾けた。
「まあ、伝えましたからね。これで俺の役目は終わりです。ギードは、自分の鉱山のあるこの森から離れる事は無いだろうし、タキス殿も、ガンディから白の塔の後継者にって言われたのを、断ったくらいですからね」
初めて聞く話に、ニコスは目を見開いた。
「あれ? お聞きになっていませんか?」
「初めて聞きます……そんな話は」
芋を持ったまま呆然としているニコスを見て、ルークは口を覆った
「あれれ。やっちまったかな? まあ、良い機会ですから三人でよく話し合ってください。それから、屋敷の件は気にしないでください。地方出身の者が竜騎士になった時には、慣例として、陛下から一の郭に屋敷を賜る事になっていますが、住む住まないは自由ですので」
「しかし、それでは‥‥‥失礼なのでは?」
困ったように芋を刻みながら小さな声でそう言ったニコスに、ルークは笑って首を振った。
「俺達は、基本的には竜騎士隊専用の兵舎暮らしなんで、正直屋敷を貰っても困るんですよね。今の竜騎士で、オルダム以外の出身は、俺を含めて三名。ヴィゴはまあ、家族がいますからね。奥さんと娘さん達と一緒に賜った屋敷に暮らしています。とは言え、普段は兵舎暮らしだから、まめに屋敷と兵舎を往復してますよ。俺は、故郷から母を呼び寄せて住まわせていますが、俺が一の郭の屋敷に戻るのって…‥年に数回程度だし、マイリーに至っては、俺の知る限りこの十年間で一度も帰ってませんよ。義理の弟さんが城の書記官になった際に、良い機会だからと陛下から許可を頂いて、妹夫婦を管理人の名目で賜った屋敷に住まわせているくらいですから」
「それはまた……」
「ね、だから気にしないでください。管理は、城から派遣された専門の方達がやってくれます。まあ、レイルズはまだ未成年だから、その辺りもどうなるかは、まだ決まっていない部分も多いですけどね」
納得して刻んだ芋を鍋に入れた。
「我々は……皆、色んな辛い思いをしてここに流れ着きました。タキスの事はお聞きになりましたでしょう? ギードも、多くのものを失って、己の墓のつもりでここと鉱山を手に入れたと言っていました。私は……唯一と思いお仕えしていた方に見捨てられました……二人と蒼竜様に助けてもらっていなければ、今頃生きてここにはいません」
鍋をかき回すニコスを、ルークは声も無く見つめていた。
「あの子がここに来た事で、我々は、自分が生きてる『人』なんだって事を思い出しました。惰性で、流されてただ生きるのでは無く、日々成長し生きる事の喜びを、あの子が思い出させてくれたんですよ」
鍋の蓋を閉めて一段高い遠火の位置に置くと、小さなため息を吐いて振り返った。
「人の子の成長の早さを、あの子を見ていて思い出しましたよ。私の中で苦い記憶だった若様との思い出も、今では胸の痛みも無く思い出せます」
照れたように笑うニコスに、ルークは黙って手にしたグラスを上げた。
「こちらの棚は、ニコスと共同で使っているスパイスや香草の入った棚です。奥の部屋は、私が管理している薬草庫になります」
タキスの指差す、小さな引き出しが並んだ薬棚を見て、ガンディは笑顔になった。
「これは見事な薬棚だな。どこで手に入れた?」
「手に入れた? ああ、これは私が頼んでギードに作ってもらいました。何処かで買ったわけではありませんよ」
一瞬、ガンディの言っている意味が分からなくて首を傾げたタキスだったが、納得して笑った。
「森では無ければ何でも作りますよ。もちろん、これを自分で作れと言われたら、正直無理だと思いますけれどね」
「ギードは、鍛治だけで無く、木工細工もするのだな」
音も無く引き出せるしっかりと作られた薬棚を見て、感心したように呟いた。
「おお、なかなか良い黒胡椒だな。こっちは岩塩か」
足元の大きな箱には、大きな塊の岩塩が幾つも入っていた。
「薬草や香草を混ぜて、砕いた岩塩と合わせた配合調味料を作っているんです。街で売ればそれなりの値段で買い取ってくれますからいつも多めに作るんです。熱冷ましや、下痢止め、吐き気止めや痛み止めなど、各種の薬も作って街のドワーフギルドで買い取ってもらいますよ」
「成る程な。自給自足とは言っても、全てここで作れる訳ではないから、やはり金は必要か」
「そうですね。全く金がいらないとは言いませんよ」
「例の、紅金剛石の代金、どうすれば良い? 金貨で渡した方が良いか?」
奥の薬草庫に入りながら、ガンディにそう言われて、思わずタキスは立ち止まった。
「ああ、すっかり忘れていましたね。残りましたか?」
「半分程使わせてもらった。今日は持って来ておらぬが、後ほど代金と一緒に……」
しかし、タキスは皆まで言わせずに首を振った。
「あの薬は、師匠が持っていてください。これから先、また紅金剛石が必要になる事が無いとは限りませんから」
「良いのか? 儂が言うのもなんだが、あれは本当に貴重な薬だぞ」
真剣な顔でそう言うガンディを、タキスも正面から見返した。
「だからこそ師匠に持っていて頂きたいのです。今回は、たまたまレイがいてくれたお陰で、すぐに薬をお届けできました。ですが、次はそうはいきません」
しばらく見つめ合っていたが、ガンディは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。大事に使わせてもらおう」
「はい。それから師匠にはお話ししておきますが、あの子に、少しですが紅金剛石の精製したものと、教えていただいた配合で作った例の薬を、ミスリルの缶に入れて持たせております。万一の際には、使ってください」
「まだあったのか……」
驚きに目を見張るガンディに、タキスは笑って頷いた。
「あの後、ギードの鉱山から取れた分ですから、それほどの量はありませんよ。ああ、それからお使いになった分の代金は、あの子の口座に入れてやってください。そんな大層な金額をここに持ってこられても、正直邪魔になるだけです」
これを聞いたガンディは、堪えきれずに吹きだした。
「おう、金貨を邪魔だと言いおるか」
「ここでは金貨なんて、邪魔以外の何者でもありませんよ。そもそも、どこで使うんですか? それなら丸太の方がまだ役に立ちますよ」
タキスも笑いながらそう言って、二人揃ってもう一度顔を見合わせて吹きだした。
『そろそろ食事が出来るぞ』
作業机に現れたシルフがそう言うのを聞いて、タキスは見せていたミスリルの缶を戸棚に戻した。
立ち上がったガンディは、部屋を見回して大きく頷いた。
「いや、しかし見事な薬草庫だな。これから先、もしも足りないものがあったら、真っ先にここを頼る事にするぞ」
「オルダムとこことの距離をお考えくださるなら、別に構いませんよ。いつなりと仰ってください。どれでも好きなだけお譲りしますから」
タキスも笑ってそう言うと、二人は揃って居間に戻って行った。
「お先に頂いてますよ」
居間ではルークが一人座っていて、グラスを手に部屋に入って来た二人を振り返った。
机には、薫製肉の切ったものと、チーズが並んでいる。
「なんじゃ。お前だけ先に勝手に始めおって」
「このチーズ、塩味が効いてて酒にすごく合いますね。これは美味い」
行儀悪く指でつまんで口に入れているのを見て、ガンディも笑って横から一切れ摘んで口に入れた。
「ふむ、確かに美味いわい。これは何処で?」
「もちろん、ここで作ってますよ。それは、地下の倉庫で一年半熟成させた自慢のチーズです」
「一年半!」
驚く二人に、ニコスは自慢気に胸を張った。
「地下のチーズ工房は、私の自慢なんですよ。美味しいと言っていただけるのが何よりの喜びです」
「すごいぞ石の家」
ルークはそう言って笑い、また一口グラスの酒を飲んだ。
レイ達も戻って来たので、皆それぞれ席に着いた。レイは手早く全員の席にナイフとフォークを配り、お皿を取り出して、切ってあった薫製肉やサラダを手早く盛り付けた。サラダの上に炒った胡桃を散らして、それぞれの目の前に置いていく。
「スープはどのお皿?」
「いつものを出してくれ。足りない分は、下の段のを出してくれたらいいよ」
そう言って、ニコスが大きな鍋を配膳用の机に置いた。鍋の蓋の上には火蜥蜴が座っている。
「ご苦労様、もう良いよ」
レイがそっと火蜥蜴を撫でると、嬉しそうに火蜥蜴はその指に頬擦りしていなくなった。
「あ、僕の好きな肉団子のクリームシチューだ!」
嬉しそうなその声に、皆笑顔になった。
「いや、本当に美味しかったです。ご馳走様でした」
「全く、美味いと噂は聞いておりましたが、これ程とは」
モルトナとロッカは、食後のお茶を飲みながら、感心しきりだった。
「確かに、美味かったな。城の料理人に勝るとも劣らぬ」
ガンディも、満足そうにお茶を飲みながら笑っている。
「ニコスのお料理は世界一だよ」
デザートの栗のタルトを食べながら、レイはそれを聞いて嬉しそうにそう言って笑った。
「緑の跳ね馬亭の栗のケーキも美味しかったけど、このタルトも美味いな」
感心したようなルークの言葉に、レイも嬉しそうに何度も頷いていた。
その後、のんびりとお酒を楽しむ大人達に、レイが嬉しそうに、降誕祭の時にどれだけ素敵なツリーを飾ってもらいプレゼントをもらったか話し、この森の冬の雪がどれ程凄いかを、身振り手振りを交えて聞かせた。
「火送りと火迎えの儀式。懐かしいな、その言葉自体久し振りに聞いたぞ」
ガンディが嬉しそうに目を細めて笑った。
「ここでは毎年、多くの火蜥蜴が集まりますよ。都会ではすっかり見なくなった光景ですけどね」
「そうだな。火の精霊魔法を使う者でも、都会では形式的に火を消して火を起こすくらいで、すっかり廃れてしまった儀式だな」
「でも、我らの見えぬところで、火蜥蜴達はちゃんとやっておりますよ」
ギードがそう言って笑い、現れた大きな火蜥蜴を優しく撫でた。
「城では、今でも火送りと火迎えの儀式をやっていますよ。俺達は毎年、年末と年始の数日間は、ずっと城で詰めていますからね。幾つも立ち会う儀式や祭礼がありますよ。今年は、火迎えと火送りの儀式は城で見られるな」
「楽しみにしてます!」
目を輝かせるレイに、ルークは笑って首を振った。
「まあ、レイルズは今年はまだお披露目はしないから、俺達と一緒じゃなくて、恐らく見学者として見る事になると思うけどな」
「そうなの?」
首を傾げるレイに、ルークは肩を叩いて心底情けなさそうに言った。
「言っておくけど、年の暮れから新年にかけては、こんな感じで立ち会う儀式や祭礼がどれだけあるか。考えただけで俺は頭が痛いよ。寝る間もないから覚悟してろよ。お前もすぐにこうなるんだからな」
それを聞いたレイが、悲鳴をあげて隣にいたタキスに縋り付く。
「レイ、残念ですが私にはどうしてやる事も出来ませんね。覚悟してしっかり覚えてください。立派な竜騎士様になるんでしょう?」
大真面目に言ったタキスの言葉に、もう一度レイが悲鳴を上げ、それを見た全員が堪える間も無く吹き出したのだった。




