母の砂糖漬けとジャム
賑やかな夕食を済ませた後、タキスがギードに砂糖漬けを見せた。
「ちょっとお聞きします。これは地下の食料庫にあったものなんですが、どこで手に入れたんですか?」
「地下の食料庫に?」
砂糖漬けの瓶を手に取って、目をつぶってしばらく考えてから答える。
「ああ、これは鉄鉱石と砂鉄を渡した時にエドガーから代金がわりにもらった物の一つだな。確か、去年の今頃じゃなかったかのう。冬の間に食べるつもりが、すっかり忘れておったわ」
「置いておくのは構いませぬが、一言言ってくださればよいのに」
ニコスが、皆の分のお茶を入れながら言った。
「すまんすまん、これはかなり日持ちはすると言うておったから、別に大丈夫じゃろう。食べるか?」
開けようとするのをタキスが止めた。そして、これを誰が作ったのかを話した。
「そ、それはなんと申し訳ない事をした。レイ、これは差し上げますので、どうぞあなたが食べなされ」
レイの両手に瓶を握らせながら焦ったように言った。
しかし、手渡された瓶を見ながらレイは首を振った。
「二人にも言われたんだけど、これは皆で食べようよ。独り占めしても美味しくないもん」
今度は泣かずにちゃんと笑えた。
ギードはなんとも言えない顔をしていたが、いきなりレイをぎゅっと抱きしめた。
「お母上が、どれほどの愛情を持って正しく其方を育てておられたのか、今の言葉で全てが分かるのう」
「せっかくの砂糖漬けですから、何か特別な日に開けましょう。考えておきますよ」
ニコスが、レイから瓶を受け取りながら言った。
「楽しみにしてるね。お願いします」
レイの言葉に、皆笑った。
翌朝、いつものように精霊達に起こされたが、外を見るとまだ夜が明けたばかりだった。
「おはようございます。でも、今朝はずいぶん早いんだね」
欠伸をしながら挨拶すると、また声が聞こえた。
『お出掛けお出掛け』
『お出掛けお出掛け』
『お弁当楽しみ』
『楽しみ楽しみ』
「そっか、こっそり楽しみにしてたのが、分かっちゃったのかな」
まだ会話にはならないが、声が聞こえるとやはり嬉しい。
「じゃあ、せっかく早起きしたからお手伝いしてこようっと」
精霊達に笑って手を振ると、洗面所へ急いだ。
『お出掛けお出掛け』
『蒼竜様にお知らせお知らせ』
『お知らせお知らせ』
『蒼竜様にお知らせお知らせ』
見送った精霊達は、笑い合うとくるりと回っていなくなった。
居間へ行くと、もう三人とも起きていた。机の上には、籠に入れたベーコンの塊や酢漬けの瓶が置いてある。床に置いた木製の箱の中にも、何やらぎっしり入っている。
「おや、おはようございます。そろそろ起こしに行こうと思っていたのに」
タキスが、荷物の整理をしていた手を休め、顔を上げた。
「おはようございます。お出掛けだからって精霊達が起こしてくれたの。今朝も話せなかったけど、声は聞こえたよ」
「なんて言ってましたか?」
「えっと、お出掛けが楽しみだって。僕が楽しみにしてたの分かったみたい」
照れたように言うと、皆、頷きながら笑った。
「まあ、まだしばらく天気は良さそうだから、確かに楽しみですね。それと、明日は蒼竜様のところへ寄ってから帰りましょうね」
「明日って事は、今夜は野宿するの?」
「野宿じゃなくて、狩り小屋に泊まります。広いですから心配はいりませんよ」
「さてと、持って行くもんはこれくらいかなと。朝飯を食ったら荷造りを手伝ってもらうから、よろしくな」
ギードが足元の箱から顔を上げて言った。
「それから、もうパンが焼けますので、今朝はこれをつけて食べなされ」
渡されたキリルのジャム瓶は、見覚えのあるものだった。
「これって……」
「知っておったら、開けずに置いておいたのだがのう。食べかけになってしまって申し訳ない」
半分ほどに減ったそれは、去年、母が村の女性達と一緒に作ったものだ。
「今になって母さんの作ったジャムを食べられるなんて……ありがとうギード。これも鉱石と交換でもらったの?」
席に座りながら聞くと、ニコスがお皿を出しながら笑って言った。
「ギードときたら、酒飲みのくせに甘いものも好きでしてね。これは、酒のつまみに焼いてやったクラッカーにつけて、我らに内緒で一人で食べておったんですよ」
「ええ、それはずるい!」
思わず笑いながら叫ぶと、二人も同意するように何度も頷いた。
「全くです、我らに内緒で食べるとは言語道断。許し難し!」
「と、言う事ですので、遠慮なく食べてくださいね」
「もちろん我らもいただきますので、たっぷり食べてください」
小さくなっているギードに笑って声をかけた。
「ジャム、美味しかった?」
「とても美味かったですぞ、酒飲みのドワーフが独り占めしたくなるくらいにな」
「独り占めは駄目だけど、それなら仕方ないよね」
ギードの肩を慰めるように叩く姿を見て、皆笑った。
「さあ、時間もありませんから、早く食べてしまいましょう」
タキスに急かされて、ギードも席についた。
母さんのジャムは、やっぱり涙が出るほど美味しかった。
朝食の後、手分けして幾つもの荷物を厩舎まで運び、荷車に積み込み終わった時だった。
家の前の草地に、大きな影が音もなく降り立った。
「ブルー!おはよう!」
気付いた少年が駆けていく。大人達も慌てて後に続いた。
「これは蒼竜様、こんな朝早くから如何致しましたか」
「何かありましたか?」
矢継ぎ早の問いかけに、翼を畳んだ蒼竜は、何でもない事のように言った。
「風の精霊達が何やらはしゃいでおってな、お出掛けお出掛けとうるさかったので、何事かと思って来てみただけだ」
平静を装っているが、尻尾の先が妙に不安げに揺れているのを見て、大人達はなんとなく状況を察した。
これは、自分だけ仲間外れにされたくないという、無言の自己主張だろう。
「あのね、ギードが狩りに行ってきて、大きな鹿と猪を獲ったの。それで、えっと、狩り小屋まで今から皆で取りに行くんだよ」
無邪気にレイが説明している間に、大人達は顔を寄せ合って相談した。
「いっそ、レイを預けて我らだけで行きますか?」
「でも、一緒に行くのを楽しみにしてましたからね」
「はて、どうしたもんかのう」
「どうしたの?」
不安そうにこっちを見る少年に、大人達は苦笑いして答えた。
「どうしますか?このまま我らと一緒に行っても良いですし、それとも、蒼竜様と一緒にいますか?」
「えっと……」
思ってもないことを聞かれたようで、困っている。
「どこまで行くのだ?せっかくだから、前回いなかったそこの黒い髪の竜人も乗せてやるぞ」
今度は大人達が絶句した。
「あの、まさかとは思いますが乗せてくださるのですか?」
「そう言っておろうが、それでどこまで行くのだ?」
当然の事のように答える。また、大人達は固まった。
「えっと、東の森って言ってたよ」
「ああ、あそこの森は若いからな、なるほど、確かに肉を取るための獲物なら、ここより東の森の方が良いな」
「若いって?森が若いって事?」
不思議そうにレイが聞くのに、大真面目にブルーが答えた。
「そう、若い森だ。あそこの木々は大きい物でもせいぜい百年ほどだし、精霊が集まれる場所もそれほど多くはない。これから先、何百年もかけて深く強く育つ若い森だ」
「あ、あの蒼竜様、お話中申し訳ござらぬ」
ギードが困ったように言った。
「今回は、レイが言いました通り獲物を捌いて運ぶために行きますので、荷物もそれなりにございます。ましてや、帰りは大物二匹分の肉も運ばねばなりませぬので……」
「ならばその荷車ごと運んでやる。それならば問題なかろう」
タキスがため息を一つ吐いて、ギードの肩を叩いた。
「諦めてください、もうお願い致しましょう。どう考えてもそれが一番良いと思いますよ」
「だな……どう考えても、蒼竜様が連れて行ってくださるなら、それが一番速いわい」
若干遠い目をしてギードが答えた。
「それでは蒼竜様、皆で世話になります」
タキスが蒼竜を見上げながら言った。
「構わぬ、その肉はレイも食べるのだからな。世話になっておるのは我の方だ。それに、ずいぶんと元気そうになった」
愛しそうに、レイに頬擦りしながら答える。確かに、彼の顔色は良くなったし、心なしか頬のあたりはふっくらしてきたようだ。服が窮屈になるのも時間の問題だろう。
「ではシルフ達、そこの荷車を運んでくれ」
蒼竜の声に、シルフ達が現れ、あっという間に荷車を背中に乗せてしまった。
「忘れ物は……ありませんね。それでは失礼致します」
まず、タキスが蒼竜の腕に乗り背中に上がり、首の根元部分に跨るように座った。続いてニコスが上がってタキスの後ろに座る。続いてレイがタキスに引っ張り上げてもらって一番前に乗る。大きなため息一つ吐いて、ギードが最後に一番後ろに乗った。丁度、ギードの後ろに荷車が乗っている。
「それでは行くとしよう。シルフに守らせておるから落ちる心配はしなくて良いぞ。ドワーフよ」
笑いを含んだ声で言われて、皆吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「よ、よろしくおねがいいたしまする……」
ゆっくりと翼を広げ軽く羽ばたく。ふわりと音もなく上昇し、そのまま一気に東の森へ向かって飛んで行った。この世の終わりのようなギードの悲鳴を残して……。