見物人達の熱狂と保護者達の想い
翌朝、いつもよりゆっくりの時間に起きたタキス達は、身支度を整えて一階の食堂へ向かった。
昨夜は相談の結果、ガンディ達に泊まっていた大きな部屋を譲り、タキス達三人は、以前、仕入れに来た時によく使っていた部屋に、予備のベッドを入れてもらって泊まったのだった。
食堂でガンディ達と合流して一緒に食事をしたのだが、妙に食堂中がざわついていて何だか落ち着かない。
「バルナル、朝からいったい何事だ? 何かあったのか?」
お茶を取りに行った時に、料理の追加を出しているバルナルがいたので聞いてみると、彼は満面の笑みで教えてくれた。
「朝から街中この噂でもちきりさ。いよいよ今日午前中に、先日お越しになった竜騎士様が精霊王の神殿に参拝に来られるそうだ。あの噂の的の巨大な竜の主はやはり新しい竜騎士様だそうで、今回は正式な御披露目はされないと、軍から正式に声明が出たらしい。ちょっと残念だが、そうなるとルーク様がお一人で参拝されるって事だろう。それはそれで嬉しいってんで、もう女性陣が大騒ぎでね。エルミーナとフィリスの二人まで見に行きたいとか言い出して、朝からなだめるのに大変だったんだぞ。狡いだろう! そんなの俺だって見に行きたいのに!」
最後は、本音がだだ漏れのバルナルだった。
騒ぎの原因が分かって、ギードはやや引きつった顔で慰めるように背中を叩いて、入れたお茶を持って早々に席に戻って来た。
確かに、よく耳をすませて聞いていると、ほとんどの席で交わされている話が竜騎士様の事だった。
席に戻ると、ガンディ達は揃って苦笑いしている。
「竜騎士様の人気は、本当にすごいですね」
お茶を飲みながら、いっそ呑気なほどの口調で他人事のように感心しているタキスの背中を、からかうようにガンディが叩いた。
「よく見ておけ。お前の息子もいずれこうやって噂されようになるんだぞ」
「そんなこと言われても、夢のようで……どうにも実感が湧きませんね」
首を振るタキスに、ニコスとギードも揃って頷いて笑っていた。
「本当はもっと早くに、こうするべきだったんだろうな……」
お茶を飲みながら小さな声で呟いたニコスの言葉に、ガンディ達は無言になった。
「其方達がおったから、レイルズは全てを失った痛みから立ち直る事が出来たのだろう。今の彼があるのは、間違いなく其方達のおかげだ。何一つ恥じる事など無い。己の成した事を誇るが良い。全ては精霊王の采配だよ」
ガンディのその言葉に、モルトナ達も大きく頷いた。
「ありがとうございます……」
タキスも、ニコスもギードも溢れる涙を堪えて、それしか言えなかった。
「さてと、どうするかのう。今からギルドに戻ろうとしたら、丁度こっちに向かって来る参拝の騒ぎとぶつかるぞ」
バルテンの言葉に、ガンディ達も苦笑いして頷いている。
「其方達はどうする? せっかくだから、こっそりレイルズの晴れ姿を見に行くか?」
「旧市街へ行くのなら、いくつか広い道がありますね。どの道から行くのか分からない以上、見に行っても無駄足になる可能性が高いですよ」
ニコスの言葉に、ガンディは笑って首を振った。
「お前達、我らが誰だか忘れておるようじゃな。シルフ達に確認すれば、それくらい簡単に分かるわい」
タキス達は顔を見合わせて頷き合った。
「では……せっかくですから見に行ってみます」
頷いたガンディは自分の指輪の石から一人のシルフを呼び出した。小さな声で彼女と話をしていたが、振り返ってそのシルフをタキスに渡した。
「彼女が案内してくれる。間も無く出発するようだから、早く行って来い。ああ、行くならラプトルは置いて行けよ。身動き取れなくなるぞ」
「分かりました。ありがとうございます師匠。お借りします」
三人は立ち上がると、バルナルに一言断って、そのまま宿を出て小走りに走り去って行った。
「では、我らは騒ぎが収まるのを待ってから、ゆっくりと戻る事に致そう」
次々に人がいなくなり、あっという間にガラガラになった食堂を見て、ガンディ達は呆れたように笑っていた。
「お客様方は、竜騎士様を見に行かないのですか?」
バルナルが、散らかった机の上を次々と手早く片付けながら、振り返って話しかけて来た。
「人混みは苦手でな。せっかく空いている時期を選んで来たのに、とんだ大騒ぎじゃな」
見るからに気難しそうな竜人のガンディがしみじみとそう言うと、妙な説得力がある。
「それは申し訳ありません。仰る通り、いつもならこの時期は人も少なくて、もっと街ものんびりしているんですけれどね」
食器の山を軽々と持ち上げて、バルナルは申し訳なさそうにそう言って謝った。
「其方が謝る事では無いさ。まあ、参拝が済めば、すぐに騒ぎも収まるだろうさ」
「どうでしょうかね? あんな風だった。どこで見た。なんて話で、今夜の食堂の大騒ぎが俺には見えるようですよ」
「おお、そう言うことか。まあ商売繁盛で良いではないか」
からかうように笑うと、バルナルも笑って頷いた。
「そうですね。店としては有難い話です。それではどうぞごゆっくり」
会釈して下がった彼を見送って、ガンディはモルトナ達を振り返った。
「さてと、では我らはここでもう一杯ゆっくりと茶をいただくとしよう。ここのケーキも美味いそうだぞ。甘党のレイルズとルークの保証付きだ」
一方、シルフの案内で大通りに出たタキス達は、あまりの人出に驚きのあまり言葉を失っていた。
とてもでは無いが、前の方に出る事なんて出来ない。大通りには人があふれ、皆笑顔で同じ方向を向いている。
「これは無理だろう……諦めて戻るか?」
残念そうなギードの言葉に二人が頷きかけた時、はるか後方で大歓声が上がる。周りにいた人々が一斉に同じ方向を向く。慌ててタキス達もその方向を見た。
どんどん大きくなる歓声が近づいて来る。
押し寄せる人の波に押されて、思わず離れないように手を握り合った三人は、その場から押し出されるように前に出る。不思議と目の前に少しだけ空間が出来て、運良くそこに滑り込む事が出来た。
目の前に兵士達が出て、人をかき分けて場所を開けて行く。人々は皆、素直に言われる通りに大人しく場所を開けた。
湧き上がる大歓声はどんどん近づいて来る。
「来た!」
「見えたぞ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえて、更に歓声が大きくなる。
あちこちで拍手が湧き起こり、ルークの名を叫ぶ女性や男性の大声が辺りに響いた。
群衆から飛び出すような高い位置に、いくつもの頭が見えて来た。ラプトルに乗った行列が、開けられた道の真ん中を進んで来たのだ。
前後を大勢の兵士達に取り囲まれるようにして、堂々と胸を張って前を見る真っ白な竜騎士の制服を着たルークの姿が見えた。そのすぐ後ろに、立派な制服を着て腰に見覚えのある剣を下げたレイの姿を見つけた時、三人の口からも堪え切れない歓声が上がった。
「なんて立派なんだ……」
「見違えるようじゃな……」
涙ぐむ二人と同じく、タキスも涙を堪えられなかった。
騎竜の上で真っ直ぐに前を見て胸を張る彼らは、人混みの中で埋もれて自分を見つめているタキス達に気付いていないだろう。
でも、それで良かった。
堂々と胸を張ってラプトルに乗り、人々の目の前を歩く姿を垣間見る事が出来ただけで、三人とも感激のあまり泣き出してしまったのだから。
普段なら、いきなり大の大人が大通りで泣き出したら驚かれるだろうが、周りでも感激のあまり泣きだす人が続出していて、実は全く目立たない三人だった。
ようやく大騒ぎの大通りから抜け出して、路地に入ったところで三人は顔を見合わせた。
そして、我に返って互いに真っ赤になった目を見て笑い合った。
誤魔化すようにため息を吐くと、それぞれウィンディーネを呼んで水を出してもらい、涙と埃で汚れた顔を洗った。
「とにかく一旦、宿屋に戻ろう」
「そうですね。ちょっと落ち着いて座りたいです。まだ足が震えていますよ」
ギードの声に、タキスが顔を上げてそう言った。彼の目はまだ潤んでいる。
「しかし立派な騎士様だったな。あの制服って昨日着ていたのとは違っていたな。あれが礼装なのか?」
歩き始めたニコスの言葉に、隣を歩くタキスはちょっと考えて答えた。
「城にいる時に、何度か着ていましたね。確か、騎士見習いの制服だったはずですよ」
「騎士見習い? それならどうして全員が着ていたんだ? ……ああ、成る程、そういう事か!」
一人で納得するニコスに、タキスと前を歩くギードが振り返った。
「何が、成る程なんだ?」
「要するに、レイを隠すためだよ。恐らく、ルーク様の周りにいたのは護衛役の兵士達だろうから、それなら普通は、通常の軍服か礼装だろ? だけどそうなると、レイだけが騎士見習いの制服を着る事になる。そうしたら、彼だけ違うって事が丸わかりになる。だから、彼を隠すためにわざわざ全員が騎士見習いの制服を着たのさ。レイを一般兵に見せるんじゃなくて、全員を騎士見習いにさせるなんて、司令官殿もなかなか粋な事をしてくださるもんだ」
嬉しそうにそう言って笑うニコスの言葉を聞いて、ようやく納得した二人は頷き合って前を向いた。
「そういう事か。成る程な……参拝一つとっても、裏ではいろいろあるのだな」
「そうだな。大変な世界だな……それに、お帰りの際にもまた大騒ぎだろうな。きっと駐屯地に戻ったら疲労困憊で、ぶっ倒れてるぞ」
情けない声まで聞こえそうなその光景が簡単に想像出来てしまい、三人は歩きながら声を殺して笑い合った。
「お帰り、どうであった? 晴れ姿は見る事が出来たか?」
食堂に戻ると、新しいお茶と一緒に栗のケーキを食べているガンディ達が出迎えてくれた。
「ええ、少しだけですが、見る事が出来ましたよ。師匠、案内のシルフにもお礼を。よく見える場所に連れて行ってくれました」
タキスの肩に座っていたシルフは、彼の頬にキスをすると、ガンディの指輪の中に戻って行った。
「役に立ったなら良かったわい。其方達も座れ、疲れたろう」
頷いて座ると、すぐにバルナルが出て来て、お茶とケーキを用意してくれた。
「噂の竜騎士様は見られましたか?」
ポットのお茶を注ぎながらたずねるバルナルに、三人は笑って頷いた。
「ええ、少しだけでしたけれどね。真っ白な竜騎士様の紋章の入った制服を着ておられましたよ。本当に……惚れ惚れするほどの立派な騎士様でしたね」
「ほんに、見事な騎士様だったな」
「ああ、見惚れる程の見事な騎士様だったよな」
三人が口々にそう言うのを聞いて、厨房にいたエルミーナが大声で叫んだ。
「ずるいよ! ギード! 私らを差し置いて自分達だけ見に行って。私だって、立派な騎士様を見たかったのに!」
まさかつい先日、その竜騎士本人がここに座って貴女が作ったケーキを喜んで食べていたなんて言えなくて、揃って妙な顔になる一同だった。
それからしばらくして、昼前頃になるとガラガラだった店にも人が戻って来始めた。
皆、口にするのは先程目にした竜騎士様が、如何に格好良かったかと言う事ばかりで、運良く神殿での参拝に立ち会えた者は、神殿での竜騎士様の様子を請われる度に飽きもせず、数え切れないくらいに何度も同じ話を繰り返し話して聞かせていた。
「それでは我らはギルドに戻ると致そう。其方達はどうするのだ? もう一泊するのか?」
「いえ、昼食を頂いたらもう今日森へ帰ります。一目だけでも逢えればと思って出て来たのに、思っても見なかった、あの子の晴れ姿まで見る事が出来て私達は大満足ですよ」
揃って頷く三人を見て、ガンディも嬉しそうに笑った。
「そうか。それならばしばしのお別れじゃな。言った通り、ここでの用事が済めば、帰りに皆で森の家に寄らせてもらう故、その時はよろしく頼む」
「はい、お待ちしています。良ければ一泊して行ってください。石の家は、中々の住み心地ですよ」
「そうですよ。せっかくお越しになるのですから、せめて一泊ぐらいして行ってください」
ニコスもそう言って笑っている。
「急にこんな大勢で押し掛けては迷惑であろうに。それに、森での食べ物は貴重ではないのか?」
まさか、身分のある人からそんな事を言われるなんて思ってもみなかったニコスが、驚きに目を瞬いていると、ガンディは真剣な顔でニコスを見た。
「森での生活は自給自足が基本だと聞いた。となると、予定外の食料の消費は困るのではないか?」
小さく笑って、ニコスは首を振った。
「ガンディ様、お気遣い感謝いたします。確かに、森では自給自足が基本です。ですが、遠方からお越しになった客人に、振る舞う食事も無いほど備えは貧しくはございません。どうかご遠慮なくお越し下さい」
今年はレイの分まで食料を計算して増やしていたし、肉の備蓄も多すぎるぐらいにあるのだ。逆に、少しは消費してもらいたいニコスだった。
「そうか。ならばそうさせてもらうとしよう。噂のドワーフ達が作った石の家、この目で見るのが楽しみだわい」
後ろでは、話を聞いたモルトナとロッカも、目を輝かせてこっそり拍手しているのだった。




