休憩室とジグソーパズル
「どうぞ、ごゆっくり」
案内された応接室で、出されたお茶を前にレイは何となく居心地の悪さを感じていた。
「御用がありましたら、そちらのベルでいつでも呼んでください」
気を使ってくれたのか、リッキーはそう言って一礼すると応接室を出て行ったので、部屋には、ルークと二人だけになった。
「何だか、疲れちゃったよ……」
小さくため息を吐いて、レイは用意されたお茶を飲んだ。いつものカナエ草の蜂蜜入りのお茶だ。
「俺はブレンウッドに来るのは初めてだよ。駐屯地もそうだったけど、ここの人達は皆、相当気を使ってくれてるな」
ルークもお茶を飲みながら、苦笑いしている。
「そうなの?」
十年近くも竜騎士であるルークがそう言うのなら、きっとそうなのだろうけれど、注目を浴びた身としては全くもって納得出来ない。
「だって、応接室に誰も来ないなんてさ。はっきり言って、いつ以来かな……」
「ええ? どう言う事?」
不思議そうなレイに、ルークは座り直した。
「じゃあ、ちょっと勉強するか?」
「はい! お願いします」
身を乗り出して、何をするのかと目を輝かせるレイに、ルークは思わず仰け反った。
「すごい食い付きだな、おい……まあいい、要するに、周りの人達にしてみれば、竜騎士と縁を作れる絶好の機会だって事さ」
「縁を作る?」
「そう。例えば……このお菓子。食べてみろよ」
お茶の横には、栗を乗せた焼き菓子が出されている。気になっていたので、言われるままに一切れ切って口に運ぶ。中にも刻んだ栗の甘露煮が入ってた。
上に乗っている栗がやや硬いが、十分に美味しいと思う。
「どうだ?栗好きのレイルズ君のお口に合うかな?」
ゆっくりと口の中のものを飲み込んでから、レイはちょっと考えて答えた。
「上に乗ってる栗がちょっと硬いかな? でも、生地に甘みがあって美味しいよ」
それを聞いて、ルークも自分の皿を見た。
「それならまあ、美味しいって事だな。じゃあ、お前はこれを全部食べるか?」
「もちろん食べるよ。せっかく出してくれたのに、残すなんて勿体無いよ」
「な、例えば、お菓子を全部食べるにしても、残すと勿体無いから食べるのと、とても美味しいから全部食べるは違うだろう?」
言っている事は分かるが、それが何だと言うのだろう。
「俺達がここを出て行った後、当然誰かが片付けてくれる。その時、二人共このお菓子を全部食べていれば、少なくとも、二人の口に合ったと考えるだろうな。つまり、美味しいと思ってもらえたって事だ」
頷くレイを見て、ルークは自分もそのお菓子を口にした。
「確かに、上の栗はニコスが作ってくれた甘露煮の方が美味いな。うん、でもこれはこれで悪くない」
もう一切れ食べるルークを見て、レイも残りを平らげた。それぞれゆっくりとお茶を飲んでから、またルークが説明してくれる。
「このお菓子だって、誰かが焼いてくれたから、ここにある訳だろう? ここはドワーフギルドだから、恐らく出入りの業者がいて、どこかの店のお菓子をここに卸してくれてるわけだ」
「卸すって?」
「作る人と食べる人の間に立って品物を用意する事だよ。例えば、これを50で買って60でここに卸せば、その商人は10の儲けになる」
「つまり、安く買ってきてそれ以上の値段で売るって事だね」
「そうそう。おお、すごい。一発で理解したな」
感心したようにそう言うと、空になったお皿を見た。
「なので、このお菓子を卸した商人は、後片付けをした人から聞く訳だ。俺達が食べたかどうかを」
真剣な顔で頷くレイを見て、ルークは面白そうに笑った。
「俺達が全部食べたのを聞いたら、その商人はお菓子を作った店の主人にこう言う訳だ。竜騎士様が残さず全部食べてくださった。とね。そうしたらそのお店の主人は、この品物を売る時、次からはこう言うんだ。竜騎士様が気に入ってくれたお菓子だってね」
「……すごいね……」
「な、常に人目があるって言ってるのは、そういう意味もあるんだ。うっかり、これが気に入った! なんて誰かに言ったら、数日後には、確実に皆がそれを探して食べようとするぞ。そうしたら、これを作ってるお店は大儲け出来る訳だ」
改めて、空になったお皿を見る。皿の上にはシルフが座って手を振っていた。手を振り返してからルークを見る。
「じゃあ、もしもこのお菓子に手をつけなかったとしたら?」
「商人は、さぞかし残念がるだろうな。そして考えるぞ、口に合わなかったのか、或いはただ単に、お腹がいっぱいだったからなのか? ってね。そして、次にはまた違うお菓子が出てくる訳」
「本部の休憩室にもお菓子が置いてあったよね、って事は、本部でもそうなの?」
「まあ、竜騎士隊の本部に卸せる商人は、ある程度限られてるよ。厳しい審査もあるしね。ただ、個人が指定して入れてもらう事も出来るから、売り込みは凄いよ。その辺りも、まあそのうち経験するだろうからその時に教えてやるよ」
「大変なんだね。竜騎士様って」
まるで他人事のようにそう言うのを聞いて、ルークはレイの背中を思いっきり叩いた。
「何、他人事みたいに感心してるんだよ。お前もじきにそうなるんだぞ。人と会う時に、身に付ける物一つにしても、気を使わないといけないようになるんだからな!」
「どうして? お城にいる時は竜騎士隊の服があるでしょう?」
首を傾げるレイに、ルークは大きくため息を吐いて見せた。
「例えば、身に付ける小物。ほら、お前だって、自分で持ってきたナイフや剣を身につけているだろう? そのペンダントや指輪に、手首に付けてるまじない紐だって、それは自分のものだろう?」
ルークは、レイの指輪を突いて笑った。
「見事な品だな、これもギードが作ってくれたのか? そのナイフも?」
「指輪はギードが作ってくれたよ。これがラピスラズリなんだって。ナイフは、僕のいたゴドの村の鍛冶屋のエドガーさんが、十三歳の誕生日に作ってくれたの。僕の最初の宝物だよ」
「そのまじない紐は?」
「これは、去年の降誕祭の時にタキスが作ってくれたの。えっと、切れるまで身につけてろ、って言われたよ」
「なら、どれも買ったものじゃないから問題無いな。お前は新人だから、どの商人も皆、お前に何か新しく使ってもらおうと必死だぞ」
「って事は……?」
どれも気に入っているので、出来ればずっと使いたいと思っているが、使っていて大丈夫なのか心配になってきた。
「まあ、使うか使わないかは自由だから心配するな。時々使うって手もあるから、その辺りもまた教えてやるよ」
『教えてあげるから心配無い無い』
不意に目の前に現れたニコスのシルフにキスされて、レイは小さく笑った。
「何だか不安しかないや。全然、出来る気がしないです!」
「まあ、死ぬ気で頑張れ」
もう一度背中を叩かれて、レイは机に突っ伏したのだった。
「さてと、この後はどうするかな。俺達は、はっきり言ってする事ないしな」
「とても、一緒に聞けるような様子じゃ無かったしね」
突然始まった専門家達の話し合いを思い出して、レイは笑った。はっきり言って、何を話しているのかさっぱり分からなかったのだ。
「本でも読むか、それとも……」
ルークが部屋を見渡してそう呟く。レイも部屋を見渡して気が付いた。何やら見覚えのある箱が、壁の戸棚にいくつも並べて置かれているのだ。
立ち上がってその棚の前に行く。興味津々のルークも付いてきた。
「あ! これってもしかして……」
以前、娯楽室に置かれていたのと同じ箱の中には、からくり箱や、組み木細工が幾つも入っていた。
「あ、からくり箱に組み木細工。これは暇つぶしに最適かも」
嬉しそうにそう言うルークだったが、レイの目は、別の箱に釘付けだった。
「これってもしかして……やっぱり! あの板だ」
レイが取り出した箱には、小さな木片がいくつも入っていた。
「何だそれ? 変な形だな」
背後から覗き込んだルークの言葉に、レイは一つ手に取って教えた。
「これはね、不思議な板で、正しい組み合わせだときっちり嵌るんだよ。出来上がったら、元の一枚の板になるの。凄いんだよ、本当にぴったり嵌るの」
それは以前やったものよりもかなり小さな木片で、しかも手書きの絵が描いてある。全く分からないが、緑や黄色、白や黒い柄も見えた。
「これを合わせるって……どうやるんだよ?」
首を傾げるルークに、レイは目を輝かせた。
「じゃあやってみる?」
机に持って行き、大きな机の別の場所に座る。中身は相当数の木片が入っている。一番下に、緑の木々とその根元で寛ぐ、二匹の猫の絵が描かれた紙が入っていた。
「これが見本……かな?」
「ってか、勝手に出して良かったのかな? 一応確認しよう」
そう言ってルークが机に置かれたベルを鳴らした。
すぐに、リッキーがノックの後入って来た。
「お呼びでしょうか?」
木片を片手に、レイが振り返った。
「えっと、そこの戸棚から勝手に出しちゃいました。やってみても良いですか?」
驚いたように目を瞬かせたが、嬉しそうに笑って頷いた。
「勿論です。それは正しく嵌めると一枚の板に戻ります。絵が描いてありますので、参考にして下さい」
「これが見本ですね?」
猫の絵の紙を見せると、笑って頷いた。
「全部で500枚の破片があります。どうぞ頑張って合わせてみてくださいね」
「500枚!」
思わず顔を見合わせて苦笑いした二人だった。
「出来るとは思えないがまあ、とりあえずやってみよう。一枚の板になるって事は……まずは端っこを探すべきだな。そうすれば、少なくとも枠は作れるはずだ」
「500枚って事は、25と20の四角かな?」
レイの言葉に、ルークも頷いた。
「多分それくらいだろうな。って事は、角があるから枠だけで86枚か……気が遠くなってきたぞ」
「本当だね。どうなるかな?」
そう言いつつも、二人は机に広げた木片から、どんどんと一辺が真っ直ぐな物を探して取り出していく。
「あ、角発見!」
「ここにもあるぞ。あ、これも角だ」
「あ、最後の角発見! これで全部かな?」
ルークが取り出した端の木片を数えて頷いた。
「良し、86個あるぞ」
「じゃあ、まずは色分けかな?」
「そうだな、見本の絵を見る限り、結構色が違う」
真剣に相談していると、ノックの音がしてリッキーと、もう一人ドワーフが入って来た。
「失礼します。ジグソーパズルをお楽しみ頂けると聞きました。どうぞ、この上で組み立ててください。縁に段が付いていて、丁度、この大きさに組み上がります」
そう言って、大きな板を机に置いてくれた。
「ああ成る程。丁度良いや。ここで枠を作れば楽で良いぞ」
目の前に引き寄せて、ルークが嬉しそうに笑う。
「それから、こちらの箱はお好きに使いください。木片を整理しておくのに便利で御座います」
板の横に、小さめの平たい箱をいくつも並べて置いた。
「じゃあまずは枠を組み立てよう。それが終わったら色分けだな」
二人は顔を見合わせると、嬉しそうに木片を手にして考え始めた。角の位置はすぐに分かった。地面と空で明らかに色が違うからだ。
真剣に始めた二人を見て、リッキーとドワーフは、嬉しそうに顔を見合わせて頷きあった。
それから、机の上の食器を片付けて静かに部屋を後にした。
「あ、その緑はここかな? おお、すごい。本当にきっちり嵌るんだな」
嬉しそうなルークの呟きに、レイも嬉しくなった。
「以前来た時には、もっと大きな木片で絵も無かったんだよ。その時は簡単に出来たんだけどなぁ」
「そうだったんだ。確かに大きな木片だと簡単そうだな。数が増えると一気に難易度は上がるぞこれ」
「絵柄にもよるよね。同じような色ばかりだと、絶対参考にならない」
そんな話をしながらも、二人の目は真剣に手元の木片に注がれている。
時間を忘れて楽しむ彼らを、箱の縁に座ったシルフ達が退屈そうに眺めていた。どうやら、シルフ達にはジグソーパズルは不評のようだった。




