嬉しいご褒美
あれから毎朝、せっせと起こしてくれる風の精霊達にきちんと挨拶するのだが、今のところ彼女らの声は聞こえない。
狩りに出掛けたギードも、戻らないまま五日が過ぎた。心配になり聞いてみても、心配いらないと笑って言われただけだった。
毎日、午前中は厩舎で家畜達や使役竜達の世話をして、その後は薬草園や畑で採ってきたいろんな薬草を、洗ったり干したりすり潰したり、色々なことを教えてもらって手伝った。
午後からは手間のかかる作業を手伝うことが多く、念願のチーズ作りを手伝った時は、大はしゃぎで笑われてしまった。
頑張って手伝った作りたてのフレッシュなチーズは、蕩けるような美味しさだったし、また別の日に作った大きな塊のチーズは、これから一冬かけて乾燥させるのだと聞き、そんなに手間がかかるのかととても驚いた。
どれも作業は大変だったけど、働くことには慣れているし、何よりも毎日お腹いっぱい食べられることが嬉しかった。
夕食の後は、タキスに見てもらって勉強の時間だ。
初めて計算問題で全問正解出来た時には、椅子から立ち上がるくらいには嬉しかった。
「ご褒美をあげる約束でしたね」
タキスが本や算術盤を片付けながら言った。
「今すぐ貰うのと、後で貰うのと、どっちがいいですか?」
「えっと、何が貰えるのかは聞いちゃだめなの?」
二人は顔を見合わせて笑ってから、大真面目な顔で言った。
「まだお腹に余裕があって食べられるなら、今からニコスがパンケーキを焼いてくれます。もうお腹いっぱいで、今日は食べられないと言うのなら、明日の午後の作業の合間のおやつに、あなたの分だけ特別豪華なパンケーキが出ますよ。どうしますか?」
暫く考えて、お腹と相談する。そして、大真面目な顔で答えた。
「えっと、今日はもうお腹いっぱいで食べられないです。なので、明日のおやつでお願いします」
三人同時に噴き出した。
「分かりました、じゃあ明日のおやつでお願いしますね」
「了解した。びっくりするくらい豪華なのを作ってやるから、楽しみにな」
その日は、明日のおやつのことを考えてワクワクしながらベッドに入った。
翌朝、いつものように風の精霊達に起こされ、挨拶をしてからベッドから降りて着替えをしていた時だった。
『パンケーキ楽しみね』
『どんなのかな?』
『楽しみ楽しみ』
と、笑って話している声が聞こえた。
驚いて服から顔を出したが、その時にはもう部屋には誰もいなかった。
「……シルフ達はパンケーキ食べるのかな?」
ちょっと嬉しくなって、こっそり声をかけてみた。
「シルフってパンケーキは食べられるの?そうなら、一緒に食べても良いよ」
答えを待ってみたが、部屋は静かなままだった。
朝食の後は、いつものように厩舎の掃除と家畜達の世話をした。
以前の飼い主から酷い扱いを受けて、さらにはサーベルタイガーに襲われて、あちこちに怪我をして弱っていたオットーとヤンもすっかり元気になった。怪我もほとんど良くなり、剥げてしまった鱗以外は、ほとんど痕もわからなくなっていた。
でも、体の大きさはポリーとほとんど変わらないのに、筋肉のつき方は明らかにポリーの方が多い。不思議に思って聞いてみると、ラプトルの体を拭きながら、タキスが教えてくれた。
「今までの栄養状態も良いとはいえなかったようですから、逆にこれだけの身体を保っていることの方が驚きなんですよ」
「そうなの? じゃあ、もしかしてずっとこのままなの?」
オットーを撫でてやりながら心配になった。
「しっかり栄養のある食事を定期的に取らせて、後はしっかり走らせてやる事ですね」
「痩せてるのに走らせるの?」
「そうですよ、人間でも体を鍛えるために走ったりしますよ。走る事でしっかりしたバランスの良い筋肉がつきますからね」
「そうなんだ、じゃあ僕も走った方がいい?」
タキスは驚いて振り返り、少年を見た。
背はこの年齢にしたらかなり低い方だろう。でも、小柄だがそれなりに力はあるし、相応の筋肉はついてると思う。手足の骨は太くてしっかりしている。だが、肉はあまりついていなくて、どちらかと言うとかなり痩せている方だろう。
「あなたはどちらかと言うと、しっかり食べてもう少し体を作るのが先ですね」
「どうせ僕は小さいよ」
拗ねたような物言いが可笑しくて、笑いそうになったがなんとか我慢した。ここで笑ったら、きっと本格的に拗ねる。
寝癖のついた髪を撫でながら、思っていたことを聞いてみた。
「お母様は、平均程度だったようですが、お父様の背丈がどうだったかご存知ですか?」
「母さんが、亡くなった父さまはとても大きい方だったって言ってたよ。だから、僕も大きくなるって」
それを聞き、自分が思っていたことはおそらく間違いではないのだろうと確信した。
この少年は、今は小さいし痩せているが、ちゃんと必要な栄養を摂っていれば、恐らく背はもっと伸びるだろう。平均ほどの母親とかなり背が高かったという父親、そして太くてしっかりした骨。
「もしかしたら、寝ている時に背中や足や膝などが痛むことがあるかもしれません。もしそうなったら必ず言ってくださいね」
「怪我は治ったよ?」
綺麗に治った手の甲の傷を見せながら、不思議そうに言う。
「恐らく、あなたの身長はこれから伸びますよ。成長する時に痛みが出るくらいにね」
「本当! そうなら嬉しいな!」
オットーに抱きついてぴょんぴょん飛び跳ねた。オットーは驚いていたが、我慢してされるがままになっている。その様は、やんちゃな弟をあやしてるようで微笑ましい光景だった。
午後からは、酢漬けのキャベツを仕込むのを手伝った。
大きなキャベツを洗って運ぶのは大変だったけど、冬の間に食べる大事な食料だ、美味しく食べられるように願って、頑張って働いた。
「さて、じゃあ俺はおやつの準備をしてくるから、後は頼むよ」
ニコスがそう言って台所へ戻って行った時から、もう楽しみで仕方がなかった。嬉しくて即興の鼻歌まで出てタキスに笑われた。
言われた通りに野菜の屑を集めて、表の畑の横の堆肥置き場へ運んだ
手をしっかり洗ってから、タキスと一緒に居間へ戻った。
「良い匂い!」
戻った部屋は、甘い香りに包まれていた。
「お、来たな。じゃあ、これをこうしてと……」
どんな風なのか見に行きたかったが、タキスに止められたので大人しく席についた。
「はいどうぞ召し上がれ」
ニコスが気取って出してくれたパンケーキを見て、声が出なかった。
ぽかんと口を開いたまま、目の前のパンケーキを見つめる。
それは、小ぶりだが五段重ねになっていて、横にはキリルの実やリンゴが綺麗に盛りつけられている。パンケーキの上には、真っ白なものが乗っているがこれはなんだろう?
さらに、横に置かれた器には金色に光る液が入っているが、これもなんだろう?
ナイフとフォークが置かれ、温めたミルクも置かれた。
「えっと、これはなんですか?」
横に置かれた金色のものを指差して聞いてみた。
「これは、蒼の森にいる花蜂の蜜ですよ。たっぷりかけてください」
そう言うと、たっぷりかけてくれた。パンケーキの横に流れてゆっくりと垂れる。隙間に染み込んでいくのが面白かった。
「この白いのは何?」
「それは牛の乳を濃くして泡立てたものだよ、ふわふわして甘いから、パンケーキと一緒に食べると良い」
ナイフとフォークを持ち、えいっと半分に切る。驚くほど柔らかく、なんの抵抗もなく軽く切れた。
一口食べて眼を見張る。タキスを見ると笑って頷いてくれたので、嬉しくなってどんどん食べた。
半分ぐらいまで食べて、今朝のことを思い出した。
「ねえ、精霊ってご飯は食べるの?」
タキスがちょっと考えてから答えてくれた。
「少なくとも、なにかを食べているのは見たことが無いですね。どうしたんですか? 急にそんな事……」
「今朝、着替えてる時にシルフ達が話してる声が聞こえたの。パンケーキが楽しみだって」
「それは……もしかして、見てますか?」
宙に向かって話しかけると、ふわりとシルフが現れてレイの肩に乗った。
「えっと。食べますか?」
話しかけてみると、首を振って頰にキスしていなくなった。
「どうやら、あなたが楽しみにしてるのを見て、一緒に楽しんでたみたいですね」
笑いながらタキスが教えてくれた。
「精霊は、側にいる人の感情に左右されやすいんです。この森の子達はしっかりしてるから大丈夫ですが、怒りっぽい人や、強情で周りに不機嫌をばらまくような人が多いと、精霊達も怒りっぽくなりますから気をつけてくださいね」
「そうなんだ、気をつけるね」
「ほれ、お前さんの分だよ」
タキスの前には、二段重ねのパンケーキが置かれ、彼も花蜂の蜜をかけて食べ始める。
「とっても美味しいね」
嬉しくなって言うと、タキスも食べながら笑って頷いた。
「ニコスの作る料理はなんでも美味しいんですが、このパンケーキは本当に美味しいですよ。王都の料理人にも負けませんよね」
「絶対これが一番!……でも、母さんの作ってくれる硬いパンケーキも美味しかったよ。キリルのジャムを作った時にだけ作ってくれたの」
ちょっと涙が出そうになったけど、パンケーキを口に入れたらなんとか我慢できた。
「お母様の作られたものは、恐らく小麦と水で作ったものでしょう。そのときに有る物で作る、それも大事な家庭の味ですよ」
ニコスも席について食べ始める。
「おかわりがいるなら、まだありますよ」
魅力的な言葉だったが、流石にもうお腹はいっぱいだった。
休憩の後は、食料庫の片付けを手伝った。
いくつかの場所を入れ替え、大きな棚が一つ空いた。
「こんなに空けてどうするの?」
「だって、ギードが帰ってきたら、塩漬け肉を作ったりハムやベーコンを作らないといけませんからね。地下の食料庫から、直ぐに使うものを持って来て、ここに置くんですよ」
「地下にも食料庫があるの?」
驚いて聞いてみると、地下の食料庫は気温が低く一定なので、肉類の保存はそちらでしているのだと言う。
「今からそっちへ行きますので、あなたも来ますか?」
「行く! 地下も見てみたい」
「寒いですから、ニコスに言って服を一枚着て来てください」
「そんなに寒いの?」
「まあ、そのまま行ったら確実に風邪をひくぐらいには」
籠を手にしたタキスが笑いながら言った。
急いで居間にいるニコスのところへ走った。ニコスは、ふかふかな毛糸で編んだセーターを出してくれた。お礼を言って袖を通すと、ふんわりと暖かく驚くほどに軽かった。
二人に連れていかれた地下の部屋は、確かに寒かった。セーターを着ていても寒いと思うほどに。
そこは、上の食料庫よりもさらに凄かった。
壁には大きな肉の塊が吊るしてあるし、大きな棚にはベーコンやハムの塊がいくつも並んでいる。
「これだけあっても足りなくて狩りに行くんだ」
ちょっと驚いたが、毎日食べているハムやベーコンの厚さを考えて納得した。
そして、一つ思いついた。しかし、質問しようとした時、タキスが話しかけてきた。
「ところで、獣を捌くのは大丈夫ですか?」
「自分でやった事はないけど、大人が捌いてるのは何度も見たよ」
「じゃあ……血を見ても大丈夫ですか?」
「山鳩なら捌いた事あるよ」
「それなら大丈夫ですかね。ダメだったら無理しないでくださいね」
「自由開拓民の村の子供がそんなこと言ってたら、生きていけないよ」
当然の事のように言うのを聞いて、タキスは苦笑いして頷いた。
「そうですね、生きて行くためには命を食べる事は当たり前の事ですからね」
「いつも食べてるハム、とっても美味しいけど、あれも作ってるの?」
「もちろん。ギードが戻ったらたくさん仕込みますから、当然、レイにも手伝ってもらいますからね。しっかり働いてくださいね」
「あの……聞いてもいい?」
「どうしたんですか?ええ、なんでも聞いてください」
ベーコンをカゴに入れながら、ニコスもこっちを気にして見ている。
「もしかして、もう雪が降りそうなのにギードが狩りに出掛けたのって……僕の分の食料が必要になったから?」
困った顔の二人を見ると、正解だったようだ。
タキスが目の前に来てしゃがんでくれた。うつむいた顔を上げて正面から顔を見る。
「ご存知でしょうが、この森の冬は長いんです。大雪が降ることもあるし、吹雪が続いて何日も家から出られなくなる事だってあります。食料は常に大目に備蓄して置かなくてはね」
「ごめんなさい……」
「謝る事はありませんぞ。レイはちゃんと働いてくれておりますからな。これで働かなかったら……まあ、冬の森へ叩き出してやるところですが」
ニコスも近くへ来て笑いながら言った。
「頑張って働くから、それはやめて!」
悲鳴をあげて逃げようとすると、あっという間にタキスに捕まった。
「逃がしはせぬぞ。しっかり働けー」
芝居掛かった仕草でそう言って籠を渡してきた。
受け取って、三人同時に吹きだした。
その時、扉の方から声がした。
「何やら楽しそうだの。ワシだけ入れてもらえんと妬けるのう」
ギードが笑って立っていた。
「おかえりなさい!」
籠を足元に置いて、走って抱きついた。
「ただいま。今回は天気も良かったし運が良かった。なんと大きな鹿と猪を両方仕留めてきたぞ。 運ぶのに苦労したわい」
笑いながら抱きしめてくれた。ギードからは、土と獣の匂いがした。