懐かしい店とアップルパイの思い出
「ああ、中もほとんど記憶にあるままですね。素晴らしい……こうしていると、あの頃に帰ったかのようです」
店内を見回したタキスが、感極まったように胸元を押さえて嬉しそうにそう呟く。
広い店内は、入ってすぐのところに横長の大きなカウンターがあり、その奥側が厨房になっている。今も大柄な菓子職人達が、何人も忙しそうにパイ生地をこねたり鍋を火にかけて何かを作ったりしている。
厨房奥側に作られた窯を覗き込んでいる菓子職人の手には、柄の長い大きなパドルが握られている。
あれを使って、窯の中で焼いているお菓子を取り出すのだろう。
レイが遠目にだがその窯を覗き込むと、全部で五匹の火蜥蜴達が一列に並んで窯の中を走り回っていた。
あれだけ綺麗に並んで迷いなく走っているのだから、きっとあの窯はとても良い窯なのだろう。
横長の大きなカウンターの中には、大小様々なケーキや焼き菓子が綺麗に盛り付けられたり並べられたりしていて、品物はカウンターの裏側から取ってくれるようになっている。
噂のアップルパイも健在のようで、定番の大きな丸い形に焼かれてから三角に切り分けられたものだけでなく、一人サイズの半円形や長方形、それから一口サイズの丸くて小さなものまで、様々な形のアップルパイが綺麗に並べられている。
パイが多いので全体にやや茶色味が強いが、それ以外にも果物やナッツ、栗の甘露煮を飾りつけた華やかで美味しそうなケーキも幾つも並んでいる。
「ここでケーキやお菓子を注文すれば、あっちで食べる事が出来るんです……よね?」
並んでいたレイに向かってそう言ったタキスは、最後だけは近くにいた店員に小さな声でそう尋ねる。
「いらっしゃいませ。はい、今おっしゃられた通りで、こちらにご用意させていただいているアップルパイを始め全ての品は、奥のお席でお飲み物と一緒にお召し上がりいただけます。いかがなさいますか? もちろんお持ち帰りも頂けます」
控えていた店員は、にっこりと笑ってカウンターを示した。
確かにその言葉通り、店の右奥側にはやや小ぶりなテーブルと椅子が並べられていて、ここで座ってお菓子をいただけるようになっているようだ。
「飲み物は、紅茶と季節の果物を使ったジュース、それからキリルのシロップをお湯やミルクで割ったものくらいしかなかったんですよね。アーシアは、ここのキリルのシロップをお湯で割ったのが好きで、いつもそれを頼んでいましたね」
椅子に座りながら、タキスが嬉しそうにそう言ってテーブルに伏せて置かれていたいた上のメニューボードをひっくり返す。
それを見た全員がほぼ同時に吹き出した。
何しろそのメニューボードには、今まさにタキスが言った通りの事が書かれていたのだ。
「おや、いかがなさいましたか?」
やや年配の女性店員が、笑い転げるレイ達を見て驚いたよう駆けつけてきてくれた。
「ああ、ごめんなさい。久し振りに見たメニューが、昔と全く同じだったので……」
不思議そうにしているその人に、なんとか笑いを収めたタキスが事情を説明する。
「まあまあ、なんて事でしょう。五十年以上も前に通っていてくださったお方が、久しぶりのオルダムでまた立ち寄ってくださったなんて、とても嬉しいですわ。でも、残念ながらその頃でしたらまだ私は生まれてもおりませんねえ」
どう見ても五十よりは歳が上であろうその年配の女性の言葉に、また吹き出してしまったタキス達だった。
笑いが収まったところで、まずはお菓子をカウンターに見に行って選ぶ。
レイは悩みに悩んだ末、タキスおすすめのカットしたアップルパイと、栗とナッツのタルトを頼んだ。
タキス達は三人ともカットしたアップルパイを頼み、飲み物は、全員がキリルのシロップをお湯で割ったものを頼んだ。
このキリルのシロップも、お店が出来た八十年前から毎年漬け込んでいる自家製シロップなのだそうだ。
すぐにパイやタルトと飲み物が用意され、美味しいアップルパイに揃って大感激しているところに、先ほどの年配の女性店員がタキスのところへゆっくりと近寄り声をかけた。
「失礼致します。お客様の事を聞いて、私の母が是非ともお話をしたいと申しております。ご迷惑でなければ連れて参りますので、少しお時間をいただいても構いませんでしょうか?」
聞けばこの女性が今の店主で、娘さんともども店を切り盛りしているらしい。彼女の母は高齢の為にもう店には出ていないのだが、タキスがここに来ていた頃に店に出ていたのだと言う。
「もしや、もしやティティー母さんですか?」
目を輝かせて身を乗り出すタキスの言葉に、店主の女性が破顔する。
「おやおや、懐かしい呼び名ですね。ええ、そうです。そのティティー母さんです」
「まだご健在であられたとは嬉しい限りです。是非、是非お会いしたいです!」
「ありがとうございます。では、後ほど連れて参りますね」
満面の笑みのタキスの言葉に、安堵のため息を吐いた店主が一礼して下がる。
「へえ、五十年以上前に客達からそんな風に呼ばれていたって事は……人間なら相当なご高齢だな」
綺麗にアップルパイを切り分けて食べていたニコスが、感心したようにそう言ってタキスを見る。
「確かにそうですねえ。今なら恐らく百近い……いえ、もしかしたら百を超えておられるかもしれませんよ」
驚くレイ達を見て、タキスが堪えきれないように吹き出す。
「あの当時でも、ティティー母さんの年齢は、客達の間でよく話題になっていましたから。おそらく四十代くらいだと私は思っていたんですが、どうだったんでしょうかね? 本当に年齢不詳な方で、笑顔がとても可愛くて普段は優しいんですが、無礼な客には本当に容赦なかったですよ。特に、女性客に横から声をかけてくるような無礼な男性は、ティティー母さんに毎回蹴り飛ばされていましたからね。アーシアとの結婚を報告した時にはとても喜んでくれて、結婚祝いだと言って勤め先にこんな大きなアップルパイを届けてくださったんです。もちろん、医局の皆で美味しくいただきましたよ。そうそう。まだ幼かったエイベルを連れて、何度もこのアップルパイを買いに来ました。エイベルは、四角いのをこうやって両手で持って齧るのが好きだったんです。でも、パイのカケラがこぼれてしまうので、毎回私は怒っていましたね。お皿の上で食べなさいって」
笑いながらタキスがそう言って、両腕を大きく伸ばして丸を作って見せ、それから両手で何かを掴む振りをして口元へ持っていき、大きな口を開けて食べる振りをする。
その話を聞いて驚くレイ達を見て、タキスはもう一回吹き出したのだった。




