贈り物
竜舎の掃除をしながら、レイは何度も手を止めて周りを見回さずにはいられなかった。
ここに来て初めてラプトルを近くで見た。すべすべの鱗の体にも初めて触った。
トリケラトプスなんて、そんな騎竜が存在している事さえも知らなかった。初めは大きな身体がちょっと怖かったけど、トケラはとても賢くて優しかった。大好きになった。
ポリーの背中には、一年前には手が届かなかったのだ。でも、今ではその背に乗せた鞍に簡単に跨る事さえ出来るようになった。
干し草の汚れを取り終わり、新しい干し草を入れてやる。床掃除をして飲み水を交換したら、もう掃除は終わりだ。慣れた作業を終えて、小さくため息を吐いた。
騎竜達は、家畜達と一緒に上の草原に放されているから今はここにはいない。ガランとした竜舎の壁に、そっと手を当てた。
岩側の壁は、ひんやりと冷たい。
もう、近いうちにここにも初雪が降るだろう。その前にこの竜舎も、岩から出っ張っている木製の部分は畳んで片付けてしまう。
見上げた屋根の梁にはシルフ達が座って手を振っていた。
名残を惜しむように、あちこち見ているレイを三人は黙ってそっと見ていた。
「寂しくなるのう……」
ギードの小さな呟きに、二人も小さく頷くのだった。
「これでお掃除は全部終わりだね。あとは今日は何をするの?」
レイは、敢えていつものように明るく振り返ってそう言った。
「一旦戻りましょう。ちょっと貴方に話があります」
道具を片付けながら、タキスがなんでもない事のように笑ってそう言った。
そのまま居間に戻ったのはレイとニコスだけで、タキスとギードは何故か一緒に戻ってこなかった。
お茶の支度をするニコスの背中を見ながら、レイは戸棚から、ちょっと考えて黄色い栗の甘露煮の瓶と、茶色の栗の渋皮煮の瓶の両方を取り出して並べた。それからビスケットの入った瓶も取り出した。
お皿を取り出してビスケットを並べる。甘露煮用の匙と小皿も人数分用意した。
「ああそうだレイ、こっちも食べてごらん。栗の砂糖漬けだよ」
そう言ったニコスが、奥に置いてあった茶色い栗がぎっしりと入った瓶を取り出した。
「それは、渋皮煮とは違うの?」
同じだと思って取らなかったのだが、ニコスは笑って瓶を机に置いた。
「食べてみればわかるよ。レイはこれ、きっと好きだと思うぞ」
目を輝かせるレイを見て、ニコスは笑った。
「しっかり食べろよ、育ち盛り」
いつものように、からかって背中を叩いた。涙が出そうになったのは、きっと上手く誤魔化せたはずだ。
タキスとギードが戻ってきたので、それぞれの前にお茶が出された。レイの分はいつものカナエ草のお茶だ。
最初の一口目は、誰も、何も話さなかった。
居間に沈黙が落ちる。
何と無く居心地の悪い思いをしながら、大人しくレイは取り出した栗の砂糖漬けを口に入れた。
「んん! 何これ! すっごく美味しい!」
思わず大声でそう言ってしまい、全員の注目を集めてしまった。
「えっと、これすごく美味しいよ。食べてみてよ!」
誤魔化すように笑って、砂糖漬けの瓶を手にとって隣に座るタキスに渡した。
「ああ、この前作っていた栗の砂糖漬け、仕上がったんですね。では、栗好きのレイの保障付きの一品を頂きましょう」
にっこり笑ってそう言うと、二個取り出して向かいに座るニコスに渡す。ニコスとギードもそれぞれ二個づつ取り出して、その瓶をまたレイに戻した。
「もっと食べたいだろ? まだあるから、好きなだけ食べていいぞ」
ニコスの言葉に、レイはまた目を輝かせていくつも嬉しそうに瓶から取り出していた。
お茶が飲み終わる頃、三人は互いに目配せしあっていたが、最初に口火を切ったのはタキスだった。
「レイ、明日ロベリオ様とユージン様が来られたら、恐らくゆっくり話す時間は無いでしょうから……少し早いですが、ここで貴方に、私達からの贈り物を渡しますね」
砂糖漬けを食べ終えて、甘露煮を摘んでいたレイは、慌てて居住まいを正してタキスと向かい合った。
タキスは、持ってきた籠からガラスの小瓶を取り出した。中には真っ赤な砂が入っている。
「これは、この前貴方に届けてもらった紅金剛石を精製したものです」
「精製?」
瓶を受け取りながら初めて聞く言葉に首を傾げる。
その瓶は掌ほどの大きさで、蓋は蜜蝋で封がされていて簡単には開けられないようになっている。
「以前貴方に見せたのは、掘り出した状態の結晶体でしたね。あのままでは薬としては使えません。砕いて不純物を全て取り除き、再度結晶化した物を砕いて粉にしたものがそれです。その状態で、ようやく薬の材料として使えるんですよ」
「まだあったんだね、これ」
持って行った分で全部だと思っていたから、貴重な薬がまだあった事に驚いた。
「いや、あの時ここにあった分は全部お渡ししたよ。それはあの後、新たに鉱山で採れたものを精製したものじゃ」
「貴重なお薬なのに、沢山採れたんだね」
「まあ何しろ、すごい純度のミスリル鉱脈だからな」
自慢げに笑ったギードの言葉に、レイも嬉しそうに頷いた。
「そう言えば、竜騎士様が皆、ミスリルの鎧を着ていたんだよ。すっごく格好良かった!」
その言葉に、ギードは大量のミスリル発注の理由を知って納得した。
恐らくルーク様の負傷で、竜騎士の装備を強化したのだろう。しかし、という事は、マイリー様はミスリルの鎧を身に付けていて、それでもあれだけの大怪我をされたという事になる。
一体何があったのだろう。
不意に強烈な不安に襲われたギードだった。
「これは貴方に差し上げますから、念の為持っていてください。こっちは師匠から聞いて私が作りました。ルーク様やマイリー様のお怪我の際に使ったのと同じ、竜騎士様にも効果のある特別なお薬だそうですよ。主に外傷に対して使います。痛み止めの効果もあるそうですよ」
そう言ってもう一つ、金属で作られた筒型の薬入れを渡した。それにも蜜蝋で封がされていた。
「このお薬は相当長く保存出来ます。この入れ物はそのお薬の専用です。使い終わったら、また蜜蝋で封をして下さい。そうすればまた、長期保存が出来ますからね」
頷いて受け取り、初めて見るその筒型の入れ物をまじまじと見た。
レイは知らなかったが、この金属製の筒はミスリルで出来ている。
純粋なミスリルは神の金属とも呼ばれ、錆や経年劣化を一切起こさない完全な金属なのだ。そのミスリルで作られた薬の缶は、薬の究極の保管方法だと言われていて、中に薬を入れて蜜蝋で封をすれば、百年単位で保存が可能なのだ。
王都の薬剤倉庫では、一部の貴重な薬を保存している棚にこの缶がぎっしりと並んでいる。
「分かった、持っていきます。ありがとうタキス。でも、怪我しないように気をつけるよ」
照れたように笑うレイに、タキスは頷いてキスをした。
「もちろんそんなお薬、使わない事が一番ですからね」
「俺からは、こいつらをレイに預けるよ」
ニコスがそう言って、自分の指輪から、三人のシルフを呼び出した。現れたシルフ達は、見慣れたいつもの子達よりも遥かに大きく、またその色も濃かった。
「大きい子達だね。その子達って、もしかしてケットシーの時に出てきてた子達? でも、右端の子は一人だけもっと大きいね」
感心したようにシルフを見つめていたレイがそう言って、ニコスを見た。
「右端の一番大きい子は、今ではもう失われてしまった系統の子でね、この子は本当に特別な子達なんだ。精霊魔法や技はもちろん、日常のありとあらゆる事を記憶してくれる。そして主人と定めた人に、それらを教えてくれる。オルダムで暮らす事になったレイには、絶対にこの子達の助けが必要だ。俺もこの子達にはずいぶんと助けられたんだよ」
ニコスが軽く腕を振ると、シルフ達は飛び上がってレイの腕に座った。
『よろしくね』
『新しいご主人』
『よろしくよろしく』
嬉しそうに笑ってそう言うと、レイの左手にしている指輪の中に入ってしまった。
「まあ、暇をみてゆっくり話すといいよ。何が出来るか詳しく教えてくれる。それに本当に必要な時には、向こうから話しかけてくれる。こっちから何か聞きたかったらこう言えばいい。知識の精霊よ教えておくれ。ってね」
すると、先ほどの三人のシルフ達が指輪からするりと出てきた。不思議そうにニコスを見て、レイを見た。
「ごめんごめん。君達にどうやって聞くのか教えていたんだよ」
苦笑いするニコスの言葉に、三人はころころと笑った。
『残念残念』
『早速お役に立てると思ったのに』
『残念残念』
「えっと、レイルズです。よろしくね」
さっきは何も話さないうちにいなくなってしまったので、レイは慌ててそう話しかけた。
『新しいご主人は素敵』
『可愛い可愛い』
『可愛い可愛い』
『よろしくよろしく』
『よろしくよろしく』
『よろしくよろしく』
シルフ達はそう言ってまた笑って、レイの鼻先に次々にキスをして指輪に戻ってしまった。
「ええちょっと待ってよ! 素敵は嬉しいけど、可愛いってなんだよそれ、こんなでかい図体して、可愛いって何!」
それを聞いた三人は、堪える間も無く吹き出してしまった。
「いやあ笑ったわい。うん、確かにレイは可愛いぞ」
「なんだか複雑ー!」
机に突っ伏して暴れるレイに、三人はもう笑いが止まらない。
「じゃあ、レイは何て言われたいですか?」
ようやく笑いを収めたタキスが、涙を拭きながらそう尋ねた。
「えっと……格好良い!……かな?」
「ええ、貴方は世界一格好良いですよ」
笑って取ってつけたようにそう言うタキスに、レイも笑って舌を出した。
「はーい、ありがとうございます!」
「ああ言うところが可愛いんだよな」
「全くじゃ。本人は全然分かっとらんようだがな」
テーブルの向かい側で、まだ笑いながら小さな声でそう言って頷き合う二人だった。
「ワシからはこれじゃ。ミスリルの剣とラピスラズリの指輪はもう渡したからな」
そう言うと、一通の封書を机に置いてレイの前まで寄越した。
「何これ? あ、ドワーフギルドの紋章が押してあるね」
封筒にはロウで印が押してあり、それはブレンウッドのドワーフギルドの建物の扉や壁に掘られていた、槌とツルハシを象ったドワーフギルドの紋章だった。
「この中には、ドワーフギルド発行の書付けが入っておる。オルダムに行ったら、恐らくレイは軍のギルドに加入する事になるはずじゃ。自分の口座が出来たら、それを持って窓口に行きなされ。その中の書付けをレイの口座に入金してくれるぞ」
「ありがとう。お小遣いだね」
「……まあ、そんなところじゃ。都会は何かと金がかかるからな。持っていて邪魔にはなるまい。まあ遠慮無く使ってくれ。何しろワシらは、ここにおったら殆ど金を使う事など無いからな」
誤魔化すように笑ったギードだったが、実はその封書の中には、先日オルダムのドワーフギルドから発注を受けて納品したミスリルの代金の書付が入っている。はっきり言って、オルダムでも一生遊んで暮らしてもお釣りがくるほどの金額だ。
先日のブレンウッドのドワーフギルドで、レイにこの書き付けの正式な譲渡の手続きを行って来た。
バルテンは驚いていたが、ギードがそうしたいと言うと、何も聞かずに手続きをしてくれたのだ。
「持つべきものは友じゃな……そのような友、其方も見つけなされよ」
その小さな呟きは、レイには聞こえなかった。
「ありがとう。僕、こんなに貰っちゃって良いのかな」
「当たり前じゃ。其方が我らにどれだけのものをくれたか……知らぬのは其方だけじゃな」
「どれだけあげても、俺達の方が貰いすぎているよ。遠慮無く受け取ってくれ。これからもな」
「そうですよ。約束しましたよね。降誕祭の度に、貴方に贈り物をすると……忘れていませんよ」
笑ってまたキスしてくれたタキスに、レイは無言で抱きついた。
「ありがとう……ありがとう」
ただ、何度もそれだけを言い続けていた。
ここに来てわずか一年。
でも、レイにとっては絶対に、一生忘れられない一年間になった。




