タキスのお節介?
「はあ、本当にここは最高の場所ですね」
読んでいた本から顔を上げたタキスは、小さくそう呟き広い館内を見回した。
見えるところ全てが本棚と言ってもいい。ずっと見ていたくなるような光景だ。
満足のため息を吐いて本に目を落としたその時、場に似つかわしくない、今にも泣き出しそうな小さな声で、誰かが謝る声が聞こえて思わず顔を上げた。
タキスが使っている大きな机の反対側の端に座ったレイよりも少し下くらいの歳であろう少年が、積み上がった分厚い本に埋もれている。どうやら今の声は、その少年のようだ。
その横に座っているのは、おそらく指導役か家庭教師と思われる壮年の男性だったのだが、何とその手には短い鞭を持っていたのだ。
「ここは覚えてくるように言いましたよね。こんな事も覚えられないとは本当に情けない。出来が悪いのにも程があります」
ごく小さな声で馬鹿にするかのようにそう言った男性は、手にした鞭で少年の腕を強く叩いた。
服の上からではあるが、上着を脱いでシャツだけになっているのであれはかなり痛いだろう。
驚くタキスがその男性を見つめると、こちらを睨みつけたその男性は目を逸らし、無言で少年の足を蹴った。
泣きそうな顔の少年は、こっちを見ているタキスには気付かずにまた謝り、参考書を開いて慌てたようにノートに何かを書き留め始めた。
「全く、今回の試験に落ちるような事があれば、私がお館様から叱られるのですからね。しっかりしなさい!」
嫌そうな言葉に納得した。
積み上がっているのはどれも医療関係と薬学の参考書である事を考えると、あの少年は、王立大学医学部の受験生なのだろう。
気になってしばらく様子を伺っているたのだが、横にいる男性の教え方があまりにも酷い。
出来ない事を論うように責めているが、具体的に分かっていない部分を教えようとはせず、ここを読めと言うばかり。
しかも、その読めと言っている部分にしても、少年が困っているわからない部分と微妙に違うように見える。
あれでは、そもそも勉強しているとは言えないだろう。
もう完全に半泣きになってやる気がどこかへ行ってしまっている少年があまりに可哀想で、気がついた時にはタキスは立ち上がっていた。
「失礼します。もしや王立大学医学部の受験生の方ですか?」
突然話しかけられて、少年は目を見開いたまま固まってしまった。
「どちら様ですか?」
思いっきり嫌そうなその男性に聞かれて、タキスはにっこりと笑って少年の隣に座った。
「一応医師免許を持っていますし、これでも、元王立大学医学部の特待生でしたからね。今は、どの辺りを勉強なさっているのですか?」
元王立大学医学部特待生という言葉に、その男性が目を見開いて固まる。
「あの……」
参考書を開いた少年が、ある部分を指で示す。
「こういった症例の場合……」
「ああ、これはあくまで特殊な例として挙げられているものですから、ここを覚える意味はあまりありませんよ。それならばこちらを見てください」
自分が勉強していた頃よりもさらに細かく書かれた症例の数々の載る参考書に密かに関心しつつ、まずはその病気の一番多い症例について書かれた部分を開き、小さな声で一から説明し始める。
しばし呆然と話を聞いていた少年だったが、タキスの説明が一段落したところで小さく頷き、もの凄い勢いでノートを書き始めた。
横から時折間違いを正してやりつつ、タキスはその後のほとんどの時間を少年に勉強を教えてやりながら過ごしたのだった。
「あの、本当にありがとうございました。とても良く解りました。あの、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。僕は、ヴィリス・ベリーと申します。イルムガルド伯爵家の三男です」
一段落したところで、居住まいを正した少年にそう言われて、タキスは笑顔になる。
「これは失礼いたしました。タルキス・ランディアと申します。今日はあるお方に招待いただきここへ参りました。貴族ではなく市井の者です」
驚く少年の背後で、無言で話を聞いていたあの男性が鼻で笑った。
「貴族でもないのに、あんなに偉そうに横からいきなり口を出したのか。お前は何様のつもりだ」
煽るような言い方だったが、タキスは怒りもせずに平然と首を振った。
「見ていてあまりに酷い教え方でしたので、思わず口を出してしまったんですよ。言っておきますが、分からない部分をただ論って叱っていても、この子の知識にはなりませんよ。せめて、理解出来ていない部分を正しく教えてください。ここを読めというばかりで、あれは教えているとは言えない代物でしたのでね。自分の憂さ晴らしに、この子を苛めているようにしか見えませんでしたよ」
そう言って、自分の腕を叩く振りをする。
煽ったつもりがそれ以上に煽り返されて、男性の顔が真っ赤になる。
「貴様、私を誰だと思っている!」
大声でそう叫んで立ち上がった瞬間、あちこちから、うるさい、静かに、などの声が上がる。
「貴族でもない市井の出身である元特待生が知るわけありませんよ。一体どなたなのですか? ああ、話をするにはここはいけませんね。別室を借りましょうか」
図書館は静かにするのが当たり前なので、話をしたいときは自習室を借りるのは当然だ。
平然とそう言って少年の手を引いたタキスは、素知らぬ顔で受付へ行き本当に自習室を借りてしまった。
「せっかくですから、もう少し勉強もしましょうね」
にっこり笑って積み上がった参考書の山を平然と運ぶタキスを見て、ヴィリス少年も慌てて運ぶのを手伝った。
手伝いもせず、手ぶらのままで自習室に行って座ったその男性は、ヴィリス少年と並んで座ったタキスを睨みつける。
「それで、名乗りを願っても?」
またしても煽る気満々なタキスにそう聞かれて眉間に皺を寄せたその男性は、一つため息を吐いてから答えた。
「ケルシュ・スターリン。白の塔に勤める医師だ」
「おや、現役の医者でしたか」
「ただの医者ではないぞ。内科の主任医師で、ガンディ様の研究室の一人でもある」
胸を張るその言葉に、タキスが首を傾げる。
「ガンディ様というのは、白の塔の薬学部の長のお方ですよね?」
「当たり前だろうが。薬学部だけではなく、白の塔の代表責任者だ。まさか知らぬのか?」
「いえ、もちろん存じ上げていますよ。それよりも、貴方が内科の主任医師と聞いて驚いています。確か、内科の主任医師はトッティ先生だったはずでは? いつ変わったのですか?」
タキスは、ガンディから今の白の塔の主だった先生の事は聞いているが、この人の名前は聞いた覚えがない。
「え……その……」
いきなり慌て出すケルシュ医師に、タキスはにっこりと笑って目の前にシルフ達を呼び出した。
「シルフ、師匠を呼んでいただけますか」
「師匠?」
横で聞いていたヴィリス少年が不思議そうに首を傾げる。
「はい、ガンディ様は、私の師匠ですので」
にっこり笑ったタキスの言葉とシルフの口からガンディの返事が返るのと、ケルシュの口から悲鳴が上がるのは同時だった。




