浅慮と思い込み
「絶対に、絶対に叩き落としてやる!」
彼の、小さくそう呟いた視線の先にあるのは全身鎧に身を包んだ大柄な赤毛の若者だ。
レイルズ・グレアム。
今から、自分と槍比べで対決するその相手だ。
彼は、数年前に王都に突如現れた巨大な古竜の主であり、奇しくも今日、自分と同じ日に陛下から竜騎士の剣を賜り正式に竜騎士となった、貴族ではなく平民出身の男だ。
公式に発表されている彼の経歴では、平民どころか辺境の自由開拓民の村の出身だという。
別に自分は血統主義という訳ではないし、生まれる場所だけは自分で選べるわけではないので、彼が平民であろうと自由開拓民の村の出身であろうとどうこう言うつもりはない。
だがそれはつまり一切の教育を受けていないと言うのと同意語であり、恐らくだが、彼はここへ来るまでは自分の名前も書けない程度の知能しか無かったはずだ。
それなのに、ここへ来てからわずか数年の間に様々な貴族社会の慣例も礼儀作法も、難しいとされる精霊魔法も、そして様々な武術や体術に至るまで完璧に獲得していき、特に正式に竜騎士見習いとして紹介されて以降のこの一年、父上を含む多くの軍人達が彼の事を高く評価している。
聞くところによると、精霊魔法訓練所に通って個人指導を受けたとはいえわずか二年の間に一般教養どころか上位の精霊魔法まで獲得して、高等教育も受け大学に通うまでになり、しかも大学では高等数学と天文学を専攻しているのだという。
社交界でもその優秀さは噂の的で、気難しい高位貴族の年寄り連中をはじめ、裏では魔女集会とも噂される婦人会の方々までもが彼に夢中なのだと聞く。
どう考えても無知な平民に出来る事ではない。なので彼は密かにこう思っている。
どうせ古竜が裏で手引きして、無知な彼に常に知識を与え手助けしているのだと。
古竜であれば、精霊達を使って補助をすれば賢く見せる事や強く見せる程度の事は出来るだろう。
つまり、彼自身が強かったり賢かったりするのではなく、古竜からの助けがあるから優秀と言われているだけなのだと。
しかし、今回の槍比べは、精霊魔法の類は一切禁止されているので、そうなると確実に自分に有利なはずだ。
大勢の人の前で彼を叩き落とし、その見せかけの優秀さを崩してやる。
彼を優秀だと妄信している皆の目を覚まさせてやる。そして自分の優秀さを認めさせてやる。と。
「絶対に、絶対に叩き落としてやる!」
槍を握りしめたまま、もう一度そう呟く。
何しろ、彼には絶対に負けられない理由がある。
幼馴染であり婚約者でもある彼女から、少し前にこう言われたのだ。
せっかく同じ日に叙任を受けるんだから、噂の古竜の主と仲良くなってお茶会に誘ってきてよ。と。
古竜の主様とお近づきになりたいからと無邪気に言われて、咄嗟に断る言葉が出なかった。
叙任式当日にそんな暇は無いし、彼と接するのは槍比べの時だけだから無理だと言うと、ムッとした顔で、役立たずと言われた。
一応自分も社交界に紹介されてはいるが、三男である自分が家を継ぐ事はないし性格的にああいった華やかな場を好まない事もあって、貴族として必ず出なければならないような一部の公式の夜会以外、普段の夜会やお茶会などには軍での訓練や務めを理由にほとんど参加していない。
婚約者の彼女はそれも不満のようで、特にあの古竜の主が正式に紹介されて以降は何度も言われている。
貴方も軍人なら、古竜の主様と仲良くなって彼を私に紹介して、と。
その瞳は完全に恋する乙女のそれで、婚約者である自分はどうなるのだと何度怒鳴りそうになった事か。
なので、彼女には悪いが今日この場で彼を叩きのめして、ついでに彼女の目も覚まさせてやろうと考えている。
やや興奮気味の自分のラプトルの首元を軽く叩き、もう一度赤毛の若者を睨みつけたのだった。
「いよいよだね。レイド、次もよろしくね」
そんな一方的な思い込みで自分に敵意を向けられているなんて考えもしないレイは、やや興奮気味のレイドを撫でて落ち着かせてやりつつ、次に当たる人はさっきの人よりは強そうだな、などと無邪気に考えていたのだった。
『次の相手はかなり強そうだな』
その時、耳元でブルーの声が聞こえてレイは笑顔で上空を見上げた。
「うん、頑張るから見ていてね! あれ、ずいぶん高いところにいるんだね」
上空に見えるブルーの姿がかなり小さく見えて、驚いてそう呟く。
『我があまり近くにいると、戦う相手に威圧を与えてしまう可能性があるのでな。さっきの怯えていた彼を見て、そう考えてもう少し高度を取ったのだよ。ここからでも我の目ならば戦いは見えるので大丈夫だよ。其方は遠慮なく戦いなさい』
「そっか、知らない人はブルーが近くにいるだけでも怖がる可能性があるからね。さっきの彼に申し訳ない事をしちゃったかな」
苦笑いするレイの言葉に、ブルーの笑う声が聞こえた。
『初戦で当たった彼は、本人は文官として勤める事を希望していたのに、軍人の家系だった為に有無を言わさず騎士としての叙任を受けなければならなかったらしい。彼の武術の力量を考えれば、真正面から其方と槍比べができた時点で相当な勇気の持ち主だと、ここは負けはしたが彼を評価すべきだな。そして今回の事で、自分の息子は武人には向かないのではないかとご両親は考えを改めたようだから、もしかしたら今後は、彼は騎士の称号を持つ文官になるかもしれぬな』
「そうなんだね。勇気ある彼が、自分の生きたいようになれたらいいね」
無邪気な、しかし優しいその言葉にブルーも同意するように笑っていたのだった。
『だが、そんな真面目な彼とは違い、次の相手はまたずいぶんと色々と勝手な思い込みをしているようだな』
シルフ達を通じて相手の普段の様子まで全て把握しているブルーは、勝手な思い込みでレイを無能者だと決めつけ、一方的に叩きのめす気満々になっている相手を上空から睨みつけた。
「では、レイにはここでも恵みの芽の力を発揮してもらうとしようか」
面白がるようにそう呟いたブルーは、ゆっくりと少しだけ高度を下げて進み出てきた二人を上空から興味津々で見つめていたのだった。




