タキスの呟き
「はあ、本当にいくら読んでも読み足りない気分ですねえ」
その夜、部屋に持ち込んだ本をまたしても夢中になって読んでいたタキスは、本を閉じて顔を上げてそう呟くと、凝り固まった肩をゆっくりと回しながら立ち上がり、カーテンが閉まったままの窓に歩み寄って隙間から外を見た。
「夜明けまであと少し、と言った時間ですか。でもまあ、今日の私は屋敷で留守番ですから、別に夜更かししてもかまいませんよね」
言い訳するかのようにそう呟き、広い部屋を見回す。
真ん中に置かれた大きなテーブルの上は、読み散らかした本が何冊も積み上がっている。
苦笑いしたタキスは、散らかった本を簡単に整理して少し場所を開ける。
「ちょっと、喉が渇きましたね」
ため息を一つ吐いてそう呟きテーブルの横に置かれたワゴンを引き寄せると、伏せてあったグラスを二つ手に取りテーブルの空いた場所に置き、赤ワインの瓶を手にした。
これはお願いして一度開けておいてもらったものなので、はみ出したコルクを軽く引っ張ると簡単に栓が開いた。
ゆっくりと二つのグラスにワインを注いでから椅子に座る。
グラスを一つ手に取ると、置いたままのもう一つのグラスにごく軽く当てた。
カツンと硬質な音がして、グラスの中のワインが揺らぐ。
「精霊王に感謝と祝福を。ねえアーシア、私達の大切な息子であるエイベルの友達になってくれたレイが、今は私の大切なもう一人の息子になったレイがいよいよ竜騎士になるんですよ。貴女を失い、エイベルまでも失い……全てに絶望して、ただただ死にたいと願って無意な時間を過ごしていた私に、生きたいと、生きてこの先の世界を見たいと思わせてくれたあの子が……本当に竜騎士になるんですよ。夢のようです。人の子の成長は早いですね」
小さく笑いながら、まるで彼女がそこにいるかのようにもう一つのグラスに向かって静かに話しかけて、ワインを一口飲んだ。
「うん、これはなかなかに美味しいワインですね。アーシア、貴女もきっと好きだと思いますよ。そうそう、レイの想い人にようやく会えましたよ。とても素敵なお嬢さんでしたね。実らぬ恋の代名詞とも言われる女神の神殿の巫女様ですが、二人のあの様子を見る限りまちがいなく相思相愛のようなので、どうやら心配はなさそうですよ。さて、孫の顔を見るという私の夢は、いつになったら叶うのでしょうかね?」
そう言って小さく吹き出し、またワインを口にする。
「こんな日が来るなんて、本当に夢のようです。ねえアーシア、今貴女に会えたら……話したい事が山のようにありますよ。本当に、貴女に会いたいですよ……」
俯いて目を閉じたタキスがごく小さな声でそう呟く。
「でも、もしも貴女が生きていたら……きっと今、私はここにいないでしょうから、そうなると森にいたレイを助ける事も、竜熱症が判明する事も無かったわけですから、きっとこれで良かったのですよね……だからこそ、だからこそ今があるのでしょうが……それでもやっぱり、寂しいものは寂しいんですよ。私は、貴女に会いたいんですよ」
ため息を一つ吐いたタキスは、顔を上げて手元のグラスのワインを飲み干してからもう一つのグラスと交換する。
「そうだ。せっかくオルダムにいるのですから……今日は久しぶりに貴女に挨拶に行きましょうか。前回、ここに来た時は、レイの事で頭がいっぱいで行けませんでしたからね。ごめんなさい。でもアーシアならきっと、あの時の私を笑って見ていてくれたでしょうね」
小さく笑ったタキスは、まるで愛しい人にするかのように、そっとグラスにキスを贈った。
「いつか私がそちらへ行くまで、貴女は待っていてくれますか? それとももう、輪廻の輪に戻って新たな命を授かってこちらへ戻って来ているのでしょうかね? 私はもう一度、貴女とエイベルに会えるのでしょうか……」
その小さな呟きを聞いていたのは、部屋にいたシルフ達だけだった。
呟いたきり俯き目を閉じて黙っていたタキスは、しばらくして顔を上げた。
「オルダムの街も五十年ぶりですからね。さて、迷子にならずに目的地まで行けるでしょうかね」
小さく笑ってそう呟くと、開けたままだったワインの瓶にコルクで軽く栓をすると、立ち上がって大きく伸びをした。
「ううん、読書に夢中になると、どうしても体が凝り固まってしまいますね。たまには私も少しくらいは運動した方がいいのでしょうかね?」
軽く飛び跳ねて首を回したタキスは、用意してくれてあった夜着に着替えてベッドに横になった。
もうそろそろ夜が明ける時間だが、一つ小さな欠伸をしたタキスはそのまま毛布を胸元まで引き上げるとそっと目を閉じたのだった。