内緒の話とニコスの涙
「ああ、あの竪琴を使ってくれているんだな」
舞台がよく見える場所に案内してもらいタキス達と三人並んでまた別の覗き窓から会場を見たニコスは、感動したように口元を押さえながらごく小さな声でそう呟いた。
ちょうど、演奏を終えた方と交代したレイが竪琴を抱えて舞台に上がったところだったようで、舞台に上がった彼に気付いた多くの人達から拍手と声援を送られて、用意されていた椅子に座ったレイは、竪琴を抱えて嬉しそうな笑顔で会場に向かって一礼した。
その様子は堂々としていて、ニコスの目から見ても生粋の貴族の若君のようだ。
舞台前に集まってきたうちの前列にいる何人ものお嬢様方は、舞台を見上げながらそれはもうキラキラな目でそんなレイを見ている。
「ううん、さすがに舞台慣れはしているようだが、自分に向けられる視線には相変わらず鈍感みたいだなあ」
思わず執事の視線で舞台に上がるレイとその周りの人々を見てしまい、ついそう呟く。
何しろ舞台に上がったレイに向けられる視線の中には、明らかに色のこもった少々問題のある視線も複数あったのだが、レイは全くの無反応だ。
「まあ、これに関しては竜騎士の皆様が特に何も仰らず相手にもしていないという事は、とりあえずはそのままでいいんだろうが……やっぱり、レイをあんな色欲のこもった目で見られるというのは、分かってはいても少々イラつくものだなあ」
これまたごく小さな声でそう呟きため息を吐く。
「大丈夫でございます。周りに控えている者達が、その辺りは心得てしっかりと対応しておりますので」
背後から聞こえたグラントリーのごく小さな声に、驚いたニコスが振り返る。
「お心遣いに感謝を。どうぞ、これからも未熟な我が息子をどうかお守りくださいませ」
改めて居住まいを正したニコスが、小さな声でそう言ってグラントリーに深々と頭を下げる。
「当然の事です。どうぞご安心を。ですがまあレイルズ様の年齢的な事を考えますと、そろそろその辺りの実地訓練も必要かもしれませぬが……」
少々含んだその言葉に、ニコスは吹き出しそうになるのを咄嗟に腹筋に力を入れて、元執事の面目にかけて堪えた。
「そ、それについてはルーク様をはじめとする竜騎士の皆様方に一任しておりますので、ここでの個人的な答えは控えさせていただきます」
なんとか持ち直してそう答えると、にっこりと笑ったグラントリーも頷きつつ横の覗き窓から会場を見た。
「レイルズ様には、相思相愛の想い人がいらっしゃいますから、その辺りの実地訓練に尽きましては慎重にならざるを得ません。ですが、何しろお相手は実らぬ恋の代名詞でもある女神の神殿の巫女様でございますからね。色々と裏を深読みして、無駄なちょっかいを出そうとする者達がいるのは事実でございます。実を申しますと、その中には少々癖が悪く我らも手を焼いているご婦人などもおられますので、対応している者達も皆、なかなかに気が抜けぬようでございます。叙任式が終われば、その辺りの方々もまた張り切り始めるでしょうからまたぞろ何か起こらぬとも限りません。ですが皆も色々と考えて動いてくれているようですので、どうぞご安心を」
これまた含んだ言い方だったが、元執事のニコスにはその辺りの事情は手に取るように分かる。ちなみにタキスとギードは、もう話の途中から二人の会話を理解するのは完全に諦めていて、漏れ聞こえる声は聞き流しつつ会場の様子を楽しそうに見ている。
「国は違えど、そのあたりの方々の考え方は変わらぬようですね。皆様のご苦労が忍ばれます。対応してくださっている皆様方に、心からの感謝を捧げます」
苦笑いしたニコスの言葉に、グラントリーも頷きつつ苦笑いしていたのだった。
「お、そろそろ演奏が始まるから、おしゃべりはそこまでじゃぞ」
簡単な挨拶を終えたレイが笑顔で竪琴を抱え直すのを見て、ギードがそう言ってニコスの腕を軽く叩いた。
「ああ、ありがとうな」
慌てたニコスが改めて覗き窓に顔を寄せるのを見て、グラントリーは笑顔で一礼して少し離れたのだった。
一方、まさか控室からタキス達が揃って自分の事を見ているなんて予想もしていないレイは、舞台に上がって用意されていた椅子に座ると、まずは会場の方々に簡単な挨拶をして、間近に迫った叙任式の事を考えるだけで胃が痛くなりますと言って、会場の人達を笑わせていた。
演奏が始まると一気に会場が静かになり、覗き窓からその様子を見ていたニコス達も、揃って身を乗り出してさらに覗き窓に顔を寄せたのだった。
最初の曲は、地下迷宮への誘い。これには男性合唱団の倶楽部の中でも最高峰と言われるエントの会と、同じく女性合唱団の中で最高峰と言われるハーモニーの輪の方々が一緒に歌ってくださる。
舞台袖には両合唱団の方々が並んでいて、前奏部分を終えてレイが歌い始めたのに合わせてそれぞれに綺麗なハーモニーを響かせてくれ、これ以上ないくらいに嬉しそうな笑顔になったレイを見て、またあちこちから密かなため息や、もう遠慮のない歓声が上がっていたのだった。
「まさか、オルダムのお城の夜会の会場で、レイが歌う地下迷宮への誘いを聞ける日が来るなんてな……」
感極まったように小さくそう呟いたニコスは堪えきれずにあふれ出た涙を拭いもせず、胸元を押さえて一つ深呼吸をしてから、また急いで覗き窓に顔を寄せたのだった。