競りでの慣例と暗黙の了解
「あら、そろそろ競りが始まるようですわね。では私達も参りましょうか」
綺麗に平らげたスフレケーキのお皿を執事に返したところで、レイはミレー夫人にそう言われて慌てて舞台を振り返った。
確かに先ほどまでと違い、舞台の前に大勢の人が集まっている。
そしてちょうど舞台の奥側では、執事達が大きな衝立のようなものを幾つも運んで来ていて、会場からよく見えるように横一列に綺麗に並べている真っ最中だった。
並べられた衝立には、先ほどルークが持っていたリストと同じように出品物の一覧がやや細かい文字ではあるが書き出されていたのだ。
書かれた出品物は項目ごとに整理されていて、その横には競りの開始の金額も書き出されている。
「今年の出品物は、やや高額のものが多いようですわね」
イプリー夫人の呟きに、あちこちから苦笑いと同意の声が上がる。
「そうですわね。今年は特に特定の品物を競り落とす気満々で待ち構えていらっしゃる方が、大勢おられますものねえ」
「あら、そんな他人事のような事をおっしゃっていてよろしいんですの?」
「娘さんに、ドレスを絶対に競り落としてきてくれって頼まれていると、そうおっしゃっておられましたのに」
からかうような声と、笑いながらわざとらしく悲鳴のような声を上げるご婦人が何人もいるのを見て、レイは無言で舞台奥に並んだリストに書かれた競りの開始金額を見た。
競り開始の金額で全て落としたとしても、この夜会で集まる金額は、レイの常識ではとんでもない桁の金額になる。
改めて、貴族の人達の役割と責任について考えたのだった。
ちなみにこの入札や金額指定札に希望の金額を記入する際には、この国のお金の単位であるリベルで記入するのではなく、寄付集めの夜会での最低単価である銀貨の枚数で記入するのが慣例になっている。
銀貨一枚が一万リベル、銀貨が十枚で金貨一枚になるが、街で買い物をする際に金貨を出すような場面はそうはない。
大口の取引などの際にはもちろん金貨が使われるが、街の人達の日常生活での買い物程度ならば、金貨を使う事も見る事もほぼ無いと言っていいだろう。
まとめて買い物をする際などに銀貨を使う人がいる程度で、基本的にはほぼ銅貨までで事足りる。
レイも、ギードがドワーフギルドとの取引で受け取った金貨を見た事はあるが、街での買い物で金貨を見た事なんて当然だが一度もない。
ちなみに寄付集めの夜会では市場の価格の十倍くらいが基本なので、例えばケーキ一つが大体銀貨一枚程度だ。
レイはいつも、最低銀貨二枚は記入するようにしている。
リストに書かれている競りの開始金額を考えると、競り落とした時にどれくらいの金額になるのか、レイにはもう想像もつかない。
しかもルークから教えてもらったのだが、この全員参加の競りの場合、基本単価が金貨の枚数なのだそうだ。
改めて、この競りで集まる金額の合計を考えて、もうただただ感心するしかないレイだった。
「大変お待たせいたしました。間も無く最初の競りが始まりますので、どうぞ皆様奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます」
舞台に上がってきたやや年配の執事の言葉に、会場から大きな拍手が上がる。
そしてその執事の司会の元、いよいよ競りが始まった。
競りの際には棚から品物が舞台正面に運ばれてきて、それを見ながら競りをする形になっている。
最初は主に男性向けの品々のようで、武器や防具、喫煙具や陣取り盤などがいくつも運ばれては競り落とされていった。
レイも、せっかくだから陣取り盤の競りなら参加してみたかったのだが、舞台正面で希望金額を大声で叫んでいる人達のやる気満々な様子を見て完全に尻込みしてしまった。
もう参加している人達の勢いが凄い。そして、とにかく金額が上がるのが早いのだ。
次々に叫ばれる金額があっという間に桁違いに上がっていくので、初心者には全く参加する隙間がない。
ただただ感心して見ている間に終わってしまい、出品物が変わった。
次に運ばれてきたのは女性向けの装飾品やハンガーに掛けられた様々なドレス、あるいはレースなどで、ここでもレイは完全に見学する事になった。
ちなみに女性陣は競りに参加する際には自分で大声を上げるのではなく、側にいる執事に希望の金額を言い、その執事が代わりに大声を出して金額を言ってくれるようになっているらしく、ミレー夫人やイプリー夫人もドレスや装飾品をいくつも落札していた。
「レイルズ様。ほら、天球儀が運ばれてきましてよ」
イプリー夫人に言われるまでもなく、それに気がついていたレイは舞台に運ばれてきた大小さまざまな天球儀を見て大きく頷いた。
これは絶対に競り落としたい。
満面の笑みになるレイを見て周りにいた夫人達は皆、笑顔で、頑張ってねと言ってくれた。
「レイルズ。あれは競り落としたいだろう?」
その時、ルークがすぐ側に来てくれて、さりげなく手元の紙を見せてくれた。そこには数字が書かれている。
「この金額が、過去の競りでのあの大きさくらいの天球儀の最高落札金額だよ。今回出されているあの古くて一番大きな天球儀なら、最初にこの半分くらいを言えばいいぞ。他に参加者がいなければ、それだけで簡単に落とせるはずだ」
教えられた金額は、表示されている競りの開始金額よりもかなり高いが、ルークによると最初にそれくらいの金額を言えば、これは絶対に落としたいのだとの意思表示にもなるのだそうだ。
そうすれば、余程それを欲しい人でない限りは無理に参加せずに譲ってくれるのだと言う。
「まあ、これも暗黙の了解みたいなものだからさ。順番に覚えていけばいいよ」
笑ったルークの言葉に頷き、あの大きな天球儀が最初の競りにかけられたのを見て、レイは教えられた金額を嬉々として大声で叫んだのだった。




