常識の違いと戸惑い
「はあ、勝手な事をして出発の時間が遅れて迷惑をかけちゃったわね。瑠璃の館で待ってくれているレイルズや、執事さん達にやシェリン達にも申し訳ないわ。」
座ってドレスの裾を整え、苦笑いしてため息を吐くニーカの言葉にジャスミンは笑いを堪えて首を振った。
「まあ、驚きはしたけど気にしないでいいわよ。言っておくけど、未成年の女性二人の外泊であれなら全然大荷物なんかじゃあないからね。逆に少ないくらいよ。グラントリーも気にしないようにって言っていたでしょう?」
「ええ? あれで少ないの?」
「ええ、あれで少ないの」
驚くニーカに、ジャスミンは笑顔で同じ言葉を返して大きく頷いて、とうとうここで我慢出来ずに口元を押さえて小さく吹き出したのだった。
実は先ほどちょっとした騒ぎがあり、馬車には乗りはしたがまだ竜騎士隊の本部前に停まったままで出発出来ていないのだ。
事の起こりは、ニーカとジャスミンがヴィゴとカウリに付き添われて外に出てこの馬車に乗る際に、彼女達が乗る馬車の後ろにもう一台箱型のやや小さな馬車が用意されていて、ニーカがそれに気付いた事だった。
「ねえ、あの後ろの馬車はこの馬車より小さかったけど、竜騎士様方が乗るにはあの馬車は小さ過ぎるのではなくて? 乗る馬車を私達と代わった方が良くない?」
後ろに止まっていた馬車が見えないかとこっそり馬車の中から窓の外を覗きながら、心配そうなニーカがそう言うのを聞いて、ジャスミンは笑って首を振った。
「ええ? どうして笑うの?」
「心配しなくても大丈夫よ、竜騎士様達は、ちゃんと暖かい冬用のマントを羽織ってラプトルに乗って行かれるわ。ニーカが言っている後ろの小さな馬車は、人が乗るのではなくて荷物を運ぶ為の荷馬車なの。あそこには、私達のお泊り用の荷物が入っているのよ。もう少し大きな馬車だと屋根の上に荷物を乗せたりする事もあるけど、今私達が乗っているこの馬車はそうはなっていないから、荷運び用の馬車が別に用意されているのよ」
当たり前のようにそう言われて、ニーカは思わずジャスミンを見る。
「ええ? 私達のお泊まり用の荷物?」
「そうよ。だって、今夜は晩餐会ほどではないだろうけれど、恐らくそれなりに改まった席になると思うわ。そうなると、当然私達はこんな格好では参加出来ないから少し改まったドレスが必要になる。他にも寝る時の夜着や着替えの下着、明日のドレスだって必要よ。場合によっては、午前中と帰る際には別のドレスにする必要があるかもしれないから、外泊するのなら、あらゆる場を想定してドレスは必要が無くても何着も用意するものよ。当然、靴や身の回りの物、装飾品なんかもそれに応じて必要になるわね」
「待って。どうしてそんなにたくさんのドレスがいるの? これで良くない?」
そう言って、自分の着ているドレスの胸元のレースをそっと引っ張る。
「二日続けて同じドレスを着るつもり? そんなの絶対に駄目よ?」
当然のようにそう言われて、ニーカは言葉を無くす。
「そんなの駄目なんかじゃないわ。もっと荷物を減らしてもらわないと!」
そう言って立ち上がったニーカは、いきなり馬車の扉を自分で開けて外に飛び出して行ったのだ。
「ちょっとニーカ。何をするつもりなの?」
慌てたジャスミンが腕を掴もうとしたが、僅差で果たせずニーカはそのまま馬車の外へ駆け出して行ってしまった。
「ニーカ様。いかがなさいましたか!」
当然、今から出発しようとしていた周りの執事達が驚き駆け寄って来る。
「えっ? あっ……」
咄嗟に飛び出して、後ろの馬車に駆け寄ろうとしてしまったニーカだったが、慌てたように自分に駆け寄ってくる執事達を見て、ようやく自分がやらかした現状に気がついて真っ青になる。
緊急事態以外では、乗っている馬車から勝手に降りてはいけないのだと教えられていたのに。ましてや、閉められている扉を勝手に開けて外に出るなど、淑女として絶対に駄目な行為だと言われていたのに。
「あ、あの、ええと……」
三台並んだ馬車の後ろにはラプトルに乗ったヴィゴ様達の姿も見えるが、彼らも驚いたように揃って鞍上からこっちを見ている。
パニックになってしまい何と説明すればいいのか分からず困っていると、ニーカの侍女の一人であるシェリンとアンジェが、二人揃って慌てたように三台目の馬車から駆け出してきた。
彼女達は、今回のお泊まりに際してニーカの身の回りのお世話をする為に一緒に瑠璃の館へ行ってくれると聞いている。
「ニーカ様、いかがなさいましたか?」
いつも優しい笑顔を絶やさない落ち着いたアンジェの声に、ようやく少し落ち着いて一つため息を吐いたニーカは深々と頭を下げた。
「勝手をして申し訳ありません。あの……」
それでも言い淀むニーカを見て、小さく笑ったアンジェとシェリンはニーカの腕をそっと叩いた。
「問題ないようでしたらどうぞ馬車へお戻りを。間も無く出発となります」
「はい、申し訳ありません」
俯いて小さく謝るニーカを見て、裾が地面に接するのも構わずアンジェがしゃがみ込んでニーカの顔を覗き込んだ。
「どうして馬車の外にお出になったのか、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか? 馬車に何か問題がございましたか?」
優しいその言葉にどう答えたらいいのか分からず困っていると、足音がしてジャスミンのドレスが視界に入ってきた。どうやらジャスミンも馬車から降りてきてくれたらしい。
「騒がせてごめんね。ちょっと、私が言った言葉に驚いちゃったみたいなの」
苦笑いしたジャスミンが、アンジェの腕を引いて立ち上がらせ耳元に顔を寄せる。
「ええ? そんな事で? ……いえ、これは貴族の常識だからこその言葉ですね。失礼いたしました」
慌てたように謝ったアンジェは、もう一度しゃがみ込んで俯くニーカの顔を覗き込んだ。
「ニーカ様。今までの常識と、貴族の常識の違いに戸惑う事も多かろうと思います。大丈夫でございます。それをお助けする為に我らがおります。ニーカ様は、今を楽しむくらいの軽い気持ちでいてくだされば良いのですよ」
「あんな、大荷物を運ばせるような事をしても?」
戸惑うような小さなその言葉に、侍女達だけでなく後ろに控えていた執事達までが揃って大きく頷く。
「それが我らの仕事でございますので、どうかお気になさらず。ですが、我らをお気遣いいただき、心から感謝いたします」
見送りに出ていた執事のグラントリーの優しい言葉に、ようやく顔を上げたニーカも笑顔になった。
「分かりました。改めて、お世話をかけますがよろしくお願いします。ええと、じゃあ馬車に戻ります。勝手をして申し訳ありませんでした」
「そうですね。今回のお振る舞いについてのお説教は、ニーカ様がお戻りになられてからじっくりとする事と致しましょう」
ニーカの礼儀作法の指導役の一人であるグラントリーのにっこりと笑ったその言葉に、横で聞いていたジャスミンは堪えきれずに吹き出し、ニーカは顔を覆って小さな悲鳴を上げたのだった。




