おやすみの挨拶
「なあ、起きてるか?」
明かりの消えた静かな広い部屋に、遠慮がちなマークの声が響く。
「おう、どうした?」
若干眠そうなキムの返事が返ったが、レイの答えはない。代わりに返ってきたのは静かな寝息だけだ。
広いベッドに、今夜は三人並んでそれぞれに羽布団や毛布を被って横になっている。
真ん中で上向きになって熟睡しているレイを挟んで、まだ眠っていなかったマークとキムが顔を見合わせる。
「気になったんだけどさ。本人に聞いていいかどうかの判断がつかなくて、ちょっとキムの意見を聞きたかったんだ」
そう言ったマークが、ゴロリと寝返りを打って横向きになり、肘をついて軽く頭を上げる。
「改まって、何事だ?」
キムも同じようにゴロリと寝返りを打って向きを変え、マークの方を向いて肘をついて顔を上げる。
「さっき、書斎で皆がお休みの挨拶をした時の事なんだけどさ……」
「ああ、もしかして、蒼竜様の守りがありますようにって、レイルズが言った、あれか?」
同じ事を考えていたキムが納得したようにそう言ってレイを見る。
「うん、どうして彼だけが蒼竜様の守りを願うのかなって。おやすみの挨拶って、普通は定型の言葉で精霊王の守りを願うよな?」
「だな。それ以外の挨拶って初めて聞いた気がする」
今まで何度もお泊まりを一緒にしているが、考えてみたら、あんな風に改まってレイルズとおやすみの挨拶をした事が無い二人だ。
その為、蒼竜の守りを願うレイの挨拶を二人は初めて聞いたのだ。
「まあ、蒼竜様にお守り頂ければ安心だけどなあ」
「確かに、なんて言うか……会った事の無い精霊王に願うよりも確実な気がする」
そう言って小さく吹き出した二人は、熟睡しているレイの横顔を無言で見つめた。
「何か、理由があるのかな? 精霊王じゃあなくて蒼竜様に守りを願う理由が」
小さなマークの呟きに、無言のキムも小さく頷く。
『知りたいか?』
その時、レイの額の上にブルーの使いのシルフがふわりと飛んできて座った。
「やはり、何か理由があるのですね?」
「あ、でも単なる好奇心なので、何か事情があるのなら……」
慌てたようにそう言う二人を見て、ブルーの使いのシルフは小さなため息を吐いた。
『その前に質問だ。其方達、レイのお母上の事は何か聞いているか?』
低いブルーの声でそう尋ねられて、真顔になった二人は揃って手をついて起き上がった。そのまま毛布や羽布団を体に巻き付けるようにして座り直す。
「蒼竜様と出会う前に亡くなられたと聞きました」
少し考えたマークの答えに、キムも小さく頷く。
『ふむ、レイが住んでいた自由開拓民の村を秋の収穫の真っ最中のある夜、皆が寝入った深夜に野盗の群れが襲ったのだ。盗賊の一人に斬りつけられて深傷を負ったお母上は、まだ幼かったレイを連れて森に逃げた。夜中、森狼に追われて血を流しながら逃げ惑い、我が棲んでいた場所に逃げ込んで来たのだ。我が見た時には、お母上はすでに手遅れで精霊王の元へ旅立ったあとであった……本当に、惜しい方を亡くしたものだ』
大きなため息を吐くブルーの使いのシルフの言葉に、二人は目を閉じてレイのお母上に祈りを捧げた。
『かのお方のために祈ってくれて感謝する。レイは、あの襲撃のあった夜、眠る前にお母上とあの挨拶を交わしたのだよ。明日も精霊王の守りがありますように。とな』
「ああ、それで……」
言葉もなく頷く二人を見て、もう一度ため息を吐いたブルーの使いのシルフはそっとレイの額を撫でた。
『お母上が亡くなられた後、我は森に住む者達にレイを保護するよう頼んだ。レイが、今も家族と慕う者達だ』
「あの肖像画に描かれていたお方々ですね。エイベル様のお父上のタキス様と、オルベラートで執事をしていたニコス殿。それからドワーフのギード殿」
『ああ、そうだ。その元執事の竜人とドワーフと共にレイが街へ買い出しに行き宿に泊まった際、竜人がレイにおやすみの挨拶をした。当たり前のように精霊王に守りを願ってな。だが、一度は挨拶を返したレイだったが、その直後にあの夜の襲撃の事を思い出したらしい。あの夜にお母上と挨拶を交わしその後に襲撃があった。だからその挨拶は駄目だと震えながら言ったのだ』
納得する二人に、もう一度ため息を吐いたブルーの使いのシルフはもう一度レイの額をそっと撫でた。
『怯えるレイを、あの竜人は彼の震えが収まるまで何も言わずにずっと抱きしめていてくれた。そして、レイが落ち着いたところで笑って、大丈夫です、ただの挨拶だと。ではこうしましょう、と言ってあの挨拶を考えてくれたのだ。おやすみなさい、明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように、とな。レイもそれを聞いて笑顔になり、こう返したのだ。おやすみなさい、明日も彼にブルーの守りがありますように、とな』
ニコスの名前こそ言わなかったが、優しいその言葉に二人が納得して笑顔になる。
『その後、竜騎士達が彼を森へ迎えに行った際に森の家族からその挨拶を聞き、彼らもそれにならってレイにおやすみの挨拶をする際には、精霊王の代わりに我に守りを願ってくれるようになったのだよ』
嬉しそうなブルーの使いのシルフの言葉に、もう一度大きく頷いた二人は笑顔で顔を見合わせた。
「では、今度俺達も改まってレイルズにおやすみの挨拶をする事があれば、蒼竜様に守りを願わせていただきます」
「そうだな。当たり前みたいに言って、レイルズを驚かせてやろう」
笑った二人がレイ越しに手を叩き合うのを見て、ブルーの使いのシルフも満足そうに笑って側に来たニコスのシルフ達と手を叩き合った。
『ああ、そうしてくれ。だが其方達とレイが一緒に休む時は、大抵枕戦争で大暴れして疲れ切った後か、あるいは誰かさんがミスリルの頭突きを喰らった後かだからなあ。今まで改まってあいさつを交わした事が無いので、今後もそんな機会があるかどうかは分からぬぞ?』
完全に面白がるようなブルーの言葉に、二人が揃って吹き出し必死になって笑いを堪える。
「た、確かに……」
「まあ、それは機会があればって、事で……では、改めまして、おやすみなさい。レイルズに、明日も蒼竜様の守りがありますように」
「おやすみなさい。レイルズに、明日も蒼竜様の守りがありますように」
笑顔で、それでも真剣な声でそう言った二人の言葉に、ブルーの使いのシルフは一瞬驚いたように目を見開き、それから満足そうに大きく頷いた。
『ああ、おやすみ。其方達の事も我がしっかりと守ってやる故、心置きなくレイと共に学び、そして思い切り遊ぶがいい』
優しいその言葉に今度は二人が驚いたように目を見開き、慌てたように揃ってブルーの使いのシルフに頭を下げた。
「あ、ありがとうございます! 少しでもレイルズの役に立てるように頑張りますので、どうかよろしくお願いします!」
揃った二人の言葉にもう一度満足そうに笑ったブルーの使いのシルフは、ふわりと飛んでマークとキムの額にそっと順にキスを贈ってから、くるりと回って消えてしまった。
それを見送った二人は、照れたように額を押さえて笑い合い、それからモゾモゾと毛布と羽布団に潜り込んで横になって目を閉じたのだった。
部屋に三人の穏やかな寝息が聞こえてくるまでには、それほどの時間を必要としなかったのだった。




