赤ちゃんとの対面
ふぎゃ〜〜〜〜〜!
何とも豪快で賑やかな泣き声がまた廊下にまで聞こえてきて、ちょうど部屋の前まで歩いてきたルークとカウリが、苦笑いしつつ顔を見合わせる。
「ああ、さっきまで大人しく寝てくれていたんだけど、そろそろお目覚めか。ううん、相変わらず元気な泣き声だねえ」
笑ったカウリがそう呟き、また廊下まで聞こえる力強い大きな泣き声に、全員揃って笑いながら耳を塞ぐふりをする。
彼らの頭上では、シルフ達が響き渡る泣き声に同じように揃って耳を塞いで笑っている。
そしてその部屋からは、赤ちゃんの泣く声と共に賑やかな女性達の笑い声も聞こえてきた。
「おやおや、起きちゃったのね〜〜」
「まあ、なんて元気な泣き声なのかしら。元気でしゅね〜〜」
部屋から聞こえるのは、赤ちゃんをあやしているのだろうご機嫌なフェリシアとサスキアの笑い声だ。
笑ったカウリが口元に指を立ててからそっと扉を開く。
「ああ、泣かないで」
「ほら、よしよし。良い子だから泣き止んでくださいな」
フェリシアが赤ちゃんを抱き、その横からサスキアが笑いながら赤ちゃんの前で手を振っているのだが、一向に泣き止む気配がない。
「交代するわ」
そう言ったサスキアが交代して赤ちゃんを抱いたのだが、どうあやしても泣き止むどころかさらに泣き声が大きくなる。
「仕方がないわね。ほら。私に抱かせてちょうだいな」
笑った声は、ディレント公爵の奥方であるローザリア夫人の声だ。
やや小柄でふくよかなローザリア夫人は婦人会の役員でもあり、皆からはローザと呼ばれ親しまれている。また彼女は、倶楽部ハーモニーの輪にてソプラノを担当している美声の持ち主でもある。
「お願いします、ローザ様。私達では、全然泣き止んでくれませんわ」
苦笑いしたサスキアがそう言って抱いていた赤ちゃんをローザリア夫人にそっと渡すのを、部屋に入ったところで黙ったまま立ち止まったレイ達はその様子を見つめていた。
「良い子ね。ほら泣き止んでちょうだいな」
少しだけ赤ちゃんの体を起こすようにして抱いたローザリア夫人が、優しい声でそう言いながら赤ちゃんをゆっくりと上半身ごと揺らす。
そして、ゆっくりと子守唄を歌い始めた。
歌は、ノットリーの子守唄。
ローザリア夫人の実家である、ブレンウッドから南へ下がったオルベラートとの国境地帯に広がるノットリー地方に昔から伝わる子守唄だ。
静かになった部屋に、ローザリア夫人が歌う子守唄が響く。すると、ぐずっていた赤ちゃんの泣き声がぴたりと止まった。それどころかご機嫌になった赤ちゃんは、腕を時折動かしながら何やら小さな声でううううとまるで喋るかのように何かを言い始めた。
「ええ、泣き止んだどころかこんなにご機嫌になるなんて!」
「本当だわ。ローザ様、何か特別な術でもお使いになられたのでは?」
先ほどまでとは違い、ご機嫌で抱かれている赤ちゃんを見てフェリシアとサスキアが驚いたようにそう言って赤ちゃんを覗き込む。
「それは術ではなく、経験の差ね」
笑ったローザリア夫人の言葉に、二人が小さく吹き出す。
「ああ、さすがですねローザ様。お見事です」
笑ったカウリの言葉に女性達が揃って振り返り、部屋は暖かな笑いに包まれたのだった。
「はい、ではお父上のところへ行きましょうね」
ローザリア夫人がそう言って、彼女の腕に抱かれてご機嫌で笑っている赤ちゃんをカウリに渡す。
「はい、ありがとうございます。よかったなあ。美声で知られるハーモニーの輪の中でも、最高の美声の持ち主と名高いローザ様に直々に子守唄を歌ってもらえるなんてな。お前は幸せ者だぞ〜〜〜」
笑ったカウリの親馬鹿全開の言葉に、ルーク達が揃って吹き出す。レイも一緒になって吹き出して笑っていたのだった。
「ああ、失礼。ちょっと可愛すぎて我慢出来なかったよ」
そこでようやく我に返ったらしいカウリが、苦笑いしながらそう言ってルーク達の方に向き直る。
「改めて紹介させていただきます。我が娘、オリヴィエ・ティリアです」
「良き名を頂きましたね。初めましてオリヴィエ嬢」
笑ったルークがそう言い、カウリの腕の中でご機嫌な赤ちゃんを覗き込む。
「うわあ、確かにこれは可愛い。頬がぷくぷくだなあ」
赤子特有の柔らかくてふくよかな頬を見て、ルークもこれ以上ないくらいの優しい笑顔になる。
「抱いてみるか?」
すっかり父親の顔をしたカウリが、笑顔で腕の中の赤ちゃんをルークに見せる。
「いや。さすがに、まだ首の座っていない赤ちゃんを抱くのは怖いから遠慮するよ。何かあったら取り返しがつかないからね」
慌てたように顔の前で手を振ったルークは、そう言って少し考えてから手袋を外した右手の甲でそっと赤ちゃんの頬を撫でた。
ルーク達竜騎士をはじめ剣を持つ軍人の手は、日々の訓練で固くなった剣だこがいくつもあり、指先の爪こそ短く整えられているが、指先もかなり硬くなっている。
そんな手で柔らかな赤ちゃんの頬を触ったら、それだけで皮膚を痛めてしまう可能性がある。
その為、彼らのような手をした軍人達は、基本的に赤ちゃんに触れる際にはそんなふうに手の甲側や、指で触れる際も手のひら側ではなく指の甲側で触れようにしているのだ。
それを見ていたレイは、無言で自分の固くなった手を見つめ、納得したように小さく頷いてから進み出た。
それに気づいたルークが少し下がって場所を開けてくれる。
「えっと、初めましてオリヴィエ嬢。レイルズだよ。うわあ、本当に可愛いね」
ご機嫌にこっちを見て笑う赤ちゃんを見て、レイもこれ以上ないくらいの満面の笑みになる。
そして、ルークを真似て同じように右手の甲でそっと赤ちゃんの頬に触れた。
「うわあ。なんて柔らかいんだろう。可愛い……」
感極まったように小さな声でそう呟き、集まってきたシルフ達が、先を争うようにして赤ちゃんの頬や額、それから鼻の頭にキスを贈るのを、レイは笑顔で見つめていた。
ロベリオ達も同じように赤ちゃんに触れて挨拶を済ませ、そのまま部屋の奥に移動する。
そこにはいくつものソファーが置かれていて、両公爵夫妻とフェリシアとサスキアがそれぞれ座っていて、その向かい側に置かれた大きなソファーには、ヴィゴ夫妻とマイリーが、その隣のソファーには、クローディアとアミディアが並んで座っていた。
チェルシーは、赤ちゃんのベッドのすぐ横に置かれた二人がけのソファーに座っていて、その隣に赤ちゃんをベッドに戻したカウリが座る。
ルーク達はヴィゴ達の横に置かれたソファーに並んで座った。
やや低めのテーブルに紅茶とカナエ草のお茶が用意され、笑顔で一礼したカウリが改めてお披露目会に来てくれた礼を言い、チェルシーがややぎこちないながらも続いて来てくれた礼を述べる。
レイ達招待客側も順に笑顔でお祝いの言葉を伝え、何度もオリヴィエ嬢を見ては可愛い可愛いと笑い合っていたのだった。
しかし、しばらくしてまた凄い勢いで泣き出してしまい、間近で聞くその声の大きさに驚いたレイは、割と本気で必死になって耳を塞いでいたのだった。




