様々な慣習とと貴族の結婚観
「あ! ねえラスティ。ちょっと教えてください!」
カウリからの招待状をテーブルに置いたレイが、慌てたようにラスティを振り返る。
「はい、いかがなさいましたか?」
手帳を胸元にしまったラスティが、驚いたようにこっちを振り返ってくれる。
「えっと、カウリの赤ちゃんが生まれた時に、ロベリオ達と一緒にお乳の出る山羊を届けるからって言って、そこに僕も協賛させて貰ったんだけど、それとは別に何か僕からお祝いをするべきだよね?」
「ああ、もう月を超えましたからね。個人的にお祝いを贈るのも良いかと思います」
笑顔で頷いてくれたラスティの言葉に、逆にレイが首を傾げる。
「えっと、月を超えるって、何ですか?」
不思議そうなその質問に、ラスティが納得して小さく頷く。
レイは今まで身近な人の出産を経験していない。
アルジェント卿のお孫さんのエルが生まれた際には、奥方がオルダムに戻ってきてからルーク達との共同名義でお祝いの産着を贈っているだけだ。
「はい、ではまず今回のように、レイルズ様の身近な方に赤ちゃんが生まれた際のお祝いについて説明させていただきますね」
「はい、お願いします」
ソファーに座っていたレイが慌てて居住まいを正す。
「まず、レイルズ様がロベリオ様達とご一緒になさったように、貴族の方々の間では、生まれてくる赤ちゃんの為に乳の出る山羊を基本的に父方の友人一同で贈るのが慣習です。これは固定の一頭を贈るわけではなく、授乳期間中に常に乳の出る山羊を屋敷に置けるようにします。基本的に、依頼を受けた農家が定期的に山羊の交換などを行います」
「へえ、ちゃんとそう言ったお世話もしてくれるんだね。じゃあ授乳期間が終われば山羊は農家へ返すの?」
「はい、ほとんどの場合はそうなさいますね。ですので山羊を贈ると言っても、実際には一定期間乳の出る山羊を貸りる権利を贈るというのが正解ですね」
笑顔で頷くレイを見て、ラスティも笑顔で頷く。
「そしてここから、今回のレイルズ様がおっしゃられたように、個人的な贈り物の話になります」
改めてそう言われて、レイは不思議そうにしつつももう一度頷く。
「生まれた月から翌月に月をまたぐ。これが、先ほど私が申し上げた月を超える、という意味です。カウリ様のお子様がお生まれになったのは、一の月の最初ですからね。もう二の月に入りましたから、個人的にお子様誕生のお祝いをお届けしても構わないのです」
「えっと、つまり……赤ちゃんが生まれてから、一月経てば個人的な贈り物をしてもいいって事?」
「はい、その通りです。このような言い方をするのはなんですが、生まれてひと月までの赤子というのは、非常に弱く、ちょっとした事でも命取りになりかねません。ですので基本的に赤子を連れての神殿への正式な参拝は、生後ひと月を過ぎてからするようにとされています。それに合わせて、個人的なお祝いはひと月を超えた頃、つまり月を超えた頃に始めるとされています。基本的にはそこからふた月ほど。つまり、生後三月以内にお祝いを届けるのが一般的ですね」
「あれ? えっと、確か赤ちゃんの名前を貰うのって、確か生後七日以内だったって聞いた覚えがあるよ? 神殿参りだっけ? それはいいの?」
「ああ、市井の方々の場合は神殿参りと言って七日以内に精霊王の神殿に赤ちゃんが生まれた事を報告に行き、名前を授かりますね。ですが貴族の方の場合は生後七日頃に、神殿の関係者を屋敷に招いてその場で名前を頂きます。カウリ様もそうなさったと聞いておりますね。それに、基本的に生後七日以内の神殿参りの際には、ほとんどの場合両親、もしくは父親のみでの参拝で名前を授かりますので、母親や赤ちゃんは一緒には行きませんよ」
「へえ、そうなんだね。初めて知りました」
少し恥ずかしそうにそう言って笑うレイの言葉に、ラスティも笑顔になる。
「レイルズ様は、今まで身近にそういった事がありませんでしたからね。知らなくて当然です。ですが、これからはそういった事も身近に増えてきますから、しっかり覚えてくださいね。ロベリオ様とユージン様のお子もそうですし、精霊魔法訓練所でのご友人にも、そろそろ年齢的にご結婚なさる方もいらっしゃるでしょうからね」
驚きに目を見開くレイを見て、ラスティがにっこりと笑う。
「レイルズ様のご友人でしたら、確かジョシュア様とチャッペリー様がそれぞれ婚約者の方と来年にもご結婚の予定だと伺っております。それから、国境の砦におられるリンザス様とヘルツァー様にも、ご結婚のお話が出ていると伺っております」
貴族の場合は、ほとんどが成人年齢になると身近の誰かの紹介で婚約という形を取り、男性側がある程度の年齢になったところで結婚、というのが普通だ。だが、彼らからそう言った人がいるというような話を聞いた事が無かったので、レイは特に気にしていなかったのだ。
「へ、へえ。そうなんだね。じゃあ一度、時間のある時にでも連絡を取ってみようっと。おめでとうって言わないとね」
無邪気に感心するレイに、密かに苦笑いするラスティだった。
貴族の結婚には、家同士の関係や当主の友好関係が関わっている事が多く、相手が幼馴染でもない限りはそこに本人の意思はほとんどの場合考慮されない。
特に、成人して間もない頃に婚約する場合は、顔も知らない相手との婚約すらある程だ。
なので、結婚するからといって必ずしも相思相愛になっているわけではなく、本人が喜んでいるとは限らないのだが、そこは言わないでおく。
「では、カウリ様への贈り物はポリティス商会からでよろしいですか? 他の商会をご希望なら、連絡しますが?」
「そうだね。クッキーに相談させてもらいます」
笑顔で頷くレイを見て、ラスティも笑顔で頷く。
「では、連絡しておきます。何かご希望の品などございますか?」
改めて聞かれても、出産祝いに何を贈ったらいいかなんて、想像もつかない。
「えっと、何を贈ったらいいのかなんて、そもそも全然分かりません!」
ここは素直にそう言うと、にっこり笑ったラスティが、ではお任せくださいと言ってくれたのでお願いしておく。
「赤ちゃん、どんな風なのかな。楽しみだね」
右肩に座って一緒に話を聞いていたブルーの使いのシルフに、嬉しそうに笑ったレイはそっとキスを贈った。
『そうだな。お母上はかなりお疲れのようだから、あまり無理はさせぬようにな』
笑ったブルーの使いのシルフにそう言われて、思わず右肩を見る。
「えっと、それって……」
『ふむ。赤子はかなり体が小さいようでな。健康面で特に問題はないのだが、一度に飲む乳の量が少々少ないらしい。なので、回数をあげねばならぬから、お母上は慢性的な寝不足のようだ。だが、そろそろ山羊の乳を与え始めているので、今後は少しは眠れるようになるであろうがな』
「そうなんだね。じゃあ、あまり長居はしないほうがいいのかな?」
『どうであろうな? まあその辺りは先輩達がよく知っておるだろうから、しっかりと見て覚えるといいぞ』
「そうだね。じゃあこれも勉強だね」
笑ったレイはそう言って、もう一度ブルーの使いのシルフにそっとキスを贈ったのだった。




