友との約束
「では、ここからは少し真面目な話をしましょうか」
にっこり笑ったサマンサ様の言葉に、レイ達が慌てて居住まいを正す。
「構いませんよ。楽にして聞いてください。ほら、もう一つパイをどうぞ」
サマンサ様の言葉に、即座に動いた執事がレイの空になったお皿に新しいナッツのパイを置いてくれる。
「フラドは……ああ、今のザヴィル伯爵の事よ。彼は以前からディアが行っている慈善事業に対して、そのような無駄をやめろと何度も言っていたと聞いていたわ。他ならぬ彼女自身からね」
あまりにも悲しそうなその言葉に、思わずレイは手を伸ばしてサマンサ様の腕をそっと撫でた。
「あの、僕はザヴィル伯爵様もお亡くなりになられたグラディア様も、どちらも簡単なご挨拶をさせていただいたくらいでほとんど存じ上げません。なのでずっと疑問に思っていたのですが、慈善事業に対して親子でそれほどに意見が分かれると言うのは、何か理由があるのでしょうか?」
母親がいわば人生をかけて行っていたほどの、全てを止めれば国に影響を与えるほどの大規模な慈善事業。その影響力は身近にいれば間違いなく分かるだろう。
それなのに、あれほどまでにそれに対して反対する理由がレイにはどうしても分からない。
「良い質問ね。そうね、どこから話せばいいかしら……」
言葉を探すように黙って考えるサマンサ様を、皆、食べる手を止めて黙って見ている。
「義母上とグラディア夫人は、元々女学院時代の同級生なの。とても仲が良かったと聞いているわ」
黙り込むサマンサ様を見て、笑ってそう言ったのはマティルダ様だ。
「そうね。学院祭の前日に、一緒に壁を乗り越えて護衛達を振り切って街へワインを買いに行くくらいには仲が良かったわ」
コロコロと笑うサマンサ様の言葉に、レイとティミー、そしてジャスミンとニーカが揃って目を見開く。
「楽しかったわ。血相変えて追いかけてくる護衛達を振り切って走って、走って、走って……」
口元を押さえて必死に笑いを堪えるサマンサ様は、まるで少女のようだ。
「とうとう振り切って笑いながらお店に駆け込んだら、先回りしていた別の護衛の者が素知らぬ顔で待っていてね。お待ちしておりました。ってにっこり笑いながらそう言われて、二人で揃って悲鳴を上げたわ」
「何をなさっておられるんですか」
呆れたようなティミーの言葉に、あちこちから笑い声が聞こえた。
「結局、護衛の者達にこっぴどく叱られ、ワインを買い占めて女子寮に戻れば、満面の笑みの教授が待ち構えていてさらに叱られた上にワインを没収されちゃったの」
「ええ、せっかく買ってきたのに!」
思わずレイがそう言うと、これまたにっこりと笑ったサマンサ様が紅茶の入ったカップをそっと持ち上げた。
「それで、その夜に今度は教授の部屋に忍び込んで、他の人達が買ってきたワインごとまとめて全部取り返したのよ。その夜は、寮の皆でワインを酌み交わしておしゃべりしながら夜更かししたわ。何故か、途中から教授達まで一緒になって飲んでいて、後で皆で寮の廊下を雑巾掛けする羽目になったのだけれどね。それで学院祭当日は、皆揃って二日酔いでフラフラになって酷い目に遭ったわ。後で、お酒の適量は守るべきだねって、皆で笑い合ったの」
楽しそうな話に、学園生活をした事がないレイ達は、揃ってちょっと羨ましそうな目でサマンサ様を見つめていたのだった。
「でも、そうやって何度か街へお忍びで出るようになると、どうしても目につくものがあったわ。当時、オルダムの街であっても浮浪児や路上生活をしているような人が大勢いたの。有り得ないくらいのボロをまとって、道端に座り込むその姿を初めて見た時の衝撃は、今でもはっきりと覚えているわ……」
今では、オルダムの街に少なくとも明らかな浮浪児やそういった人はいない。もしかしたら裏路地へ入ればいるのかもしれないけれども。
「しかも、後で護衛の者達から聞いた話によると、浮浪児の多くは親をタガルノとの戦いで亡くした一般兵士の子供であると。そして、路上で物乞いをしている人の多くは、戦場で手足や体の一部を失い仕事に就けなくなった人の末路であるとね」
驚くレイ達に、サマンサ様が真顔で頷く。
「今でこそ、戦災孤児や戦場で体が不自由になった下級兵士には手厚い保護があるわ。でも、当時はまだそういった部分は形ばかりで、その保護の網からこぼれ落ちる人が大勢いたの。彼女はそんな人達を一人でも救いたいと考え、成人になると同時にまずは戦災孤児を保護して育てる慈善事業を始めたのよ。もちろん、私も彼女の活動に個人的に多くの支援を行ったわ。父上に、戦災孤児の保護や負傷した下級兵士への手当ての充実を願いもした。貴族の男達から、女が何を言うかと馬鹿にされた事は数知れずね。女が生意気を言うな、国政に口を出すなと元老院から注意を受けた事もあるわ。でも、私達は諦めなかった。正しい事をしていると言う確信があったからね。男がしないのなら女がすればいいだけの事。多くの婦人達が私達の活動に賛同してくれた。やがて、二人で始めた慈善活動は大きくなり、保護した子供達が成人になって社会に出るようになればさらに活動は大きくなっていったわ。嬉しかった。私達の活動が国の民を育て、その彼らも、社会に出た後は当たり前のように私達の活動に賛同してくれた。降誕祭の少し前、街の神殿での資金集めの即売会と募金集めに、私も身分を隠してお手伝いとして参加した事があってね。これは初めてのお給料なんですと言って、ためらいもせずに私が持つ募金箱に金貨を入れてくれた子の顔は、今でもはっきりと覚えているわ」
当時を思い出しているのだろう。目を細めて話すサマンサ様はとても優しい顔をしている。
「彼女も気持ちは同じだった。何度も、一緒にお茶やワインを飲みながらいろんな話をしたわ。諦めずに活動を続けていて良かったと、何度もそう言って笑い合ったわ。でも、最初からその慈善活動があって当たり前だった彼の息子は、同じように活動のお手伝いをしても、私達とは見る世界が違ったようね」
大きなため息を吐いた悲しそうなサマンサ様の言葉に、レイは首を傾げる。
「彼の目には、保護を受ける子供達は、必死で集めた金に群がる闇の眷属のグールように見えたらしいわ」
「そんな……」
「ディアは、何度も息子と話をしたらしいけれども、その考えを覆す事はとうとう出来なかったと嘆いてもいたわ。それで、自分に万一の事があれば慈善事業そのものさえも続けられなくなるかもしれないとも言っていたわ。だから約束したの。もしもそんな事になったら、私が生きていれば何があろうとも絶対に止めてみせるから安心してねって。友との最後の約束を果たせて安堵したわ」
そう言って笑ったサマンサ様の顔は、確かに年老いて小さくなっていたけれども、国母と呼ばれた皇族の顔をしていたのだった。




