初めての朝
翌朝、シルクの寝巻きを着て今まで寝ていたベッドとは比べ物にならないくらいのふかふかなベッドでいつもの時間に目を覚ましたニーカは、しばらくの間無言で天井を見上げたまま動けずにいた。
『おはよう』
『おはよう』
『早起きさん』
『朝ですよ〜〜』
頭上に集まってきたシルフ達が、ニーカの視界に入ってきて笑顔で手を振ってくれる。
「おはよう。何だか目が覚めても夢の中にいるみたいだわ」
笑顔でそう言って手をついてベッドから起き上がったニーカは、一つ深呼吸をしてまだ見慣れない広い部屋を見回した。
今までクラウディアと二人で過ごしていた神殿の狭い部屋と比べたら、この部屋の広さは十倍どころではないだろう。
そして置かれている家具一つとっても今まで使っていたものとは桁違いだ。
ベッドサイドに置かれた木目の美しい小さなテーブルを見て密かなため息をこぼす。
「これが全部、私一人だけの為の部屋だなんてね。本当に夢みたいだわ」
ベッドに座ったまま小さくそう呟き、ふわふわな枕に抱きついてもう一度横になる。
そのまま目を閉じて今までの事を思い出す。
脳裏に浮かんだのは、初めてこの国に来た時に見た砦の中の部屋の光景だった。
初めてこの国へ来てヴィゴ様と戦いひどい怪我をして捕虜となって囚われた彼女は、ほとんど自力で動く事が出来なかった。
その為しばらくの間、ニーカは国境の砦の中にある捕虜用の医務室で過ごしたのだ。
ガンディ様や医師の方々は若干言葉遣いこそ荒かったが、皆、とても丁寧にニーカの怪我の手当てをしてくれた。
スマイリーと共にオルダムへ連行された後も、当然されると考えていた拷問や虐待を受けるような事は一切なく、医療の最高峰である白の塔に入院して手当を受け、その後の歩行訓練まで丁寧に行ってくれた。
おかげで酷い怪我だったにもかかわらず後遺症もなくすっかり元気になれた。
入院中に紙とペンとインクをもらって、ガンディ様やスタッフの方々から文字の書き方を一から教わり、退院する頃には最低限の読み書きは出来るようになっていた。
退院後は出家して女神オフィーリアの巫女となり、神殿に寝泊まりして夢中になって働いた。
ここを追い出されたらもうのたれ死ぬしかない。それくらいの気持ちで必死になってお祈りを覚え、さまざまな仕事や巫女としての務めも一つずつ覚えていった。
驚いた事に、タガルノにいた頃と違ってこの国はとても優しい。男性と二人きりになっても怖い事や嫌な事、痛い事は一切されず、それどころか重い荷物を持ってくれたり運ぶのを手伝ってくれさえする。しかもそれらの行為に対しての見返りを彼らは一切求めないのだ。
初めは、何か裏があるのではないかと不安になったりもしたが、警戒する彼女に皆、根気よく教えてくれた。
何も心配しなくていい。貴女は、まだ守られるべき小さな子供なのだからと。
役立たずだと言って殴られ、邪魔だと言って蹴られた事は、全て間違いだったのだと教えてくれた。
花祭りの際にはちょっと怖い思いもしたが、周りの人達が守ってくれた。
おかげで、男の人が怖くなくなった。
そんな優しい人達に守られ、精霊魔法訓練所にも通わせてもらった。
そこでは精霊魔法についてだけでなく、算数や国語、社会、国の成り立ちやそれぞれの国の歴史についても基礎的な事を学んだ。
そして、自分が彼の国にいた頃に教えられた様々な事が、ほぼ全て間違っている事にも気がついた。
最初こそ警戒して疑いもしたが、弱っていた愛しい竜が元気になったのを見ればどちらが正しいかなんて考えるまでもない。
ここへ来てから仲良くなったシルフ達を通じて、自分の故郷の国がいかに酷い状態であったのかも知った。
「本当に、私……ここにいて良いのかなあ……」
枕を抱きしめて、湧き上がる不安に思わず小さくそう呟いてぎゅっと目を閉じる。
『ニーカ大丈夫?』
その時、不意に聞こえた心配そうな声にニーカは慌てたように目を開いて上半身を起こした。
「ああ、おはようスマイリー。うん、大丈夫よ。見慣れない部屋にちょっと驚いただけ」
誤魔化すようにそう言って笑い、愛しい竜の使いのシルフにそっとキスを贈った。
『おはよう』
『本当に大丈夫?』
それでも心配そうにそう言うシルフに、ニーカは笑って頷き胸を張って見せた。
「ええ、大丈夫よ。今日から新しい生活が始まるんだからね。頑張るから見届けてね」
『もちろん!』
『分からない事があれば遠慮なく聞いてね!』
『何でも教えてあげるからさ!』
得意そうにそう言われて、ニーカも笑顔になる。
「うん、頼りにしているからよろしくね」
もう一度キスを贈ったニーカは、一つ欠伸をしてから枕を置いてベッドから降りて窓に駆け寄った。
分厚いカーテンを両手で持って力一杯引いて開ける。
「うわあ、お城が見えるわ。ねえスマイリー、ほら見て!」
上り始めた太陽に照らされて、お城にある大小の塔の屋根が輝いて見える。
「綺麗……本当に綺麗だわ……」
少し考えて窓も開けたニーカは、冷たい風が吹き込んでくるのも気にせず侍女達が起こしに来るまでずっと刻々と変わるお城の様子を眺めて過ごしていたのだった。
クロサイトの使いのシルフは、そんな彼女の肩に座って一緒にお城を眺めながら、時折ニーカの頬にそっと想いを込めたキスを贈っていたのだった。




