演奏と歌声
「ううん、なんだか大掛かりな舞台になっちゃったみたいだね。じゃあ、ブルーはそこで聞いていてね」
一人竪琴を抱えて舞台に上がったレイは、用意されていた椅子に座り竪琴を構えたところで膝の上に現れて座ったブルーの使いのシルフを見て笑顔になり、小さな声でそう言って背筋を伸ばした。
レイが上がった正面の舞台の右側には、合唱団の倶楽部では最高峰と名高い女性のみで構成されたハーモニーの輪が、そして左側には同じくある程度以上の年齢の男性のみで構成されたエントの会の倶楽部の面々が既に並んでいる。
実は直前の打ち合わせで、今回のレイの演奏にはこの二つの倶楽部の方々が一緒に参加してくださる事になっている。
もちろん、今回は倶楽部としての正式な参加ではないため倶楽部員全員が参加しているわけではないようで、いつもの演奏会での顔ぶれに比べるとやや人数は少なめだが、合唱するには充分な人数だ。
椅子に座って竪琴を構えたレイは、特に挨拶は無く軽く一礼しただけでそのまま演奏を始めた。
最初の曲は、この花を君へ。
男性パートと女性パートが綺麗に分かれているこの曲では、男性パートをレイが、ハーモニーの輪のご婦人方が女性のパートを歌ってくれる事になっている。
「目が覚めるたび、朝日の中の君に呼びかける」
「おはよう、今日もご機嫌よう」
抱えた竪琴を演奏しながらまずは一番の男性パートを歌い始めたレイを優しい笑顔を見て、あちこちからご婦人方のうっとりとしたようなため息が聞こえる。
「いつだって貴女は僕の真ん中にいる」
「そんな貴女に届けたい」
「広い野原いっぱいに咲いている、この花を全部」
「だけど僕には届ける術が無い」
「せめて一輪だけでもと密かに願い」
「勇気を出して摘んできたのに」
「哀れに萎れた小さな花よ」
まるでこの歌を歌っている本人であるかのように、笑顔だったレイの顔もしょんぼりとして背中が丸くなり、ここで落ち込んだ歌い手の心情を表すかのように明るかった曲調が一転する。
「小瓶に入れて女神に祈る」
「どうかお助けくださいと」
ここで、萎れていた花が蘇った喜びを表すようにまた一転して明るい曲調になり、しょんぼりしていたレイもまた背筋を伸ばして笑顔で演奏を始める。
「目が覚めるたび、朝日の中に貴女を呼ぶわ」
「おはよう今日もご機嫌よう」
「貴方の事ならなんでも知ってる」
「逞しいその背中、振り返った弾ける笑顔」
「私だけに見せてくれる、少し憂いを帯びたその顔や」
「時に激しく荒ぶる瞳、うたた寝しているその寝顔」
「全部全部大切な記憶」
そのまま間奏が入り、相思相愛であるお相手の女性部分の気持ちを表す二番の女性パートは、ハーモニーの輪の女性達がそれは見事な歌声を響かせてくれた。
演奏のみで参加しているレイは、もうこれ以上ないくらいの嬉しそうな笑顔でうっとりとその歌声を聴いている。
『主様ったら演奏を忘れないでよね』
『聞き惚れるのは良いけど』
『伴奏は主様の竪琴だけなんだからね』
ついうっかり弾き損なった弦を代わりに弾いてくれたニコスのシルフが、笑いながらそう言って竪琴を演奏するレイの指先を突っつく。
「うう、助けてくれてありがとうね」
笑ってごく小さな声でそう言ってあらためて背筋を伸ばしたレイは、もうその後は素知らぬ顔で平然と演奏を続けたのだった。
そんなレイとニコスのシルフ達のちょっとしたやりとりは会場の人達には気付かれる事はなかったが、残念ながらすぐ近くで演奏を聴いていたブルーにはレイの失敗部分から完全に気付かれていて、レイの膝に座ったブルーの使いのシルフは、曲の最後の男女が交互に歌い交わす部分を楽しそうに歌っているレイを見て、笑いを堪えるのに苦労していたのだった。
二曲目は竜と揺り籠。
ゆっくりと演奏と共に歌い始めたレイの男性にしてはやや高めの歌声に、今度はエントの会の男性達の低くて深みのある歌声が重なる。
「幼き吾子のまつ毛を揺らす」
「風を送るは聖なる翼」
「優しき竜の腕の中で」
「眠れる吾子の愛おしきこと」
チェルシーとカウリのところに生まれた赤ちゃんは、どんなに可愛いんだろう。
そんな事を考えながら歌うと自然と笑顔になる。
演奏の合間にふと浮かんだその優しい笑顔に、あちこちの女性達から小さな悲鳴が起こっていたのにレイは全く気付かない。
「ううん、相変わらずだねえ」
「全く、その気になれば希代の色事師にだってなれるだろうになあ」
「もったいないよねえ」
そんなレイの様子を見ていた若竜三人組は揃って面白がるように笑いながらうんうんと頷き合っていたのだった。
そして三曲目は、少し前の夜会でレイが披露した、ブルーが教えてくれた古の子守唄だ。
これにはハーモニーの輪とエントの会の全員が、レイの歌声に寄り添うように高音パートと低音パートを見事に合わせてくれて、それは素晴らしい歌声を響かせてくれた。
竪琴を演奏しながら主旋律を歌っていたレイは、一観客としてこの演奏を聴きたいと心の底から思っていたのだった。




