子守唄
チェルシーにお乳をもらい、満足して眠ってしまった赤ちゃんの周りでは、また呼びもしないのに集まってきたシルフ達がご機嫌で飛び回ったり大はしゃぎしたりしている。
「本当になんて可愛いのかしらね……うん? お腹はいっぱいになりましたか?」
嬉しそうに笑ったチェルシーは、顔を寄せて小さな声でそう言って柔らかな頬にもう一度キスを贈る。
そのまましばらく抱いたままじっと赤ちゃんの顔を見つめていたチェルシーだったが、不意に襲ってきた眠気に耐えられず横を向いてこっそりとあくびを噛み殺した。
「奥様、今の間に少しでもお休みください。きっとまたすぐにお腹が空いたと姫君が泣き出しますからね」
笑った看護婦にそう言われて、頷いたチェルシーは抱いていた赤ちゃんを看護婦に渡して揺り籠に戻してもらう。
それを見たシルフ達は、左右に分かれて揺り籠の周りに集まり揺り籠の縁を一斉に押し始めた。
突然、誰も触れていないのにゆっくりと動き始めた揺り籠を見て、チェルシーと看護婦達が揃って驚きに目を見開く。
「ああ、心配はいらぬよ。シルフ達が遊んでおるだけだ。これからは、こういう光景が日常になるので覚えておきなさい」
苦笑いしたガンディの言葉に、ベテランの看護婦の何人かが笑いながら頷く。
「そうですね。私の知る限り、精霊使いの方が身近におられる環境だと精霊の皆様も子守りに熱が入るようですよ。そうでない場合は、先ほどのように赤ちゃんを時折あやして下さる程度なのですが、ここのようにご家族に精霊使いの方がおられたり、あるいはガンディ様がお近くにおられたりすると、揺り籠を揺らしてくださったり鈴を鳴らしてあやしてくださったり、あるいは優しい風を送ってくださったりと、色々と張り切ってお手伝いをしてくださいますよ」
白髪の年配の看護婦の言葉に、チェルシーは嬉しそうに笑って何も見えない空中を見上げた。
「そうなのですね。シルフの皆様、本当にありがとうございます。どうかこれからもこの子の事をよろしくお願いいたします」
笑顔のチェルシーの言葉に、彼女の視線の先に一斉に集まったシルフ達が揃って胸を張り、大はしゃぎで彼女に投げキスを贈ったのだった。
「おうおう、張り切っておるな。無茶だけはせんでくれよ。では、一旦白の塔に戻る故、ここはよろしく頼む。何かあったらいつでも連絡を」
精霊の小枝をまとめて何本も看護婦達に渡したガンディは、そう言って一旦白の塔へ戻って行った。
その後しばらく静かな時間があったのだが、また赤ちゃんは数刻もしないうちに大きな声で泣き始めてしまい、その度にチェルシーは起きて、看護婦達に手伝ってもらってお乳をあげたりおむつを変えたりして過ごしたのだった。
「ううん、覚悟はしていたけれど、赤ちゃんのお世話って本当に大変なのね。お手伝いしてくださる皆様に感謝しないと」
夕方頃にまた泣き出した赤ちゃんに、起きて乳を含ませていたチェルシーは苦笑いしながらそう呟き、ようやく満足した様子の赤ちゃんを見た。
「でも、元気でいてくれるならそれでいいわ。大丈夫。少しくらい寝なくても私は平気よ」
うんうんと自分に言い聞かせるように呟くチェルシーを、夜担当の看護婦達が心配そうに見つめていたのだった。
揺り籠に戻してもらってまた少し休む。
もう日付の感覚はすっかり無くなっていて、泣き声が聞こえたら飛び起きてお乳をあげるのをただただ繰り返していた。
丸一日たった事に気がついたのは、本部と連絡を取って会議の為に用意していた資料の説明を終えたカウリが、チェルシーと赤ちゃんの顔を見に部屋に来たおかげだった。
「ええと、大丈夫か?」
自分はちゃんと休んですっかり回復していたカウリだったが、ベッドに横になっているチェルシーは、わずかの間にすっかりやつれてげっそりとしているように見える。
「姫さんよ。お手柔らかに頼むぞ。あんまりチェルシーをいじめないでやってくれよな」
苦笑いしたカウリが、揺り籠を覗き込んで眠っている赤ちゃんにそう話しかける。
揺り籠の縁を掴んでゆっくりと揺らしてやると、シルフ達が集まってきて一緒になって揺り籠を揺らしてくれた。
「お世話してくれているのか。ありがとうな」
笑ったカウリの言葉に得意そうに笑って胸を張るシルフ達だったが、不意に目を覚ました赤ちゃんがいきなり泣き始めた。
今までで一番大きなその泣き声に、慌てたように集まってきたシルフ達は耳を塞いでカタカタと体を震わせる振りをし始める。
中には倒れる振りをする子も出始めた。
「おおう。これはまたすごい泣き声だなあ。このちっこい体で、こんなに大きな声が出せるのか。凄えなあ」
肩をすくませて苦笑いするカウリだったが、なんとか起き上がったチェルシーが赤ちゃんにお乳をあげるのを見て、慌てて少し離れた。
しかし、お乳を飲み終えてもなぜか泣き声が止まらない。
真っ赤になって大声で泣く赤ちゃんに、皆困ったようにしている。
「ちょっと、抱かせてくれるか」
看護婦の一人が抱き上げて必死に泣き止ませようとしていたのだが、一向に泣き止む気配がないのを見て、笑ったカウリが腕を伸ばして赤ちゃんを受け取る。
当たり前のように立ったままゆっくりと腕を揺らして泣く赤ちゃんをあやし始めたカウリを、ベッドに横になったチェルシーは驚きの目で見つめていたのだった。
「ううん、ご機嫌斜めですねえ。じゃあこれでどうだ」
まだ泣き止まない腕の中の赤ちゃんを見たカウリは、ゆっくりと一定のリズムで赤ちゃんの背中を軽く叩きながら歌い始めた。
それは、夜会でレイが披露した、ブルーが教えてくれたあの古い子守唄だった。
「我が手に来たりしこの命」
「無垢なる微笑みの愛おしきこと」
「宙を掴みし小さき手」
「それが掴むは遥けき未来」
「穏やかであれと我ただひたすらに願うのみ」
「健やかであれと我ただひたすらに祈るのみ」
低い穏やかな声で歌われる知らない歌に、最初は驚きに目を見開いていたチェルシーだったが、すぐに目を閉じてうっとりと聴き入っていた。
そして、いつしかぐずっていた赤ちゃんも、カウリの腕の中で健やかな寝息を立てていたのだった。
「お、やっと寝てくれたな。さすがは古竜直伝の子守唄。効果抜群だ」
歌い終えたカウリが、嬉しそうにそう呟いて赤ちゃんの額にそっとキスを贈る。
「俺でも少しは役に立てたみたいだな」
笑ってそっと揺り籠に赤ちゃんを寝かせると、集まってきたシルフ達が先を争うようにしておくるみの隙間や顔の横、それから髪の毛の隙間などに潜り込んで一緒に寝るふりを始めた。
「添い寝してくれるのか。よろしくな」
その様子を見て優しい声でそう言うと、ベッドを振り返って小さく笑う。
「どうやらチェルシーにも効果抜群だったみたいだな」
穏やかな寝息を立てて熟睡しているチェルシーにもそっとキスを贈ったカウリは、部屋中の注目を集めていたのにようやく気付いて唐突に真っ赤になってしまい、看護婦達は揃って吹き出し部屋は優しい笑い声に包まれたのだった。




