赤ちゃんと精霊達
「赤子の様子はどうじゃ?」
部屋に入ってきたガンディはそう言って、赤ちゃんを抱き上げて軽く背中を叩いていた看護婦の横から覗き込んだ。
「おうおう、乳をもろうて腹一杯になったか。満足そうな顔をしておるわい」
ごく小さなゲップをした赤ちゃんは、小さな口を開けて欠伸をしている。
「姫君は、確かに少しお身体は小さいようですが、とてもしっかりお乳を飲んでいらっしゃいました。それに今も、しっかりと足を踏ん張っておいでですよ」
赤ちゃんを抱き上げた看護婦は、嬉しそうにそう言ってからそっと揺り籠に赤ちゃんを戻した。
その時、もう一度欠伸をした赤ちゃんは、不意に腕を伸ばして空中を掴もうとしてジタバタと暴れ出した。
もちろん、体の動きはぎこちなくて差し出した腕はすぐに落ちてしまったが、それでもまた空中に向かって手を伸ばして何かを握るふりをする赤ちゃんの様子をガンディは目を細めて愛おしげに見つめていた。
「おお、この子の相手をしてくれておるのか。ありがとうな」
赤ちゃんではなく空中に向かって話しかけるガンディの事を、看護婦達が不思議そうに見ている。
「ガンディ様、もしやシルフの皆様が何かしてくださっているのでしょうか?」
看護婦達に支えられてまたベッドに横になったチェルシーが、興味津々にガンディの様子を見ながらそう尋ねる。
「おお、其方は精霊が見えぬのによく分かったな。そうじゃよ。生まれたばかりの赤子というのは、精霊達にとても人気があってな。今もシルフ達が大勢集まってきて、赤子にちょっかいを出して楽しそうに遊んでおるわ」
「まあ、そうなのですね。シルフの皆様。ありがとうございます」
横になったままのチェルシーが、寝ている赤ちゃんの上を見て嬉しそうな笑顔でお礼を言って両手を握って額に当てて目を閉じた。
今は起き上がれないので横になったままだが、これも感謝や敬意を表す仕草だ。
その言葉を聞いたシルフ達は一斉に嬉しそうに笑って胸を張り、揃ってチェルシーに向かって投げキスを贈った。
しかし精霊が見えないチェルシーはそれに気付かず、手を下ろして一つ深呼吸をすると、横を向いて揺り籠の中にいる赤ちゃんを見つめていた。
無視されてしまったシルフ達だったが当然とばかりに気にする様子もなく、また赤ちゃんの周りに集まってちょっかいを出して遊び始めた。
その様子を目を細めて見つめていたガンディは、横になったままのチェルシーを見て笑顔で頷いた。
「カウリから聞いておるかも知れぬが改めて教えておこう。生まれてから目が見えるようになるまでの間、赤子は皆等しく精霊達の姿を見てその声を聞く。だが、成長して目が見えるようになってくると、逆に今まで見えていた精霊達が見えなくなっていくのだ。だが、ごく稀にそのまま見え続ける子がおる。それがいわば精霊使いの卵なわけだ。だが、大抵は物心つくくらいまでには見えなくなる。四、五歳程度までしっかりと見えておれば、一応見えたと判断して届けを出してもらうように決められておる」
「ああ、その話はカウリから聞きました。目が見えるまでの間、赤ちゃんにはシルフ達が見えているのだって。もしや、シルフの皆様だけでなく、他の精霊達も見えるのでしょうか?」
興味津々なチェルシーの質問に、ガンディは小さく笑って頷いた。
「もちろん、基本的に全ての精霊が見えておるよ。例えば、ほとんどの精霊使いが見えない光の精霊であっても、赤子の間は見えておるし声も聞こえておるのだよ」
「まあ、そうなんですね。それは羨ましいです」
笑ったチェルシーの言葉に、ガンディは小さく吹き出して空中を軽く叩くふりをした。
「見えぬ者からすれば、確かに羨ましいのかも知れぬな。だが、まだ目も開いていないうちから精霊の存在に反応する子はごくごく稀だよ。もしかしたら、この子は良き精霊使いになるのやも知れぬなあ」
笑って揺り籠に腕を伸ばしたガンディは、大きな手で赤ちゃんの小さな頭をそっと撫でた。それから指の先で頬をくすぐるように突いてから手を引いた。
その様子を見ていたシルフ達が大勢集まってきて、眠ってしまった赤ちゃんの前髪を撫でたり額や鼻先、頬にも先を争うようにしてキスを贈り始めた。
「眠っておるのだから、いたずらをして起こしてはならんぞ」
苦笑いしたガンディの言葉に、集まってきていたシルフ達が一斉に笑いさざめく。
『大丈夫だよ』
『わかってるわかってる』
『眠る赤ちゃん大好き〜〜』
『可愛い可愛い』
『可愛い可愛い』
『大好き大好き』
『大好き大好き』
『ね〜〜〜!』
「そうか。それならばよい。子守りは任せた」
笑ったガンディの言葉に、シルフ達が一斉に頷く。
『可愛い可愛い』
『赤ちゃんは大好きなの』
『可愛い可愛い』
『小さくて可愛い』
『可愛い可愛い』
『大好き大好き』
『任されちゃった』
『何それ?』
『何それ?』
『任せたって何?』
『知らないけど任されちゃった〜〜〜』
きゃっきゃと笑い合ったシルフ達は、揃って首を振るとまた赤ちゃんの周りに集まって頬を撫でたりくすぐったりし始めた。
しばらく楽しそうに遊んでいたシルフ達だったが、不意に眉間に皺を寄せた赤ちゃんは身じろぎをして、いきなり泣き始めた。
部屋中に響き渡るその大きな泣き声に横で寝ていたチェルシーが飛び起き、近くにいたメイドの女性が慌てたように駆け寄ってきて大声で泣く赤ちゃんを抱き上げた。
しかし、抱き上げられた赤ちゃんは泣き止むどころかさらに大きな声で泣き始めた。
「まあまあ、なんて元気なお声でしょう。部屋中響き渡っておりますね。ほら、泣き止んでくださいな」
笑ってそう言い、あやす看護婦の周りでテキパキとオムツ交換の準備をするメイド達や看護婦達。
しかし、目を覚ましてなんとか体を起こしたチェルシーは、予想以上の大きな泣き声に驚いて呆然とそんな彼女達を見ているだけだ。
おむつを交換してもらい、さらにもう一度言われるがままにお乳をあげて、自分の腕の中でようやく静かになって眠った赤ちゃんを見たチェルシーは、戸惑うように小さなため息を吐いた。
「こんな小さな体なのに、なんて大きな泣き声なのかしらね。驚いたわ。でも、貴女が元気でよかった。それに、皆の有り難みを早速思い知ったわね。私一人ならきっと、どうしていいか分からずに大声で泣く貴女の横であたふたしているだけだわ」
苦笑いして小さな声でそう呟くと、眠る赤ちゃんの額にチェルシーはそっとキスを落としたのだった。




