愛しき命
「あ、目が覚めたか? 具合はどうだ?」
丸一日がかりの難産の末、無事にチェルシーは珠のような女の子を産み、疲れ果てて半ば気絶するようにして眠った彼女が次に目を覚ましたのは、ようやく夜が明けようかという時間だった。
目を開いて最初に見えたのは、心配そうに自分を覗き込んでいるカウリの顔だった。
「カウリ……痛っ」
微かに笑ったチェルシーがゆっくりと体を起こそうとしたが、不意に走った体の痛みに思わず声を上げてしまう。
「ああ、無理するなって。まだ安静にしていないと駄目なんだから、起きないでくれって」
慌てたカウリが、そう言ってチェルシーをそっと改めて横にならせて毛布を引き上げてくれる。
「赤ちゃんは……?」
「大丈夫だ。ここにいるよ」
不安そうなチェルシーの言葉に、ベッドのすぐ横に置かれた小さな赤ちゃん用の揺り籠の中に寝かされている小さな赤ちゃんをカウリが示してくれる。
真っ白なおくるみに包まれて眠っている赤ちゃんは、不安になるくらいにとても小さい。
「ああ……」
その無防備な寝顔に愛おしさが込み上げてきたチェルシーは、今度はゆっくりと体を起こして、そっと手を伸ばしてその小さな赤ちゃんの頬を撫でる。
「名前……どんな名前になるのかしら?」
「そうだな。俺も楽しみだよ。精霊王の神殿には、もう女の子が生まれた事は報告してある。一応、チェルシーの容体が落ち着いたら、命名の儀式の為に神官殿に屋敷まで来ていただく段取りになっているからな」
「そうなのですね。手配上手な旦那様に、感謝ね」
笑ったチェルシーの額に、カウリはそっとキスを贈った。
通常、街の人々の場合は神殿参りと言って、産まれた赤ちゃんを生後七日以内に神殿へ連れて赴き、精霊王に子供が生まれた事を報告して名前をいただくのが通例だ。
貴族の中には第一の名前は自分達でつけて第二の名前のみを授けてもらう人も多いが、カウリとチェルシーは事前に相談して、命名は全て神殿にお願いする事にしている。
事前に申し込んで、生まれた子供の性別も報告してあるので、既に頂く名前は決まっているはずだ。
その時、揺り籠に寝かされていた赤ちゃんが、小さく唸ってモゾモゾと動いた。
「おお、そろそろ姫君もお目覚めかな?」
慌てたように立ち上がったカウリが揺り籠の中を覗くが、彼もどうしていいのか全く分からない。
「はい、失礼致します。そろそろお腹が空いているようですね」
看護婦の一人が進み出て来て、そっと赤ちゃんを抱き上げた。
控えていたメイド達が、手分けしてチェルシーを抱き抱えるようにして座らせ、背中に大きなクッションを当てて支える。
「お、おう。じゃあ俺はちょっと失礼するよ」
胸元を広げようとするのを見て、慌てたようにカウリがそう言って下がる。
小さく笑ったチェルシーが赤ちゃんを受け取り、看護婦に教えられながらややぎこちなく抱き上げて最初の乳を与える。
元気よく乳首に吸い付く赤ちゃんを、チェルシーはこれ以上ない良い笑顔で見つめていたのだった。
「はあ、最初の乳を飲んでくれれば、とりあえずこれで一安心……で、いいんですよね?」
廊下へ出たカウリは、そこにいたガンディに大きなため息を吐いてからそう言って上目遣いに彼を見た。
実は、生まれた赤ちゃんはかなり小さくて、標準的な赤子の七割ほどの体重しかなかったのだ。
やや早産だった上に、産声もかなり小さかったとの報告を受け、念の為ガンディに来てもらったのだ。
精霊達を使って赤ちゃんを診察してもらったが、特に大きな障害や病気を持っている様子は無く問題はないとの事だった。
ただ、体はかなり小さいので、念の為当分経過観察をした方が良いとも言われ、不安を隠せないカウリだった。
だがガンディからは、それほど心配するほどではない、自分で乳を飲めれば大丈夫だろうとも言われた。
でも、食事を終えたカウリは心配のあまり寝る事も出来ずに、ずっと眠るチェルシーと赤ちゃんに付き添っていたのだ。
「そうだな。見る限り、しっかりと乳を飲んでおるようだ。体が小さいとは言っても、まあ特別問題になるというほどではない。経過観察は念の為だよ。だが、これからしばらくはチェルシーは寝る間もないほどに赤子に乳をやらねばならぬからな。場合によっては乳母の手配が必要となるかもしれんな」
「一応、乳の出る山羊はいるんですが、複数用意すべきですかね?」
「うむ、そっちは間違いなく今後必要になるだろうが、まあ、今は一頭で良いさ。しばらくは母乳が一番だから、不足した場合のみ、山羊の乳を与える事になるだろうさ」
「そうなんですね。俺もチェルシーも、子育てに関しては全くのど素人っすからね。よろしくお願いします」
素直に頭を下げるカウリを見て、ガンディは苦笑いしている。
「事前に渡した資料をしっかりと読んでおるのだろう? ならば最低限の知識はあるのだからど素人というわけではあるまい。まあ、誰にでも初めてはある。子供が生まれたからというて、いきなり完璧な父親や母親になれるものなどいはせぬよ。子供と共に其方達も成長して父親と母親になっていくのさ。我らに出来るのはその手助けをする事だけ。育てるのは、父親と母親である其方達である事を忘れぬようにな」
「はい、肝に銘じます」
笑顔で頷くカウリの言葉に、ガンディは満足そうに頷いた。
「まあ、とりあえず赤子と奥方の事は我らに任せて、其方は部屋に戻ってベッドで休んでこい。ここ、クマが出来ておるぞ」
笑って自分の目元を指差すガンディの言葉に、カウリは大きなため息を吐いて頷いた。
「そうっすね。確かにへとへとっす。では、お言葉に甘えて少し休ませてもらいます」
一礼したカウリは、そう言って若干フラフラしつつ自室へ向かう。
執事が早足でそれを追いかけていくのを見たガンディは、小さく笑って満足そうに頷く。それから、小さな泣き声が聞こえてきた部屋に入って行った。




